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ストローズ魔法学校における5年次の進級試験は一種の境目となっており、最も多くの落第者が出ることで有名だった。まず筆記試験を行い足切りを行った後、実技試験を行う。その実技試験がかなり過酷であり、毎年重傷者も出るほどのものであった。
実技試験当日。ヘレンは大荷物を持って、エルメント近郊にある樹海の前で待機していた。この樹海が受験会場となっており、樹海で1か月の間生き残れるかが試験の内容であった。
ヘレンは周囲を見渡すと、同じく進級試験を受けるために20人ほどの生徒が待機していた。本当はまだほかにも試験を通った生徒はいるのだが、各地域ごとに20人ずつに試験を受ける決まりとなっていた。――そして待機している生徒の中に、シーラがいるのをヘレンは見逃さなかった。
「あらシーラ。まさかあなたが試験を突破できるなんてね」
ヘレンは一人座って待機しているシーラに嫌味を込めて声をかけるが、シーラも一切の遠慮をせずに悪意を込めて返す。
「私は筆記試験を満点で突破したけど、あんたは? 代々エリートのイクシール家のご息女なら、さぞ私と同じような点数で突破されたんでしょうなあ」
シーラの嫌味にヘレンは言い返せずにヒクヒクと唇を震わせることしかできなかった。5年次の筆記試験を満点で突破したのは学校の歴史上シーラが初と言われており、ヘレンも8割は取って合格していたが、シーラと比べ物にはならなかった。家柄もイクシール家がエリートの家系であることは事実だが、ロマンディ家と比べてしまったら塵芥としか言えない立場であった。ヘレンにできるのはせいぜい捨て台詞を吐くことだけだった。
「……ふんっ。まぁせいぜい死ぬ前に教官に助けを求めることね」
ヘレンは“死ぬ”という表現を使ったがこれは決して大げさなことではない。実技試験の内容は、この大きく広がる樹海で、1か月間誰の手も借りず一人でサバイバルをするというものだった。
そして持ち込める食糧や水はせいぜい1週間分。普通に過ごせば全く足りるものではない。この試験の目的は自然の中で極限状態になることで、基本の属性である地・水・火・風のエレメンタルを行使できるようにし、5年次以降の実践魔法を学ぶための下地を作ることだった。
そして魔法が全く使えないシーラがこの試験に臨むにあたって議論が繰り返された。何をどう考えても自殺行為でしかなく、死ぬとわかっている試験を受けさせるのはどうかと。
しかしこの試験の直前にシーラはあるトラブルを引き起こしていた。それはシーラが経営している喫茶店が薬物の流通ルートになっており、更に学校の生徒の一人がそのルートを使用して薬物に手を出していたということだった。
シーラ自体は完全に貰い事故であり、無実という判決は出ていた(バノン家が出したものであり、シーラはバノン家に多大な献金をしていたという話があるが……)。しかし学校としてはそもそも出席せずに何経営をしているんだという順当なツッコミと、本当に無実なのかという疑いが強く、そもそも退学させるべきという話も出ていた。
しかしシーラの成績が非常に優秀であることと、ロマンディ家の娘であること、それにジェインが強く庇っていたこともあり、この進級試験でシーラの進退を決めることになった。どうせ魔法が使えないのだから、試験を突破できるはずないだろうと。
× × ×
試験が始まって2週間が経った。すでに持ち込んだ荷物は切れている想定であり、ここから先はエレメンタルの力を借り、自分で水や食料を作り出す必要がある。20人いた生徒のうち、4人ほどはすでに脱落していた。4人ともいずれもエレメンタルの力を借りることができず、水を確保できずに餓死寸前のところを救助された形となっていた。
ヘレンは樹海の中を歩き回っていた。エレメンタルとの対話も樹海に入って4日目で成功し、水と食料の問題は“なんとか”克服できていた。そして今は試験項目の一つである、樹海の中のチェックポイントを探していた。
ただサバイバルするだけでなく、樹海の中を探索して課題をこなさなくてはいけない。それには体力も魔力も消費し、さらに今では少なくなった魔物も、この魔力の濃い樹海では生息していた。当然魔物と出会ったら自分の身は自分で守る必要があり、それも試験の項目の一つだった。
「はぁ……はぁ……喉が渇きましたわ……」
ヘレンは汗を拭いながら、腰を落とした。確かにヘレンは水のエレメンタルの力を借りることができ、水魔法を使って水を作り出すことができるようになっていたが、効率が改善できておらず、2リットルの水を作り出してしまえば、その日はもう魔力切れで動けなくなってしまうほどだった。しかしそれでは課題をこなすことができないため、仕方なく動けるほどの体力を残すと、今度は1日分の水を作り出すことができなくなってしまっていた。
しかしヘレンには諦めるという選択肢はなかった。イクシール家の娘としてそんな恥は晒すことはできない。――本当は魔力で水と食料を作るのに集中して貯める期間を作れば、この問題も解決することはできた。そして試験の想定としては本来そういう設計となっており、1か月という時間もそれを見越しての期間設定だった。
だがヘレンは無理をして強行していた。それはヘレンにスケジューリングの能力が無いということではなく、完全に意地であった。何としてもこの試験は1位で突破する。そしてあの栗毛の無能女を見返してやると。
しかし脱水症状に蝕まれたヘレンの体調はやる気で回復することはなく、次第にまっすぐ歩くことも覚束なくなってくる。そしてもしヘレンが試験続行と判断された場合、監視を行っている試験官に回収されてしまうかもしれない。その恐怖心が、上手く回っていないヘレンの頭をもたげ始め、ヘレンは無意味に身を隠すように進んでしまっていた。――そしてその散漫した注意力は、目の前の崖に気づくことができなかった。
「……しまっ!?」
ヘレンは崖から足を踏み外してしまい、崖から滑り落ちていく。何とか体勢を立て直そうとするが、弱った身体ではそれもできず、落ちていく途中で頭を石にぶつけてしまった。そうなってしまえばもう意識を保つこともできず、ヘレンはただ闇の中に吸い込まれていった――。
× × ×
まずヘレンが目を覚ましたきっかけは何かが弾ける音だった。しかしまだそれだけでは闇の中で意識が覚醒しただけであり、ヘレンは動くことも今自分がどのような状況になっているかもわからなかった。そして次に頭に何か冷たいものが添えられ、そこでヘレンはようやく目を覚ます。
「ここは……」
目を覚ましてまず一番最初に視界に入ったのは満天の星空だった。そして自分が空を向いているにも関わらず、背中に土の嫌な感触がしないことに気づく。そして少しして自分がハンモックで横になっているということがわかった。パチッという弾ける音が聞こえ、その方向を見ると焚火が炊かれており、その火の前に誰かが座っていた。
「あなたは……」
ヘレンは試験官に回収されてしまったかと思い一瞬冷汗が背中を流れるが、それが杞憂であることに気づく。なぜならその焚火の前にいる人物は自分と同じく制服を着ていたからだ。
「……私を助けてくれた? ……ぐっ……」
ヘレンは起き上がろうとするが、頭だけでなく全身に酷い痛みがあることにようやく気付く。そして気分も非常に悪く、身動きが一切取れなかった。焚火の前にいた人物はヘレンが動こうとしたことに気づいたのか、慌ててヘレンに駆け寄ってきた。
「ちょっと目が覚めたの!? 動いちゃダメだって! ひどい重傷だったんだから……!」
「え……!?」
ヘレンはその駆け寄ってきた人物を見て、わが目を疑った。その人物は自分を助けるとは思えない――というより今ここにいることが信じられなかったからだ。
「シーラ……ロマンディ……!?」
「……だからロマンディの名で私を呼ぶなって」
ヘレンを助けたのはシーラだった。だがヘレンがシーラがここにいることに疑問を持つことも無理はなかった。試験が始まって11日目であり、持ち込むことが許された7日間の水と食料はすでに切れているはず。だからヘレンも渇きに苦しんでいたにもかかわらず、目の前にいるシーラは健康そのものだったからだ。
「なぜあなたがまだここにいるの……!? それになぜそんな血色も……! ゲホッ! ゲホッ!」
ヘレンは質問の途中で咳き込む。落ちていく最中に強く胸を打ったのか、肋骨がキシキシと痛む。それに喉が渇いて仕方なかった。シーラはヘレンが声を出すのに難儀しているのを知ると、水筒をもってきてそれをヘレンに渡してやった。
「ほら。……ちなみにあんたの右腕折れてるから。左腕で飲めよな」
右利きであったヘレンは咄嗟に右腕を動かそうとして痛みで呻いた。そして落ちついてから左腕でシーラを水筒を受け取ると、それを一気に飲み干す。そして渇きを癒すことができて、初めて自分がやってしまったことに気づく。
「しまった全部飲み干して……!」
しかしシーラは全く気にしていないようだった。
「ああ、別にいいよ。水はまだあるから」
あまりに落ち着きようにヘレンは疑問を感じた。
「なぜ……? なぜあなたはそんなに元気なんです……? 水や食料は……?」
「ん?ああ、なあにそんなの簡単よ」
シーラは焚火の前に戻ると、焚火の横にあった装置に手を伸ばす。そこには2つ目の水筒があり、よく見ると焚火ではお湯が炊かれており、その湯気を集める機材が設置されていた。
「あんたたちも試験官も気づいてないけど、この辺りには地下水脈が流れてる。とはいえそんな簡単に水を汲み上げられるわけでもないし、汲み上げてもまだ汚れてるから蒸留処置が必要だけどね」
ヘレンは暗闇に目が慣れてきて、ようやく辺りに何があるかわかってきた。焚火の側には水の蒸留装置が置かれており、水筒に水を貯めておけるように水筒が何個も置かれていた。そして周囲の木々にはウサギやヘビなどが、皮をむかれた状態で干されていた。
それらの情報をまとめ、ヘレンはどうやってシーラが生き延びてきたか、やっと理解できた。
「あなたまさか……!」
「ええ。“生き残る”っていうのは知識がありゃあ、案外できるもんなのよ」
魔法が使えないシーラはサバイバル技術を用いて、今日まで生き延びてきていた。それは今まで試験を受けてきた生徒たちでは採ったことのない、シーラならではの作戦だった。




