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シーラの案内の下、ユウキたちは大通りから少し外れた通りにある宿屋『黎明亭』へとたどり着く。この宿は高くも安くもない、いわば豪華すぎはしないが、かといって安宿のようなわびしい思いはさせないというコンセプトで作られた店だった。――おかげで逢引に使うのにちょうどよく、“そういう用途”で使う客が多すぎるのが店主であるグレゴリーの最近の悩みだが。
「ここです! ここッス!」
何か焦っているような、聞き覚えがある少女の声と、走ってくる足跡が店のカウンターで帳簿の整理をしていたグレゴリーの耳に入ってきた。
ドアが勢いよく開かれ、息を切らしたマントを着た男、背負われた黒髪の女、そして姪であるシーラが宿屋に入ってきた。
「シーラか!?お前いったいどうしたんだ!?」
「おじさん! この人たちが例の泊めたいって言ってた人たち! ちょっと今は急を要するから、あとで事情は説明するから! まずは部屋に行かせて!」
シーラ達は慌ただしく宿泊用の部屋がある2階へと駆けていく。カウンターにいたちびちび酒を飲んでいた常連の男が、呆気にとられながらグレゴリーに尋ねる。
「あれがいつも話してたシーラちゃんかい?」
「ああ……そうだ。何かまた面倒ごとを持ってきたんじゃないだろうな……」
「ハハハ……いつも愚痴ってたもんなあ。トラブルばっか引き起こすって」
「“立派になった”のはいいんだけど、少し落ち着いてくれるとなあ。何かあったとき姉さんに説明するのは俺なんだよ……」
「あのぐらいの子は元気な分には問題ないだろう?」
常連の男の言葉にグレゴリーは項垂れて答えた。
「あくまで普通の範囲に落ち着いてくれたらな……普通じゃねえからなあの子は……」
× × ×
ユウキたちはシーラの部屋に入る。ユウキは今までのシーラの態度からグチャグチャになった部屋を予想していたが、予想に反して部屋はきちんと整頓されていた。机の上には勉強の途中であるのか、ビッシリを書き込まれたノートと分厚い辞書のようなものが置いてあり、抱いていた印象とは真逆のものを感じさせた。
「な~に女の子の部屋をジロジロ見てんすか! さっさと姉さんをベッドに寝かせてくださいよ!」
ユウキはシーラに指摘され、ハッと気づいて急いでアオイをベッドに寝かす。シーラは流しに向かいタオルをあるだけ掴んでくると、アオイの身体に浮かんだ汗をタオルで入念に拭く。体温が非常に高くなっているが、咳はしておらず、鼻水などの症状もない。――シーラの中である症状が一つ思い浮かんだが、まさかそれはないだろうという思いもあった。
「とりあえず服を着替えさせなきゃ……兄さん、姉さんの着替えって持ってないんですか?」
「ほとんど手ぶらだから着替え用意してないんだよ……金は多少持ってるんだけど……」
「あ~……じゃあちょっと小さいですけど私の部屋着を羽織るくらいならできると思いますから……そこのタンスから服取ってもらっていいです?」
シーラは壁際にあるタンスを指さし、ユウキはそこからシーラの言葉を推測して、紐で止めるタイプのガウンを引っ張り出す。正解を選んだユウキにシーラは感心して手を前に出す。
「おっ、正解っす。じゃあそれを私に……」
だがユウキは慌てたまま今度はアオイの服に手をかけ、服を着替えさせようとしていた。
「なにしとるんすか!!!???」
「いってえ!?」
シーラは慌ててユウキの頭をひっぱたき、ユウキから服を奪い取る。
「あとは私がやりますから! 兄さんは下に行ってご飯でも食べててくださいよ!」
ユウキは納得できない表情を浮かべるが、少し考えて自分が何をしようとしていたかを思い出し、顔を真っ赤にして俯いた。
「うぐ……! す……すまん……」
素直に謝るユウキを見て、シーラも少し落ち着いたのか照れながら言う。
「いや……私こそ手を出してすみません。ここは女同士で任させてくださいよ。下に行って待っていてください。」
「ああ……頼む」
ユウキは大人しく部屋を出ていき、シーラも一度深呼吸してもう一度アオイを見る。
「さて……兄さんもいなくなったし、今度は服を脱がしてその下も拭きますね……」
シーラは布団をめくり、アオイの服を脱がそうとする。そしてある個所を見てシーラは絶句してアオイを見た。
「……マジっすか。……姉さん、あなた一体何者なんです?」
× × ×
ユウキは部屋を出て少し落ち着くと、シーラに言われたとおりに下に向かう。そしてようやく周りを見るくらいの冷静さを取り戻し、この宿屋の間取りを確認していた。3階建ての宿屋で、2階と3階が宿泊用の階になっており、1階が食堂になっていた。昼過ぎということもあり、食事をしている客はあまりおらず、わずかにいる客がゆっくりと酒を呷っている程度だった。
店主であるグレゴリーは店の忙しくなる合間の時間を使って、カウンターで店の帳簿をまとめていた。そして上からユウキが降りてきたことに気づくと、帳簿を閉じてユウキに声をかける。
「君は……シーラのお友達かな? 飯は食ってきたか?」
グレゴリーの問いにユウキは首を横に振って答える。
「そうか、じゃあ今軽く昼飯作るから、座って待っててくれ」
グレゴリーは立ち上がると厨房の方へ向かっていき、ユウキはグレゴリーを止めようと手を伸ばすが、グレゴリーの視線には入らずにそのまま行ってしまった。
「え……いや、別にシーラと友達じゃないってところに首を振ったんだけど……」
が、どうしようもならずユウキはカウンターに腰をつける。昼食を取っていないということも事実であり、間もなくして厨房から漂ってきた香ばしい香りにユウキはお腹を鳴らしてしまっていた。そして5分ほど待つと、グレゴリーが皿いっぱいに盛り付けられたピラフを持ってユウキの前に置いた。
「賄い用で取っておいた具材を焼いただけの簡単な料理だが……金は取る気はないから食っとけ」
「……いただきます」
ユウキは手を合わせ、食事に手を付け始める。恐らくユウキが若い少年ということもあり味を調整してくれたのだろう。塩味が強めに効いており、ユウキは夢中になってピラフをかっこんでいく。
そしてものの数分でユウキは食べ終わり、満足げにお腹をさすった。
「……ごちそうさまでした」
ユウキは手を合わせて礼を言うが、その様子をグレゴリーは不思議そうにして見ていた。
「さっきから言っている“いただきます”とか“ごちそうさま”とか、どういう意味なんだ?」
グレゴリーの質問にユウキは目線を反らすが、食事を奢ってもらった手前、無為にもできず少し間をおいてから答えた。
「……俺の故郷ではどんな不良や悪党でも、食事の前には今のような挨拶をするんです。こっちにはそういった文化はないんですか?」
「う~ん……聞いたことはねえな」
「そうですか……」
「あ~……やっと終わった終わった」
上から呑気な声が聞こえてきて、ユウキたちがそちらの方向を見ると、シーラが首を鳴らしながら下に降りてきていた。
「シーラ……アオイは?」
ユウキはシーラに尋ね、シーラはかったるそうに答えた。
「大丈夫ですよ。薬も飲ませましたから、すぐに良くなるはずです。……それより」
シーラはユウキの隣の席に座る。そしてグレゴリーに向かって言った。
「おじさん、宿泊料金少し割増しで払う。……ちょっと……ね」
「ん?ああ」
シーラの提案にグレゴリーは相槌で返すが、ユウキは納得できずに立ち上がりシーラに反論した。
「はぁ!? ちょっと待てよ! ……はっ! まさかそういう詐欺だったのか……!?」
「違いますって……ちょっと込み入った用事があっただけですよ……」
シーラは苦い顔をして答えるが、ユウキは更にシーラを問い詰めた。
「じゃあどういうことだよ!」
「あ~~! もう! わかりましたって! せっかく人がボカして言ってあげてんのに……!」
シーラは立ち上がると、隅っこに向かいユウキを手招きして呼ぶ。ユウキは訳が分からなかったが、渋々シーラの下へ向かうと、シーラはユウキにボソボソと耳打ちして何かを伝えた。そして話を聞き終わったユウキは爆発するかのように顔を赤くすると、大人しくなって席に戻っていった。
「……何かしらんが話が終わったのか?」
グレゴリーはユウキに尋ねるが、ユウキは恥ずかしさから俯いて頷いた。
「まぁ……というわけではあるんですが、いい加減兄さん達の正体を教えてくださいよ」
シーラも席に戻ると、肘をカウンターにつきながらユウキに尋ねる。
「姉さんの……その……体調の悪さの原因だって、この年になったら普通対応できるもんでしょう。ですけど姉さんは全く対応したことなかったようですし……。念のため確認しますけど、兄さんたち流石に15歳よりは上ですよね?」
ユウキはシーラの質問にボソリと呟くように答えた。
「…………17歳」
「それにあの“異邦人”の襲撃。事件現場に向かう際に姉さんに触りだけ聞きましたが、兄さん達を狙っていたって。……それを逆に利用して色々と策を練りはしましたが、あいつらも何なんです?」
矢継ぎ早にくるシーラの質問にユウキは黙ってしまう。答えようとしないユウキにシーラはため息をつくが、それ以上の追及はせずにグレゴリーに話しかけた。
「おじさん、私もお腹空いた。何か食べるもの頂戴」
「はいはい。……適当でいいだろ?」
「私は宿泊料金払ってる“客”なんだから、マトモなもん作ってよね」
「マケてやってんだから文句言うなっての」
「別に金には困ってないし。何でもいいからお願い」
「ったく可愛げがねえなあ。ちょっと待ってろよ」
グレゴリーが再び厨房に向かい、何も話さなくなったユウキとシーラの間に沈黙が流れる。二人ともどう言葉を切り出していいかわからず、時間がとても長く感じていたが、その沈黙を破るように宿屋のドアが開かれる音が鳴り響いた。厨房で料理をしていたグレゴリーは一旦料理を切り上げ、入ってきた客の対応のためにカウンターに戻ってきた。
「いらっしゃい! ご用件はなんですかね?」
その客は女性一人で来ており、兵士なのか腰に帯剣をしていた。そしてあたりを見回し、グレゴリーに尋ねる。
「すまない、ここにユウキかアオイとかいう黒髪の人物が来ていないか?」
その質問を横で聞いていたシーラとユウキは思わずその女性客を見る。女性客の方もシーラ達が反応したことに気づいたのか、ユウキの顔を見るとニヤリと笑った。
「……どうやら突き止めたようだな……君が“異邦人狩り”か」
「お前は……!?」
ユウキは立ち上がりその女性の顔を真っすぐ見た。どこかで見たことがある顔だと思い、記憶を探る。そして思い出して思わず顔を反らしてしまった。――恥ずかしくて。
ユウキの挙動不審な態度にその女性客は疑問を浮かべながらも、ユウキの質問に答えた。
「私の名前はコニールだ。パンギア王国に仕える騎士として“異邦人”を追っている。……君が先ほどの広場での事件に関わっていることも知っている。少し話を聞かせてもらいたい」
ユウキはその顔に見覚えがあった。――アオイとはぐれて街を歩いていた際、城を見上げた時に見た顔だったからだ。




