集会所
村に戻った私たちはすぐに、何やら慌てた様子のおじいさんが走って来るのを見かける。
彼はどういうわけか、息を切らせながら大声で呼びかけてきた。
「集会所で村の者たちが待っております! 稲荷神様には、ぜひともお越しくださることを強く願います!」
そう頭を下げられたので、行かないわけにはいかなかった。
それに成果の報告と今後の協力を要請するためにも、一度顔を合わせておくべきだ。
時間は限られているので、承諾してすぐに移動することになった。
そこは村の取り決めを行うための会議室として、普段は使用されているようだ。
外から見たらごく普通の平屋で、中に入ると奇病を発症していない住人で、なおかつ各家庭の代表が集まっていた。
土間より少し高い木の床に腰を下ろしていた彼らは、私の帰還を心待ちにしていたようだ。
戻ってくるなり興奮気味な様子で質問してくる。
「いっ、稲荷神様! 奇病について、何かわかりましたか!?」
私も取りあえず桔梗ちゃんから借りている草履を脱いで、土間から木の床に上がる。
そして、何気なく答えを口に出す。
「奇病に関しては、それを媒介する生物を、ほぼ特定しました」
「「「おおー!!!」」」
これまでずっと正体不明だった奇病が、ここに来て一気に進展した。
それを肌で感じて、集会場に集まった人たちが大きくどよめく。
しかし前世の知識を持つ私から言わせれば、何とも微妙な成果だ。
確かに奇病にかかっていない人は、多少なりとも生き延びる可能性は上がる。
だが既に発病している人の治療法は見つからず、見捨てるしかない。
それにまだ、直感で判断しただけだ。
確たる証拠がなく、まだまだ調べることは山積みである。
あの巻き貝がどのような病原菌かウイルス、もしくは寄生虫を撒き散らし、どのようにして人体に感染し、効果を及ぼす範囲は、他の動物や人同士ではどうなのかなどだ。
こういった対策を取るために必要な情報が、殆ど集まっていない。
私はそのことを口に出す。
「ですが今のままでは、対策を講じるのは難しいです」
今の時代では、治療法を確立させるのは困難だ。
せめてどれだけ距離を取ったり対策をすれば感染を防げるのかだけは、ちゃんと調べておきたい。
「解決に導くためには、皆さんの協力が必要になります」
私は恥じることなく、村民の皆に協力を求めた。
「もちろんですじゃ! 我々にお任せあれ!」
「おう! このまま奇病を滅ぼしてやる! 何なりとお申しつけください!」
取りあえず集会所に居る者たちの心は一つのようで、皆の表情も明るく、快く協力を申し出てくれた。
これなら何とかなりそうかなと思った私は、少し息を吸って気持ちを落ち着かせる。
続いて、さっそく本題に入った。
「では、奇病で亡くなった人の死体の提供をお願いします」
「「「……えっ!?」」」
しかしその一言で、先程までは良い雰囲気だった集会場の空気が一瞬で凍りついてしまう。
だが私は謝らない。何故なら奇病の原因究明のための人体解剖は、避けては通れないと知っているからだ。
「いっ、稲荷神様! 死体をどうなさるおつもりでございますか!?」
恐る恐るといった感じで村人が尋ねてきた。
なので私は、はっきりと答える。
「奇病の原因を突き止めるために、死体を解剖して内部を詳しく調査します」
これを聞いた直後、集会所の中が大いにざわめく。
「死者を弔うのではなく切り刻むなど! なっ、なんと罰当たりな!」
「まるで妖怪! いいや! 地獄の鬼よりも酷い仕打ちですぞ!」
さっきまでは全面協力してくれる雰囲気だったのが、一瞬でちゃぶ台返しされてしまった。
まあひっくり返すような迂闊な発言をしたのは私なのだが、それは仕方ないことだ。
死体解剖に関しては、京都で受け入れられた。
だがそれは、稲荷神様独自の医療として浸透しており、戦国時代の常識から外れても、重症患者を救える治療法を学びたいと、わざわざ門戸を叩いた生徒が大勢居たからだ。
さらには朝廷も支持してくれたり、医療学校を建設していたのも大きかった。
その一方で、甲斐の奇病に冒された村など誰も行きたがらない。
さらに山奥のど田舎には、稲荷神の噂は殆ど伝わっていなかった。
(⋯⋯仕方ないか)
武田さんの使者から聞いてはいるはずだ。
それでも遺体解剖の同意を得るには、まだ時期尚早であった。
さらには病状についての聞き取り調査を行おうには、これでは協力を得るのは難しい。
ならばこれ以上、この場に留まっても時間の無駄だ。
そう判断した私は、先程まで話をするために座っていた木の床から、よっこらしょと立ち上がる。
「あの、どっ、どちらに行かれるので?」
「他の村に行きます。
現地住民の協力が得られない以上、ここに留まる理由は、もうありません」
死体解剖反対を喚き散らすぐらいならまだいい。
だが、奇病の調査を妨害されては流石に困る。
グダグダな展開になる前に、ここは退くことに決めた。
一応、病気を運ぶと思われる生物を見つけたのだ。
持ち帰って詳しく調べれば、何かがわかる。
もし巻き貝でなくても、違うことが証明されるだけでも一歩前進だ。
それに現地の調査を諦めたわけではない。
今度はあらかめじ死体解剖に協力してくれそうな村を教えてもらい、そちらに向かえばいい。
そのほうが色々揉めずに、スムーズに進みそうだ。
だが、集会所に集った村人たちは、それでは不満らしい。
今度は私に、文句を言ってきた。
「稲荷神様は、我らを見捨てるおつもりか!」
「奇病から救われる日が来ることを願い! 村民一同、祈りを捧げてきたのですぞ!」
「稲荷神様は村民にとっての光明ですじゃ! どうか! お考え直しを!」
つくづく好き勝手なことを言ってくれる。
きっと神様だから、何でも出来ると思っているのだろう。
しかしあいにく、狐っ娘の中身は平凡な元女子高生だ。
医療の心得があれば、一目見ただけでピンと来るかも知れない。
だが自分は詳しく調査して、初めて奇病の原因や防止策を思いつくのだ。
そして私は、村の住人を助けたいと思っている。
足りない頭で精一杯考えた末の死体解剖だが、現実はそれ以外の手段で奇病を解決してくださいと、何とも身勝手な頼みをされる有り様であった。
私は好き放題言っている村人たちに、ついカッとなってしまう。
木の床を、右足で勢い良く踏み抜いた。
「黙りなさい!」
「「「ひえっ!?」」」
勢い余って手加減せずに全力で踏みつけても、床板を踏み抜く程度で止まった。
狐っ娘パワーはまだ回復しきっておらず、セーフモードで稼働中だったようだ。
もし全力全開なら、集会所ごと吹き飛んで小さなクレーターができていた。
勢いでやらかしたが、心の中でホッと息を吐く。
ともかく今は、これ以上私のイライラが溜まらないうちに、村人たちを黙らせるほうが先決だ。
「救いの手を振り払ったのは、貴方たちの方です!
それに対して、とやかく言われる筋合いはありません!」
「でっ、ですが──」
「くどい!」
今度は床を踏みつけずに、まだ何か言いたそうにしている村人たちを、言葉だけで黙らせる。
それに、別に私は助けないとは一言も口にしていない。
救出の優先順位は下方修正されるが、結局は奇病を克服するには変わりなかった。
少し腹が立ったのは事実だが、見捨てる気は毛頭ないのだ。
何にせよ、これ以上この場に留まる意味はなくなった。
村から離れる前に巫女服を返してもらおうと、桔梗ちゃんを探す。
すると彼女は、集会所の入り口で青い顔をして立ちすくしていた。
土間に置かれた少女の草履を履いて、私は玄関に向けてゆっくり歩いて行く。
「稲荷神様は、この村を去ってしまわれるのですか?」
「そうなりますね」
きっと先程のやり取りを聞いていたのだ。
もしかして、桔梗ちゃんも私を引き留める気なのかも知れない。
しかし私は現地住民の協力が得られない以上、村を去ると決めたところだ。
そのため、巫女服を返してもらおうと言おうとした。
だが桔梗ちゃんは真剣な表情を浮かべたまま地面に両膝をつき、深々と頭を下げる。
「お願いします! 稲荷神様! 私の両親の死体を使ってください!」
「桔梗! お前──」
「おじいちゃんは黙ってて!」
おじいさんは、土下座を行い死体解剖を許可した孫娘を叱責しようとした。
だが何故か、口から泡を吹いて気を失う。
幸い痙攣しているが生きてはいるようで、集会所の人たちも青い顔をしている。
しかし今の彼女は、何というか鬼気迫るといった感じだ。
そして青白い狐火のようなオーラを帯びているように見えるが、気のせいだと思いたい。
これがもし狐っ娘パワーの暴走によって引き起こされた場合、巫女服を着せたせいで色々とアカンことになったのは間違いなかった。
興奮気味な桔梗ちゃんの感情に合わせて、立ち上るオーラは色を変えていく。
周囲の人間が巻き込まれているのが、何となくわかった。
幸い神格は私のほうが上のようなので余裕で無効化しているけど、それでも周りの空気が物理的に重くなっているように感じる。
「お父は年の始めで、お母は先日亡くなりました! 二人共、とても苦しそうでした!
たとえ死体を切り裂かれても、奇病の犠牲者がこれ以上増えないほうが、絶対喜ぶはずです!」
このまま放置しては、絶対ヤバいことになると確信した。
なので桔梗ちゃんがこれ以上興奮したり、怒りゲージを溜める前に、私は集会所からの離脱を図る。
「わかりました。案内をお願いします」
「はい! お任せください! うちは土葬なので死体は残ります!
お父は少し不安ですが、お母はまだ大丈夫なはずです!」
私の一言でようやく安心したのか、桔梗ちゃんは落ち着きを取り戻す。
同時に、重圧もピタリと消えた。
すると集会所の大人たちが何人か腰を抜かして、へたり込んだ。
中には失禁している者も居たし、ちょっと味噌の匂いもした。
やはり早急に、この場から去るべきだと考える。
取りあえず桔梗ちゃんの背中を押すようにして、私は足早に歩き出すのだった。




