小説の悪役令嬢
リッカは今日のデートの話を聞きたいようだったけれど、とてもじゃないがそんな気分にはなれなくなっていた。お土産に買ってきた人気の焼き菓子を渡して、話は後日に、と許してもらい、1人になる。
湯浴みを済ませ、寝支度を整えた私は殿下に頂いた恋愛小説を開いた。
この小説は最近発売されたばかりらしい。1度目の時に私がその存在を知ったのはベストセラーになってからのこと。確か1年の終わりごろだったはず……こんなに早く発売されていたのね。私が思っていたより、随分長く人気だったらしい。ここからじわじわと人気が出始め、卒業パーティーの頃には発売から3年近く経っていたにも関わらず、芝居にまでなり、人気は高まるばかりだった。
しかし、実は私はこの本を読んだことがない。
あまりに話題になったから読みたいとは思っていたけれど、そうこうしているうちに2年生になり、ジェイド殿下が冷たくなっていく。直にデイジーとのことが噂になり始め、私は精神的に追い詰められていった。つまり、流行の恋愛小説なんて読む心の余裕はなかったのだ。
それに……自分に似ていると言われていた悪役令嬢が、実際にどんな風に描かれているのか知るのも怖かった。正直今だって怖い。
けれど、避けてきたにも関わらずこうして私の手元にくることになったのは、もはや運命だと思うのだ。おまけにここまでくるとこの小説も何かの鍵ではないかという気すらしてくる。殿下に頂いた以上、お礼とともに感想も添えるべきだし、どちらにせよ読むしかない。
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「なんてこと……」
外は明るくなり始め、鳥も鳴いている。
私としたことが、夢中になって徹夜で本を読んでしまった。
3年も衰えない人気、伊達じゃない……。
主人公もヒーローも、悪役も他の脇役もみんなみんな心理描写が豊かで、読む人によって誰に感情移入しても楽しめるようになっていた。そして、主人公の聖女が可愛い!とっても!これは悪役令嬢である婚約者も負けるわ……と、そこまで考えて少し微妙な気持ちになった。
一言で言って、ものすごく面白かった。面白かったから、全てを忘れて物語に入り込めた。だけど、現実に戻って冷静に考えると思う。この物語、1度目の私たちにすごく似ている。
もちろん、私はデイジーを虐めたりはしなかったし、物語の中の悪役令嬢は、それはそれは卑劣な虐めに手を染めていた。そこは全く違う。
だけど、それ以外は本当によく似ているのだ。
特に、主人公が聖女に相応しい、強い光魔法を覚醒させた後から……。
学園での日常、虐められる主人公、主人公に惹かれ婚約者を疎ましく思い始める王子様、周りが皆主人公と王子の恋を応援し、悪役令嬢がどんどん立場をなくしていく様。
悪役令嬢が嫌われ、婚約者である王子にないがしろにされ、周りからどんどん人がいなくなっていく描写は胃がキリキリとする思いだった。
極めつけは、卒業パーティーでの悪役令嬢の断罪劇だ。
その他にも偶然だと思えないほどに、体験を彷彿とさせるシーンが多かったのである。
『誰もが皆わたくしが悪いのだと言うわ!だけど私に言わせればごく当たり前に幸せだった日常の全てを奪った、突然現れたあなたこそが世界の異物よ!わたくしの幸せを返してよ!』
断罪された後、処刑が決まり捕らえられていく悪役令嬢を憐れむ主人公に向けて、激高した悪役令嬢が叫ぶセリフだ。
確かにこの悪役令嬢は傲慢で、主人公を容赦なく痛めつけた。
けれど、彼女の言うことはもっともだ。性格が悪かったとはいえ間違いなく小さなころから努力を重ねた悪役令嬢。それなりに王子も歩み寄ろうとしていたように思う。
そこに突然現れた、たった1人の令嬢に全てを奪われるのだ。
状況は違うとはいえ、奪われた側である私は、どうしても悪役令嬢に感情移入してしまう。
物語としては正しい形だったのだと思うし、私も楽しんだ。
けれど、やはり彼女になぞらえて悪役令嬢と呼ばれた私は、なんとも言えない気持ちを抱いたのだった。
『あなたこそが異物』か……。
過激な表現だけど、的を射ているとも思う。
デイジーは、世界を歪めている異物なのだろうか……。
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「おはようエリアナ、昨日は楽しかったかい?」
朝食の席でお兄様と顔を合わす。
「はい……とっても。お兄様、後でお話ししたいことがあります」
「そう、では今日は一緒に学園に行こう。いつもより時間が早くなるけど行けるかい?」
「はい。ありがとうございます」
お兄様は生徒会の仕事もあるため、いつもは私の登校より1時間ほど早く家を出るのだ。
そこまで重要な話ではないけれど……せっかくお兄様にも打ち明けたのだ。無駄になったってかまわない。少しの違和感も話しておきたかった。
私の様子に何か感じ取ったらしいお兄様は、すぐに了承してくださった。
学園に行く前に、昨日買ったラピスラズリのブレスレットを確認する。
3つの包みを入れてくれている袋に、他にも何か紙が入っているのを見つけた。
「何かしら?」
4つ折りにされた紙を開く。それはラピスラズリについての説明が書かれた紙だった。どうやらあの店主の手書きらしい。気遣いに心が温まる。
それを読んでいくと、店内で話していたような魔除けの石や愛を守る石と呼ばれている話などと一緒に、気になることが書いてあった。
『何が良くて何が悪いのか、持ち主に正しい道を教えてくれる』
『運命をつかみ取るため、いつもはしない行動をとることがある』
『持ち主に幸運をもたらすため、カルマを感づかせ試練を与えることがある』
正しい道、運命、そしてカルマ……乗り越えなくてはならないこと。
私は1度目の呪縛を、乗り越えることができるだろうか。
「エリアナ、準備はできた?」
「今行きます!」
私はラピスラズリのブレスレットをカバンに入れ、お兄様の下へ急いだ。
馬車に乗り、お兄様と2人になる。学園に向かって馬車が進みだしたところでお兄様が切り出した。
「それで、何かあったかい?」
「はい、お兄様。何も関係ないかもしれないけれど……」
私は殿下とのデート中に感じた、恐らく私も何かを忘れているだろうということ、そして例の恋愛小説の内容と1度目の一致について話した。
「なるほど……記憶のある3人が皆そう感じると言うことは、1度目の時点で大事なことを忘れさせられているのかもしれないね。それから、その小説は今も持っているかい?」
「一応持っていますわ。これです」
「ジェイド殿下にもらったものなのに申し訳ないけど、これを少し借りてもいいか?無駄になる覚悟で調べてみる価値はあると思う。作者を探してみるよ」
お兄様は私から本を受け取りながらそう言った。
学園に着くと、ちょうど私たちのすぐ後に王宮の馬車が馬車止めに停まったところだった。
「エリアナ?今日は随分早いんだね」
驚いたような顔をしたジェイド殿下が駆け寄ってくる。
ジェイド殿下は来年に向け、すでに生徒会の仕事を手伝っていると聞いている。いつもこの時間に来て仕事をこなし、私の登校時間に合わせて迎えに来てくださっているのだと察した。
「おはようございますジェイド様。たまにはお兄様と一緒にと思いまして。テオドール殿下も、おはようございます」
淑女の礼を取り挨拶をする。テオドール殿下も笑顔で返してくれた。
お兄様と3人で話した日から、テオドール殿下は前にも増して優しい目を向けてくれるようになった。1度目のことを共有し、助けを求める私を庇護対象のように思っているのだろうか。
お兄様はそのままテオドール殿下と生徒会室へ向かい、ジェイド殿下はいつものように私と教室に向かった。今日は生徒会室へは後から向かうことにしたらしい。




