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“痛み”は訓練で克服できるものではない。だが、訓練は痛みに立ち向かう自信を与えてくれる。そしてその訓練をしていないものが不可逆の激痛を与えられた場合、どのような反応を示すか。多くの場合“怒り”を抱く。
しかしそれは痛みを与えた相手に対してではない。このような理不尽な痛みを加えた“状況”に怒りを抱く。そしてそれは“諦め”に繋がる――。
ユウキはあらぬ方向に曲がった左肩を抑えながら悶えていた。シズクはその様を見て満足気な笑みを浮かべる。今まで尋常ではない身体能力を発揮していたユウキが簡単にやられてたのを見て、シーラ達は表情を強張らせていた。
「なに……何が起こったの!?」
シーラは涙を流しながら這いつくばるユウキを見て驚きの声を上げた。
「あのユウキ君が……! あの女はそんなにも強いのか!?」
コニールはここまでの異邦人たちの動きから、シズクは彼らのリーダー格であることを認識していた。だが、あのユウキがあんなにもアッサリとやられてしまうのは流石に想定外だった。
「あれは……合気道です」
アオイがシーラ達に説明するように言う。
「「“アイキドー”?」」
聞きなれない言葉にシーラ達は声を合わせてアオイに尋ねる。
「あの女性……鈴木先輩は、私とユウキの中学生時代の先輩でした。幼いころから合気道という武術を学んでいて……! 合気道には大会が無いから具体的な尺度では測れないけど、その頃からめちゃくちゃ強かった……」
「待て、君はあの女と知り合いなのか!?」
シズクとの思い出を語るアオイにコニールは驚きながら尋ねる。その問いにアオイは頷いて答えた。
「……はい」
「え、じゃあ付き合ってたとか!?」
出歯亀根性丸出しのシーラの質問にアオイは呆れながら言った。
「そんなのは絶対に無いから……。だいたい当時ですら鈴木先輩は彼氏いたし……。私……いや、俺は見向きもされてなかったよ……」
「なんか惜しそうに言ってるってことは、割と気はあったんすね」
「結構呑気だなお前!?」
事態に似つかわしくない質問を続けるシーラに、アオイはつい男の時の口調でツッコミを入れてしまった。その会話を聞いていたシズクは疑問符を頭に浮かべる。
「やっぱ知り合いなの……あの女の子……? だけどなんで私が合気道をやっていた事まで知ってるの……?」
そしてユウキが倒れたことで、ついにシズクの後ろにいた男二人が動き出す。
「さっきは異邦人狩りにやられちまったが、今度はそうはいかねえ!」
ヒューゴはスマホを目の前にかざすと、魔物を召喚する。今度は石の悪魔であるガーゴイルと、骨の剣士であるスケルトンを召喚した。
「さあ! お前らだけでこの魔物共を相手にできるかな!」
ヒューゴは召喚した魔物に命じると、魔物たちはアオイ達に襲い掛かっていく。アオイは慌てて逃げようとするが、ヒールで上手く動くことができず、つんのめって後ろに倒れてしまう。
「痛っ! ちくしょうやっぱ動きづらい!」
だがヒールを脱ぐこともできなかった。床は一連の騒動で割れた皿や石が散乱しており、靴を脱ごうものなら間違いなく足がズタズタになるからだ。そして魔物たちはそんな倒れたアオイを狙って一斉に襲い掛かっていく。
「姉さん!」
シーラは叫ぶものの、この状況でできることはない。先の異邦人との戦いの時もそうだったが、シーラ自体に戦闘能力は一切無かった。アオイは“瞬間移動”の能力を使って攻撃しようと近くの石を左手で掴むが、自分の目の前に立った人影を見て、能力の使用を止めた。そして次の瞬間、アオイを襲おうとした魔物たちは一閃の下に斬られ、地面に伏せていた。
「な……!」
またも自分の召喚した魔物が倒され、ヒューゴは驚愕の声を上げる。魔物たちを一瞬で切り伏せたコニールは、残心して剣を振って構え、ヒューゴ達をにらみつけた。
「ここまでいいところがあまりなかったが、私も“天才剣士”で名が通ってるんでな。先ほど部下たちをこの会場から出したのは逃がすためだけじゃない。……邪魔なんだよ。私が戦うにあたって」
「コニールさん……!」
アオイは自分を守ってくれたコニールに感激して声をかける。コニールは笑みを浮かべながらアオイの方へ振り向くと手を伸ばした。
「大丈夫か?」
コニールの問いかけにアオイは頷いて答えると、コニールの手を掴んで立ち上がる。
「ありがとうございます。コニールさん」
アオイは立ち上がったものの、ヒールの動きづらさがやはりネックになっていた。ふらつくアオイにシーラは駆け寄ると、自分の肩を貸す。
「思ったよりコニールが強かった……。一旦ここはコニールに任せましょう、姉さん」
「何が思ったよりだ。一言余計だ」
コニールはシーラに悪態をつく。だがシーラはその態度を変えずにコニールに続けて言った。
「コニール、気づいてる? ここまでの状況で、あのジャケットのガキだけが未だ能力を発揮してないことを」
「ああ」
シーラは自分と同じくらいの見た目のヨウに対し、ガキと言い放っていた。コニールはここまでの付き合いで妙にシーラの口が悪いことが気にかかっていたが、一旦そこに思考を割くことを辞めた。
「少し気になるが、今はあの魔物を出してくるヤツの戦闘能力を奪うべきだ。あいつがいる限り、頭数を延々と増やされかねない」
「了解。じゃあいいこと教えてあげる。あの異邦人1名の能力は恐らくあの光る板……兄さんはスマホとか言ってた道具で魔物を呼び出す能力だけど、もう一人は私の予想だと“何か物質を作り出す”能力……かな。あの光る板で」
シーラに能力を指摘され、ヨウは身体を震わせる。
「何……!?」
ヨウの明らかに挙動不審な態度を見て、シーラは唇を歪ませた。
「根拠1。この状況になってなお、あんたは光る板を手に持ってる。ということは光る板を使った能力であること。隣のいい男みたいにね。根拠2。そこのスズキセンパイって人の能力が、兄さんを倒した何かしらの“対人能力”で、そこのいい男は魔物を呼び出す能力。……じゃああんたらどうやってここまで来たのよ」
ヨウは自分たちが侵入してきた割れた窓を見る。確かに地上4階部分のここまで来るには何かしらの能力を使わなければいけないのは予想がつく。
「だけどそれだけで能力の判別なんか……!」
ヨウは強がりを見せてシーラに反論するが、それもシーラの掌の上の反応だった。
「仮に空を飛ぶ能力とかなら、今度は突入してきたときの動きがかみ合わないのよ。重力にきちんと引っ張られたように窓を蹴破って入ってきたからね。あとはいろんな想像力を働かせれば、ここまで橋でもかけてきたんじゃないかって思っただけよ。またもっと違う戦闘向けの能力なら、ここまでに動くことを躊躇もしないだろうし」
コニールは横で聞いていて、相変わらずのシーラの目ざとさに舌を巻いていた。
「よくもまぁこんな少ない情報でペラペラと喋れることで」
「まあペラペラ喋ることが目的ですから。ね、“兄さん”」
シーラがユウキのことを呼び、シーラの話を聞いていたシズクは足元に転がっているはずのユウキを見る。するとユウキは立ち上がり、拾っていた剣をシズクに振りかぶっていた。
「があっ!」
ユウキは剣を振るが、シズクはそれを跳ねて躱す。しかしユウキが立ち上がってきたことは完全な予想外であり、驚きながらユウキに尋ねる。
「バカな……なんで立ち上がれるの……!?」
シズクはユウキの左肩を見た。確かに折れており、左腕は今もあらぬ方向に曲がっている。ユウキの顔も激痛により歪んでおり、涙も流れていた。――それでもユウキは立ち上がってきた。ユウキは歯を食いしばりながらもシズクに対し答える。
「いてえ……!いてえけど……!こんなところで負けてられないんだよ……!」
立ち上がったユウキにシーラはニヤリとした。先ほど言いそびれたユウキ達は敬う理由。それはこういう所にあった。この人たちは“動ける人”であるから。昼にあった異邦人が街の人たちを襲っていた時もそうだった。アオイは勝ち目が見えずとも異邦人たちに立ち向かう道を選んでいた。
「……回復魔法でその肩は治ります。ですが時間はかかるんで、あいつらを倒してからになります。……いけますか?」
シーラはユウキに問いかけ、ユウキは涙目になりながら頷いた。
「了解……! とりあえずクソ痛いけど、終われば治るんだな……!」
「ええ。先ほどコニールとも話しましたが、まずはあの赤いマントの兄さんと見た目がカブってる奴から倒しましょう。……スズキセンパイってやつと、あの横のガキンチョは私たちで何とかします」
ユウキはシズクを見て、躊躇いながら頷いた。何をされたのか未だにわからないが、シズクはユウキの動きに反応し、反撃を入れることができていた。ユウキにとってはこの世界で身体能力で上回れるのは初めての経験だった。そこにシズクの何かしらの能力のヒントが隠されているはず。
「気をつけろよ……! 鈴木先輩は強いぞ……!」
「そんなの、兄さんが手も足も出なかった時点でわかりますって……!」
ユウキは横にいるアオイを見た。ドレス姿のままで、この状況でもヒールを履いたままであり、異邦人たちに立ち向かう姿勢を取ってはいたが、体勢は不安定なままだった。その頼りない姿に少し痛みが和らいだのか、食いしばっていた歯の根を少し緩めた。
「な……なによ、ユウキ」
自分を見るユウキにアオイは疑問を浮かべて尋ねた。ユウキは少し微笑むと、首を振ってシズク達の方を見る。
「いや……なんでもない。さっさと鈴木先輩を倒して、肩を治してもらうぞ……! 本当に死ぬほど痛いんだよ肩。……あと、それにさ」
ユウキは初めてアオイと会った時に思ったことを思い出す。生まれて初めて触った異性――と言っていいのか微妙だが、とにかく女の子の身体。柔らかさと共に、直感したことがあった。その直感があるからこそ、ユウキはどんな理不尽にも耐えて立ち上がることができる。――それは。
「お前は俺が必ず守るから。……それまで寝っ転がってられないんでね!」
“こいつの味方になってやれるのは俺しかいない”という直感だった。




