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オレゴン領・領主城。イサクに連れていかれたアオイはこの城のゲスト用の寝室で夜を過ごしていた。この城に来て3日が経つが、未だアオイがイサクの寝室に呼ばれたことはなかった。アオイはそのことに悶々とする反面、どこか安心する気持ちがあった。
「ユウキ……無事なのかな……」
アオイは窓から外を眺めながらつぶやく。イサクの能力の影響下にあっても、アオイのユウキへの思いは変わることはなかった。
そう物思いに耽っていると、部屋のドアがノックされる。自分の部屋のノックするのは城の侍女とあともう一人しかいない。そして侍女ならノックの直後に名前を名乗る。となればあと一人しかいなかった。アオイは上機嫌な気分でドアまで走っていき、勢いよくドアを開ける。
「イサク様!」
「ぐえっ!?」
開けられたドアの勢いで、イサクの顔面にドアがぶつかり、イサクは顔を抑えて蹲った。意図しないで自分の“主人”を傷つけてしまい、アオイはオロオロと蹲ったイサクの周りで慌てだす。そんなアオイをなだめる為に、イサクはアオイの手を握って大丈夫なことをアピールした。
「ははは……問題ないですよ」
自分の手を握るイサクの身体から、別の女の匂いがすることをアオイは本能で感じ取っていた。しかしそのことを不快に思えど、なぜかイサクを恨んだりするといった感情は一切湧いてこなかった。――というよりもその本能が感じれたことにアオイはちょっとした恐怖感を感じていた。
「こちらにお入りください……」
アオイはイサクの手をとって自分の部屋に案内する。こうやってイサクを自分の部屋に招くのは三度目。毎晩欠かさずに行っていた。だがイサクはアオイに手を出すことはなく紳士的な対応をしていた。
二人は部屋のテーブルに腰掛けると、他愛のない会話を始める。
「旅の途中、一番大変だったのは洗濯でしたね……。なんというか女性ものの服を洗うのにいまだに抵抗感があって。……というより、ちゃんと洗えるかって緊張しちゃって」
「そうか……。たしかに向こうにいた時は洗濯機でボタン一つで洗えてしまうからね」
「それですよ~。こっちに来て1か月経ちますけど、やっぱり機械が恋しいですね……」
「ふふ……。そうだね。魔法で代用が効くとはいえ、やっぱり全部自動でやってくれる向こうの電化製品は素晴らしかったと実感させられるね」
イサクはアオイを連れ去ってからというもの、城から出ないようにさせてはいたが、部屋からは自由に出入りをさせていたり、比較的自由な生活をさせていた。そして毎晩こうやって1時間ほどアオイと雑談する時間を取っていた。アオイの方も初めてユウキ以外の会話ができる異邦人ということもあり、能力の影響下にあることを考慮しても、この会話に楽しさを見出し始めていた。
「……でですね。あの時ユウキが……」
アオイは何でもイサクに話した。イサクもただ黙ってそれを聞き、あっという間に1時間が過ぎていく。扉がノックされ、外から女性の声が聞こえてくる。
「イサク様。間もなくお時間になります」
「……ああ。わかった。ごめんねアオイ。続きはまた明日」
アオイも時計も見て驚いた。自分が時間を忘れてここまで話し続けていたなんて、経験がなかったからだ。
「す……すみません! 私ばっかり話してしまって!」
アオイは頭を下げて謝るが、イサクはアオイの頬に手を当て、優しく顔を上げさせた。
「いいんだ。君をここまで来させたのは私なのだから。君が楽しく過ごせるようになるなら、私はなんだってするよ」
「イサク様……!」
イサクはアオイの口元に顔を近づけると、優しく口づけをする。初めてのキスに驚くアオイだったが、それは決して不快なものではなく――アオイの中に何か新しい価値観を芽生えさせるものだった。
「……じゃあ、おやすみ」
イサクは手を振って部屋から出ていく。呆然とするアオイを、外にいた女性の護衛剣士が恨めしい表情で見ており、その表情でアオイはようやく我に返った。
イサクに自分がもともと男であることは伝えてある。だがイサクはそれを全く気にせず、アオイの一人の女性として扱い――いや、女性としても特別扱いしていた。アオイの耳にもイサクの噂は入ってきている。数多くの女性がイサクの寝室に入っていくという話を。
このアオイへの特別な扱いはいかなる故なのか、もしアオイが正常な状態だったら疑いを持って考えたかもしれない。――しかし今はイサクの能力を受けており、全肯定する以外の発想を持つことはできなかった。そしてそれは、アオイの中にあった“結城葵”としての人格に大きな影響を与えていた――。
× × ×
元々のトスキのオレゴンの領主としての評判は悪いものではない――どころか、オレゴンを大きく発展させた領主として、歴史に名が残るものではあった。しかし女癖が非常に悪く、妻以外にも女中や町の女性に頻繁に手を出す悪癖があり、その方面での評判は最悪であった。城に女性と“致す”目的の部屋まで用意していた――というよりも潜伏していた隠れ家も本来は“そういう用途”のためだった。
そしてトスキから急にイサクに領主が変わって町の様子が変わったかといえば――何も変化がなかった。これはイサクの有能さを示すものではなく、むしろトスキが上手くやっていた。もう65歳という高齢のトスキは、自分がいついなくなってもいいように、権力の分散を行っており、領主が入れ替わっても混乱が起きないように配慮していたのだった。
ただ本当に何も変化がなかったわけではない。領主が一夜にして全くの新参者に入れ替わるなんて事件が起きて、反発がないわけがない。しかしイサクはそれをやってのけた。そしてその歪みは、わかる人間にはわかるように町の各所に現れていた。
「……なるほど。こりゃあひでえものっすね」
帽子を深く被った少女が、大通りの往来に立って辺りを見回している。その横にはサングラスをかけた少年――全く似合っておらず、クールさよりも滑稽さを感じさせていたが――が立っており、少女と同じように周囲を見ていた。
「特に変わった様子はなくないか?」
少年は少女に尋ねるが、少女はやれやれと少年を小バカにするように言った。
「……兄さん。あのイサクって変態の能力が分かってるんだから、もう少し観察しましょうや。……活気は確かにあるんですが、女性しか元気がない。男もいないわけじゃないですが、普通の往来に比べると、妙に男の割合が少ない」
帽子を深く被った少女――シーラは隣にいるユウキに観察するよう促す。そして言われて初めて、ユウキは町の違和感に気づいた。呼び込みをする売り子や、商人などの割合を確認すると、そのほとんどが女性だった。男もいないわけではないが、黙って作業に従事していたり、不服そうな顔をしている者の割合が非常に多い。
「本当だ……どういう事なんだ?」
ユウキはシーラに尋ねるが、シーラはしかめっ面をして考える。
「いや……結構この町、やばい状況かもしれませんね……。どこかでお茶しながら偵察と考えてましたが、予定を変えましょう。……どこにスパイがいるかわからない」
「スパイって……」
ユウキはシーラを茶化すように言うが、シーラの深刻な表情を見て、この状況のまずさを改めて認識する。イサクの能力が女性の意識を操作するものであり――その能力の制限がわからない今の状況では、町の女性全員がイサクの影響下にあると警戒をしなくてはならない。
「……わかった。これからどうすればいい?」
「まずは予定通り“病院”を探しましょう。ケイリンさんの情報では入院できるような大きめの病院はこの城下町で5つあるって話で、その中でも城の兵士も利用するような病院は1つしかないって言ってましたから。そこから当たれば“あいつ”の情報はつかめるはず」
「ああ、わかった。あまり時間をかけたくない。さっさと行動に移ろう」
ユウキとシーラは並んで歩きだす。そして歩きながらユウキは遠くにあるオレゴン領城に目を向けた。
(アオイ……待っててくれよ。必ず助ける……!)




