89話、貴族と料理人、決着の先に
俺が回避した事実に怒りを顕にするドゥム子爵、そんな俺とドゥム子爵の遣り取りを離れた場所から楽しそうに眺めていたメフィスは軽く驚いた表情を浮かべていた。
そりゃ驚くよな……あんな速度の火球を回避するんだもんな。
だが、これは俺の動体視力や運動神経がいいわけじゃない。
すべての答えは【調理器具マスター】にある。
今、俺が身につけているのは、見る人が見たらすぐに分かるものばかりだ。
足にはコックシューズ、腰には横巻きにしたハーフエプロンと、全身にできる限り調理に使うユニフォームを身につけている。
本来のコックシューズは滑りにくくして安全を確保するための靴だが、【調理器具マスター】があればどんな足場でも全力以上のパフォーマンスを発揮する。
ハーフエプロンにしても本来は別の目的だろうが、身につければ全身に強化がかかる。
そんな調理に関わるものを全身に装備している俺の目には調理用ゴーグルが付いている。
視界クリア以外にも、僅かだが、身の危険を自然と感じやすくなっている。目を守る役目から全身を守る役目になっているようだな。
「しかし、なぜだ! 間違いなく傍を通過しただけで焼け死ぬほどの高温だったはずだ……たかが冒険者風情に防げる訳がない!」
再度、ドゥム子爵が詠唱を始めるが、俺も連続で黙って攻撃を待つ気はない。
俺は走り出すと詠唱中のドゥム子爵に向けて、水の入った500mlのペットボトルを勢いよく放り投げる。
「悪いな!」
「我が手に集まりし大気の怒り、憤怒と成りて燃やし尽──」
ボンッ!
「ぐあぁ、ぎゃああああ、顔が! アヅァァァッ!」
激しい破裂音が鳴り、詠唱していたはずのドゥム子爵の全身が炎に包まれて吹き飛ばされる。
当然だよな……超高温の炎にペットボトルを投げ込めばそうなるよな。
水は100度で沸騰する……それが未開封の閉じられた容器なら圧力が急上昇して、爆発的な蒸発が起こる。フラッシュ蒸発ってやつだ。
こっちの世界じゃ分からないだろうが、日本人のネット知識だ、実際の威力がこんなにヤバいとは思わなかったけどな。
結果だけ言えば、水の体積は1700倍……満タンのドラム缶、4つ分 (約900リットル)の水蒸気だからな、ざまぁ、見やがれ!
「ぐあぁ、ぎゃあ、なんだ! ガホッ、喉が……ごァ……」
全身に炎を纏ったまま苦しそうに動き回るドゥム子爵、魔導具が炎の勢いを和らげている代わりに苦痛が続いているようにすら見える。
貴族だから、なんか防御系の魔導具は持ってると思って無茶しすぎたな……
俺も勢いよく吹き飛ばされて場外ギリギリで何とか停止する。
全身を調理用の衣服で着込んでなかったらかなりやばかったな、来る前に着替えておいて正解だったと過去の自分に感謝した。
「ゲホ……全身痛てぇ、な! バカ、動き回んな! 転がれ、転がるんだッ!」
わけもわからずに慌てるドゥム子爵は身体を左右に振るが、その行動がさらに火の勢いを増す結果につながっていく。
「ガハガハ、ぐあぁ!」ドゥム子爵が無理に喋ろうとして苦しそうにもがき出す。
「喋るな転がれって! チッ、死なれたら後味悪いだろうが、クソ!」
俺の指示に従わずに苦しむだけのドゥム子爵に駆け寄り、すぐに“買い物袋”から消化器を取り出して、ピンを抜く。
凄まじい煙が舞い上がり、次第に炎が沈下していく。
当然だが、ドゥム子爵を包んでいた炎をすぐに消したと言っても、火傷を負っている。喉も炎を吸い込んだせいで酷い状態だった。
異常な状況を見て嫁ちゃん達がリングに入ろうとした瞬間、メフィスが怒号のような声を上げる。
「近くで祈ることは許しましたが、リングに入る許可を出した覚えはありません! 今リングに入れば、貴女方の愛する男の敗北になりますよ、よろしいのですかなぁ?」
メフィスの突然の言葉に俺は嫁ちゃん達に向けて、手を伸ばす。“絶対に来るな!”──口にはしなくとも、俺の嫁達はその意味を理解している。
癪に障るが、非常事態に好き嫌いは考えない。
「くそ、本当にムカついてんだからなァァァッ!」
俺は回復ポーションを次々と取り出してはドゥム子爵にかけていく──悔しいが俺は本当に甘いらしい。
火傷の跡が消えて、ドゥム子爵の皮膚が復活したのを確認して、俺はその場にへたりこんだ。
「ハァハァ、くそ、疲れた……」
俺は嫁ちゃん達に向けて、優しく微笑みを向けた。
しかし、嫁ちゃん達の笑顔が一瞬で恐怖の表情に変化する。
次の瞬間、俺の額に鈍い“ドゴッ”という音と共に激痛が走り、視界がぼやけた。
「ハァハァ……ぢぐじょお……グルザヌ! グゾ、べいびんが……!」
(ハァハァ……ちくしょう……ゆるさぬ! くそ平民がぁッ!)
俺はその場で倒れ込む、視界には泣き喚く嫁ちゃん達の姿、視線を戻せば殺気だった表情を浮かべて杖を振り上げるドゥム子爵の姿があった。
恩を仇で返されるか……本当にクソ野郎だな……【自己再生】【リミットカット】【身体強化】【調理器具マスター】全部、発動だ……
俺の頭部に受けた傷が【自己再生】により、即座に塞がると、【身体強化】と【リミットカット】で一瞬で立ち上がりドゥム子爵の眼前に移動する。
コンマ数秒の世界で身体を回転させながら竜切り包丁を【ストレージ】から取り出して横向きに叩きつける!
切ったんじゃなく、言葉の通り、ただ、竜切り包丁の“腹”で思い切り叩きつけた。轟音と共にドゥム子爵の身体がリングの外へと吹き飛んでいく。
「ハァハァ……本当に上司に負けないくらいの、クソ野郎だったぞ、アンタ……」
メフィス側に吹き飛ばしたドゥム子爵に対して、メフィスは人差し指を瞬時に伸ばすような動作をすると、指を下向きに“シュッ”と、動かして見せた。
勢いよく吹き飛ばしたはずのドゥム子爵が砂浜に叩きつけられると、メフィスは俺に視線を向ける。
「いやぁ、ヒヤヒヤしました……で・す・がぁ! 素晴らしい幕引きですなぁ……じつに結構……勝敗は決しました! 勝者は冒険者! 敗者はドゥム・ティルキオ……」
メフィスが勝利者を宣言した瞬間、砂浜を見つめていた民衆から驚きと衝撃の歓声が上がっていく。
次第に大きくなる歓喜の中で、俺が目にしたのは、ドゥム子爵に対して、冷たい視線を向けて蔑みの表情を浮かべるメフィスの姿だった。
「ドゥム・ティルキオ……施しを受けて、命を助けられたにも……かかわらず、敗北を認めず、傲慢にして救えぬ愚か者、貴方は本当に我輩と同じく偉大な国王陛下に選ばれた貴族なのでしょうかねぇ? おや? 無視ですかねぇ?」
それは一瞬の出来事だった。先程まで上機嫌だったメフィスの表情が不快そうなそれに変わったと思った途端、不気味な笑みを浮かべる。
砂に叩きつけられて、意識がないであろうドゥム子爵を見下ろす形になると、何も無かったはずの手に突如、巨大なバトルアックスが握られる。
突然現れた巨大な斧に俺が呆気にとられてしまった。
常人が容易く持てるサイズを遥かに凌駕する狂気を形にしたようなそれをメフィスは軽々と片手で振り上げる。
「実に無様にして不愉快……救いようのないゴミの中のゴミ……何故、陛下はこのような者を……ああ、国王陛下の偉大過ぎる考えが理解できないのは大変に残念でなりません……」
ずっと気絶したままのドゥム子爵に対して語り続けているその姿に俺はただならぬ恐怖を感じた。
「ですが! 国王陛下の考えは絶対、なので我輩……貴殿に最後のチャンスを与えることに致しましょう。国王陛下に忠義を誓う存在ならば、きっと、国王陛下も慈悲をくださるはずですからねぇ……さぁ、陛下に忠義を!」
全てを言い終わり、巨大な斧を片手に握ったまま両手を大きく広げるメフィス。
しかし、意識のないドゥム子爵が返事をすることはない、まして、国王への忠義を口にできるはずがなかった。
「まさか、あいつ……」
俺が呟いた瞬間、確実にメフィスは俺へと視線を向けてニヤリと笑って見せた。
「ま、待て、やめろォォォォォッ!」
俺が叫んで走り出した瞬間、メフィスがゆっくりと目を瞑り、大きくその目を見開いた。
「フィナーレといきましょう! 国王陛下に忠義すら誓えぬ愚かな存在はバッカス大陸を統治する貴族にふさわしくな〜い! ですので……処分いたします! さぁ、幕引きと致しましょう!」
俺は自分自身が愚かで本当に馬鹿だと思う、今、走って行ったらダメだって頭が、脳が、理解してるのに走り出していた。
日本にいた頃なら、見捨てただろう。力がないなら諦めただろう、だけど、どんなクソ野郎だとしても今だけは助けたい!
傲慢な偽善だと理解しながらもメフィスとドゥム子爵に向かって全力で砂を踏みしめる。
俺とドゥム子爵の決闘を見ていた民衆達から声が上がる。
「キャアアアアアアアッ!」
「あぁ、うわあああァァァッ!」
読んでくださり感謝いたします。
☆☆☆☆☆で評価ありがとうございます
下にある[ブックマークに追加]もしてもらえたら、嬉しいです。




