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 樽に入れた井戸水で二日も泥抜きをすれば十分だと、専属料理人の許可が出た。

 そこで北条さんの領土から離れる前に夜会を開き、その席でウナギ料理をお披露目することが正式に決まる。


 ついでに、他勢力のお供も商人から鰻を買い漁り、そっちの泥抜きも既に完了している。

 多分足りなくなるので、用意周到と言えた。


 さらには最初はただの夜会のはずが、北条さんが城下町の住民に大々的に宣伝する。

 おかげで領内では鰻祭りと呼ばれ始めて、明らかに規模が大きくなってしまう。


 狐っ娘を一目見ようと多くの民衆が小田原城に押し寄せて、日が沈みかける頃には正門の前はごった返していた。

 もはや、収拾がつかない状態だ。


 この解決策として小田原城の物見櫓、もとい平時は倉庫として使っていた天守閣を急いで片付ける。


 そして準備が整った後に、私と北条さんは並んで立ち、正門前に集まった民衆たちを堂々と見下ろす。


「稲荷神様、民たちのために手を振ってくださいませんか?」

「ええ……まあ、それぐらいなら」


 北条さんに言われた通りに手を振る。

 まるで津波のように、稲荷神様万歳という声援が響き渡った。


(私は歴史には詳しくないけど。征夷大将軍ってこんなことしてたの?

 やっぱり神様と混じっておかしくなったのかな。でもどうせ、今だけだよね)


 正直民衆の反応がとんでもないので、内心ドン引きであった。

 しかし、こういうアイドル的なパフォーマンスも、今だけだ。

 征夷大将軍を徳川さんに譲って隠居さえすれば、表舞台からは完全にフェードアウトする。


 なので必要なことだと割り切って、結局大喝采が止むまでは笑顔で手を振り続けたのだった。




 夕方から日が沈んで私の姿が見えなくなっても、民衆は元気一杯のようだ。

 しかし夜の闇に包まれたことで、取りあえずはお開きとなる。

 なんちゃって征夷大将軍の役目は、無事に果たしたはずだ。


 そのため、私のお別れ会に参加する者たちを引き連れて、小田原城の正門付近に移動する。


 なお、門はしっかりと閉じられているので、部外者が入ってくることはない。

 その分、密偵やら忍びは覗きたい放題だが、別に隠す気はないので好きにすればいい。


 何よりウナギの蒲焼きは、強烈な匂いを発する。城内の厨房で作ると悲惨なことになるのだ。

 特に換気設備が未発達な今の時代は、最低でも数日は匂いが残ると予想される。


 必要な調味料はどれも高級品で手に入りにくいため、滅多に食べられるものではない。

 時代が進めば別だろうが、未練を残さないためにも小田原城の正門付近に簡易的な石のカマドを築いていく。


 さらに今回は薪ではなく炭を使い、上部には鉄網をしっかりと固定する。

 あらかじめ三河の鍛冶職人に作ってもらっていた、大きめサイズだ。


 元々は北条領の新鮮なタコや魚介類を焼くために持参していたが、まさか鰻の蒲焼きをすることになると思ってもいなかった。




 取りあえず全ての準備が整ったので、私は石のカマドの前に立つ。

 集まった人たちのほうに顔を向けて、簡単に説明していく。


「調理方法は単純ですが、難しいです」


 既にプロの料理人である後家さんが、下ごしらえをしてくれている。そもそも元女子高生は簡単な調理こそ作れるものの、魚は捌けない。

 やろうと思えばできないこともないが、周りの人に止められるのだ。


 そこで説明係として、鰻の調理方法を教えていく。


「鰻を裂いて下処理を行い、竹串を刺してタレにつけ、鉄網の上に乗せる。

 あとは焦げないように裏返しながら、何度もタレを潜らせながら炭火でじっくりと、時間をかけて焼いていきます」


 他にも調味料を配合して、前世で食べた覚えのある甘辛のタレを作ることに尽力した。


 そして現在、鰻は丁寧に捌かれて竹串に刺した状態だ。

 あとはタレにつけて、順番に鉄網の上に乗せるだけである。


 ここまでお膳立てしてくれれば、あとは誰でもできそうだが、これがなかなか難しい。


「ぶつ切りではなく、わざわざ一枚に下ろしたのですか?」


 お別れ会の参加者の一人の質問を聞きながら、足元に置かれた小さな壺をヒョイッと持ち上げる。


「手間はかかりますが、鰻の美味しい食べ方を伝えるのは、蒲焼きのほうが良いと思いまして」


 その後に、あくまでも私の好みですがと付け加えておく。


 そして壺の上の蓋を外して、中身の黒い液体を指ですくって一舐めする。

 今朝よりも、味が深まっている気がした。


 参加者の人たちも、これが気になるのようだ。

 私はその場のノリで、小さな壺を掲げて堂々と口に出す。


「これこそが鰻の味の決め手となる! 秘伝のタレです!」

「「「秘伝のタレ!?」」」


 ノリノリの私に引っ張られたのか、夜会に集まった人たちは大いに動揺する。


 だがまあ、今の言葉には深い意味はない。

 テレビに出てくる鰻屋の店主が良く口にしたり、蒲焼きセットに付いて来る商品名が秘伝のタレだったからだ。


 正式名称は多分、蒲焼きのタレだろう。

 だがここで私が、それを説明したところで意味はない。

 料理人たちの試行錯誤により、多くの秘伝のタレが生まれるのは約束された未来だからだ。


「名称は秘伝ですが、別に秘密ではありません。

 後ほど詳細を説明するので、安心してください」

「「「……ほっ」」」


 秘伝とか言い出すのでレシピを公開しない気かと思っただろうが、そんなつもりは毛頭ない。


「それに、この鰻のタレはまだ未完成です。

 皆さんが試行錯誤をして、もっと美味しくしてあげてくださいね」


 私はそんな思いを口に出しながら、専属料理人に次の指示を出す。

 彼女は秘伝のタレに漬けては、鉄網の上に丁寧に置いていく。

 蒲焼きから溢れたタレが、パチパチと静かに音を立てる炭に接触して、一瞬で蒸発する。


 それと同時に香ばしい匂いが中庭に広まり、集まった人々の食欲を掻き立てる。


「こっ、この香りは!?」

「食欲が強烈に刺激される!?」

「稲荷神様が夢中になるわけじゃわい!?」


 ギャラリーが鰻が焼けるのを今か今かと待ちわびている。

 甘辛いタレが焦げる匂いが、参加者の食欲を刺激しているのだ。


 誰もが、もう辛抱堪らんといった感じである。

 それでも鰻を焼くのは時間がかかる。


 強火でも焼けないことはないが、まだ料理経験が足りていないので、火力調整を誤って焦がさないために弱火でじっくりだ。

 失敗しないように、炭火で時間かけて火を通していく。


「稲荷神様は、鰻がお好きなのでしょうか?」

「かなり好きですね」


 前世の日本では絶滅危惧種で、夏になっても滅多に食べられないほどのごちそうだ。

 それに鰻の絶滅を促進させていると、後ろ指を指される気がした。

 何よりお値段もかなりすることから、自然と足が遠ざかるのだ。


 そんな過ぎ去ってもう戻れない事情はさて置き、取りあえずそろそろ鰻が良い具合に焼けてきた。

 私はすぐに、次の指示を出す。


「重箱を」

「かしこまりました」


 植林について話し合った気難しいおじいさんに依頼して、急ぎで作ってもらった重箱を桜さんが運び、真剣に料理している専属料理人に手渡す。

 急な仕事だったので飾りや何もないのでただの木の箱だが、私にとっては立派な重箱である。


 だがそれはともかくとして、何も入っていない空間に、焼けた鰻を一枚ずつ順番に敷きながら、形を崩さないように気をつけて竹串を外していく。


 一連の作業が終わったので、再び指示を出す。


「米を」

「少しお待ちください」


 すると彼女は土釜で先に炊いておいた白米を、木製のしゃもじを使って、米粒や下の鰻を潰すことなく丁寧に敷き詰めていく。


「終わりました」

「ありがとうございます」


 次にお米の上に鰻の蒲焼きを形が崩れないように乗せて、最後に全ての竹串を抜き取ったら、うな重の完成ある。


 本番も失敗せずに出来上がったので、私はホッと息を吐く。

 すると初めて見る料理に驚いたのか、参加者の一人が興奮状態で声をかけてくる。


「稲荷神様! そっ、それは!?」

「うな重です。器に盛れば鰻丼、ざく切りにしてご飯と混ぜれば、ひつまぶしとなります」


 完成したばかりのうな重を、参加者たちに良く見えるように少し斜めに傾ける。


 そして一通り見たことを確認した後、専属料理人から重箱とお箸を受け取る前に、いただきますをする。

 恐る恐る箸で掴んで口に入れると、何処か懐かしい味がした。


(美味しいけど、この出来じゃ前世のうな重には程遠いなぁ。

 山椒や唐辛子を入手して振りかければ、少しは味が引き締まるのかな?)


 子供の頃に食べたうな重が美化されすぎているのか。それとも、本当に美味だったのかはわからない。

 内心であれこれ考えても一言も発することなく、普段は少食なのに今はかっこむように食べていく。


 やがて重箱の隅の米の一粒までも綺麗に食べ終わった私は、満足気な顔で、ごちそうさまでしたと口に出すのだった。




 その後、夜会に集まった人たちは皆、鬼気迫る勢いで蒲焼きを頬張る。

 私と同じようにそれこそ一言も喋らず、無心で胃袋に詰め込んでいたので、外から見るとちょっと引いてしまう。


 せめて美味いとか不味いとか口にしてくれれば、見てるこっちも何かしらのリアクションのしがいがあるのにと思った。


 なので私は、味とはあまり関係のない話題を振った。


「蒲焼きは酒のつまみとして優れていますし、栄養も豊富なのですよ」

「なっ、何と! ならば! 毎日鰻を食べなければいけませんな!」


 ほっぺたにご飯粒をつけたまま、お供の本多さんが意気揚々と発言をした。

 それを聞いて、自分がやってしまったことにようやく気づく。


 彼らが言葉を失うほどに蒲焼きを気に入ってくれたのは嬉しい。

 だが、少々効きすぎたようだ。


 これでは日本全国で鰻屋が大発生し、西暦二千年に到達する前に日本の鰻が絶滅してしまう。

 しかもキッカケを作ったのは、環境保護を推進する私という皮肉めいた話であった。




 この件について、自分があの世に逝った後にどう評価されようと、知ったこっちゃない。

 だが日本国民が鰻食べたい欲に駆られて不味い方向に向かうのがわかっていながら、見過ごすことはできなかった。


 少なくとも鰻に関して厳しく流通量を制限しないと、あっさり絶滅してしまいそうである。


 漁師で生計を立てている人には大ブーイング待ったなしだが、彼らがそれを仕事にしている。生活のためだ。


 なので私が別の仕事を用意し、禁漁期間はそちらをしていてくださいとお願いしないといけない。

 ちゃんと生活が成り立つほどの儲けを生み出せるのなら、鰻専門でなくても良いはずだ。


 まだ絵に描いた餅ではあるが、提案がすぐ通るので、稲荷神を自称していて良かった。


 なお、自分が神様をやってて良かったと思うことなど、これまで数えるほどしかない。

 この先もあるかどうかは不明だが、今はそれは置いておくのだった。

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