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「えっ」
ユウキがインジャを前にして発することができた言葉はこれだけだった。ユウキは反応もできないままに、インジャの拳が顔面に入る。そしてインジャが思いっきり腕を振りぬくと、ユウキはその勢いのままに崖に叩きつけられ、ズルズルと地面に倒れていく。
「ふぅ……なんでぇこんなもんか」
インジャは手をはたき、アオイの腕を掴んで連れて行こうとする。しかしすでに倒したはずのユウキの方から物音が聞こえ、慌てて振り返った。
「がっ……くっ……」
ユウキは頭を押さえながら立ち上がる。まだ殴られた衝撃で頭の中が揺れているのか、頭を振って意識を取り戻そうとする。
「何……バカな!?」
インジャは立ち上がったユウキに驚愕の表情を向けた。対するユウキもインジャの異常な戦闘能力に衝撃を受けていた。先日コニールにコテンパンにやられていた時と同じような感覚だった。
「くそっ……あいつも“達人”ってわけか……」
「てめえ……なんでまだ立ち上がれんだ……!」
インジャは20年以上武術を学んできて、どれだけの手ごたえで人が動けなくなるかよくわかっている。そしてユウキに打ち込んだ拳は明らかにその手ごたえだった。だがユウキは立ち上がり、ダメージはあれど深手すら負っていないようだった。
「なるほどね……これが"HP"の恩恵ってやつ……」
ユウキは顎の感覚を確かめながら、この旅の最中にシーラと行った実験を思い返していた。
叩く・切る・絞める・極める・焼く。様々なダメージをユウキに与え、痛みを感じるか、もしくは怪我として残るのか。意識は失うか、負った怪我はすぐ治るのか。様々な実験を行っていた。
結果としてわかったことは。『痛みは感じるがその時だけ』『折る・切る・焼くなどの怪我は残る』『意識を失う事はなかったが、呼吸が止まると流石に死ぬ』だった。ユウキはそれを“HP”と“状態異常”、そして“即死技”といった形で理解した。
攻撃によるダメージでHPは減っても0にならなければ死ぬことはない。しかし骨折や切り傷などの重傷は状態異常――デバフとして負うことになる。そして呼吸の停止は死んでしまうが、そもそもユウキは非常に頑丈にできている。ということだった。
シズクの関節技で骨が折られた時も、あの時はシズクの能力でユウキのステータスは下げられていた。素の状態では思いっきり後頭部を木刀で殴られても、コブすらできずに“痛い”で済まされるほどだった。
「実験の成果は出てきてるわけか……。ただこいつ、相当に強いぞ……!」
「てめえ……! 俺の“崩極拳”を……!」
インジャは改めて拳を構える。その構えは両手を前に出したまさしく“拳法”というべき構えであり、インジャの粗暴な見た目に反し、構えそのものは非常に洗練されていた。
「くらえ……“爆勁”!」
インジャが前に出ると、ユウキはそれを防ぐために防御の姿勢を取ろうとするが、インジャの歩行術に惑わされ、防御をすり抜けられて拳を腹に入れられてしまう。だがインジャはそのまま拳を振りぬかず、拳をユウキの腹に当てたままだった。
「……?」
ユウキは疑問に思いすぐに払おうと体に力を込めた瞬間、インジャの右拳から爆発的な衝撃が発され、ユウキは上空に弾き飛ばされる。
「がはぁっ!!!???」
そしてインジャはユウキの動きに合わせて空を飛び、ユウキの背中に思いっきり拳を叩きつけて、今度はユウキを地面に向けて弾き飛ばす。ユウキは防御することもできず、地面に叩きつけられ土埃が上がる。
「トドメだ!」
インジャはそのまま地面に落ちていき、ユウキにトドメを刺すために膝を地面に突き出す。だがユウキは寸でのところで呼吸を取り戻し、落ちてくるインジャに反応して転がって攻撃を避けた。
「こいつ……頑丈すぎるだろうが!」
ユウキの異常なタフさにインジャは文句を言う事しかできなかった。何度か身体を触った際の感触で、ユウキの肉体の頑強さについて把握ができていた。――間違いなくド素人の体つき。一切鍛えられている形跡がない、貧弱そのものだった。
「なんなんだ……なんなんだよてめえはよお!」
インジャはその叫び声には恨めしげな感情が込められていた。当然だろう。全く鍛えていないユウキが、何十年も武術に努めてきた自分よりも遥かに頑丈な身体能力を持っている。そんなことはインジャの人生への冒涜でしかなかった。
「……ははは。わかるかよそんなこと……。俺だって知りてえよ……」
ユウキは立ち上がると纏っていたマントを脱ぐ。そしてマントをそのまま右手に持って、インジャに対してマントを広げて構えた。
「……なんだ? それは?」
ユウキのとった構えを見て、アオイはユウキに叫ぶように言う。
「ちょっと待った! まだ“それ”は実戦で使えるくらいにはなってないでしょう!?大人しく不殺魔法を……!」
「こいつがそんな暇を待ってくれると思うか!? だったらやるっきゃねえだろうが!」
× × ×
ユウキがコニールの訓練を受けて3日目。剣の持ち方を教わるだけでも非常に時間がかかっており、コニールは頭を抱えていた。
「なぁ……君のやる気が全くないのはわかるが、せめてこちらの言うことを覚える努力をしてくれないか?」
コニールはかなり辛辣にユウキに言う。だがユウキとしても全く覚えようとしてないわけではなく、純粋にやり方がわからないというのが大きかった。
「野球の素振りをやってた時を思い出すよ……。あんときも振り方がよくわからなくて、泣きながらバット振らされてたからな……」
「“野球”……? いったいなんだそれは?」
「あ……そうか、こっちに野球はないんだ……」
ユウキは剣を置いてマントを脱ぐと、マントをバットに見立てて持った。
「剣だとすっぽ抜けた時に危ないからマントで代用しますが、ようは投げられたボールをこんな感じに振って当てて飛ばすんですよね」
ユウキはマントを思いっきり振ると、コニールに強烈な風圧がぶつかり髪が大きく揺れる。ユウキも思った以上の威力が出たのに驚き、慌ててコニールに謝る。
「す……すみません! まさかそんなになるなんて……! 本当こっちの世界に来てから力が上手く手加減できなくて……!」
謝るユウキだがコニールが抱いていた感想は別のものだった。――それは感動だった。
「……ユウキ君、そうだこれだよ! 剣もそうだがこれを活かそう!」
「……はい?」
「アオイ君の不殺魔法が使えない時にどうするか、私はそれを悩んでいたが、これなら不殺魔法を使わないでもギリギリまで殺傷能力を落とすことができる!物は試しだ!普段の剣の訓練に“追加”して、こっちも試してみよう!」
「え。……え、ちょっとまって。……“追加”?」
× × ×
ユウキはマントを全面に構え、インジャをけん制するようにたゆらせる。まだコニールと戦法を考えてから1日しか経っておらず、アオイの言う通り実戦に出せるものではなかった。普通に考えればユウキがなんとかして時間を稼いで、アオイに不殺魔法をかけてもらう隙を作った方が良策ではある。
しかしユウキはそうしなかった。それはそういう策を考えられなかったのもあるが、それ以上に――。
「おらあ!」
ユウキはインジャに対してマントを振る。インジャはその想定外の威力に下がろうとするが、鞭のようにしなり、超加速で振られるマントを避けきることができず、モロに左半身にマントを食らう。
「ぎゃああああああ!!!???」
振りぬかれたマントはインジャの身体を大きく弾き飛ばし、インジャは立っていることができずに地面に転がる。痛みでインジャは悶えるが、死んでもおらず重傷も負っていないことにユウキは手ごたえを得ていた。
「よし……!いける……!」
――ユウキがマントを出した理由の一つが、まず実戦で実験してみたいと思っていたこと。流石にコニールに本気で攻撃するわけにはいかず、アオイの不殺魔法をかけたら本当に“殺さないで済むか”、実験にならないからだった。
そういう意味ではインジャは実験相手として適切そのものであった。常人よりも頑丈で強く、万が一威力が出すぎても殺さないで済むかもしれない相手だったこと。
だがもう一つユウキがマントを取り出した理由があった。それは――。
「やっぱり、俺は本気で戦えば負けることはないんじゃないか……?」
芽生え始めていた薄暗い快感。そして自分の不遇への反発だった――。




