関所
少しだけ時は流れて、永禄十年の秋になった。
せっかく天下泰平の世になったので、しばらく内政に集中するために国を閉ざすことに決める。
なので私は推し進めた鎖国政策によって、貿易を行うのは朝鮮と明とオランダ。
そしていつの間にか距離感がバグってた、琉球王国のみとなった。
前世では沖縄と呼ばれていた島国である。
歴史に詳しくない私には、何故今日本の領土になったのかはわからない。
そもそも今現在、貴方は明の属国じゃなかったのかと、頭の中は疑問符だらけだ。
しかしまあ、いつかは不明でも将来そうなるのが若干早まっただけと考えれば、仲良くなるのを拒む理由はない。
取りあえずは受け入れて、何か問題が起きたら今は時期が悪い的に距離を置くことに決めた。
ぶっちゃけ今の琉球王国は、ダブルスタンダードだ。
多方面に媚びを売らないと、小さな島国は生き残れない。
だからこそ同じ島属性とお隣の日本に、仲間に入れてよとすり寄ってくるのも納得できるし、琉球王国の処世術と言えるだろう。
多分、九州の何処かで稲荷神の噂でも聞いたのだ。
そして琉球王国は日本にラブコールを送ってからも、相変わらず明との貿易は気にすることなく続けている。
商魂たくましいこと、この上なかった。
ちなみに、サトウキビはまだ伝わっていないらしい。
でもきっと近くにあるだろうから、早急に探して取り寄せて栽培を行うようにと誠心誠意お願いすることになった。
前々から研究開発させていたサトウダイコンは、既に日本全国に広めて各地で栽培が始まっている。
さらにそれどころか、古来より貴重な甘味だった水飴や蜂蜜などのシェアを奪って、日本のスタンダード砂糖の地位をあっという間に確立し、不動のモノにしていた。
何それ怖いと私は震えるが、思えば前世でもサトウキビとバチバチに争っていたし、ライバルがいなければそんなものだと納得はできる。
だが私にとっては、やはり日本のお砂糖はサトウキビのイメージが強い。
江戸が発祥の地になってしまったが薩摩芋(稲荷神命名)を、石焼にして美味しくいただきながら、早く黒糖たっぷりなお菓子が食べたいなと、期待に胸を膨らませるのだった。
琉球王国と仲良くなってから、しばらく経った日のことだ。
本日は仕事の合間の息抜きに、特別講師として江戸の学校に呼ばれていた。
私は教室に生徒たちを集めて、黒板に日本の地理を描いて講義を行う。
だがそこで南は沖縄以外に、北は北海道があったことを唐突に思い出して、ポツリと口に出す。
「北海道、いいえ、蝦夷と千島列島と国交を開くべきですね」
「稲荷様、蝦夷とは北の果てのことでございますか?」
生徒の一人が私に質問したので、頭の中で整理したものを順番に口に出していく。
「その通りです。
ぜひアイヌとの間に国交を開いて、日本と仲良くしてもらいたいですね」
勝手にすり寄ってきた琉球王国はまだしも、アイヌ民族はそこまで大きく門戸を開いてない。
なのでお友達になろうよで、すんなり仲良くなれるとは思っていなかった。
しかし前世の日本を知っている身としては、ここで多少の無理をしても北海道、あわよくば千島列島まで、ガッチリ押さえておくべきだと考える。
でないと最悪、列強諸国に負けて日本が植民地支配されてしまう。⋯⋯かも知れないのだ。
既に歴史の歯車は大きく狂っている。
この先どのように道を辿るのかが、まるで予想がつかない。
しかしもし、天寿を全うする前に外国との間に一悶着が起きれば、私の平穏な暮らしが脅かされるのは確実だ。
つまり日本の国力を高めてこそ、天下泰平の世は盤石になる。
ついでに交渉して蝦夷を開拓させてもらい、大規模農業で食料自給率の底上げを図るべきだろう。
「原住民との争いは回避し、貿易などで少しずつでも仲良くなりたいですね」
前世でもアイヌ民族は独自の文化を築いていたので、やはり友好的な関係になるのは一朝一夕では難しそうだ。
しかし仲良くしたい気持ちに嘘はないし、歴史の修正力があれば私が亡くなったあとに、日本の一部になっているだろうしそんなに心配はしていない。
取りあえず私がどうしたものかと考えていると、生徒の一人が手をあげた。
「でしたら稲荷様、狼を使いに出しましょう。
彼らは動物を神として崇めていると聞きます」
生徒の一人に蝦夷に詳しい人が居たようだ。
せっかくの機会なので、色々と聞かせてもらった。
どうやらアイヌでは精霊信仰が盛んで、動物には神様が宿っているため、大切に敬っているらしい。
ならば、うちのワンコたちを稲荷大明神の使いとして、交渉の一助として連れて行けば、初顔合わせはバッチリということだ。
私は満足そうに頷き、思いつきの案を口に出す。
「では貴方を、アイヌ民族との交渉役として抜擢しましょう」
「ええっ! 自分でござるか!?」
生徒が大いに驚くが、こういうのは適材適所だ。
地位だけあって現場を知らない人物を任命すると、大抵の場合はろくなことにならない。
「貴方は他の者よりも、蝦夷に詳しいのでしょう?」
「たっ、確かにそうですが! ⋯⋯わかり申した!
稲荷様から承ったお役目! 謹んでお受け致す!」
よろしく頼みましたよと、生徒の一人にお願いする。
その間に私は、頭の中でアイヌの人が喜びそうなお土産を考える。
しかし、本土とはタイプの異なる民族ということで、良い案が浮かばない。
結局、いつものように全面的にお任せすることになったのだった。
同じく永禄十年の秋のことだ。
各地の大名から人質として送られてきた者たちを、稲荷大社の神職として採用することになった。
最初は慣れない仕事で苦労していたが、やる気はかなり高いようで、先輩たちの熱心な指導もあって、問題なく動けるようになってくる。
江戸の稲荷大社は毎日が満員御礼なので、経験を積む機会には不自由しない。
しかし稲荷神を自称している私は、基本的に森の奥に引き篭もって仕事漬けの毎日を過ごしており、滅多に表に出て来ない。
例外は征夷大将軍としてのお勤めである定例会議が行われる日で、本宮の謁見の間に行って各国から送られてきた子供たちのことを、率直に尋ねてみる。
なお室内には役人たちが勢揃いする中で、私は一段高い畳の上でのんびりほうじ茶を飲んでおり、いつもの緩い雰囲気だ。
それでも割と真面目に会議をしたりするのだが、今は稲荷大社の臨時雇用のことが気になっていた。
「人質として送られてきた方々なのですが、正月の帰省はいつ頃からにしましょうか?」
一息ついた私は、目の前のちゃぶ台に湯呑を置く。
次に塩煎餅を手に取って、小さな口に運んでボリボリと噛み砕く。
相変わらず徳川さんは不在だが、連絡はしているので問題はない。
そして役人連中だけど、今の発言に皆驚いた顔をしていた。
やがてそのうちの一人が小さくて手を上げて、率直に尋ねてくる。
「稲荷様、彼らは稲荷大社の神職なのでは?」
人質として送られてきた者を雇っている形なので、正規の神職ではない。
ゆくゆくは正式に雇用するつもりだが、今の彼らはあくまでも臨時雇いに過ぎず、言うなればバイトのような立場だ。
もっと言えば、住み込みの研修中である。
「自ら望んで、神に身を捧げたわけではありません。
稲荷大社が雇用している臨時職員の立場ですね」
なので住んでいるが、江戸の稲荷大社がマイホームではない。
実家はそれぞれの故郷にあるので、お盆と正月などの長期休みには帰郷するのが前世の普通である。
「正月は忙しくなるので、日や当番をずらしましょう。
そのうえで実家に帰省するのは、当たり前なのでは?」
「「「えっ?」」」
役人たちが明らかに疑問を浮かべて、戸惑っている。
私は今の台詞の何処におかしかったのか、いまいち理解できなかった。
前世の日本では、遠方に住んでる親族は、盆と正月には一斉に実家に帰ってくる。
毎年のようにニュースで帰省ラッシュが流れていたので、良く覚えていた。
だが私の常識を、役人の一人がはっきりと否定する。
「人質として差し出された者は、一生故郷の地は踏めません。
文を送り、無事を知らせるのが精一杯なのです」
「……えっ?」
戦国時代ならともかく、平和になった今なら、人質だろうと適用されるのが当たり前だと、私は心の何処かで楽観視していた。
なので今度は、こっちが驚く。
彼らは新しく建てられた専用の宿舎に住み込み、働いているので丁稚奉公に近い立場と言える。
だがしかし、それでもお盆と正月、または親族の体調が急変した時ぐらい、実家に帰る許可が貰えるはずだ。
けれど私は、世の中が平和になろうと慣習というのは強固なことを知る。
誰かが異を唱えて変えようとしない限り、ずっとそれが当たり前に適用され続けるのだ。
どれだけ理不尽な仕打ちであろうと、人はそれを当たり前だと受け入れてしまう。
「稲荷様!? 大丈夫でございますか!」
気づけば私は、目から涙が溢れていた。
「えっ? あっ、あれ? おかしいですね」
正直自分でも何故泣いているのかは、はっきりとはわからい。
だが推測するに、人質として出された者が二度と故郷に帰れない。さらには親の死に目に会えないことを、心の底から悲しいと感じたのだ。
私にもかつては家族が居て、一緒に暮らしていたはずだ。
しかし未練を断つためなのか、新たな生を得てからは殆ど思い出せない。
それでも、家族に対しての愛情が失われたわけではない。
何故なら、私という存在を確立するためには、親愛の情というのは絶対に必要だからだ。
狐っ娘の体に転生させた何者かも、心の部分だけは一切手を加えなかった。
代わりに表面的な気持ちの浮き沈みはあっても、根底は全くブレなくなってしまう。
そして情がなければ、人は何処までも残酷になれる。
私は戦国時代という生き地獄に何度飲まれようと、決して変わらなかった。
だからこそ、人質たちの家族と引き裂かれた境遇を、己と重ねてしまう。
殆ど無意識での行動だが、つい今の状況には納得できずに大きな声をあげる。
「決めました!」
溢れたら涙を、桜さんから渡された木綿の手ぬぐいで拭き取った。
驚き戸惑う役人たちを前に、恥じることなく宣言する。
「日本中の関所を、全て撤去します!
そして人質と丁稚奉公をお盆と正月の実家帰り! さらに親の死に目に会えるようにしましょう!」
「そっ、それは流石に!?」
役人たちが反対するのもわかる。
天下を統一して平和になったとはいえ、隣り合っているのは元敵国ばかりだ。
まだ隙を伺ったり間者を忍ばせている勢力もあるだろうし、関所の通行料が資金源になっている場合もある。
それら全て取っ払うなど、反発は必至だろう。
しかし私は、どうしても諦めたくはなかった。
家族と一生離れ離れになるなんて、絶対に嫌だ。
それに前世は流通を制限する関所など、各都道府県に一つもない。
そもそも戦がなくなった今、裏切りを気にして人質を出したり命を奪う必要は、もうないのだ。
疫病の拡散や指名手配犯の逃走防止などの役割もあるが、自分の目指す平穏な暮らしには、どう考えても合わない。
つまり損得を秤にかければ、全国の関所などないほうが良いという結論になる。
ただし歴史に詳しくない私は、日本中に存在する関所がいつ頃なくなったのかは知らない。
だがとにかく、これからは一切必要なくなる。
精神的に割り切ったのか、すっかり立ち直ったのかは自分でも良くわからない。
とにかく私は、関所撤去という改革を行うために我を通す理由を、はっきりと口に出す。
「私は親の死に目に会えず、故郷にも帰れません」
今の私は、きっと酷い顔をして話しているのだろう。
しかし幸いなことに、役人たちからの追求も反対意見も出なかった。
「それに通行料を徴収して流通を制限する関所は、時流を読めば百害あって一利なしです」
そこで私は感情的にグチャグチャになってしまう。
喋ろうと思っても、言葉が口から出なくなり、仕方なく説明の途中で席を立つ。
「後は、貴方達に任せます」
そう伝えるのが精一杯で、謁見の間から速やかに退室した。
私は、本宮の廊下を歩きながら考える。
この理解不能な感情も、きっと一晩寝れば多少は落ち着く。
しかし、今は無性に徳川さんに会いたい。
そう思った私だが、慌てて顔を振って余計な考えを振り払う。
気持ちを切り替えて、今日はワンコと遊んだり、美味しい物を食べる。
あとはお風呂に入って、ぐっすり眠る方針に変更した。
前世の医療知識が広まれば、人生の平均寿命は五十年以上になるだろうが、私に関しては全くの未知数だ。
今までは友人たちと同じぐらい生きると考えていたが、最初に家族になった狼たちと同じで老いる気配が全くなかった。
この姿でも大人なのか、それとも容姿が変わらない種族なのは不明である。
だが肉体の衰えを全く感じないどころか力は増す一方なので、ひょっとしたら百歳以上生きるかも知れない。
それでも江戸時代が終わる前には逝くだろうが、徳川さんより長生きしそうな気がした。
(私があと何年生きるかわからないけど、別れが辛くなるのは嫌だよ)
私は自分でも気づかないうちに、徳川さんに特別な感情を抱いていたようだ。
だが種族や寿命の違いを考慮すると、お互いの関係をこれ以上進展させたくはなかった。
振られるのが怖いのもあるだろうが、自分は今のままで十分に幸せだ。
だが彼は察しが良いので、確実に気づいている。
それに対して一切口を出さないと言うのは、多分そういうことだ。
私のためを思って、何もしない現状維持がもっとも合理的だと判断した。
だからこそ、どちらかが死ぬまで、互いの関係は一向に変化しない。
自分としても、気楽に付き合える男友達という感じで、気兼ねしなくて済む。
それでも寂しい時に寄りかかるには少し頼りないが、もし彼が先に亡くなったあとのことを考えると、少し悲しいがそのぐらいが丁度いい。
(狼たちは一緒に居てくれそうだけど、もし親しい人間の死を目の前にしたら、耐えられそうにないよ)
ボスたち五匹は虎サイズの大きさで成長が止まり、私と同じように老化も起きていない。
だからこそ人ではないが、親しい家族の狼たちに、今日は存分に甘えようと決める。
そして重い溜息を吐きながら、私は森の奥に建てられた自宅へと歩いて向かうのだった。




