30-2
「そんな……コニールさん……?」
旅を辞める。そう言ったコニールにユウキは信じられないとばかりに尋ねた。コニールは申し訳なさそうに顔をメアリーの方へ反らしながら訳を説明する。
「……私は孤児ではあるが、騎士になるにあたって貴族の養子という立場を貰っている。とはいえ私も忙しかったからその家の人たちと一切関わることなく、ただ名前だけ借りているだけだったのだが……ちょっと問題が起こってな」
コニールは左手を窓にかざす。そして肩を落としながら言った。
「……私が“結婚”しなくてはならなくなった」
「「…………は?」」
ユウキとアオイはお互いに呆然としてその言葉を反芻した。――結婚。そのあまりに突拍子もないことに二人とも事実を飲み込めていなかった。その二人の動揺ぶりを見て、コニールは頭を抱えながら話を続ける。
「私だって全く寝耳に水な話だ。……しかし貴族ってのはそういうもんでな。メアリーはそれを伝えに来てくれたんだ」
メアリーはため息をつきながら答えた。
「ふぅ……。私がここに来たのは、確実にコニール様に伝えるためだけではございません。……コニール様が嫁ぐ先が、私とスレドニの生まれ故郷である“ヴィアルノ”だからです」
メアリーはスレドニに目を向ける。スレドニは壁に寄りかかりながら腕を組んで立っていたが。メアリーからの目線を受けて、やれやれとばかりに口を開く。
「ヴィアルノは昔からかなり王家の力が強いところでな。……まぁいわゆる圧政を敷いていた国なんだが、つい1月前に王家が倒されて、新しい王が君主に成り代わったんだ」
「革命ってやつ……?」
ユウキはスレドニに尋ねると、スレドニは複雑な表情を浮かべながらも頷いた。
「……ああ。俺もそれを知ったのはつい最近なんだがな。それで新しい王様が独身なもんで、同じ東大陸の同規模の領土を持つ、パンギア王国との親交を友好的な関係を築きあげたいとのことで、パンギア王国の貴族を嫁さんに迎えたいとのことでな。……ちょうどコニールが色々と適任だったわけだ」
「え……? じゃあコニールさん、王妃になるってこと……?」
アオイがコニールに尋ねると、コニールは恥ずかしがりながら頷いた。
「……ああ。そうなる。しかも向こうの王様も結構乗り気らしい。……私の評判を以前から聞いていたとのことでな」
一連の説明でユウキとアオイはコニールの事情を理解し、黙りこくってしまった。
「私も国を出奔した身ではあるが、こう事が大事になると、さすがに断れなくてな……」
ユウキもアオイも、コニールを止める言葉が思いつかなかった。そしてコニールは立ち上がると、ユウキたちに背を向けながら話を続けた。
「……3日後に迎えが来る予定になっている。それまではこの街にいるつもりだが、そこから先は君たちとは別れることになるだろう。……すまないな。最後までついていってやれなくて」
× × ×
ユウキとコニールは結局二人だけで外に出ることにした。あの事件から、二人とも外に出るのは初めてだった。ユウキたちは悪い意味で有名になってしまっていることもあり、あまり目立たないようにという配慮もあった。
久しぶりの外出で、かつ繁華街を歩いているにも関わらず、二人のテンションはそこまで上がっていなかった。
「シーラもまだ体調戻ってないのに、コニールさんもか……」
アオイは俯きながら言う。ユウキも同様に暗い気持ちのまま答えた。
「確かに俺たちの旅に付き合ってもらってたけど、どちらかって言うと方針を決めてくれていたのはあの二人だしな……」
パンギア王国からここまでの旅の中で、ユウキとアオイが二人で行先を決めたということは殆ど無かった。二人がこの東大陸に明るくないということももちろんだが、シーラ達がとても頼りになっていたこともあり、ユウキ達は頼りっぱなしになってしまっていたのだった。
「でも、だからってここでダラダラしてるわけにはいかないよね……」
「ああ、そうだな。……もうこの世界に来て3か月近く経つのか?……時間の流れは向こうの世界と多分一緒だよな……季節も同じように流れてるって考えると、そろそろ冬か……」
ユウキたちの旅の目的は元の世界に変える方法を探すこと。――そして末期がんであるはずの母親の下へできるだけ早く帰ることだった。
「色々あったねえ……ほんと」
アオイは空を見上げながら今までの旅を述懐する。
「ディアナさんに拾ってもらって、悪さしてる異邦人倒してたら異邦人狩りなんて呼ばれるようになっちゃって」
ユウキも自分の右手の紋章を見ながらアオイに続けるように言った。
「シーラ達と出会って、気づけばパンギア、オレゴン、ハイラントにエルメントと色々周ったな……。日本にいたころじゃ、修学旅行でせいぜい佐賀に行ったくらいで、福岡から出たこともほとんどなかったのにな……」
まだ3か月前ではあるが、もう福岡の故郷の景色の記憶が非常に怪しくなってきていた。17年福岡にいたはずだが、この間に全く記憶に残るようなことが無かった。生きながら死んでいる人間。それが結城葵だった。
× × ×
エルメントの街の一角にある服屋。店の外観は非常に綺麗なものになっており、中で扱っている衣服も庶民向けのものではなく、一定階級層以上のための高級服を取り扱っていた。その中から黒マントを羽織ったユウキが店から出てくる。
「ふぅ……さっすが街一番の仕立て屋。マントも制服も完全に元通りだ」
ユウキは店の外で、マントやその下に着た制服の触りごこちを確かめる。洗濯のりがしっかり乾いたパリッとした感覚が心地よかった。後ろからアオイも続けて店から出てくる。
「バノンさん様々ね。まさか異世界の制服をここまでちゃんと復元するなんて」
ユウキが今日外出した一番の目的はこれだった。魔法学校での戦いが終わった後、ボロボロになってしまっていた日本での高校の制服と、羽織っていた黒マントを仕立て屋に出して修復してもらっていた。
「撥水素材のブレザーとかどうすんのかと思ったけど、似たような材質でちゃんとパッチワークしてるんだな……。さっすがプロだなあ」
ユウキは穴が空いてしまっていた腕の辺りを特に入念に確かめていた。少なくとも見た目でも触っても、違和感が無いようになっており、職人の腕が見て取れた。
「……でも、やっぱりその制服着続けるんだね」
アオイは制服の着心地を確かめているユウキに言う。この世界に着て当初は全裸であったこともあり、ユウキから制服を借りて着たこともあったが、アオイももう日本における服装をずっと着ていなかった。アオイからの問いにユウキは少し寂しげな顔をしながら答える。
「……ああ。多分、よっぽどのことが無い限りは着続けると思う。……この制服も失くしちゃうと、今度こそ自分が何なのかわからなくなりそうでさ」
「……そうだね」
アオイもユウキが制服にこだわる理由がわかっていた。別に向こうの学校にいい思い出があったわけではない。――日本の学生であったことを忘れないようにするためだった。これを忘れたとき、本当に心から異邦人になってしまう。そんな気がして。
「それが異邦人狩りの正装というわけですか。……“結城君”」
突然“結城”の名で呼ばれたユウキとアオイは、ハッとして振り向く。そしてそこにいた人物の姿を見て、目を見開いた。
「ば……バカな……!?」
ユウキはその人物がなぜそこにいるのか、現実を理解できずに目をこする。しかしそれは幻でもなく確かにそこに存在していた。
「あなたたちとは一度きちんとお話しておきたかったのです。……お茶でもいかがでしょうか。ああ、心配しないでください。私がお金を出しますから」
その人物からの提案を受け、ユウキとアオイは顔を合わせる。間違いなく罠。しかし断るという選択肢はユウキたちにはありえなかった。アオイが代表してその人物の問いに答えた。
「ええ……いただきます。……“イウーリア様”」
アオイの問いを聞いてその人物――イウーリアは微笑んだ。
「感謝申し上げましょう。あなたは……“葵”君ですね。この辺りに個室で紅茶を頂けるカフェがあります。そちらに行きましょうか」
イウーリアは先導するようにアオイたちより先に歩いて行った。ユウキたちは未だに面食らっていた。まさか“女神”と称される存在が、こんな散歩に出るように街を歩いているとは、想像がつかなかったからだ。
× × ×
しばらく歩いて3人は、非常に豪華な佇まいの店の前に到着する。ユウキとアオイは自分たちの服を見て、その場所に入ることを躊躇した。店の前にスーツを着た給仕係のような者もおり、ドレスコードがかかるようなそんな高級店であることを思わせたからだ。
しかしイウーリアは一切躊躇せずに店の入り口に近づいていく。イウーリアの恰好も普通の町娘と変わらないものであり、この場所に似つかわしくないのは間違いなかった。給仕係の男も、店に近づいていくイウーリアを見かけて声をかけようとした。
「すみません。お客様……」
しかしイウーリアはその男の耳元で何かをささやく。するとその男は驚愕して後ろに跳ねると、すぐに店の中に入っていく。そして5分後には店長と思わしき男が、低頭してイウーリア達を出迎えた。
「ど……どうぞ!こちらにお部屋を用意しております!」
「ええ。ありがとうございます」
イウーリアは偉ぶることもなく、頭を少し下げて店の中に入っていく。しかしユウキたちは呆気に取られて動くことができなかった。そんなユウキたちを見て、イウーリアは無邪気に微笑んだ。
「ふふっ……そんなに怯えなくても大丈夫ですよ。……さぁ」
イウーリアはユウキとアオイの二人の手をつかむと、店の中に入っていった。
× × ×
案内された部屋は2階の1番角の個室――いちばんグレードの高い部屋だった。まるで最古級ホテルの1室のような絢爛さに、ユウキたちは圧倒されていた。パンギア王国で食事会に招待された時に同じような豪華な部屋を体験していたが、全くの覚悟もなしにこういったところに連れてこられると、沁みついた貧乏性がどうしても顔に出てしまう。そんなユウキたちの顔を見て、イウーリアは悪戯っぽく言った。
「私の名前を出せばたいていの所は顔パスなんですよ。よく街に顔を出すおかげで、多くの人たちに顔を覚えていただいておりますからね」
「確かに……コニールさんだけじゃなくて、ブレットとかって奴も、女神様の顔を見て一発でわかってましたね」
ユウキは魔法学校でイウーリアが姿を現したことのことを思い出した。名を名乗る前から、コニールたちはイウーリアのことを認識していた。
しかし結局ユウキたちの緊張は解けることなく、黙りこくってしまう。借りてきた猫のように丸まってしまっているユウキたちを見て、イウーリアは二人に目の前のお茶を進めた。
「まずはお茶を飲んで落ち着いたらどうでしょう。最高級茶葉で淹れたミルクティーとのことでした。……私もいただきましょうか」
イウーリアは自分の目の前にあるカップを手に取り、お茶に口をつける。それにつられて、ユウキたちもお茶に口をつけた。
「……美味しいです」
アオイは緊張で乾いた喉を潤しながら言った。イウーリアは一口お茶を飲むと、カップをテーブルに置く。そして笑みを崩さぬまま、ユウキたちに尋ねた。
「……本当に美味しかったですか?」
「……?ええ。特に不満は無かったですが……?」
アオイはイウーリアの質問の意図が読めず、思ったことをそのまま言う。確かに文句の無い味ではあった。しかしイウーリアは続けてアオイたちに尋ねた。
「……本当でしょうか? ……では質問を少し変えましょう。このお茶の値段が……日本の通貨で換算して2万円だとしたらどうです?」
「にっ……!?」
アオイは値段を言われさすがに考え直す。しかし高いお茶の味なんてわかりようがないため、なんて答えたらいいのかわからないまま、口から言葉を出していた。
「……ちょっとどころじゃなく高いとは思いますが、まぁこういう店だし仕方ないのかな……と」
アオイの回答を聞き、イウーリアの表情が変わった。先ほどの柔和な感じを漂わせたものから、急に周囲に緊張が走るほどだった。
「そうですか……では私の素直な感想を伝えましょう」
イウーリアはカップを床に投げ捨てながら言った。
「……不味すぎますね。はっきり言って飲めたものではありません。……日本で飲んだお茶に比べればね」




