月の女神
北条領の北の山間部での切り出し工事現場で、私は炊き出しを行った。
さらに一日の十時と三時に休憩時間を設定したり、大木を引っこ抜いたり岩を粉砕したりと色々だ。
久しぶりに狐っ娘パワーで大活躍したからなのか、松田さんたちお供の者たちは大いに慌てていた。
「稲荷神様は視察か炊き出しをするか! 怪我人の治療に専念してもらえると助かりまする!」
なお、これには現場の監督役も含まれている。
労働者たちからも自分たちの立つ瀬がなくなると、泣きながら懇願された。
喉元過ぎれば熱さを忘れるだが今回は反省し、今後は自重することに決めたのだった。
未来の重機のような狐っ娘パワーは、確実に効率は上がる。
だが現場監督や労働者の胃に優しくないし、私のための稲荷大社建設工事だ。
当人に汗水垂らして働かれると、神様のために奉仕したい労働者としての誇りや何やらが、色々と酷いことになるらしい。
なので土木工事とは関係のない分野での、ちょっとした心遣いに留めて欲しいのだろう。
そもそも凄く偉い人が仕事場でイきったりあれこれ口を出すのは、野球部OBが後輩たちの練習に参加するようなものだ。
つまり、ぶっちゃけはた迷惑以外の何ものでもない。もっと言えば、邪魔なので何処かに行って欲しいもあり得る。
取りあえず私は、炊き出し用の大鍋を適当にかき混ぜながら、少し離れた現場で切り出し工事を頑張っている肉体労働者たちを、ぼんやりと眺める。
(切り出し工事の現場の様子は見学できた。
スコップとツルハシも問題なく扱えてる。
ならもう、これ以上留まる理由はないかな)
元々は、引越し先の北条家の当主にご挨拶をするのが目的だった。
あとは親睦を深めたり信仰を高めるために、困っている案件を解決するのもある。
それらのことを考えると、現時点での目的は達成された。
そう判断した私は、日が暮れる前にお供の者たちを呼び集めて、小田原城への帰還を告げる。
そして大河に向かい、行きと同じ船に乗り込んだ。
帰りは流れに逆らわずに進むので、かなりの速度で下っていく。
途中で太陽が沈みきったために、松明をつけようという話になったが、私が待ったをかけた。
気を利かせて狐火を天高く打ち上げ、青白い光で夜の闇を明るく照らしたのだ。
しかも常に私の頭上に浮遊して付いて来るので、色の違いに目を瞑れば、とても便利であった。
しばらく夜の大河を眺めているが、特に言葉はない。
静かに悠々と川下りをしていたけど、その道中で私の傍に控えていた松田さんが、ポツリと口を開く。
「稲荷神様は太陽神だけではなく、月の女神でもあらせられましたか」
「えっ?」
何それ初耳なんだけどと、素の状態で口に出しそうになった。
慌てて押し留めて、率直に質問する。
「月の女神とは、どのような意味でしょうか?」
何とか間抜け面ではなく真面目な表情に変えて、松田さんの言葉に耳を傾ける。
「稲荷神様は、様々な御加護を日の本の民にもたらしておりまする。
さらに、戦乱の世も終わらせる立役者となりましょう」
内心で、おっ、おう……としか言えない。
自分があちこちで、盛大にやらかしているのは知っている。
しかし戦国時代に来てから結構経つが、稲荷神を自称して、深い考えもなしに人々の役に立とうと行き当たりばったりで行動した結果、その功績は随分と高く積み上がった。
松田さんの説明で、改めて自覚させられたのだ。
「そして月の女神とは、夜の闇に迷える人々の道を明るく照らすのでございます」
確かに一筋の光も差さない真っ暗闇は、常に言いようのない不安に襲われる。
どこに向かえばいいのかさえ、わからなくなるだろう。
だが月の光で足元が明るく照らされれば、目指すべき目的地へと辿り着ける。
朧気でも先が見通せるので、不安も多少は軽くなる。
上手いこと言うなと思ったけど、中身が一般人の私が月の女神という過大評価は相応しくない。
人間の胃なら、間違いなく大穴が開いていただろう。
だが戦国時代で狐っ娘が生き残るには、神様のフリをしなければいけない。
一度走り出した以上は決して止まれないし、隠れ潜んでもいつか見つかって討伐されてしまう。
とにかく、これ以上続けると羞恥心で顔が真っ赤になってしまうので、咄嗟の話題そらしに思ったことをそのまま口に出す。
「確かに私は、人々に知恵や技術を与えました。
太陽神なら、わからなくもありません」
江戸に幕府を開いた後は、大勢の人々を導くことになる。
それに日本の国名と太陽神は、身近な存在だ。
自分がそうなれるとは全く思わないが、これまでのやらかしを思えば仕方ない気がする。
今は甘んじて受け入れるしかない。
だがもう一つのほうまで、ヨシとするわけにはいかない。
「しかし、人々に道まで示したつもりはありません。
太陽神だけでも分不相応ですのに、さらに月の女神を兼ねるのは勘弁してください」
大体稲荷神と言うのは、五穀豊穣の神様だ。
そこから私のやらかしによって色々と尾ひれや背びれがついたが、何でもござれの太陽神だけではなく、痒いところに手が届く月の女神まで追加されたのだ。
これでは最初は非力でも、努力によってあらゆる神の力を会得した稲荷神が爆誕してしまう。
多分盛りまくった設定だけなら、全知全能の唯一神と良い勝負ができそうだ。
まあ聖戦を起こす気は毛頭ないので、実際にドンパチする気はない。
私がそう考えている間にも、松田さんの説明は続いていた。
「月の女神であるという根拠ですが、日本全国の単位の規格統一がそうです」
そんなこともあったなーと、私が少し前のことを思い出す。
すると松田さんが、続きを話してくれた。
「地域や職人ごとに、それぞれ独自の規格や誤差があるのが普通です。
道具や作業効率、生活等で差が生じておりますので、仕方のないことでした」
戦国時代に来るまでは知らなかったことだ。
無能アピールしたら不味いことになるので、黙って聞き役に徹する。
「しかし、もし全国で規格が統一されれば、その結果何が起きると思いますか?
稲荷神様は、既にご存知であるはず」
これに対しては、他にわからない者が居るため、松田さんが丁寧に説明してくれた。
まず、職人が設計図を見て作成しても、地域ごとに規格が違えば、どれだけ精密に似せて作った所で、何かしらの不具合が起きていた。
これが改善されると言うことは、北条家だけでなく、日本全国の文明レベルを大きく押し上げる一助になる。
それ以外にも地域ごとに重さや容量に差がなくなるので、商人も誰が相手でも公正な取り引きが出来る。
年貢の取り立ても誤差がなくなり、計算がしやすくなったりと、とにかく良い事ずくめだ。
ただしこれは、きちんと日本全国の大名や民衆が素直に言うことを聞き、私の教えに耳を傾けた場合だ。
過去の歴史を紐解けば、同じことを実行しようとした支配者は何人も居た。
だが結果はどれも失敗で、戦国時代になっても地域や権力者ごとに誤差が生じている。
北条家とその家臣団は、既に私の前情報、つまり行く先々で散々やらかしていたことを掴んでいた。
だからこそ、規格の統一は必ず成功すると確信している。さらに小田原城で、心底感服することになったのだった。
なおこれは、私にとっては滅茶苦茶プレッシャーになる。
胃に穴が開くことはないが、出来ればワッショイワッショイは勘弁してもらいたい。
しかし、規格の統一は未来のためにも必ずやらなきゃ駄目だ。
今さら止めますとは言えないのが、辛いところだった。
おまけに、これで終わりではないようだ。
残念なことに、松田さんの追撃はまだ続いていた。
「道を示されたのは、もう一つあります。環境保護についてでございます」
そう言えば、あの時は勢いのままに川に飛び込んで鰻を捕まえた言い訳に、思ったことをそのまま口にした。
「あの件で、統治者として素晴らしいだけでなく、我々人間に近い感性を持ち合わせておられて、心底安堵しました」
それはどういう意味だろうと私が首を傾げると、すぐに松田さんが答えてくれた。
「古来より神々は人より上位の存在でした。
そのため我々を見下し、時には天災を起こし、戯れに命を奪った。
それと同じぐらい加護を授けて助けはしますが、とにかく非常に気難しいのです」
私はフムフムと頷く。
つまり私は見た目こそ狐っ娘幼女で、凄い力や知識を持っている。
だが中身は元女子高生であり、松田さんたちにとっては、比較的扱いやすい相手なのだろう。
「その点、稲荷神様は人と同じ視点で我々に寄り添い、戯れに命を奪うこともない。
加護を授けて日の本の民全てを救おうとするだけでなく、鰻一匹で大騒ぎをする貴女は、本当に見た目相応であり、その……大変、可愛らしく──」
それっきり松田さんは、頬を朱に染めて黙り込んでしまった。
周りのお供も、何やら露骨に視線をそらす。
普通の神様ならここで人間ごときがと激怒するだろうが、自分は中身が一般人なので別に何とも思わない。
だか結局、何とも微妙な空気が流れる中で、私のほうが小っ恥ずかしくなる。
どうにも耐えられなくなったため、慌ててコホンと咳払いをした。
「それはともかくとして、環境保護が道を示したとは?」
「そっ、そうでしたな! これは失礼を!」
あの時に追求されなかった理由はわかったが、やはり大変恥ずかしい。
記憶の彼方に葬り去ってしまおうと心に決める。
そんなことより環境保護についてだが、私としては感銘を受ける程ではない。
確かに前世の日本では、限りある資源を大切にと、何度も聞いた覚えはある。
このままでは地球の資源が枯渇してしまうと頻繁に騒がれているが、私もごみの分別を大まかに済ませることが、たまにあった。
だがまあ、環境保護団体に属していなければこんなものだ。
地球資源がまだ数多く残されている戦国時代に、この概念に大いに感銘を受けるとは思わなかった。
しかしその点について松田さんの補足が入り、私は納得せざるを得なくなった。
「海沿いの山間部では木材資源が枯渇し、禿山も多く見られます。
我々にとっては、目前まで迫った危機なのでござる」
海沿いでは禿山がたくさんというのもそうだが、北の山岳部まで船を出して運んできているのだ。
北条領だけでなく、他の領地でも木材資源の枯渇は、相当深刻な問題なのだろう。
「ですので植林については、稲荷神様にぜひともご教授いただきとうございます!」
私に向かって、かしこみかしこみと両手を合わせ頭を下げる松田さんであった。
しかしまさか自分も、朧気な知識だけなので自信がないと言い出せない。
そのため、取りあえずこの場を乗り切るために、いつも通り適当な台詞を口に出す。
「私も植林にはあまり詳しくはありませんが、微力を尽くしましょう」
「「「おおおー!!!」」」
やるからには、100%成功させる気でやる。
だが、最初から全部が上手くいくなんてのは有り得ないし、植林に詳しくないのも本当だ。
しかし、とにかくダメ元でもやる気になったのは確かである。
松田さんだけでなく、周りの皆も大喜びしていた。
どうやら木材資源の枯渇は、自分が考えている以上に深刻な問題のようだ。
何とか解決したいが、植林してから大木になるまで膨大な時間がかかる。
ちゃんとした成果が出るのはいつになるやらだけど、それでもやりようはあった。
(ないなら、あるところから持ってくれば何とかなるかな?)
あくまでも植林が実を結ぶまでだが、天下統一したら日本は平和になるのだ。
当然インフラ整備には力を入れるので、木材の運搬も今よりはスムーズになる。
その場合は政府が補助金を出すなど援助すれば、地方経済も潤うはずだ。
けれどあれこれ考えても、結局私がやれることと言えば、稲荷神の権威と拙い未来知識、あとは現地の専門家と協力しながら、たとえ少しずつでも完成形に近づけていくしかない。
一朝一夕では到底達成できないし、失敗することも多々あるだろう。
だが最終目標の平穏な暮らしを諦める気はなく、どれだけ時間がかかってもやり遂げると内心で気合を入れるのだった。




