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ハイラントに来てから6日が経った。ユウキは相変わらずインジャと共に特訓に行っていた。アオイはこの6日間の間で寝る間も惜しんでミカの祖父が残したレシピに目を通し、思いついたメニューをひたすら洗い出していた。
日本にいたころは日常的に料理を作っており、時折興味本位で本腰入れたものを作ることはあったものの、それが趣味だとは決して言えず、必要だから作っているというだけであった。
しかし今のアオイはこのように料理を作ることに、楽しさと喜びを感じ始めていた。それは料理の楽しさに目覚めたというより、自分が求められているという充実感の方が大きかった。
アオイが思いついた改良点は全体的に淡泊な印象のメニューに、わかりやすく美味しいものを追加することだった。唐揚げ・コロッケ・とんかつに和風ハンバーグなど、平成以降の日本の食卓に並ぶようなものをいくつも挙げ、そしてその作り方をミカに教えた。
エルミナ・ルナはアオイからすると中世のファンタジーな印象に見えていたが、それでも流通は非常に進歩しており、温泉街であるこのハイラントは観光目的で人が多く集まることから、山奥であるにも関わらず、さまざまな食材が並んでいた。
なぜここまで流通が進歩しているのかシーラに尋ねたことがある。その際にシーラは少し答えに困ったものの、冷静に分析して回答を出していた。
「多分、魔法のおかげですね。ナマモノを運ぶときは氷結魔法を使ってますし、確か通信魔法を使って、馬車の駅伝で迅速に物を運んでいるって聞いたことはあります。……身近すぎて、あんまり気にしたことなかったけど」
しかしここまでやってもミカは何故か、アオイのメニューを素直に採用することに抵抗を覚えていた。ミカ自身もその理由はよくわかっていなかった。別に味には全く問題なく、アオイから教えてもらう料理は、ミカからすれば新鮮な刺激なのは間違いなかった。だが、どうしても何か引っかかるものを覚えていたのだった。
× × ×
この日もミカとアオイは厨房におり、新しい料理の開発を行っていた。そして今作っている料理は、仕込みに数日かけたアオイの料理の集大成であった。料理台の上には水がなみなみ入った壺が置かれており、アオイはその上澄みを掬ってボウルに移す。
「この水は灰を入れて混ぜた後に寝かせたもの。リトマス紙で測ったわけでも無いから、カンペキではないですが。……まあ結局何がしたいかというと、この“アルカリ性の水”が作りたかったわけです」
「ア……アルカリ? なんなのそれ?」
エルミナ・ルナでは酸性とアルカリ性の知識は一般的なものではないため、ミカは当然のごとく疑問を口にする。アオイはどう答えていいかわからず、少し考えはしたものの出した答えは無視だった。
「と……とりあえずそんなものがあるとだけ思ってください。このアルカリ性の水……いわゆる“かん水”を使って小麦粉を練ります。確かこの店には“うどん”がありましたよね。かん水を使って、その要領で麺を作ってもらえますか?」
「わかったけど……。今更思ったけどこのかん水ってやつ、なんか石鹸作ってるときと同じ感じが……。これ食べて大丈夫なやつなの?」
「あー……そうか温泉宿だから石鹸で例えればよかったんだ……まぁなんにしてもそうこうして、これで麺ができました。そして次!」
アオイはすでに用意してあった寸胴鍋を指さす。
「この鍋には鳥ガラ・しいたけ・煮干し・かつお節・トマトに醤油に砂糖に更に諸々を入れて煮込んでおります。……本当は豚骨を使いたかったけど、臭いがとんでもないことになるからやむなく断念しました。とにかく“旨味成分”がある材料をぶち込んだスープができあがりました」
「数日前からなんか煮込んでたなと思ったらこんなものが……。でもすごいいい匂いがする……」
アオイは今度は器を用意すると、まな板と包丁を持ち出し、具材のカットを行っていく。
「もう事前に準備がしてありましたからテキパキいきますよ。まず鳥の皮を炒めて抽出したこの鶏油を器に入れて、輪切りにしたネギ、ほうれん草、煮込んだ後に焼いた鶏肉……これは叉焼の代用で。あと煮込んだ卵に、刻んだ生姜を用意して……全部器に入れて、スープを投入します」
アオイはスープを入れると、そこに茹でていた麺を準備して、湯切りを行う。
「うどんに使っていた湯切り器を使って麺の水気をよく切って……それをスープの中に投入すれば……“ラーメン”の完成です」
「こ……これは……!」
ミカが目にしたものは今までに見たことのない麺料理だった。この世界にもパスタはある。ミカの祖父はうどんのレシピも残していたが、それとも違う。そしてミカは試しに麺をすすると、その食感に驚かされた。
「麺がモチモチしてる……? ツルツルしてるパスタや、コシのあるうどんとはまた違う……!」
「中学の頃に自由研究で“ラーメンを1から作ってみよう”って試したことがありましてね。当時は重曹からかん水を作ってましたけど、確かほかの方法で備長炭からかん水を作る方法を調べてたんですよね」
アオイが説明している間も、ミカはひたすら麺をすすっていた。
「いや……この麺はすごい……。とても味が強いスープにしっかり麺が絡んで、いくらでも食べれちゃう……」
「ふふふ……こっちの世界にラーメンが無いのは今まで回った町を見て確認してますからね。これは売れますよ、マジで」
ミカは初めて食べたラーメンに衝撃を受けていたが、その反面ある疑問が浮かんでいた。
「……ねえアオイ、ちょっと質問なんだけど」
「なんです?」
アオイは得意げな顔で明るく応える。だが対してミカは何か気落ちしたような表情を隠さなかった。
「……これってさ。ワショクなの?」
「……厳密にいうと、和食じゃないですね。中華料理……といっても中華のラーメンは全然別物で、日本ナイズしてるのが今のラーメンらしいですけど」
その言葉を聞いて、ミカはカレーを提案されたときのことを思い出した。あの時もワショクではないが“ほぼ日本料理”であると答えていた。ほかにも和風ハンバーグや、和風パスタなど、他の料理を紹介されたときも、同様の言葉で答えていたことを思い出す。
「そうか……そうだったんだ……」
ミカはようやく自分の中の疑問が腑に落ちて、麺をすすっていた箸を置く。そしてミカはアオイに大きく頭を下げた。
「……ごめん。ここまで教えてくれて本当にありがたいと思ってる。だけどようやく、お爺ちゃんが頑なにレシピを変えようとしなかったのかわかった気がする。……アオイが教えてくれたメニュー、採用できないかも」
「え……?」
ミカの告白に、アオイは胃が締め付けられるような感覚を覚えた。
「そ……そんな。私がやったことが、意味なかったんですか?」
アオイは自分がやってしまったことを必死に思い返す。確かに純粋な和食はあまり教えられなかったが、それでも良かれと思って色々と考えてきていた。しかしそれが全くの無意味だったのかと、自分のやってきたことはミカにとって迷惑だったのかと、色んな考えが頭をめぐっていた。
アオイの血の気の引いた顔を見て、ミカはすぐにアオイに謝りながら言う。
「い……いやいや! アオイがやってくれたことは本当にありがたいの。……ただ、ワショクってなんだろうなって考えたとき、どうしてもアオイが教えてくれた料理が、お爺ちゃんの考えた料理に混ざったとき、本当に合うのかって考えてさ」
ミカは祖父の残したレシピを手に取り、そしてそのそれぞれのページに残された、無数の筆跡に思いをはせる。――祖父がこのレシピを作る際、どのようなことを考えたのだろうか。
「あのカレーとか、唐揚げとか、あと和風ハンバーグとか。お爺ちゃんは本当に試さなかったのかなって。思うと私が子供のころ、お爺ちゃんはもっと色んなものを作ってた気がするのよね。お祖母ちゃんも料理をしないわけじゃなかったし」
アオイはそれを聞いて胃がうねった。確かにあのレシピに残されていなかったから無いものと思っていたが、カレーも唐揚げもラーメンも、1940年より前、明治時代から存在することは知っていた。ただ勝手にアオイが、ミカの祖父が知らなかったであろうと思い込んでいただけだった。
「……お爺ちゃんは多分、あえて変わらないことを選んだんだ」




