12-2
腕に抱いたトスキから力が失われ、足元から光が散っていく。目の前で人が死んだのを見て、ユウキは怖くなって尻から地面に腰を落とし、そのまま後ずさる。
「ひ……ひぃ……!」
ユウキは頭を掻きむしり、目から涙が溢れているにも関わらず、それをぬぐう事すら忘れていた。目の前で人が死んだ。それも知り合いが、仲間が、少し心を開きかけていた人が。
ユウキの脳裏に浮かぶのは怪我を治すためにトスキと共に数日間安静にしていた記憶だった。初めてできた異邦人の仲間で、トスキも他の異邦人と同じように好き勝手にしていたものの、一線のところで良心は保っていた。それにユウキの孤独を理解してくれていた。
「ガウアアアアア!!!」
ラルダインが咆哮を上げ、地面が震える。ユウキは耳をつんざくその声で正気を辛うじて取り戻し、ラルダインを見た。相も変わらず破壊をまき散らそうと暴れまわっており、理性を感じさせない――そう思っていた。
しかし、トスキが消える最後の瞬間、ろうそくの灯が消える寸前のように強い光が瞬き、ユウキとラルダインを照らす。そしてユウキのその瞬間にあるものを見た。
「……なんだあの光?」
ラルダインの周りに何か光るものが散っているのを、ユウキの強化された視力は見逃さなかった。
「……涙?」
“それ”はラルダインの目元から溢れ出ていた。ラルダインは破壊を繰り返してはいたものの、その表情は怒りとも悲しみとも取れないものに変わっていた。ユウキは最初、その涙の意味がわからずに呆然としていたが、ふと気になって後ろを振り向いたことであることに気づく。
「教会だけが……破壊されてない……?」
トスキに聞いた、ラルダインとトスキが初めて会った場所で思い出の地。ここでなら彼女は正気を取り戻すかもしれないと。作戦は失敗した。しかしラルダインの心には確かにまだトスキとの思い出が残っていたのだった。
――ユウキの胸の中で何か熱いものが灯り始めた。もう動く気がしなかった足に、明確に力が入り始める。
「そうだ……まだだ……!」
ユウキは洗脳前のラルダインに会ったことは無い。その性格も伺い知れないし、トスキとの過去も断片的にしか知らない。そしてトスキがいなくなった今、それを知るすべもない。
だが今のユウキの胸に去来したものは、ラルダインへの同情心。そして義務感だった。同じ異邦人であるトスキのせいで、ラルダインの心は壊され、この町も壊されていった。そしてトスキですら、異邦人としての知恵と力を用いて、この町に発展と傷跡を残していった。
「……俺は“異邦人狩り”だ。自分で言い始めたことじゃないが、その言葉がもたらす使命感は俺に高揚感を与えてくれていた。……言っちまえば、俺は異邦人という悪を倒すことが気持ちよかったんだ。俺は特別で、最強で、正義の人間だって」
ユウキはゆっくりと前へ進んでいく、ラルダインはユウキが近づいてくることに気づき、警戒して咆哮を上げる。しかしユウキはそれに構わず、まるで何も聞こえていないかのように、一切の反応もせずに一歩一歩踏み出していく。
「……なんてことは無い。俺だってあのエロ爺さんと、イサクと、他の異邦人と変わらなかったんだ。……ちくしょう、俺は……俺は……!」
近づいてくるユウキに、ラルダインは尻尾を振り回し攻撃を加えようとする。石造りの建造物を壊すほどの威力をもった叩きつけ。仮にユウキが防いだところでその衝撃まで殺すことはできず、弾き飛ばされることは目に見えていた。――しかし。
「……俺は! あいつらよりもクソ野郎だ!!!」
ユウキはラルダインの尻尾を受け止め、微動だにしなかった。自分の尻尾が止められ、ラルダインは動揺し尻尾を離そうとする。しかし今度は全く尻尾が動かせなかった。尻尾を掴んでいるユウキの力が強すぎて、身動きが取れなくなっていたのだ。
「やろうと思えば何とかできたかもしれないのに。俺は怖くてできなかったんだ……! そうしているうちに町が壊され、いっぱい人が傷ついているのに……俺は……俺はぁ……!!!」
ユウキはラルダインの尻尾を抱え持ち上げる。1トン近いドラゴンの身体を持ち上げるなんて、人間には不可能に近いことではあったが、ラルダインの身体が宙に舞っていた。自身の力で飛ぶ以外で、宙に浮く経験はラルダインには無かった。それがたかが“人間”に持ち上げられてなんて。
「あらああああああ!!!」
ユウキはラルダインを思いっきり地面に叩きつける。受け身もなく地面に叩きつけられたラルダインはその衝撃で口から血を吐き、痛みに悶える。その余波で周りの建物が倒壊していくが、ユウキは全く動じずに仁王立ちしていた。
「……もう、悩むのはやめだ。うじうじするのもやめた。全力を尽くすのに怯えるのもやめだ!」
ラルダインはなんとか体勢をたてなおして立ち上がるが、理性無く本能で動くはずのドラゴンが動きを止めた。――いや動きを止めたことが“本能”だったのかもしれない。
「“こうなった”時の俺はどうなるか分からない……終わった後で何か重大な後遺症が出るかもしれない! でももう構わない! 俺は俺の責任でもってラルダイン! お前をここで終わらせてやる!それが異邦人狩りの……使命だ!」
× × ×
コニールの避難誘導を手伝っていたアオイは何かの気配を感じ後ろを振り向く。突然のアオイの動きに、隣で作業を手伝っていたシーラはアオイに尋ねた。
「どうしたんですか?姉さん?」
「いや……」
アオイは空返事を返しながらも、今一瞬感じた嫌な予感が頭から離れなかった。しかし避難のための仕事は苛烈を極めており、アオイは全く手が休まる暇が無かった。アオイの瞬間移動の能力はまさにこの時のためにあったといっても過言ではないほどに、この避難活動に適していた。
瓦礫の撤去のみならず、資材の運搬、怪我人の移動、空にカーテンを飛ばすことで遠方への合図など、様々な用途に活かされていた。コニールからアオイのおかげで数百人単位で人が助かったと、激励すらされていた。
「まだ私のやるべき事はいくつもある」
アオイはユウキが心配でならなかったが、自分が行っても足手まといになってしまうかもしれないという不安もあった。それを紛らわすために目の前の仕事に没頭したが、そんなアオイを見かねてシーラはアオイの肩を叩く。
「……いえ、姉さんはやっぱり行くべきです」
思ってもみなかったシーラからの提案にアオイは驚くが、シーラは首を横に振って答えた。
「確かに兄さんならもしかしたら一人でやれるかもしれない。あのエロ爺も一緒にいますし、問題ないのかもしれない。……でも、もし兄さんに何かあった時、最後の頼みの綱は姉さんだけなんです」
「でも……!」
「コニールには私が説得します。コニールも賛成してくれるはずです。姉さんはここまでで立派にやってくれました。……今は自分がなすべきと思ったことをしてください」
シーラの真に迫った説得を受け、アオイの心は大きく揺らいだ。そして少し悩んで顔を上げると、その表情はまっすぐ前を向いていた。
「……わかった! ごめん、ここはお願い!」
「ええ! 兄さんを頼みますよ! 姉さん!」
アオイは破壊音が続く町中へと走っていく。今はドラゴンが空を飛んでいる姿は見えないが、もしいるなら何かが崩れる音の方向にいるはずとの判断だった。シーラはアオイを見送ると、アオイが行ったことを伝えるためにコニールを探す。しかしシーラが探すまでもなく、コニールはすでにシーラの真後ろにいた。
「げっ……コニール……!」
「……見てたよ。シーラ、君の判断でアオイ君を行かせたんだな」
シーラは悪びれもせず、しかし得意げにもならず、アオイが去っていった方向を眺めながら答える。
「……ええ。こういう時、多分元同一人物の姉さんの勘ってやつはバカにならないと思うから。姉さんがああ思ったなら、おそらく兄さんの身に何か起こってる」
コニールは頷いた。コニールもシーラを責める気は一切なかった。
「そうね。多分私も同じ判断をした。アオイ君が今まで頑張ってくれたおかげで、こっちは何とかなりそうだし、あの子一人がいなくても避難誘導は進むでしょう。……でも」
コニールはシーラをちらりと見ながら言う。
「なんというか……君は本当にアオイ君やユウキ君を買ってるんだな。私と付き合いの長さはそう大差ないだろう? ……賢い君だからこそ、逆になんで彼らをそんなに買ってるのか、非常に気になるんだが」
コニールの質問を受けてシーラは口を手で押さえた。言うべきか否かしばらく迷っているのか黙ってしまったものの、考えがまとまったのか押さえていた手を外し、ぼそりと答えた。
「……人の本性は窮地に陥った時こそ出る」
「……ん?」
コニールはシーラの発言の意図が読めずに尋ね返してしまうが、シーラはその反応も承知の上だったのか気にせずつづけた。
「ああすれば最善手だったとか、あの時なぜ動かなかったのか。結果論てやつは言うのは簡単。……だけど実際にその場面になった時、動けるか、考えることができるか、それはその場面にならないとわからない」
「……そうだな」
シーラの言っていることは、実際に命を懸ける現場にいるコニールには痛いほどわかっていた。普段は勇猛果敢でも、いざ戦場に出た時にその通りにできなかった人間は、コニールも山のように見てきたからだ。
「兄さんと姉さんは、そういう時に動ける人間だ。歳だって私とそんな変わらないのに、普段はボンクラそのものなのに、あの人たちは自分を見失わないんだ」
シーラが二人を“ボンクラ”と表現したことにコニールは内心驚いていた。確かに贔屓目を抜きにしたら、アオイはともかくユウキはかなり人間性に難を抱えているとは思っていたが、シーラはそういうところを無視していると思っていたからだった。
「意外……だな。シーラがそういうことを言うなんて」
驚きの声を隠せなかったコニールにシーラは微笑みながら答える。
「生憎、そういう判断はどうしても無くせなくてね」
だがコニールはその微笑みに何か無理を見ていた。――というよりもなぜシーラが二人を買っているのかの答えになってないのも気になった。会話の間から、コニールがその考えに至ったことをシーラは察し、ため息をつきながら答えた。
「……私はそうじゃなかった。だから、あの二人を見ていきたいんだ。……どう? 答えとして納得した?」
「……そうだな」
コニールは内心は納得していなかったがそれ以上追及する気もなかった。そこから先はシーラの内面に大きく踏み込んでいく事になるし、その領域は今踏み込むべき問題ではなかったから。そしてそのことを伝えるようにコニールはシーラに答える。
「今はあの二人の無事を願おう。……きっとあの二人なら、成し遂げてくれるだろうから」




