ソフィア様の救い
今日は久しぶりに神殿へ祈りに来ている。前回からすっかり日があいてしまった。
正直、ミシェル様の話を聞いて……少し足が遠のいてしまっていた。
神殿へ僅かながら不信感を持ってしまったのだ。
けれど、不誠実なのはその中の何人かの神官だけのはずで、誠実にアネロ様にお仕えしている神官様も多くいる上に、私がアネロ様を大切に思う気持ちは変わらない。
神殿自体が悪なわけではないのだ。
邸宅では祈りを捧げていたものの、やはりアネロ様のお心に届く場所でと思うと結局は神殿なのである。
いつものように門のところまでロイドにエスコートしてもらい、1人で礼拝堂に入り祈りを捧げる。
愛の女神アネロ様……アネロ様。
私は、私の愛を以て、愛する人たちを守れますか?
愛があれば、操られているかもしれない人達の心を、真実へ導けますか?
祈りが終わり、神殿を後にする。
大きく深呼吸し、外の空気を胸いっぱいに吸い込むと、気持ちも新たにできるような気がした。今日はいい天気だ。顔を上げ、太陽が眩しくて目を細めていると、元気な声が響いてきた。
「あ!クッキーのお姉ちゃんだ!」
その声は孤児院の方からだった。
ふといつかのように垣根に近寄り、何気なく様子を眺めてみる。
「お姉ちゃん!今日はご本読んでー!」
「一緒に遊ぼうー!」
どうやらどこかの貴族のご令嬢が慰問に訪れているらしい。
簡素だが上質だと分かるワンピースを着た『クッキーのお姉ちゃん』と呼ばれた女性がバスケットを持っていて、彼女に子供たちが笑顔で駆け寄っている。あのバスケットの中身がクッキーなのだろうか。
「え?」
その後ろ姿を微笑ましく眺めていたら、振り向いたその人が誰だか分かって思わず声が出た。
クッキーのお姉ちゃんの正体は、今まで見たこともないような柔らかな表情で微笑んでいる、ソフィア様だった。
思わずその様子に見入っていた私に気付いたミハエルが、神殿から出てきて隣に並ぶ。
「エリアナ様、もうお帰りですか?」
「ええ、あの、ソフィア様はいつも……?」
私が孤児院の方を見ていたことに気付いたミハエルがにこにこと嬉しそうに微笑む。
「学園の夏休みが明けてしばらく経った頃からでしょうか?神殿に祈りにいらしてくれるようになり、そのうち孤児院の子供たちの様子を気にしてくださるようになりました。今ではすっかり子供たちの人気者です」
「そう……」
時期的に、サマンサ様の件があった後から、ソフィア様は神殿に通うようになったらしい。
今では神殿に入らない日にも孤児院には赴いていて、休日のたびに顔を見せているのだとか。
どうもそれまで神殿に訪れることはほぼなかったようなので、あの件がよっぽど堪えていたのかもしれない。アネロ様へ祈ることで、罪悪感を抱えていた彼女の心は救われただろうか。
ソフィア様を見る。彼女は満面の笑顔の子供たちに囲まれ、なんだかんだと小言を言いながらも慈しむような表情を浮かべている。
いや、そうじゃない。
ソフィア様を救ったのは、きっとあの子たちの笑顔なのね……。
「神殿のことですが……相変わらずデイジー・ナエラス男爵令嬢を聖女のように扱ってはいますが、今のところ具体的な動きは見られません」
ミハエルは声を潜めてそう言った。
「そう……ありがとう」
私達がデイジーの人の心を操っている力を暴き、現実を自然な姿に正そうとしていることもなかなか思うように進んではいないけれど、それはデイジーも同じなのかもしれない。
******
その夜、またいつものように夢を見た。
今日の夢の私は、また小さな子供だ。
どこかの茂みの奥にある、池のほとりを見つめて立っていた。
そこには私の他にもう1人の子供がうずくまっている。
(泣いているのかな??)
そう思ったのを覚えている。
小さな私はその子の後ろ姿にゆっくり近づく。
驚かせてしまわないように、静かに、慎重に。
怖くないよ、怖くないよ。
そんな風に、まるで野生の猫に近づくような気持ちだった。
背格好で自分と同じくらいの子供だと言うことは分かるけれど、その子は頭からすっぽりとローブのようなものを被っていて、夢を見ている今の私からは男の子か女の子か、髪の毛が何色かも分からない。
「どうしたの?泣いてるの?」
なるべく優しく聞こえるように気を付けてそんなことを聞く。
私の声に反応するように、小刻みに震えていた肩が1度大きくびくりと揺れた。
振り向いたその子の顔は、いつかの夢のようにモヤがかかったようにこちらからでは見えない。
小さな私はその子ににっこりと笑いかけると、隣に座りこんだ。
「1人なの?何か悲しいことがあったの?」
隣のその子の顔を覗き込むように首を傾げる私。
「そうなんだね……それじゃ寂しくて当たり前だよ」
うんうんと訳知り顔で頷きながらそんなことを言う。
「そんなことない!」
驚くような顔をした後、むっと怒った顔で声を荒げて立ち上がった。
どうやら、ここからは私の声だけしか聞こえないだけで、その子と私は何事か会話しているらしい。
誰だか分からないその子は怒る私に怯えたように身を竦ませ、項垂れているように見える。立ち上がった私はその勢いのまま、覆いかぶさるようにその子を抱きしめた。
まるで、何かからその子を守っているようだ。
「大丈夫、大丈夫。あなたを嫌いなわけないよ!」
背中をぽんぽんとリズムよく叩きながら、打って変わって優しい声色を出す私。
「え?私?もちろん!そんなの当たり前だよ!」
腕の中のその子の顔を覗き込むように満面の笑みで答えると、その子の肩がふるりと震えるのが遠目でも分かった。
次の瞬間。
「うっううぅ……うわぁあーーーーーーーん!!」
抱きしめる私の腕に縋りつくように飛びつくのが見えたと思ったら、大きな泣き声が響いた。
さっきまで声なんて少しも聞こえなかったのに。
突然耳に届くようになったその泣き声に驚きながらそんなことを考えていた。
子供特有の甲高い声は、やっぱり男の子か女の子かよく分からなかった。
******
目が覚め、いつものように少しだけ夢の余韻に浸る。
夢に見るまですっかり忘れていた。記憶の片隅にも残っていなかった記憶は、けれども確かに幼い頃の思い出の1つだと思い出していた。
それなのに、夢でモヤがかかって顔の見えなかったあの子が男の子だったのか女の子だったのか、やはり少しも記憶にないのだ。
ただ、あの時初めて会ったあの子は、私の中で大切な友達だったことだけは確かだ。
それなのにどうして忘れてしまっていたんだろう?
どうして誰だったか、どんな子だったか全く思い出せないんだろう?
夢のあの子の顔と同じように、記憶にモヤがかかって隠されているような気分だった。




