終わっていない
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ああ、なんだか疲れてしまったわ……。
ぬるま湯につかったような心地よい温もりに包まれて、私は揺蕩っていた。
もう、ずっと、こんな風にゆっくり休めていなかった気がする。
しばらく誰にも邪魔されないで、こうしてゆらゆら漂っていたい――。
『まだ、終わっていないわよ』
はっと意識が覚醒した。
それでもなお重いままの瞼をゆっくり引き上げてみると、寝台の天蓋が目に入る。
ぼーっとしばらく眺めて、そこが自室だと徐々に理解した。
「!エリアナお嬢様……っ!」
声にちらりと横に視線をずらすと、涙で目をウルウルさせたリッカがいた。
私、帰ってきたんだ……。
「エリアナ様!目が覚めたんですか!?」
リッカの声に反応するように部屋に飛び込んできたのはメイだった。
どうしてメイが?聞きたいのに、喉がカラカラでまだ声が出せない。
「メイ、いきなり部屋に飛び込んだらいけないわ。……エリアナ様、お加減はどうですか?」
まさかのサマンサ様もいた。
私が驚いているのが伝わったのか、サマンサ様は柔らかく笑った。
あの学園での騒動の時、カイゼルと並んで戦えない生徒達を守り、大きな戦力となった魔法基礎クラスの皆を統率したのはサマンサ様だった。そして稀有な反魔法を自在に操り、私とともに大魔女を討ったメイ。2人の活躍は大きく、誰の目にも明らかで、その存在はたくさんの貴族や神殿の人間の間に広く知られることとなった。特に今は騒動がまだ落ち着かず、このままでは2人の身の安全も保障できないということで、私が目覚めるまでの間、2人はずっとこのリンスタード侯爵邸に滞在していたらしい。お兄様がそう提案してくれたのだとか。
「私の両親は領地にいますし、伯爵家と言えども我が家はあまり力を持っていませんしね。助かりましたわ」
「私は平民で寮生活ですし!ずっとサマンサ様と一緒にエリアナ様の側にいられてよかったです!」
当のお兄様やお父様は王宮でその後の対応や後始末に追われているらしく、1度も邸に戻れていないのだとか。そういう意味でも2人がここにいてくれるのはお兄様からしても安心だったのだろう。
今回悪しき魔が現れたことは王都以外にも広まり、最近あちこちで魔物が増えていた影響もあり混乱は王都以外にも広がった。お母様は領地に戻りそちらの対応を手伝っているようだ。
驚くことに、私が大魔女を討った後、意識を失って5日も経っていた。
「ふふふ、エリアナ様、驚かれるのも無理はありません。あの後どうなったかお話ししますわ」
あの後、その場にいた高位神官がその場ですぐに私を聖女と認定した。
魔法基礎クラスの皆は驚いていたものの、納得感の方が大きかったようで、大魔女を討った高揚感も相まって大いに喜んでくれたらしい。
正式な聖女お披露目式は後日ゆっくりと準備期間を設けて行われるらしいが、これで私が聖女であると言うことは周知の事実となった。
ジェイド殿下とデイジーは、テオドール殿下と、殿下が率いる騎士団に連れられてすぐにその場を去ったため、2人がその後どうなったのか、今どうしているのかは分からないらしい。
怪我人はマリンやミハエル、その場に残った神官様が癒した。悪しき魔が現れたにもかかわらず、死者は1人もでなかったそうだ。これは奇跡的なことだ。
皮肉にも大魔女が復活後、まっすぐに学園を目指したことがある意味幸いした結果だった。
悪しき魔からの被害と心の傷を長く引きずらないためにも早く日常を、という陛下の方針もあり、学園自体の復旧はなんと2日で済ませられたらしい(もちろん建物の修繕は随時行っていくらしいが)。それを実現できたのはドミニクの商会の協力が大きかったようだ。
そうして、私たち以外の在校生については昨日から新学期が始まっていた。
ただ、新入生の不安を予想して、さすがに入学式は少し日を置いて行われるらしい。
目が覚めた私は、すっかり体の疲れが取れて元気になっていた。
元々眠り続けて目が覚めなかったのも、魔力枯渇が原因だった。
念のためにと手配してもらった医師の診察を受け、明日には学園に行ってもいいとリッカのお墨付きをもらい、サマンサ様とメイと登校できそうで嬉しい。
皆はどうしているだろうか、殿下は元気だろうか。
……聖女ではないとはっきりしたことになるデイジーはどうなっただろうか?
その日はリッカにお願いして、クルサナ村のメイの家でそうしたように、メイとサマンサ様と3人で並んで眠った。
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翌朝、我が家の馬車でメイとサマンサ様と一緒に学園に向かう。
今回のことで、私が聖女であることが皆の知るところになってしまった。そのことを、どのように思われているだろうか。なんとなく不安でいっぱいになりながら、学園の門をくぐる。
門からすぐのところで、見知った顔が待っていた。
「エリアナ様、サマンサ様、メイさん……」
ドミニクが、不安そうな顔で私たちの足を止める。
「ドミニク?どうかしたの?」
私達はずっと邸にいて、情報が入るはずのお兄様たちにはまだ会えていない。
ゆっくり療養している間に何かあったのだろうか?
そう不安に思っていたその時。
「あの……」
「――悪役令嬢!」
えっ……?
ドミニクの言いにくそうな声を遮る様に投げつけられた言葉に思わず耳を疑う。
「悪役令嬢」?そう言ったの?私が、そう呼ばれた……?
「よく学園に来れたものですわね!」
「どの面下げて登校してきたんだ」
「学園が始まっても見ないから安心していたのに」
それを皮切りに、次々と嫌悪にまみれた声が聞こえてきた。
「な、なに……?」
怯えたようなメイが私の側に寄り添う。
「これは、どういうことですか?」
顔を顰めたサマンサ様がそっとドミニクに尋ねる。
その間にも、生徒たちの冷たい視線はずっと私に向けられていた。
ふと、遠くから視線を感じてそちらを見る。
冷たい表情の生徒達の向こうに、ジェイド殿下がいた。
――ジェイド殿下は、デイジーと寄り添い、こちらを強く睨みつけている。
「どういうことなの……?」
大魔女はいなくなった。
私が聖女だと神殿に認定もされた。
……全て解決したと、脅威は去ったのだと思っていた。
デイジーの力の影響もなくなったのだと、思い込んでいたのだ。
「聖女であるデイジー様を虐げるなんて、悪役令嬢とはよく言ったものね!」
憎悪のこもった目をこちらに向ける女子生徒の言葉を聞きながら、昨日見た夢を思い出す。
『まだ、終わっていないわよ』
ジェイド殿下の隣で、デイジーが微笑んでいた。




