真実
ジェイド殿下はまだしっかりと力が入らないようで、ふらふらとこちらへ歩み寄ってくる。
私もメイに支えてもらいながら立ち上がり、殿下の側へ急いだ。
「エリアナ……エリー!」
すぐ側まできた殿下は、感極まったように私の名を呼び、手を伸ばし、ぎゅっと私を抱きしめた。ふっと殿下の匂いが鼻先をかすめる。
随分久しぶりにこの匂いに包まれている。今この瞬間は誰が見ても、愛し合う恋人たちが互いを取り戻した、感動の抱擁シーンに違いない。
「でん、か……?」
けれどその腕の温もりに、私の中に湧き上がったのは歓喜でも安堵でもなかった。
頭の奥で、また小さな自分の声がする。
『違う!』
ジェイド殿下の抱擁に、その背中に腕をまわして応える余裕は全くなかった。
まるで死に際の走馬灯のように、パズルのピースのような言葉や記憶が頭の中を駆け巡る。
――子供ながらに美しいと感じた、輝く金色。
『あと3年待って君が学園を卒業すれば』
1度目とは違う贈り物。
「また、違う」
……1度目と、ただ贈られたものが違っただけだったの?
『私は何か、大事なことを見落としているのかもしれない』
「何か、大事なことを忘れている気がするんだ」
『巻き戻って度々感じる違和感と胸騒ぎ』
……違和感や胸騒ぎを覚える時、そこに共通点はなかった?
「1番の目的はジェイド殿下だったと思う」
「あら?ジェイド様、香水をお変えになったのですか?」
気のせいだと思った。けれど、気のせいではなかったのなら?
『まるでその幸せがただのまやかしのような、今いる場所が自分の居場所ではないような』
『1度目の今日のことがどうもモヤがかかったようにあまり思い出せない』
――不自然なまでにぽっかりと部分的に記憶がなくなっていることが多々ある……
1度目との齟齬ではなく、記憶の欠如。冷静に考えてあり得ない。
『何が良くて何が悪いのか、持ち主に正しい道を教えてくれる』
私の本能は、ずっと正しい道を示していた。
「記憶のある3人が皆そう感じると言うことは、1度目の時点で大事なことを忘れさせられているのかもしれないね」
『足りない。1人足りない。』
どうして思い出せないだけじゃなく、記憶から1人いなくなってしまったのか。
――魔力基礎の生徒は……誰1人影響を受けていない
「では、エリアナ様の魔力を受けたことがある者はデイジーの力では操れない?」
もし、もしも、本当にその通りだったとしたら?
でも、それならジェイド殿下はどうして……。
『愛していると言ったくせに、どうして忘れられるの!』
『君は?君も、僕のことを嫌いじゃない?』
――ジェイド殿下が、デイジーを庇うように大魔女の前に立ちはだかって……
嬉々としてデイジーを狙っていた大魔女。
本当に?本当にそうだった?
大魔女に襲われた時、身を庇いあっていたジェイド殿下とデイジー。
……庇い合っていたように見えただけなのかもしれない?
『私から大事なものを奪っておいて』
『私はこんなこと絶対に許さない!』
大魔女を討った後、意識を失う瞬間見た誰かの口元。あの時嗤ったのは……。
『まだ、終わっていないわよ』
「元々あの女はおかしかったじゃないか!」
そう、デイジーはずっと何かおかしかった。
『エリアナ様、どうか、どうか私の願いを聞いてください』
最後に何かを伝えるように動いたデイジーの口元。
あの時、あの時デイジーは………。
――エメラルドの、ネックレスとイヤリング。
「また、私を、助けてくださいますか?」
……そうだ、あの瞬間、デイジーは声にならない声でこう言ったのだ。
『約束を守ってくれて、ありがとう』
カチリ。
頭の中でピースがはまる音がした。
私は思わず、ジェイド殿下の腕からすり抜け、後ずさる様に距離を取っていく。
「エリアナ……?どうした?」
ジェイド殿下は私の普通ではない様子に心配そうに眉を顰める。
頭の奥で小さな自分が、ずっと警鐘を鳴らしている。
『違う!』
『違う!』
『この人じゃない!』
たまらず自分の体をぎゅっと抱きしめる。
体の震えが、止まらない。
「エリアナ様?」
「エリアナ様、どうされたんですか?」
私の様子がおかしいことに気付いたメイやサマンサ様の声が聞こえる。
ジェイド殿下が一歩私に近づく。
けれど、つられるように私は二歩後ずさった。
ジェイド殿下の向こうに、訝し気にこちらを見ているカイゼルが見える。
皆、皆騙された。最初から、全て、とっくに操られていた。
私も――……。
「殿下」
「エリアナ?もう1度ジェイドと呼んではくれないか?」
殿下はかつてのように、私に向かって困ったように微笑んだ。
「第二王子殿下」
ぴたり、こちらに歩み寄っていた殿下の足が止まる。
ああ、どうして。
こんな、こんな……。
吐き気がする!
「――作られた聖女の力を使ったのも、デイジーを利用したのも、皆の心を操ったのも……全て。全て、あなただったのですね、ジェイド第二王子殿下」
殿下の顔から、するりと表情が抜け落ちた。
小さな自分の泣き叫ぶ声が、大音量で頭の中に響いている。
『――テオ様!!!!!』




