27-1
翌日、シーラはヘレンが目を覚ます前に拠点を出発した。試験の決まりとして、生徒同士で協力しないようにという決まりがあり、シーラとヘレンが一緒にいるのもあまりよくなかった。拠点を片付けなかったのは、まだここに戻ってキャンプ地として使うのもあったが、ヘレンを寝かせてやろうという気遣いもあった。
シーラの次の課題は樹海の中にある遺跡に向かい、チェックの印をつけることだった。現在課題が一番進んでいるのは皮肉にも魔法を使っていないシーラであり、遺跡に行っても他の生徒とかち合わせることはないだろうと想定していた。
遺跡の内部に罠が仕掛けられているということはないが、魔物の生息地であり、シーラ一人で侵入するならともかく、他の誰かがいた場合、魔物の動きが乱れてしまい、不意の遭遇をしてしまうことが怖かった。魔法の使えないシーラが魔物と遭遇してしまえば、教師たちが望んだとおりにその時点でジ・エンドだからだ。
「さて……上手く行けるかね……」
シーラは物音を立てないように遺跡に侵入していく。そしてどこにいるかわからない魔物と遭遇しないか、全神経を集中させて奥へ進んでいった。
× × ×
遺跡に侵入して30分後。シーラは息を切らせて休んでいた。常に神経を尖らせながらうす暗い遺跡を進んでいくのは予想以上に体力を消耗していた。ここまでの消耗は完全にシーラの計算外だった。
「ハァ……ハァ……ま……まずい……」
――引き返すか、進むか。ここが瀬戸際だった。しかしシーラは冷静な判断力を失っていた。この試験をトップで通過したいのはヘレンだけではない。シーラも同じ気持ちだった。
シーラがこの学校を辞めなかった理由は2つある。1つは魔法使いになることを諦めたくなかったこと。そしてもう1つがジェインがいたからだ。
学校に入ってシーラが魔法が使えないとわかり、周囲の人間は潮が引くように消えていった。曾祖母と叔父はシーラに変わらず接してくれたが、それ以外のロマンディの人間はシーラを存在しなかったように扱った。母親ですら、シーラを遠ざけるようになった。
そんな中、母親の元同級生だったジェインは、あくまで“魔法が使えない不良生徒”として扱い、同じく成績不良者を集めた自分のゼミに入れた。学校には来なかったシーラだったが、ジェインのゼミだけは受け続けることができた。
ジェインもシーラの性格を考慮してか、他の生徒たちと一緒に授業を受けさせることはせず、シーラと1対1で授業を受けていた。もう2年以上母親との会話をしていないシーラにとって、母親代わりともいえる存在だった。
しかしそのジェインも、先日あったシーラの商売に関する問題を受けて、庇いきれなくなっていた。特に薬物に関わっていたことが、ジェインにとってもシーラを避けざるえない要因になっていた。
もしこの試験をトップで通過し、禊を済ませたらまた元の通りにジェインのゼミに通えるようになるかもしれない。その淡い期待もあった。そしてその思いがシーラを誤った方向に進ませた。
「よし……行こう……!」
シーラは遺跡の奥へと進んでいった。もしシーラが過去に戻れるなら、この時の自分を殴り殺していただろう。それほど愚かな選択であり、そしてその愚かさのツケはシーラの人生すべてを台無しにする形で訪れた。
× × ×
遺跡の最奥部は広い空間になっていた。ところどころ崩れており、身を隠す場所は問題なさそうだった。魔物の気配も感じられず、シーラは慎重にチェックポイントのある、一番奥の祭壇へ向かっていく――はずだった。
「もう……少し……!」
しかしシーラは疲れから判断力を欠いていた。身を隠しながら1時間近くかけて進むより、真っすぐ行って5分で戻る方を選んだのだった。携行している食料や、残りの体力の具合から速く終わらせるという選択肢を取ったというのは言い訳にすぎない。
そして冷静さを欠いた故の当然の結果はすぐに訪れた。
「ギシャアアアアア!!!」
遺跡に巣くうゴブリン型の魔物がシーラに襲い掛かってくる。魔物の雄たけびを聞いて、シーラは自分のミスを悟った。
「しまった……!」
一番のミスは体力が減っているなら魔物には絶対に見つかってはならないことだった。――全力で逃げる体力すらもう無いのだから。シーラは逃げようとするがすぐに追いつかれ囲まれる。そしてゴブリンはシーラの抵抗力をなくすために、手に持ったこん棒でシーラを殴りつけようととびかかった。
「っっっ~~~~!!!」
無意味でも防御をしようと腕を突き出した瞬間、シーラに襲い掛かったゴブリンが吹っ飛ばされていった。突然仲間がやられたことで、周囲にいたゴブリンも警戒するが、1匹、また1匹と倒されていく。突然の光景にシーラの方が呆気に取られていると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「これで貸し借りは0ですわよ!」
「まさか……ヘレン!?」
ヘレンが最奥部の入り口から姿を現していた。そしてシーラの下へ駆け寄ると、身体を支えるために肩をつかむ。
「大丈夫ですの?」
「なんだって……私を助けたんだ?」
シーラはヘレンに尋ねるが、ヘレンは微笑みながら答えた。
「何って……あなたも言っていたでしょう。私とあなたが似ていると思ったからですわ」
「はっ……ははは……」
シーラはヘレンの返答に空笑いをした。昨日の自分の答えの意趣返しであったが、だからこそそれが本音だとわかったからだ。
「な~にが似てるだ……。あんたみたいな甘えたお嬢様なんかじゃあないよ私は」
「私からしたらあなたは魔法が使えないという不遇に甘えて、好き勝手やっているお嬢様にしか見えませんけど」
「……うっせえな。私はケガしたお前を助けてやったんだぞ」
「私は今魔物に襲われたあなたを助けましたが」
「……ちっくしょう、もっと違うところはねえのかよ」
「まぁ強いて言うなら、私のがあなたより数倍可憐であるということかしら。スタイルもあなたより遥かにいいですし」
シーラは自分の胸とヘレンの胸を見比べた。顔つきはともかく正直自分の体つきを気にはしていたシーラはヘレンにキレながら答えた。
「ふざけんな! 私はまだ成長中なんだよ! ……ちくしょう! そういやお前モテてて取り巻きがいっぱいいたから何言っても負け惜しみにしかならねえ!」
「やっとあなたに勝てましたかね。あなたも化粧とかすれば絶対かわいくなりますのに」
「え~……面倒だな」
「帰ったら教えて差し上げますわ」
二人は肩を抱き合いながら会話して進んでいった。まるで今までの確執が無かったかのように。実際、二人は初めて互いの理解者を得たような気がしていた。もし親友というものができるとしたら、こうしてできるのだろうと。
――しかしその思いが長く続くことはなかった。
「グオオオオオオオオ!!!」
突然、遺跡全体が震えるような雄たけびが響き渡り、シーラとヘレンは身を竦める。そしてあたりを見渡すと、シーラ達が入ってきた入り口に巨大な影が現れていた。
「「な……!?」」
その影を見て二人は絶句した。遺跡に巣くうゴブリンのボスであるのか、その巨体は4メートルにも達しており、魔法学校の生徒が単独でどうにかできるレベルを逸脱していた。
「なんであんなものが放置されてるの……!? 試験官は何をやって……!」
シーラが文句を言うが、それは当然のものであった。この試験が基本生徒の独力で行われるものであるため、事前に試験官が生徒では対処不可能な魔物は排除しておくのが通例だった。しかし今年の担当者がそれをサボっていたのか、もしくはこのゴブリンが賢かったのか判別がつかないが、こうして生き残った個体がシーラ達の目の前に現れてしまっていた。
「くそっ……! ヘレン!逃げるわよ!」
シーラはあと少しで遺跡のチェックを付けられるところであったが、それすらもせずに撤退を選択した。あの化け物が迫ってきている以上、一瞬も迷ってられないからだった――シーラは。
「えっ……でも……!」
ヘレンにはその判断力はなかった。あと数メートルの距離に課題のチェックポイントがあるのに、退くことができなかった。そしてここで二人の命運が分かれる。シーラは逃げの体勢を取り、ヘレンはチェックポイントに向かっていった。
「ヘレン!ダメだ!」
「でも10秒もかからない!」
ヘレンはダッシュでチェックポイントに向かい、そこに設置されていた魔法印を手に持つと、持ってきていた自分のチェックリストに印を押す。そして今度はシーラに手を伸ばした。
「あなたも早く!」
しかしシーラはヘレンの呼びかけには答えず、ヘレンに早く逃げるように促した。
「んなこと今はいいから! 早く逃げろおおおお!!!」
「はっ!?」
ヘレンが気づいた時には、ゴブリンはすでにヘレンの傍まで迫っていた。そして握り拳を作ると、ヘレンに殴りかかる。
「ヘレーーーン!!!」
シーラは持っていた荷物をすべてゴブリンに投げつける。ゴブリンの狙いが直前で逸れ、ヘレンの頭上をパンチが掠めていく。荷物をぶつけられたゴブリンはシーラの方へ向き直ると、その表情が怒りに染まっていた。
「くっそ……!」
シーラは慌てて逃げ出すが、恐怖で足を取られ、祭壇の階段から転がり落ちていく。結果として早く降りることはできたが、代償として全身にケガを負い、まともに動けなくなっていた。
「がっ……。しまった……!」
「シーラ! 大丈夫! 私が……!」
落ちていったシーラにヘレンは泣きながら駆け寄った。しかしもうすぐ後ろにゴブリンが迫ってきており、シーラは判断に迫られた。そしてシーラの明晰な頭脳はこういう時にしたくもない判断を下せる能力があった。
「……私を置いて行って」
「……え?」
「もう私はケガのせいで早く動けない……。なら、あんたが一人で逃げるのが……」
シーラが下した判断は、“もう自分は助からない”だった。そしてならば助かる可能性のあるヘレンが一人で逃げるべき、そう判断したのだった。
「シーラ……!」
「どうせ……私はできの悪い不良少女だから……。直近でやらかした問題のせいで、もう身近な知り合いもみんな私のことを見限ったし……。ここで死んでも“ああそう”ってなるだけだから……」
ヘレンに行かせるための言葉であったが、本音が混ざってしまっていた。そして口に出したことで、シーラの感情が溢れ出してきてしまっていた。
「どうせ……頑張ったって魔法が使えるわけでもないんだ……! ロマンディ家の娘として生まれたのに魔法が使えなくて……誰も私を……!」
シーラの両目から涙が溢れ出していた。絶望的な状況だからこそ、口にしてしまった本音。自分でもわかっていたはずだが、必死に目をそらし続けていた現実。それが口に出したことで逆に心に突き付けられてしまった。
「だから早く行ってよ! 魔法が使えない私だって、時間稼ぎくらいはできるんだから!」
シーラの涙を見たヘレンは足が止まっていた。もうすぐそこまでゴブリンは迫ってきている。しかしもうヘレンの足取りには“恐怖”はなかった。
「いえ、逃げません」
「……!?」
ヘレンはゴブリンへと向き直り、魔法の構えを取った。
「私がここであいつを倒します! 元はといえば私が逃げなかったから、あなたがここまで追い詰められたのですから! ……イクシール家の娘として、責任は果たします!」
「ばか……! 勝てるわけ……!」
シーラはヘレンを止めようと手を伸ばすが、ヘレンは微笑みながらその手を退けた。
「……短い間でしたが、あなたと友達になれて本当に良かった。私を“助けてくれて”ありがとう。……あなたならきっと魔法を使えるようになるはず。だから…諦めないで」
「ヘレエエエエエン!!!」
――そして5時間後、遺跡の外で重傷のシーラは試験官に救出された。シーラは試験官に救出されたことで実技試験は脱落することになった。
さらにもう1名脱落者が遺跡で発見された。名前はヘレン・イクシール。発見された時には“死後”4時間以上が経っており、遺体の損傷度合が酷く、制服に記載されていた名前で判別することができた――。




