15-3
ユウキはインジャとの訓練が終わり、宿に戻るために下山していた。この1週間、徹底的にしごかれたこともあり、ようやく復路で自分の足で歩けるくらいには特訓の成果は出ていたが、それでも足がまだプルプルしていた。
「今日でやっと終わりか……」
ユウキは温泉街を歩きながら、安堵のため息を漏らして言う。そんなユウキに横で歩いていたインジャは嫌味たらしく言う。
「お前な……結局肝心なことは何も身につかなかったじゃねえか。この1週間、単に無駄に疲れただけで終わってんだぞ」
インジャはユウキの覚えの悪さに辟易していた。結局体力が身についたわけでも、技術が身についたわけでもなく、特訓の成果といえば帰りの分の体力が残せるくらいの器用さが身についただけであった。
「別に俺はお前がどうなろうとしったこっちゃねえけどよ。お前が俺の特訓を受けるためにシーラが金出してやってるってのを、少しは考えたらどうだよ」
「なんで悪人にマジメな説教受けなきゃいけないんだよ……」
「事実を言うことに俺が悪人だとか関係あんのか? お前舐めてんのか?」
「う……」
インジャに正論で諭され、ユウキが居心地が悪くなって顔をそらす。アオイからの提案のため受けるときは素直であったが、結局のところ疲れるのが嫌で、真面目に取り組んだかといえばそうではないのは否定できなかったからだ。ユウキにはそういう面があった。
× × ×
思えばアオイはこの1週間の間、なんで料理を考えるのが楽しかったのか。それは自分が現代知識を用いて、ミカに対してものを教えるという承認欲求が満たされていたからだ。ただ人にものを教えるにはアオイはあまりにも子供だった。
結局アオイは自分の欲求を満たすためだけに、和食からかけ離れた自分の知っている、エルミナ・ルナの原始人が知らないような、適当な料理を教えてやっていた、それだけだった。
だからこそ、ミカの『本当にそれは和食なのか』という指摘に、アオイは胃が荒れ狂うほどのストレスを羞恥を感じていたのだった。
「……私」
アオイは目から涙を流しただ俯いていた。自分が恥ずかしくて仕方なく、ここから逃げ出したくてしかたなかった。作っていたラーメンのスープを捨てようと鍋に手をかけたところで、ミカがようやくアオイの異変に気付いてその手を止める。
「ス……ストーップ! 何しようとしてんのよ!?」
慌てるミカに、アオイは涙でグチャグチャの顔で、言葉にならない言葉で返す。
「だっで……私……ごんなの……!」
ミカの手を振り払おうと強引に鍋を掴もうとするが、ミカはアオイの行動が理解できず――というか理解なんて不可能ではあるが――アオイを必死で止めようとする。
「いきなり泣き出して、唐突にスープを捨てようとしないでって! 脂浮いてるんだから、それそのまま捨てたら確実に詰まるよ!?」
「んー! んー!」
ミカの説得に関わらず、アオイはただの癇癪でなおもスープを捨てようとする。アオイの突発的な行動にミカが困っていると、手が一本伸びてきて、ミカと共にアオイの動きを止めた。
「姉さん」
後ろから現れたのはシーラだった。突然の闖入者にアオイは動きを止めるが、その隙をついてミカはアオイから鍋を奪った。
「……なによ」
急に現れたシーラに、アオイはいじけながら尋ねるが、シーラは頭をかきながら答える。
「いや暇だったもんですから。しばらく私もやることなかったし……。ただミカ、ちょっと説明不足じゃない今の」
「説明不足って……」
「だってあの言い方じゃ、姉さんが単に知識をひけらかすのに気を良くして、明後日の方向にすっ飛んでいったバカだって言うのを、否定してないようなもんじゃん」
シーラのあんまりな言葉にアオイもミカも絶句していた。シーラは当然、自分の言い方がきつすぎることを理解しているが、そのまま続ける。
「ミカの爺ちゃんがワショクのなんたるかを守るために、意図して保守的になってたのはまぁいいけどさ。……インジャの手下たちがカレー食った時のリアクション、見てなかったわけでもないでしょ」
ミカはアオイがカレーを振舞った時の、インジャ達の反応を思い出す。あの時のインジャの手下たちは、今まで溜まっていたフラストレーションが解放されたかのように、カレーにかじりついていた。
「変わらないのは確かに大切だけど、それに固執して形骸化してたら何の意味もないでしょ。……実際私もこの宿の食事は結構飽き始めてたし」
シーラの指摘ももっともであった。結局ミカの今までのやり方では代り映えしないのも事実だからだ。
「今の日本ってところで食べられてる料理がこれでわかったんだし、ミカがこれから取るべき手法ってのも大分見えてきたんじゃない?」
「……何を?」
「別にワショクや、ミカの爺さんのレシピに拘り過ぎないってこと。変わること、変わってはいけないこと。姉さんの知識が刺激になって、色んなことが分かってきたんだ。……それだけでも姉さんのやってきたことは無駄じゃなかったってことですよ」
ようやくシーラが何を言いたいか、アオイとミカもわかってきた。――理屈っぽく理由を並べはしたものの、シーラはアオイのしたことは迷惑ではなかった、そう伝えたかったのだった。
「……随分、達観した意見の持ち主ね」
ミカはシーラに対し、懐疑的な目線を向けながら言った。いくらアオイを励ます――回りくどい方法で――為であるとはいえ、その言葉は何か特別な経験を感じさせるものだった。アオイは手をわざとらしく上げながら、身を翻して答える。
「そりゃあ私、親戚の宿屋の経営を手伝って……というか経営権を借りて、実際に店を回してましたから。そういう経験してると、色々見えてくるものがあるってもんすよ」
「ああ~……あの確か叔父さんのやつ……」
アオイはパンギア王国で世話になった、シーラの叔父のことを思い出した。
「そ。そういうわけで色々と、ね」
「……だったらもうちょっとこの宿の経営についてアドバイスくれてもよかったのに」
今更のシーラの自己紹介にミカは少しむくれながら言う。
「私はそういうアドバイスするのにお金貰ってる立場なんでね。タダでアドバイスしたら色々と悪いわけよ」
悪い笑みを浮かべながら言うシーラにアオイはツッコミを入れた。
「どういう立場よ……」
× × ×
アオイが作ったラーメンは結局捨てず、訓練を終えたユウキ達に夕食として振舞われた。インジャの部下たちはもちろん、ユウキがこの中で一番驚いていた。
「うわっ!? ラーメン!? よくこんなもの作れたな~!」
「ユウキだって作り方わかってるでしょ?」
アオイは夢中でラーメンをすするユウキに呆れながら言う。
「いやまぁそうだけどさ……それでもわざわざ作ろうなんて思わなかったもんな~。このスープもそうだけど、とにかく手間かかるから、あの自由研究は本当に失敗だった……」
「それは同感……。これも本当に手間くったから、もう二度と作りたくない……」
ミカは食堂を見渡し、ラーメンを食べているインジャ達を眺める。やはりそれぞれが、普段ワショクを食べているときよりも、美味しそうに食べているのが目についた。シーラがアオイを励ますために言った言葉は、逆にミカのことを追い詰める結果にもつながっていた。だがそんなミカの心境を察していたのか、シーラはミカの背を叩いて言った。
「別にワショクってやつが悪いわけじゃないと思う」
「ふっ……何よ。あんただって飽きたとか言ってなかった?」
「そりゃあ私だって、まだ子供舌だもん。脂っこい料理とか、しょっぱい料理のが好きだよ。目の前にいる頭が足りなそうな野郎共もそうでしょう?」
シーラの指摘を受け、ミカは改めて今ラーメンをすすっている面々を見渡した。――確かに全員、繊細な味なんか気にしないような顔をした男ばかりであった。
「だから、ケースバイケースってこと。杓子定規に爺さんのレシピを守ったって、それが本当に爺さんの意志を守ってるとは言えないでしょ?」
「……そうね」
ミカとシーラの会話が終わり、それぞれがラーメンを必死に啜っているなか、インジャの部下の一人がふと呟く。
「……これ、どっかで食べたことがあるな」
その言葉を最初に拾ったのはアオイだった。アオイはその言葉を発したインジャの部下に近寄ると、身を寄せて尋ねる。
「今……なんて言ったの? これをどこかで食べたことあるって?」
「あ……ああ。確かにこのラーメンってやつ、食べた覚えがあるんだよ」
「まさか……! ラーメンが存在しないのは確かに確認してたはず……!」
アオイの反応を見て、シーラがアオイに声をかける。
「私もこんな料理は見たことない。……じゃあ別の可能性が考えられません?」
「別の可能性?」
「ええ。……姉さんがラーメンを作ったことは決して無駄じゃなかったってことですよ」
そこまで話してユウキもようやくそれが意味することを理解した。
「そうか! そういう探し方もあったんだ……!」
「え!? なになに!?」
アオイは未だにユウキ達が何に気づいたかわからずに問いかける。この“ラーメンを食べたことがある”という事実が何を意味するか、先に気づいたユウキは箸を構えながらアオイに答えた。
「……異邦人がいるってことだ」




