中間地点の街の夜
ダッドリー辺境伯領からスヴァン王都に向かう道中の中間地点の街に着き、私達は行きと同じ宿に宿泊することにした。
最低限しか連れていない護衛や馬車の御者にも休んでもらい、ここからしばらくは1人で自由にできる時間だ。
この小さな街は平和で、広場に円を描くように宿や店、食堂などがずらりと並んでいる。他には民家や畑、少し外れに花畑があるくらいで、人も多くはなく、王都に比べて緩やかに時が流れているような感覚になる。街とは言うがその様子は村に近い。田舎特有の穏やかな空気が心地いい場所だ。
私もテオドール殿下も自分の身を守れるだけの力はあるが、念を入れるに越したことはない。この場所の近くにはもう少し栄えた街もあるが、人が少なく平和であることを優先しこの場所を選んでいる。この街を囲むような位置に存在する他の大きな街の騎士団や自警団が外の魔物を討伐しているらしく、ここまで魔物が入り込むことがないのもここまで平和な理由の1つだろう。
『私がこの小説の話をしたのは、神殿の者以外ではマクガーランド王都に住む貴族の女性が1人だけ。ただ、お互いに本名などは明かさず交流していました。私はミーシャ、彼女はリリーと名乗っていました』
ミシェル夫人は、最後にそんなことを教えてくれた。彼女の小説を持ち出し、出版社に送ったのはその「リリー」と名乗っていた女性だろうか?明らかになったことも多いが、まだ分からないことがたくさんだ。
昼間にミシェル夫人に聞いた話が頭の中をぐるぐると回って目が冴えていた私は、街の広場から少し外れた場所にある花畑まで散歩することにした。
花畑までの道には外灯がなかったが、月明かりで辺りは良く見えた。今日は満月だ。
月が明るくて今日はあまり見えないけれど、暗い夜の星空もきっと美しいだろう。
「わあ……」
少し緩やかな坂になった先に、広がる花畑を見て思わず感嘆の声を上げてしまう。
そこに広がっていたのは、色とりどりのコスモス畑だった。
白と薄ピンクのコスモスが月明かりに浮かび上がる様に見えてすごく綺麗だ。
花の香りに包まれてほうっと息をつく。
ここ最近、思えば緊張の連続だった。
学園での変化もやはりストレスになっていたと思うし、スヴァン王国に来てからも魔物の異常に気持ちが張り詰めていたり、忙しく公務をこなし、今日は重大な事実をたくさん聞いた。
その緊張がほぐれていくような思いだった。
その時。
静かな空間に虫の声が僅かに聞こえるばかりだったその場に、誰かの足音が響いた。
こんな時間に誰が……思わず体が強張る。
徐々に人影が近づいてくるのが見えるが、月明かりで明るいとはいえ影になっていてシルエットしか見えない。
「そこにいるのはまさか……エリアナ嬢?」
聞こえてきたのはすっかり聞きなれてしまった声で、思わず体の力が抜ける。
「テオドール殿下」
「驚かせてしまってすまない」
私がほっと息をついたのが分かったようで、顔が見える距離まで近づきながらテオドール殿下はそう言って笑った。
「まさかこんな時間に誰かが来るとは思わなくて、思わず警戒してしまいました」
「私の方こそ、まさか君がいるとは思わなかった。眠れなかった?」
「はい、実は目が冴えてしまいまして。もしかして殿下もですか?」
「恥ずかしながらね」
どうも殿下も緊張状態がなかなか抜けなくて、1人散歩をしていたようだ。似たようなことを考えて同じ場所に来てしまったことに思わず笑ってしまう。
「それにしてもコスモス畑か……美しいが慎ましい、穏やかなこの場所にぴったりな花だね」
目が慣れてきたのか、コスモスを見つめる殿下の横顔が良く見える。
殿下は王族に相応しく、その容姿も立ち振る舞いもとても華やかな人だ。それなのに、決して派手ではないこのコスモス畑が良く似合うと思った。
殿下は不意に視線をコスモスから私に移す。
「君は薔薇のように華やかでとても美しいのに、不思議と慎ましく咲くコスモスもよく似合うね。この中にいるとまるで可憐なコスモスの妖精のようだ」
またもや同じようなことを考えていた。温かな気持ちになってつい笑みがこぼれる。
そんな私を不思議そうに見る殿下に、いつかのお兄様のことを思い出した。
「ふふふ。いつだったか、お兄様も私を元気づけようと、妖精に例えてくださったことがありましたわ」
冗談めかしたように言った私の言葉に、殿下もわざとらしく少し顔を顰める。
「なるほど、ランスロットを侮るわけじゃないけど、あいつと同じ言葉で君を褒めたと思うと複雑な気持ちになるね。……だけど」
テオドール殿下はコスモスの中を1歩私に歩み寄る。
「別に君を元気づけようと言ったわけじゃなくて、本心からそう思っているよ」
優しい声色と、表情は穏やかなのに真剣な視線にどきりとする。
月明かりに発光しているかのように見えるコスモスに照らされて、テオドール殿下の金色の瞳が綺麗だった。
殿下は空気をがらりと変えるように、にこりと笑った。
「さて、明日も移動が続くし、スヴァン王都に着いてからもあまりゆっくりはできないかもしれない。そろそろ宿に戻ろう」
「……はい」
花畑を背に、さっきは1人で歩いた道を2人で並んで戻っていく。
テオドール殿下は私を気遣うようにゆっくりと歩いてくれている。その優しさが心地よくて、宿に着いてしまうのが何だか寂しいような気がした。
「エリアナ嬢、おやすみ、いい夢を」
「はい。テオドール殿下も……おやすみなさいませ」
部屋の前で挨拶を交わし別れる。
どこか物悲しい気持ちになるのは、もうすぐ夏が終わるからだろうか。
世界は静かで、虫の声だけが穏やかに響いていた。
******
翌日、スヴァン王城に着くなりお兄様が出迎えてくださった。
「エリアナ!おかえり!道中何も危険はなかったかい?」
「ただいま戻りましたお兄様。何も問題はありませんでしたわ」
「ランスロットは仮にも自分の主君であるはずの私には何もないのかい……」
相変わらずのお兄様にテオドール殿下が苦笑する。こんなやりとりは私と殿下、お兄様が揃うともはや恒例のようになっていた。
「カイゼルはまだ戻らないの?」
「戻ったが、今度はスヴァン魔法師団に同行しているよ……おかげで私は1人で逃げ場がなかった」
「まあ」
逃げ場とは……リュリューナ殿下のことだ。
リュリューナ殿下はプラチナブロンドの髪と空色の透き通るような瞳が美しい儚げな美女だ。私の1歳年上、お兄様やテオドール殿下の1歳年下で、線が細くスラリとした体躯も相まって、それこそ妖精か天使かと言った程の可憐さである。
テオドール殿下が言っていた通り、私も物静かでおとなしい方だと思っていたが、どうやら熱い情熱を秘めていたらしい。その熱にお兄様は……少し引いてしまっているようだ。
私達がダッドリー辺境伯領に発った後も随分振り回されてしまったらしく、少し顔が疲れているように見える。
「とにかく、こちらはかなり有益な情報が得られた。カイゼルが戻り次第、マクガーランドへ戻るからそのつもりで。話は馬車の中でしよう」
お兄様の非難の目も気にせずにテオドール殿下はそう言うと、私に少し休むようにと促してくださった。
国に帰り、休みが終われば学園が始まる。
今頃、デイジーやジェイド殿下は、どうしているだろうか。




