29-1
シーラは力なくアオイにもたれかかり、手から世界樹の接ぎ木を離す。ユウキの目論見では、世界樹の接ぎ木も22の秘宝の一つなら、誰の所有物でも無くなれば、他の秘宝と同じくここから離れると予想していた。もし離れない場合は、あらゆる最悪の場合を想定してでも破壊するとも決めていた。
「そっちも終わったか……」
ユウキはアオイたちの方へ向かおうと立ち上がる。横にいたスレドニがユウキに肩を貸してやり、ユウキは足を引きずりながら歩いていく。腫れあがったユウキの顔を見て、アオイは流石に笑うどころではなく、ドン引きしながらユウキを心配する。
「だ……大丈夫!? ボクサーでもあんま見ないくらいでも腫れあがってるけど……」
ユウキは笑みを浮かべようとするが、表情筋を動かすのも苦痛なのか、ぎこちない顔で返事をする。
「あ……ああ。めちゃくちゃ痛いけどなんとか……。それより世界樹の接ぎ木は……?」
「あ! そうだ! ……ってあれ? どこいったんだろう?」
シーラが手放した世界樹の接ぎ木はそう遠くに行っているはずはない。まだ何か飛んで行ったような気配も無かったため、近くに落ちているはずだった。
× × ×
ケンイチは闇の中にいた。しかしそれは曖昧な感覚ではなく、意識ははっきりとしていた。第五世代の異邦人が異邦人狩りと戦っており、異邦人狩りを倒すために、自分は第五世代の異邦人の方へついた。しかし結果としては第五世代の異邦人はやられ、自分もおまけのように異邦人狩りに倒された。
異邦人狩りが自分の全てを奪っていった。怪盗団の仲間、学校の級友、そしてミク。悔しくて仕方がなかった。しかし異邦人狩りの力は圧倒的であり、ケンイチでは手も足も出なかった。
これから自分はどうなるのだろう? 異邦人狩りはシープスタウンへの行き方を自分に尋ねていたが、この街の有力者たち、22の秘宝を奪われた者たちは、ケンイチに復讐に走るかもしれない。――いや、もう捕らえられたロンゾやイグレイスたちは尋問を受けているかも。もしかしたら死刑になるのかもしれない。
――嫌だ。ケンイチは心からそう思った。まだ死にたくない。ただしそれは死を恐れてのものではない。異邦人狩りに復讐できないまま、終わるのが嫌だった。その発想がもう、現代社会の日本人的なものからかけ離れていることに、ケンイチは気づいていなかった。
――お願いします女神様。自分が差し出せるものは全部差し出しますから、どうかお願いです。僕に”異邦人狩りを殺させて”ください。
そして今、心から“異邦人”になったことで、ケンイチの最後のタガが外れた。
× × ×
ユウキたちは先ほどから接ぎ木探しているのに一向に見つからなかった。変な転がり方をすれば絶対に気づくはずであり、なぜ見つからないのかがわからなかった。
「どこだ……?」
ユウキは冷や汗を流しながら探す。あんなものが見つからないなんて、悪いことが起こるとしか思えなかったからだ。まだ学校の周りの光の壁も消えておらず、魔物も改めて出現し始めてきていた。日ももうすぐ昇りはじめる時間であり、急がなければいけない。
「もしかしたら誰かの身体の下に転がっているかも。ちょっと倒れている生徒を……」
禍々しい気配を感じ、ユウキの身体が硬直した。察しがいい方ではないユウキでも感じるほどのあまりの禍々しさ。アオイやスレドニ達を見ると、彼らもその気配に気づいていたのか、表情を強張らせていた。
「何……? 何が起こってるの……?」
アオイが辺りを見渡すと、すぐにそれに気づくことができた。先ほどまで立っていなかった人影が一つ増えていたから。――そしてそれはよく見覚えのある人影だった。
「あ……あああ……ケ……ケンイチ君……」
アオイは立っていた人影――ケンイチの名を呼んだ。だがケンイチは反応せず、俯いたまま微動だにしなかった。しかしアオイとユウキは、ケンイチが右手に持っている“モノ”を見て戦慄する。
「そ……それは……!」
「世界樹の接ぎ木……!」
ケンイチの手には世界樹の接ぎ木が握られていた。ケンイチ自体は第四世代の異邦人であるため、接ぎ木を手にしても能力が発現することはなく、なおかつ脱出魔法が働くこともない。しかし今はその方が問題だった。
「さ……下がってろアオイ! シーラ!」
ユウキはアオイたちを庇うように前に出る。ケンイチの様子は明らかに普通ではなかった。しかしユウキは自分で立つこともできず、膝をつく。
「ぐっ……!」
「お……おい! 無茶すんな!」
スレドニがユウキに肩を貸そうとしたその時、まるで人間のものではないような雄たけびが響き渡った。
「うがあああおおおおおおおお!!!」
その雄たけびを聞いて、ユウキたちは耳を塞ぐ。それと同時に嫌な脂汗がどっと背中を流れた。なぜならその雄たけびは自分たちの目の前にいる、ケンイチからのものだったからだ。
「はな……!」
ユウキはスレドニを突き飛ばすと、次の瞬間には空中を回転しながら飛んで行っていた。あまりに一瞬の出来事で、その場にいた全員は呆気に取られていたが、ユウキが地面に落ちてきてようやくアオイが我に返った。
「ユウキ!」
「がっ……はっ……!」
ユウキは何とかギリギリでガードしていたものの、ガードした両腕があらぬ方向に曲がっていた。何が起こったのか、ユウキの目でも追いきれなかったが、目で追えなくても理解はしていた。――ケンイチがユウキを殴ったのだ。先ほどまでからは信じられないパワーで。
「ケンイチ君! もうやめて!」
アオイはケンイチに叫ぶ。ケンイチはその声を聞いて振り向くが、アオイはケンイチの顔を見て言葉を失う。
「そんな……まさか……!」
ケンイチは白目を向き、口は半開きの状態でよだれが垂れていた。明らかに正気を失った状態。しかしその状態にアオイは見覚えがあった。
(あの時のユウキとそっくりだ……!)
アオイは声に出さずにオレゴンの時の戦いを思い出す。ドラゴンと戦っていたユウキにアオイが駆け付けた際、ユウキはドラゴンを倒していた代わりに完全に正気を失っていた。そしてただ目についたアオイに襲い掛かり、アオイが決死の覚悟で救出した時のことを。
「姉さん、あれは……!」
シーラはアオイに担がれながら、ケンイチの様子を見て声をかけた。シーラもその時のことは見てはいなかったが、アオイから話だけは聞いていた。
「わかってる。……接ぎ木がケンイチ君の力を引き出したとでもいうの……?」
アオイが様子を確認しようと動こうとした瞬間、ケンイチの姿が消える。――いや、消えたのではない。あまりに早すぎてアオイの目で追いきれなかったのだった。風が吹いたと思うと、ユウキの姿も消え、同時に背後から衝撃音が響き渡る。音が聞こえてようやく振り返ると、ユウキが背後の校舎の壁に叩きつけられていた。
「かひゅっ…がひゅっ……」
ユウキはケンイチに壁に押さえつけられながらもがいていた。両腕を骨折してしまったユウキは抗うことすらできず、涙を流しながら苦しんでいた。抜け出そうとジタバタはするものの、全く無駄な抵抗にしかなっていなかった。
「た……助け……」
ユウキはケンイチに泣きながら懇願するが、正気を失ったケンイチの耳には届いていなかった。ただユウキは確かに見た。正気ではないはずのケンイチの唇が、愉悦に歪むのを。
「こ……殺され……助け……!」
ケンイチがユウキにとどめを刺そうと力を込めた次の瞬間、ユウキの姿は消え、ケンイチは空をつかんでいた。ケンイチが辺りを見渡すと、足元にアオイがおり、さきほどまでユウキの足があった所に腕を伸ばしていた。シーラはスレドニに預けられており、スレドニは急いでコニールたちのいる方へ駆け出していた。
「ケンイチ君……お願い、もうやめて……!」
アオイは立ち上がるとケンイチに懇願するように言う。しかしケンイチは全く反応することもなく、辺りを見渡していた。まるでユウキを探すように。
完全に壊れているケンイチを見て、アオイは深く後悔していた。自分たちが彼を壊したのだ。そして先ほどのシーラとハージュとの戦いの際、ユウキとアオイの二人で、自分のコンプレックスを吐露したことを深く恥じた。
あの時自分もユウキも、結城葵であったころの不遇を盾にしてシーラ達を糾弾していた。自分たちは、結城葵は弱者であり、強者であるシーラ達が不満を言うなと。その言葉が正しいとはアオイも思ってはいなかったが、そういう思いを実際に抱いているからその言葉が出ていた。
しかし今の自分たちはもう結城葵だったころの弱者だと言えるのか? そして弱者なら他人を傷つけても許されるのか? その答えが今目の前に現実として表れていた。――許されるはずがなかったのだ。
「ごめん……ケンイチ君……本当にごめん……!」
ケンイチがここまで壊れることになったのは、自分とユウキが彼から全てを奪ったからだ。環境も、仲間も、そして大事な人も。アオイはそのことを全く自覚していなかった。自分がすでに“奪う立場”にいたことを。
周囲から魔物の咆哮が響き渡る。先ほどインジャとスレドニの二人がある程度退治していたものの、再び魔物が現れ始めていた。スレドニはコニールにシーラを預けると、アオイに向かって叫んだ。
「おい! また魔物が現れはじめている! 何とかしねえとあいつらこっちに来るぞ!」
生徒寮に避難している生徒や職員で、もう戦える人員はいない。全てユウキが意識を失わせてしまったからだ。コニールは手足を骨折しており、セシリーとジェインは気を失い、ハージュの重傷を負い、シーラもすでに接ぎ木を手放してしまっている。つまり今ここで動けるのはアオイとスレドニとインジャの3人しかいない。
この状況を作り出したのも、ユウキとアオイの二人が原因だった。彼らが周りの人々を傷つけたから。きっかけは確かに彼らのせいでないとしても、ここまでに至るまでに選択してきたのは、力を振るってきたのはユウキとアオイ自身だった。
アオイは決断した。それは切羽詰まったからではない。自分のやるべきことを、心から理解したからだ。そしてアオイはスレドニ達に叫んで言う。
「スレドニとインジャは、ユウキとの約束通りに魔物退治を行って! こっちは私が……!」
アオイは腕で目を拭うと、ケンイチを真正面から見た。
「ケンイチ君は私が止める!」
「そ……そりゃ無茶だろ!?」
スレドニはアオイを諫めるように言い、そして横にいたインジャにも声をかけた。
「兄貴も何か言ってやってくださいよ! アオイ一人じゃ無茶ですって!」
しかしインジャは意に介さず、むしろスレドニを冷やかすように答えた。
「お前、いつの間にあいつらにそんなに入れ込むようになったんだ? 別に俺らが命かけて戦うような場面じゃないだろ。アオイが勝手にやるって言ってんだからやらせとけばいいだろ」
「ですが……!」
インジャからの指摘に、スレドニは少し詰まってしまうが、それでもインジャに反論しようとする。しかしインジャはそれに先んじてスレドニに言った。
「どっちにしろ俺らが行ったところでアイツに勝てるか? 周りの魔物をなんとかしねえと俺らもヤバイんだから、まずはそっちからやるんだよ」
「うっ……!」
スレドニは不服ながらも、インジャの正論に納得して頷いた。そしてアオイの方を一瞥して声をかける。
「……周りの魔物は俺たちが止めてやる。お前はそいつを絶対に何とかしろ! 死ぬんじゃねえぞ!」
「ええ。……でもなんか仲間みたいなやりとりしちゃってるわね」
数か月前に囲まれて危うくキズモノにされかけた時から、今では背中を預けあう仲間みたいな立場になってしまったことにアオイは奇妙な可笑しさを抱いていた。でもそれは、目の前にいるケンイチにも同じことが言えるかもしれない。
「……ケンイチ君」
ケンイチはまだユウキを探していた。アオイのことは目に入っているのかどうかも判断がつかないが、恐らくあの時のユウキと同じような状態になっていると考えると、一度攻撃を加えた瞬間に、こちらにも牙をむくことが予想できた。
「君は……多分、私のことが好きだったよね。そりゃ私にだってわかるよ。わかりやすいアプローチを私にしてくれたからさ」
アオイはこの2週間の学校生活を思い出していた。偶然不良に襲われた際に、ケンイチとアオイに助けられ、そして仲良く過ごしていた日々を。元の世界で友達と呼べる者がいなかったアオイにとって、それはかけがえのない2週間だった。
「正直、私も悪くないなって思っちゃってた。……元々のことを考えるとさすがに素直にその好意を受け取るか悩んでたけどさ。でも、嬉しかったんだ。君たちと友達になれたことが」
アオイは周囲を見渡す。一度状況が動き出せば、もう確認している暇はなくなるだろう。作戦を立てるのはこの時しかない。
「だから……償わさせて。私に……君を止めさせて!!!」
アオイは右手に魔力を集中させ、決意を固めた。――やってやる。
「ドナール!」
アオイの右手から放たれた雷魔法の轟音が、二人の戦いのゴングを鳴らした。




