幕府を開く
私が実家に戻ってから時は流れて、永禄九年の夏になった。
自分がこれから治める予定の江戸の中心部。その広大な森の中に、厳かな雰囲気を発する絢爛豪華な稲荷大社がとうとう完成する。
木材、土、岩等の建築に必要な物資の殆どを、北条領の北の山間部から船に乗せて運んできたというのだから驚きだ。
それだけ、これから開かれる江戸幕府に、日の本の国の民が期待していることの現れでもある。
征夷大将軍になった稲荷大明神の住まい、その建築への寄付を全国に呼びかけることで、北条家の負担は殆どなかった。
寄付金を募るのは、宗教なら良くあることだ。
後ろめたい気持ちは全くなかったし、ちなみにビタ一文出してくれない勢力は、敵か要注意人物リスト行きなのは言うまでもないのだった。
なお、京都のやんごとなきお方が稲荷大明神だと、勘違いではなく、はっきり認めた。
寄付や人が集まりすぎて、管理が追いつかない有様になってしまう。
何しろ永禄九年は、全国的に長雨と冷夏に襲われ、各地で飢えに苦しむ民衆が難民に変わる。
皆一斉に江戸を目指し、大移動する結果になったのだ。
ちなみに永禄八年にも難民が発生し、新たに幕府を開く関東を目指して押し寄せたのだが、こちらはまだ半信半疑だったからか、人数自体は控えめであった。
だがまあ、これは私の自業自得だ。
決まった基準法などない時代に、労働者には必ず日雇いの賃金を払い、一日八時間労働と休憩と休日。さらに簡素な長屋の大部屋でも良いので、下宿先の提供。
毎日三度の炊き出しを厳命した噂が、瞬く間に全国に広まったからだ。
そのせいで現場の関係者がデスマーチに突入し、三河と尾張の領地経営が、またもや火の車になったのだが、代わりに稲荷信仰が加速度的に高まる結果に繋がった。
そして稲荷大社に着工してから、一年と少しという短期間で完成したのは良い。
だが飢饉で村や家を捨てた大勢の難民たちが、今さら地方に帰れるはずもなかった。
なので私は、これから新しく作る都、江戸の住人として受け入れる。
引き続き周辺の沼や湿地、浅瀬の埋め立て等の、公共事業に従事してもらうことに決めたのだった。
ともかく無事に立派な住まいが完成したことで、豊川の稲荷山から家族のワンコと日用品を持って引き払い、後の管理を長山村の神主さんに一任した。
出発は、永禄九年の秋に決める。
ちなみに今回も、長い行列と一緒に神輿に揺られて移動する。
まるで虎サイズに大きくなって、相変わらず元気いっぱいの狼たちに癒やされる。
けれど箱根の山は険しく、越えるのに時間がかかってしまった。
それでも到着予定日は、既に日本全国の大名が知るところとなっている。
一足先に本宮の奥に特別に作られた謁見の間に、勢揃いしていた。
噂だけでは半信半疑だろうが、やんごとなきお方が稲荷大明神と認めて、頭を下げたのは間違いない。
どちらかと言えば、征夷大将軍よりもこちらのほうが凄いニュースであった。
信仰が盛んな戦国時代に神様の要求を断るという選択肢は、最初からありはしないのだ。
ただし中身が元女子高生だとバレない限りがつくが、それはそれである。
「征夷大将軍! 稲荷大明神様のおなーりー!」
私は重役出勤のように、皆よりかなり遅れて最後に本宮に入る。
徳川と名を改めた松平さんの言葉と同時に、奥座敷から堂々と現れた。
そのままゆっくりと歩きながら、皆よりも一段高い畳の上に置かれた、厚くて派手な模様入りの座布団に腰を下ろす。
「面を上げてください」
徳川さんからは台本ではなく、自由に喋ってくださいと言われている。
何でも、本音と建前で大名たちを混乱させるよりかは、全てを正直に打ち明けたほうが万事が上手くいくらしい。
本当かなーと半信半疑ながらも、その道のプロが言うならと、私は一応は納得した。
「皆も既に知っての通り、私がこのたび征夷大将軍となった、稲荷大明神です」
畳が一段高い位置にあっても、幼女なので上から見下ろすには少し足りなかった。
とは言え中身が元女子高生なだけで、別に本当に神様や偉いわけではない。
大体同じぐらいかちょっと高い目線のほうが、個人的には気楽でいい。
「しかし征夷大将軍という肩書に、大した意味はありません。
戦乱の世を収めるために必要なことなので、朝廷から託されただけです」
今の私の言葉に、この場に集められた大名たちが微かにざわめく。
やんごとなきお方に日本の未来を託されたが、自分はずっと統治者をやるつもりはない。
平和になったら自分はさっさと退位し、徳川さんに席を譲るのだ。
「日の本の国から戦がなくなり、天下泰平の世を築いたら、私は征夷大将軍を退位します」
皆がじっとこちらを見つめて、私の言葉に耳を傾ける。
いつの間にかざわめきは鳴りを潜めて、誰もが真剣な表情を浮かべて、自分の話に耳を傾けていた。
「それまでは統治者として日の本の民の上に立ち、五穀豊穣をもたらしましょう。
ですのでどうか、他者から奪うのではなく、私の教えに耳を傾け、皆で力を合わせて国を豊かにしてください」
言いたいことを好き勝手に喋ったので、私は大きく息を吐いて座布団から立ち上がる。
そのまま再び奥座敷に向かって、静かに歩いて行く。
だがここでふとあることを思いつき、ピタリと足を止めて集まった人たちに呼びかける。
「私のことは、今後は稲荷と呼んでください」
「「「えっ!?」」」
「征夷大将軍になったのですし、神は不要です」
ゴリ押しにも程があるが、自分で稲荷神を演じているとはいえ、あまりワッショイワッショイされると小っ恥ずかしくなって、赤面してお尻が痒くなってしまう。
「無理にとは言いませんし、直接話すときだけで良いです。
⋯⋯ええと、お忍びで視察を行うことも、ないとは限りませんので」
だが当分は山積みの書類仕事を片付けるのに追われて、仕事場と自室を往復することになりそうだ。
とてもではないが隠れて視察する余裕はないけれど、本音と建前というやつである。
(いつか征夷大将軍を退位して、隠居生活を送るときにも役立つだろうしね)
しかし、徳川さんが言ったように、本当に好き勝手に口にさせてもらった。
ちょっとこの場に集っている大名たちの反応を見るのが、怖くなる。
「では、今度こそ下がらせてもらいますね」
私は誰とも視線を合わせることなく、そそくさと退室していく。
今回の会議の内容は、自分が征夷大将軍になって日本を治める目的を、馬鹿正直に告白した。
しかし本当にこんなので上手くいくのとかと、甚だ疑問である。
だがまあとにかく、将来の楽隠居を成し遂げるためには、今は行動あるのみだ。私は心の中で、頑張るぞと気合を入れるのだった。
なおこの後のことだが、稲荷祭が年中行事として日本全国に広まっていく。
さらには私が征夷大将軍になって幕府を開いた日として、国民の祝日になった。
幕府の関係者と稲荷大社の神職の目が、死んだ魚のようになったのは言うまでもない。
しかし一応は戦国時代が終わって、世の中が平和になった証拠だと納得することにした。
その後は毎年お祭りの当日になったら、相変わらずワッショイワッショイと神輿に揺られながら、貼り付けた笑顔で江戸の町人たちに向かって、小さく手を振ってやり過ごすのだった。




