30-3
お茶の入ったカップを投げ捨てたイウーリアの豹変に、ユウキとアオイの二人は固まった。ここまで女神ということに疑いが無いような佇まいであったにも関わらず、その行動はイウーリアの感情が表に出たかのようだったからだ。
「不味い……?」
アオイはイウーリアに尋ねた。味の感想を求められた際も、アオイは値段にこそ驚いたが特に不味さを感じた覚えは無かったからだ。イウーリアは不満げにアオイの問いに答える。
「ええ。2万円もするお茶が、日本の自動販売機で売っている130円のお茶とさして味に変わりがない。……これを不味いと言わず何と言いましょうか……二人ともここまで来るにあたり、日本食を食べたことはありますか?」
ユウキとアオイは互いに顔を合わせ、そして頷く。ハイラントにおける温泉宿に泊まった時、すき焼きや刺身を食べる機会があったからだ。二人のその返答を見て、イウーリアは口を歪ませながら尋ねる。
「……ではその料理を食べたとき、どのような感想を抱きました? ……久しぶりの日本食で感動はしたでしょうが、こうも思いませんでした?……なんか美味しくないと」
ユウキたちはその質問に内心ドキッとしていた。――なぜならその通りだったからだ。あの時は確かに久しぶりの日本食に感動していたが、食べているうちにこういう感想を抱いていたからだ。――なんか素材が良くないと。イウーリアはそこまで見透かしてか、そのまま言葉を続けた。
「……私が異邦人を呼んだ理由は、この世界の発展のためです。異邦人をこの世界に呼び続けたことで、東大陸は大きく発展を遂げました。……しかし、それでもあなたたちのいた日本は遠く及びません」
イウーリアは叩き落としたカップの破片を蹴飛ばしながら言う
「所詮、真似たところで積み重ねが無いため、単なる真似にしかならないのです。……このお茶が不味い理由もそう。茶葉の品種改良が不十分なため、どんなに高級なものを用意しても、そちらの世界のものに敵わないのです」
ユウキたちは顔を強張らせながらイウーリアの話を聞いていた。そして確かに聞いた。“異邦人はこの世界の発展のために呼ばれた”と。この言葉を聞いたのは実は初めてではなかった。――トスキも同様のことを言っていたから。
「待ってください。発展のために異邦人を呼んだって言いましたが……俺らがこの世界に呼ばれた理由は何ですか?」
ユウキはイウーリアに尋ねた。発展のためにという意味であるなら、ユウキが――結城葵が呼ばれた理由が全く想像がつかなかったからだ。しかしイウーリアはユウキの問いにしばらく答えず、間を置く。
「あの……!」
「いいわ、答えてあげましょう」
そしてユウキが焦れて再度尋ねた瞬間に、遮るように言った。
「……私は“あなた達”をこの世界に呼んでいない。……つまり、あなたたちは異邦人ではない」
「「……え?」」
イウーリアの想定外の答えに、ユウキとアオイは互いに動揺の声を漏らすが、イウーリアは二人の気持ちを全く気にしないかのように言い放った。
「あなた達は異邦人転送装置の不具合によって作り出された“バグ”。……この世非ざる存在ということ。……あなた達は向こうの世界に帰りたがっていたようだけど……帰る場所なんてどこにもないということよ」
ユウキとアオイは一瞬で全身から汗が吹きだしていた。二人とも吐き気が胸からこみ上げてきており、口を開くこともできない。ユウキはこみ上げてきたものを無理やり胃に押し込むと、先ほどまでの丁寧さを忘れ、敵意をむき出しにしながらイウーリアに尋ねた。
「バグって……そんなゲームみたいな言い方……!?」
「ええ。ゲームです。……その方があなた達にわかりやすいでしょう?」
イウーリアは懐からスマホを取り出した。
「ステータスという概念も、あくまで異邦人がわかりやすくするためのものです。私が異邦人たちに与えた力をステータスという数値にすることで、異邦人たちはその数値を上げるための努力を惜しまない。……役割があるからこそ、人はブレずに進むことができる。……そして現実を忘れる」
そう話すイウーリアにユウキとアオイはある種のおぞましさを感じていた。しかしユウキはひるむことなく、イウーリアに更に尋ねる。
「じゃあバグってどういうことだ……! 異邦人転送装置?そんなものがあるとして、それがどうして俺たちを……!?」
「どういうことというのは言葉通りのこと。こちらの世界に来た時に私の下を経由しなかったこと、不相応なステータス、そして男女に分裂しての転移。……これがバグと言わず何と言いましょう。呼んだつもりのない、あなた達がこの世界に産まれてしまった。……長年この装置を使ってきましたが、あなた達のような事例は初めてです」
冷徹に言い放つイウーリアに、アオイもようやく口を開けるようになり尋ねた。
「……私たちを“消す”つもりなんですか? ……あなたの言う“バグ”だから」
アオイの問いを聞いて、ユウキは目を見開いてイウーリアを見た。イウーリアは肯定も否定もせずただ黙っていた。そしてユウキはアオイを抱きかかえ、テーブルを蹴っ飛ばすと、その場から後ずさる。ユウキは右手から大鎌を出現させると、それをイウーリアに突き付けた。
「ふざけるな! 俺はユウキ……ユウキだ! バグだろうが何だろうが、俺もアオイも確かにここにいるんだ!」
ユウキがアオイを抱きかかえている手は震えていた。突き付けている大鎌も目に見えて震えている。その様子を見て、イウーリアは静かに笑った。
「ふふふ……すまないわね。脅かしてしまったようね」
イウーリアは座っていた椅子から立ち上がると、服の埃をはたきながら言った。
「……あなた達を消すなんてつもりはないわ。私はこれでも慈悲の女神。怯えている人間に手を下すなんてしたりしない。……でも」
イウーリアは部屋の出口に向かって歩いていく。
「……もう間もなく、私たちは“ある計画”を実行するつもりでいる。あなた達がその中で生き残れるかどうか……ここまでは私は関与するつもりはないですから」
イウーリアは扉の前に立つと、ドアノブに手をかけた。
「さて。あなたが席を台無しにしてくれたから、これでお開きにしましょうか。……今日は楽しかったわ。また、会える日がくれば会いましょう」
「……待て」
ドアを開け出ていこうとするイウーリアをユウキは呼び止めた。
「なんでしょう?」
イウーリアに用件を尋ねられ、ユウキは少し逡巡するが、半ばヤケになりながら言った。
「……最初に席を台無しにしたのはあんただ。カップを叩き落すなんて真似をしてくれたからな」
まさかの皮肉にイウーリアは目を丸くした。
「くくく……あっはっはっは!!!」
イウーリアは腹を押さえながら高笑いする。そして笑い涙を流した目をこすりながら、ユウキに好感情を持った口調で言った。
「面白い子……。いいわ、あなた達に一つ希望ある事を教えてあげる」
イウーリアは西の方を指さしながらユウキたちに言う。
「東大陸の東端にあるシープスタウン。あなた達はそこに向かっているようだけど、それは正解。なぜならシープスタウンに異邦人転送装置があるから。……この装置を使えば、あなた達は日本に行くことができる」
「何……!?」
イウーリアの言葉に驚くユウキだったが、イウーリアは素早く言葉を付け加えた。
「だけどもう一つ教えておくことがある。……あなた達はステータスのHPが0になっても、他の異邦人たちと同じように消えることは無い。……つまりあなた達のHPが0になった時は死ぬ時。……それをゆめゆめ忘れないことね。……さよなら」
イウーリアは手を振って、部屋から出ていく。ユウキとアオイは追いかけることもせず、イウーリアが部屋から出ていった瞬間、腰を抜かして床にへたり込む。
「ははは……な……なんなんだよ……」
ユウキは大鎌を手から消すと、右手を顔に当てた。身体の震えが止まらず、目から涙が溢れ出してくる。それはアオイも同様だった。アオイは身体を震わせたまま、ユウキに身体を寄せた。
「怖い……怖いよユウキ……」
怯えながら自身に身体を寄せるアオイに、ユウキは少し照れながらもその身体をしっかりと抱きしめた。
「大丈夫……大丈夫だ。俺が……必ず守るから……」
自分たちの存在が根底から崩され、ユウキとアオイは互いに互いの存在を確かめ合っていた。そして互いの体温を感じ、身体の震えが少しずつ収まってくる。
「……暖かいな」
ユウキは柔らかいアオイの身体の感触を確かめながら言う。アオイも不快さは感じることなく、ユウキを力強く抱きしめながら言った。
「うん……そうだね」
――大丈夫。こうしているうちは、自分たちはちゃんと生きている。ユウキとアオイはそう心に深く刻みつけた。
× × ×
その後、ユウキたちがバノン家の屋敷に戻ったのは夕暮れになってからだった。テツロウ達は中々戻ってこないユウキとアオイを心配し、人を寄越していたとのことで、ユウキたちはまず謝った。
そしてユウキとアオイはテツロウの書斎に、みんなを集めてもらうように言った。そうしてテツロウの書斎に、テツロウ、コニール、メアリー、インジャ、スレドニ、セシリー、そしてユウキとアオイを含めた8人が集まった。
「……というわけです」
ユウキは昼に何があったのか、それを一切隠さずに仲間に話した。ユウキとアオイが抱えきれなかった、というのもあるがそれ以上にいまこの場にいる仲間たちのことを深く信頼していた。そして事実、この場にいる仲間たちはユウキたちに対し親身に考えてくれた。
「ユウキ君……辛くなかったかい?」
コニールはユウキの手を取ると、その手をそっと握った。セシリーもアオイのことを抱きしめて言う。
「アオイちゃん……大丈夫。あなたは私の義娘なんだから……ユウキ君もいる。けっして一人なんかじゃない」
「でもよお、これからお前らどうするつもりなんだ」
ユウキたちを慰めるムードの中、ずけずけとインジャだけは何も気にせずに言葉を発した。
「その女神ってやつに消されなかったとはいえ、もうこっから先どこに行けばいいのか全く決まってないんだろ?」
「兄貴……! 別に今言わなくても……」
スレドニが慌てて空気を読まないインジャのフォローに入る。ユウキから見て、スレドニはインジャの盗賊団の副リーダーであるにも関わらず、どうも変に真面目な部分が見受けられていた。
「だが……インジャ殿の言う通りだろう。シープスタウンに行くためには、大陸の中央にある“天使の断層”を越えなければならない。……その情報を得るための異邦人は、もうこの街にいないのだから」
テツロウは東大陸の地図を取り出しながら言った。ユウキたちがそもそもこのエルメントに来た理由が、東大陸中央に存在する断層を越える手段を探すためだった。断層を越え、ここまで来た異邦人なら知っていると思い、ケンイチ達に接触したが、結果から見れば単に無駄骨を折っただけでしかない。
「また異邦人がどこにいるかってとこから探すのか? ラーメンの屋台でも出して情報を集めるのか?」
インジャは嫌味な口調でユウキたちに行った。インジャからしてみれば、エルメントでラーメンを提供している店を知っている部下がいたせいでここまで付き合わされたということもあり、尖った口調になるのも仕方がなかった。
「それは……」
ユウキはインジャの問いに答えることができなかった。手元にある情報は、もうこれが打ち止めであったからだ。――しかしそんな中、ある人物が手を上げる。
「……俺に心当たりがある」
手を上げた人物を見て、全員が驚いた。――特にメアリーがその人物に食って掛かるように問い詰めた。
「スレドニ! あなた……!」
「メアリー……お前だって、わかってるんだろ?」
「君たちはいったい……?」
何か知っているような口ぶちのスレドニ達を見て、コニールは訝しむように呟いた。そして更にもう一人、手を上げる人物がいた。
「……私からも一つ提案がある。恐らく、スレドニさんやメアリーさんと同じ目的ね」
手を上げたのはセシリーだった。そしてセシリーはコニールにも目を向けた。
「これはあなたにも関係がある。……何よりも、シーラを救う唯一の方法でもある」
「私に関係……? まさか……!?」
コニールはスレドニとメアリー、そして自分の3人の共通項に気づいた。コニールが気づいたのを見て、セシリーは頷きながら言う。
「……ええ。ひと月前に王が変わったという”ヴィアルノ”。そこに用がある」
セシリーはスレドニに目配せをする。そしてスレドニをため息をつきながら後に続いた。
「ハァ……恐らく、その変わった“王”。……そいつは“異邦人”の可能性が高い。……なぜなら俺はそいつを知っているからだ」




