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ユウキ達が“日の本の湯”を出る日がやってきた。宿にユウキ達の様子を見に来ると言っていたケイリンだったが、第三夫人とはいえ亡くなった前領主の娘という立場のため、忙しくて中々時間が取れず、最終日――それもユウキ達の出発の直前になってしまった。
ユウキ達が出立の準備をする中、ケイリンはユウキの検診を行っていた。
「なんか休んでたはずなのに、生傷が増えてるのは気のせい……?」
妙に擦り傷や打撲が多いユウキの身体を見て、ケイリンは尋ねる。
「気のせいじゃねーす。ちょっとイジメを受けておりましてね……」
インジャとの1週間の特訓は、インジャからの評価は最低ではあったものの、ユウキも全く努力をしていないわけではなかった。温泉では癒しきれないくらいには、身体のあちこちに傷を抱えていたのだった。
「……まぁ、どれも唾つけとけば治るくらいのものだから。目に見えた重傷は無さそうだね……。アオイ達から見ても、ユウキに変わりはなかった?」
ケイリンはユウキ以外の面々にも質問をした。――というより、ユウキに“離人症”の事はまだ伝えておらず、本人の記憶を思い出させないようにしていたのだった。
「そうですね……。特に変わりはなかったと思います」
アオイが答えた後に、次いでシーラが答える。
「むしろ姉さんのがよっぽどメンタル案件でしたけどね。……二人の元になったユウキアオイってやつは相当に心が弱かったようで」
「おいシーラ……」
シーラのとげのある言葉にユウキは反応するが、それは離人症の事を悟られていないことを示していた。ケイリンはシーラの機転の利く反応に、有難さを感じる反面、若干の恐怖を感じていた。妙に頭が回り“すぎている”のは、決して良いことではないからだ。
「……とりあえずもうユウキは大丈夫かな。それで、4人は次に行くところはもう決まってるの?」
ケイリンは不安を振り払うかのように話題を変えた。確かに1週間分の宿しか取らなかったのは自分ではあったが、行き先が決まっていなければ単に追い出すだけの形になってしまうからだ。
「ええ。昨日ちょっと色々あって決まりましたよ」
検診を終えたユウキが自分の荷物をまとめながらケイリンに答える。ユウキ達の目的はとにかく異邦人の足跡を追い、東大陸の東端にあるシープスタウンへの行き方を探すこと。
昨日のインジャの手下の証言から、ラーメンを提供しているという飲食店の存在が明らかになった。ラーメンの文化がないこの世界で、ラーメンを出しているという事は、その店主が異邦人である可能性が高いということだった。
× × ×
そしてそれから準備を終えた4人は宿の入り口へと向かう。入り口には宿の仲居さんが数人と、ミカがいた。彼女たちはユウキ達が来たのを見て、一斉に礼をする。
「1週間の間、我が宿をご利用いただきありがとうございました。また我が宿をご利用いただけるご縁をお待ちしております」
宿の女将としての態度を示すミカに4人は少し面食らった。そんな4人の反応を見て、ミカは悪戯な笑みを浮かべる。
「ははっ。ちょっとびっくりした? でも普段はちゃんとこうしてるのよ。今回はアオイが元からの知り合いだったのがあるけどさ」
「ははは……すごいミカさんが大人っぽく見えました」
アオイは少しドキドキしながら答える。城で会ったときから姉御肌の人とは思っていたが、今の所作は立派な女将そのものだったからだ。
「……そうそう。アオイに言うことがあったんだ」
ミカは改まるとアオイに頭を下げる。
「料理……教えてくれてありがとう。色々考えた結果、教えてくれたカレーとかは昼ご飯のメニューに加えることにした。夜ご飯はワショクの雰囲気を考えるとやっぱ崩せないけど、昼ご飯ならむしろアリだからね。カレーとかラーメンとか」
その言葉を聞いてアオイは微笑みながら言った。
「ええ。むしろ日本でもランチメニューとかでよく食べられるものですよ。その2つは。多分そのチョイスが大正解だと思います」
「そうだね。昼も馬鹿正直に落ち着いたものばっかりにしてたから、インジャさんたちも飽きてたわけだし……そのことに気づけたのはアオイのおかげだよ」
横でシーラが声に出さず自分のことを指さしていたが、ミカとアオイは意図的にそれを無視していた。
「こちらこそ、本当にすみませんでした。私がミカさんに料理を教えてたのはミカさんのためじゃなくて……私の承認欲求を満たすためだって、気づかされました。だから奇抜なことをして、注目を浴びようとして……」
落ち込むアオイにミカは笑いながらその肩を叩いた。
「そんなん気にしなくていいって! まだ子供なんだからそんくらい普通だよ。私だって宿を継いだ時、風呂場をピンクに改造して大目玉くらったことあるんだから!」
「ピンクって……」
アオイは絶句し、そして風呂場がピンクということでとある発想が頭に浮かぶが、それを振り払うかのように頭を横に振った。
「まぁなんにせよ、アオイは少し気にしすぎだったんだよ。最終的に取り入れるか判断するのは私が決めるって最初から言ってたしさ。それをひっかきまわしてくれたええかっこしいがいたけどさ」
ミカは横で仕切りに自分を指さすシーラを睨みつける。シーラはその言葉の真意に気づき、居心地が悪くなってアピールをやめた。
「……じゃあね。アオイも向こうの世界に帰って、親御さんに会えることを祈ってるよ」
「……はい!」
アオイはミカに元気よく返事を返す。ミカの最後の言葉にコニールは少し重みを感じていた。――いくつか物事を推理すると、見えてくるものがあったがコニールは何も言わない。その気持ちはコニールもよくわかっているからだった。
× × ×
宿を出た4人は次の目的地の方角へと歩いていく。温泉街を抜け、目的地に向かう山道を歩いていくと、そこには待ち人がいた。
「……なんで俺らがついて行かなきゃいけねえんだよ」
山道で待っていたのはインジャとその手下たちだった。馬車も複数台用意されており、全員で動ける準備が整っていた。文句を言うインジャにコニールはなんの感情も込めずに返答する。
「仕方ないだろう。そのラーメン屋がどこにあるのか、知っているのはお前の部下だ。それにまだユウキ君への特訓は終わってないのだろう?だったらまだ続けるべきだ」
「「えっ!?」」
コニールの言葉にインジャとユウキどちらも驚愕の声を上げた。
「ちょっと待って、1週間で終わりじゃないの!?」
ユウキはコニールに詰め寄るが、コニールは何を言っているんだとばかりにユウキ
をはねのける。
「インジャから言われたのだろう。1週間の特訓の意味はなかったと。ならまだ続けるしかないじゃないか。インジャを連れて行けばその時間の問題は解決するし、連れていく用事はあるのだから一石二鳥じゃないか」
「え……ええ……」
ユウキはこの世の終わりかという表情で後ずさっていくが、その先はインジャの手下たちがいる場所だった。インジャの手下たちに両腕を掴まれたユウキは、顔を上げるとインジャの手下たちが意地の悪い笑みを浮かべていた。
「よう……まだお前地獄を続けたいみたいだな」
「俺らだけがインジャの兄貴のシゴキを受けるのは不公平だからな」
「お前もまだまだ続けてもらうぜ……!」
インジャ本人より、その手下たちの方がユウキが続けることを喜んでいた。――自分たちの格下はできることに喜びを感じているようではあったが。
「ま……待って撤回して……い……いやぁぁぁぁぁぁ!!!」
ユウキは悲鳴を上げるものの、複数人の男たちに囲まれ馬車に連れ込まれていった。その様子を見て、残った女子3人は楽しそうに笑った。
そして馬車が動き出し、次の目的地へと向かっていく。この1週間の休息でユウキとアオイはそれぞれ自分を見つめなおす機会があり、そしてそれぞれが違う解答に行き着いた。
もうそれぞれが結城葵とは言えない存在になりつつあり、そのことについても二人とも気づき始めていた。しかしその思い方について、互いに深刻なズレがあることを気づいていなかった。――特にユウキの方がアオイの思いについて、気づいてやれることはなかった。そしてそのことが後に、大きな亀裂を生み出すことも知らずに。




