もんじゃ焼き
私が川に飛び込んで捕まえた鰻だが、お世話係の桜さんが稲荷製の物差しで測ったところ、何と全長130センチメートルもあることが判明した。
多くの鰻の中から、大物を狙った自分の目に狂いはなかった。
すっかり私専属の料理人が板についた後家さんが言うには、これから最低でも一日。出来れば二日泥抜きしないと、口の中に入れたときに生臭くて不味い味が広がるらしい。
なので私は、あと一歩というところでお預けをくらった。
そこで悔しい思いを誤魔化すために、本日のお昼にある料理を作ることに決める。
元々は北条の領民で行っていた江戸の土木工事だが、今では難民も山岳部の切り出しに参加するようになった。
その一方で私は、我関せずであり、お昼の食事を作ることに集中する。
用意するのは麦粉と卵、さらに今朝出かける前に桜さんにお使いを頼み、小田原城下町の漁師から新鮮な魚介類を入手してもらった。
それを早速使わせてもらうが、頼んだ魚介類はタコである。
何故これを今使うのかと言うと、鰻のニョロニョロを見て、どうしても我慢できなくなったからだ。
せめてもの憂さ晴らしとして、それっぽい食材と調理法を条件が重なったのが、タコであった。
「味見ならば拙者に!」
「いいですよ。しかし、本多さんはブレませんね」
ちなみに、まだ何を作るかは言っていない。
だが本多さんが、現物を見もしないのに出来たら食べる気満々なのは、いつものことだ。
なので、取りあえず彼のことは放置しておく。
とにかく私にとって、一日三食の質が落ちるのは死活問題だ。
専属料理人として同行させた後家さんから、木製のボウルを借りる。
続いて麦の粉と卵、その他諸々の食材を入れていく。
なお彼女があらかじめ何度か試作を行い、適量に計ってくれている。
おかげで私は手順通りに、渡されてすぐにぶち込んでいく。
ダマができなくなるまでしっかりと混ぜて、丁度良いトロミになったら、今回のメインとなるタコの切り身を投入し、さらに混ぜていく。
(本当はたこ焼きが作りたかったけど、戦国時代にたこ焼き器は難しいし。
お好み焼きはキャベツがないしで、再現できない料理が多すぎるよ)
長山村の鍛冶職人には、他にもやってもらいたいことが山ほどある。
あの丸穴を均等に開けるのは、とても難しそうだ。
なので、せめて天下泰平になって時間や生活に余裕ができれば、一部しか需要がないような難度の高い道具の開発を任せるのも良いだろう。
だが今はまだ秒読み段階で、野球のマジック点灯のように敵勢力の盛り返しにより、幕府を開く時期が大きく遅れる可能性もある。
ゆえに現時点で需要の高い物を優先して作ってもらうほうが、鍛冶職人や地域住民のためにも良いはずだ。
私がそんなことを考えながら、油を敷いた卵焼き器を眺めていた。
やがて薪の炎で熱されて、生地は若干濁った白から茶色へと色が変わっていく
「菜箸」
「ここに」
言葉短く告げて、後家さんから菜箸を受け取る。
代わりに、裏返す時に使っていた木杓子を預けた。
そして生地に挿して火の通りを確認すると、中までしっかり焼けていることがわかった。
ちなみに箸の文化は、私が転生するよりも前から日本に根づいている。
なので菜箸に行き着くのも当然であり、最近になって料理人の間に広まった最新の箸だと聞いている。
こっちとしては教える手間が省けて良かったと、素直に喜ぶばかりだ。
それはともかく、後家さんに次の指示を出す。
「大豆醤油と、取皿を準備しておいてください」
「かしこまりました」
ガラスがないので、先端を細くした酒を入れるような陶器の入れ物である。
中には最近ようやく量産体制が整った、大豆から抽出した醤油がたっぷり入っている。
ちなみに注ぎ口は醤油差しのような形状で、蓋を捻るタイプなので簡単に外れたりはしない。
あとは前世の醤油よりも色が濁っていて、味もちょっとおかしい。
けれど千里の道も一歩からなので、地道に試行錯誤を重ねて未来の醤油に近づけていくしかなかった。
匂いも味も強烈な魚のたまり醤油と比べれば、私の舌には合っているので良しとしておく。
やはり人力主体で物資不足の戦国時代は、文化を発展させるのも一苦労なのだった。
とにかく内心で大きな溜息を吐きながらも、目の前でこんがり茶色に焼けた海鮮お好み焼きを観察する。
恐る恐る裏返すと上手に焼けているので、少しだけ嬉しくなった。
続けて木杓子に乗せて、慎重に陶器のお皿に移動させた。
まだテフロン加工もないし手工業なので、卵焼き器に油を敷いても生地があちこちにくっついてしまう。
だがそこは仕方ないと諦める。
そして一息ついた私は、後家さんにあらかじめ削ってもらっていた鰹節を受け取る。
パラパラと上に散らして、大豆醤油を少しだけ垂らす。
(醤油、塩、味噌、味醂。庶民でも比較的早く気軽に使えるようになる調味料は、こんなものかな。
蜂蜜の生産量はなかなか上がらないのは、誤算だったなぁ。一先ず麦芽糖で代用できて良かったよ)
本当は甘辛いソースをかけたかったが、予期せぬ鰻が手に入ったので、蜂蜜は念の為に温存しておく。
ちなみに麦芽糖、または水飴と言ったほうが馴染み深い。
京都に行ったときに、公家の人から贈り物として貰ったので、そこでようやく思い出したのだ。
前世で女子高生をしていた頃に、水飴なんて好き好んで食べたり使うわけがない。
存在を知ってはいたし食べたこともあるが、流石にそんなに詳しくは覚えていなかった。
他にも甘い調味料があるかもと知恵熱が出るまで考えた末、味醂を閃いたのは幸いだった。
だが思い出したのは三河に帰る直前で、水飴や味醂を生産している業者に渡りをつけ、増産体制を整えるには時間がかかる。
そのため北条領に向かう前に取り寄せるのは、残念ながら間に合わなかった。
ちなみに、養蜂で安定生産が可能になったのは確かだ。
しかし未来のミツバチよりも、個体も巣の規模も小さかった。
そのためなのか、戦国時代では破格の収量なのかも知れないが、私的には思ったほどではなかったと、少々ガッカリした。
それでも蜂蜜にせよ麦芽糖にせよ、ぶっちゃけ砂糖さえ量産できれば食文化は一気に華やかになる。
なので今は考えても仕方ないと、料理に集中するのだった。
鰻の蒲焼きが食べられない無念を晴らすため、海鮮お好み焼きがちゃんと出来ているかを確かめる。
そのために私は後家さんから箸を受け取り、両手を合わせていただきますをする。
その後は、お皿の上で冷めないうちに、丁寧に切り分けていく。
「では試食を、……はふはふ」
ちゃんと中まで火が通っていて良かったと安心する。
別に口内が火傷するわけではないが、熱さ自体は感じることができる。
なので、ついお好み焼きを舌の上で転がしてしまうのだ。
威厳のある稲荷神を演じるには相応しくない食べ方だが、熱々の料理を食べる時は無意識に素が出てしまう。
私は口内をハフハフしながら、お好み焼きを美味しそうに咀嚼する。
そしてゴクリと飲み込んだあと、ほうっと息を吐く。
「ごちそうさまでした」
「「「おおー!!!」」」
周囲で様子を見ていた者たちが、一斉に声を上げた。
一体何をそんなに喜んでいるのかは知らないが、年単位でお預けを食っていたお好み焼きである。
それが戦国時代では初めて作ったけど、最悪よりは美味しくできたので全く気にならなかった。
(具材がちょびっとで、殆ど麦粉だから、もんじゃ焼きに近いのかな?)
何となく気になったので腕を組んで考えるが、私はもんじゃ焼きを食べた経験がなかった。
せいぜいギャグ漫画で、嘔吐物のようだとか言われていたのを覚えているだけだ。
多分だが、厳密な違いはキャベツを入れるか入れないかだろうと、何となくだがそう判断した。
「稲荷神様! この粉ものは何でござるか!?」
「ええと、お好み……いえ、もんじゃ焼きです」
そもそも名前の由来すら知らない私である。
言ったもん勝ちだと割り切り、堂々と命名する。
本多さんたちは、もんじゃ焼きかと口に出し、私が手に持っている陶磁器のお皿を食い入るように見つめていた。
「食感の良い菜物を入れれば、お好み焼きになります。
ですが、まあそれは今はいいでしょう」
取りあえずウネウネのタコで、鰻を食べたい欲は解消された。今はそれだけで十分だ。
私は陶磁器のお皿を、後家さんに手渡す。
狐っ娘は見た目通りの省エネなので、少し食べただけでお腹いっぱいになってしまう。
だが、どういう理屈か胃袋は無限大で、その気になればいくらでも食べられる。
しかし、空腹でないと美味しさは半減してしまう。
色気より食い気な私としては、それ以上に腹に詰め込む気は全く起きないのだ。
とにかく後は、松平さんが三河から同行させてきた料理人たちに、お供の侍たちへのもんじゃ焼きパーティーを任せることにした。
一方で自分は、切り出し工事の見学をすることにした。
「私の作ったお好み焼きよりも、熟練の料理人のほうが美味くできると思います」
そう言って私は、まだ大量に残っている生地を、その道何年のプロの料理人の一人に手渡す。
もちろん私からも指導を受けている。
「作り方は今見た通りですが、後のことはよろしくお願いしますね」
そう一言告げてから、彼らに背を向けてルンルン気分で歩いて行くのだった。




