悪しき魔との対峙
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「なあに?わたくしに対抗できるとでも思っているのかしら?わたくしの力を使って、わたくしを呼んでくれたのはお前でしょう?」
大魔女は、殿下とデイジーに向けてクスクスと笑った。
その顔は愉悦にまみれて、心底楽しそうだ。
笑う度に彼女が発するあまりに強い魔力が揺れて、体が竦んでしまう。
殿下達から少し離れた位置で、私とメイは動けなくなっていた。
「ああ!人間は本当に愚かで……醜くて……可愛い!――どうして悪しき魔であるわたくしが、黙ってお前が望みを叶えるのを許すと思ったのかしら?」
そうだ、大魔女は人間の望みを叶えるために聖女の力を作るのに力を貸したわけじゃない。
その力を手にし、邪に落ちた者を喰らうために――。
そこで、私はあることに気付いた。
聖女の力を使い、邪に落ちた者を欲する大魔女が、今まさに嬉々としてデイジーを狙っている。
つまり……。
――デイジーはもう、邪に落ちかけている?
その時、おもむろに大魔女が2人に向かって手をかざした。
「!!だめっ!!!!」
私が大声を上げ魔法を飛ばすのと、狙いを定められた2人が互いを庇い合うように身を寄せるのは同時だった。
「……なあんだ、まだわたくしの邪魔をする者がいるのね」
私の放った魔法でかざした手を払われた大魔女は、面白くなさそうにゆっくりとこちらを振り向く。そして、興味がなさそうにそのまま殿下達に視線を戻すと、もう1度その手をかざそうと振り上げた。
2人は今度こそくるかもしれない衝撃に、もう1度身を庇い合うように抱きしめ合う。
その光景を見ながら、なぜか私は猛烈な怒りを感じていた。
そんなことを考えている場合ではないのに、頭の中は怒りでいっぱいになっていた。
『私から大事なものを奪っておいて』
頭の中で響く、悪夢の中で私を罵った小さな私の声が、今度は2人に向けて呪詛を吐く。
呪詛の声につられるように、私の青い炎が沸々と燃え滾っている。
私は激情のまま走り、2人の前に体を滑り込ませ、大魔女に対峙した。
「エリアナ様……」
後ろからデイジーの弱ったような声が聞こえる。
その声に反応して、青い炎が体の中でさらに強くなる。
『私はこんなこと絶対に許さない!』
「お前……聖女か」
大魔女がこちらを見て僅かに目を見開く。
ふうん、と興味なさげに片眉を上げるその仕草を見ながら、ずっと炎の揺らめきが止まらないのを感じていた。
彼女も元は、人間だったのだ……。
「あれだ!悪しき魔め!」
「いそげ!殿下をお守りしろ!」
「悪しき魔と対峙しているあの女生徒は誰だ?!」
学園に到着した騎士団の数人が悪しき魔に気付き、殿下を守るために走り寄ってくる。
「デイジー様!今こそ聖女のお力で悪しき魔を滅するのです!」
「祈りを!」
「ああ……なんという……アネロ様」
騎士達に続いて学園に入った神殿の神官様達は、今もまだデイジーが聖女だと信じて疑わないようだ。私の背後から、「無理に決まっているじゃない……」とデイジーの弱弱しい声が聞こえた。
だけど誰も、私たちの側までは近づけない。
大魔女の魔力に威圧されているのだ。
大魔女はその全てに興味を抱くことなく、ゆっくりとこちらに手をかざす。
そこから魔法が放たれるより早く…!
私は急いで魔法を展開し、大魔女へ向けて放出した。
青い炎、私はこんな理不尽を許さない。大魔女のこの悪しき魔力になんて負けない。
大魔女と私の魔法が放たれたのはほぼ同時だった。
「ほう!お前は炎なのか!わたくしの昏い魔法に勝てるのかしら?」
私の青い炎と、大魔女の禍々しい魔力がぶつかり合い、拮抗する。
「そんな……青い炎!?でも、聖女はデイジー様のはず……」
近くを囲む神官の中から、そんな声が聞こえる。
聖女の証の知識を持つ者も来ているようだ……私の色違いの魔法に気付いたのね。
デイジーの作り上げた彼らが信じる真実と、目の前でまさに見せつけられている事実の齟齬に混乱し始めているようだった。
だけど、今はそれどころじゃない。
「そんな……!」
大魔女の魔力が、強過ぎる……!
拮抗していた魔法は、私の青い炎が押され始めている。
このままでは――!
その時、大魔女の魔力が霧散した。
衝撃と、敵わないという絶望でその場にへたり込んでしまう。
「なに……?」
魔力を弾かれた大魔女は不機嫌そうに顔を歪めた。
「エリアナ様!私もいます!一緒に戦います!」
横から不意を突き、昏い魔力を弾いたのは、いつの間にか私の側に寄り添うように立つメイの反魔法の魔力波だった。
メイはすぐに立ち上がれない私に代わる様に大魔女に対峙し、殿下やデイジーごと私達の周りに反魔法をドーム状に張り巡らせる。
絶対に魔法を通さない、反魔法防壁だ。
「メイ……」
「長くは無理ですが、少しの間私が大魔女の魔法を引きつけます!エリアナ様は、攻撃だけに全力を注いでください!私が絶対に守りますから!」
だけど、大魔女の魔力には、敵わない……。
なおも絶望から抜け出せないでいると、どこからか叫ぶような声が聞こえてきた。
「エリアナ嬢!諦めるな!君ならやれる!!」
その声にはっと顔を上げる。
「テオドール殿下……」
私を鼓舞してくれたのは、いつの間にか学園まで駆け付けてきてくれたらしいテオドール殿下だった。殿下は私達へ向かおうとする他の魔物達の相手をしていた。
周りでは、騎士団や、サマンサ様を筆頭にした魔法基礎クラスの仲間たち、カイゼルや魔法上級クラスの精鋭や騎士クラスの中でも優秀な生徒達が今もなお湧き続ける魔物と戦い続けている。
集まり、祈りを捧げる神官たちの中にはミハエルの姿も見えた。
そして、私を守ろうと大魔女の前に立ちふさがり、必死で反魔法を展開し続けるメイ。
彼女は反魔法防壁を張りながら、魔法吸収の魔法波も同時に大魔女に向けて放ち、その禍々しい魔力を受け止め続けていた。
ぐっと胸が詰まって、涙がこみ上げそうになる。
そうだわ、ここで私が諦めるわけにはいかない。
私は、1人じゃない!
メイに守られながら、私は強いイメージを青い炎に送りはじめた。
いつものように、抽象的なイメージではなく、もっと具体的で強いイメージ。
リタフールの古神殿で見た絵本を思い出していた。
悪しき魔の心臓を貫く、聖女の魔法……。
願わくば……邪に落ちた彼女の心も救われますように。
魔力を増幅させ、圧縮し、密度を濃くする。強く、濃く、鋭く。そして研ぎ澄ます。
大魔女の魔力は、メイが受け止めてくれている。
私は、大魔女を貫く一閃を……一瞬だけでいい、私の全力を!
「!?な、なんなの!?この魔力は―――」
大魔女が私の魔法の気配に気づく。
けれど、もう遅い!
うろたえ、魔法が一瞬緩んだ隙にメイが大魔女の魔力の全てを一瞬だけ払いのけた。
そして、メイのおかげでひらけた視界の中、私は凝縮した全魔力を、大魔女の心臓めがけて一気に放出した。
その瞬間、大魔女の体が目を開けていられないほどの眩しい光に包まれた。
同時に、何かが溶けるような音と共に数多いた魔物達の姿が次々と消えていく。
一瞬、辺りは嘘のように静寂に包まれた。
「聖女様……」
呟いたのは、騎士の誰かだったのか、それとも生徒だったのか。
「――聖女様だ!エリアナ・リンスタード侯爵令嬢を聖女と確認いたしました!」
「聖女、エリアナ様が大魔女を討伐!大魔女の消滅を確認!」
神官たちの中から大きな声が上がる。ついで、わっとあちこちから歓声が上がった。
私、やったのね……。
「エリアナ様!」
「エリアナ嬢!」
周囲の盛り上がりをよそに、メイやテオドール殿下の声が近づくのを感じながら、私は意識を手放した。
視界が暗転するその瞬間、誰かの口元が嗤うように歪むのが見えた気がした。




