炊き出し
歓迎の宴は続き、やがて夜が明けた。
良く晴れた夏空の下で、護衛に関東に連れてきた狼たちを犬ぞりに繋いでもらう。
最初の五匹は大きくなったので今では背中に乗れるが、それだと不平等なので均等に引っ張ってもらうのだ。
それはそれとして、今日は江戸に稲荷大社を建てるための工事を見学したり、可能性あれば手伝いをする予定である。
だが昨晩の全国から押し寄せてきた難民たちを、今は一箇所に集めていると聞いた。
先に寄るのはそちらに決めて、相変わらず深く考えることなく急きょ進路を変更する。
それとは関係ないが、北条領に来てからお供が増えた。
いくら征夷大将軍で稲荷神だとしても、自国の領内で見せたくないものもあるだろう。
そのための監視役兼護衛は、当然同行するだろうと考えていた。
しかしそこに、重臣である松田憲秀さんがくっついてくるとは、流石に思わなかった。
もしかしたら一応稲荷神(偽)だから、家臣の中でも発言力と位の高い彼が、直々に付いて回らなければ駄目とか、そんな掟でもあるのかも知れない。
それとも色々優秀だからか、腕が立つとかそんな可能性もある。
何にせよ三河から来た私からは何も言えないので、よろしくお願いしますねと、素直に承諾するのだった。
北条領の街道を北上して一刻ほど経った頃に、周囲を木製の低い柵で囲んだ野営地が見えてきた。
松田さんの話では、総勢千を越える難民たちが集まっているらしく、辺りには北条の兵士が絶えず巡回している。
怪しい者が近づかないように警戒を続けていた。
犬ぞりを走らせながら目を凝らせば、柵の中で三河から派遣された輸送隊が炊き出しの準備をしていることに気づく。
しかし忙しそうにしている割には、あまり作業が進んでいない。
原因は物資や難民と職員の数が、明らかに釣り合っていないからだ。
「聞いていたよりも、数が多いですね」
「申し訳ありませぬ。稲荷神様に文を送った後も難民が増え続けまして。
今では、ご覧の有様ですじゃ」
何処か掴みどころがない松田さんだが、馬を操りながらバツが悪そうに頭をかく。
私への謝罪を口にするが、難民が増えたのは彼のせいではない。
とにかく今は、至急何とかしなければと私は声をあげる。
「急ぎますよ!」
「了解! 皆の者! 稲荷神様に続け!」
「「「おおー!!!」」」
乗りの良い護衛たちを引き連れて、私は犬ぞりを操って全速力で野営地に向かう。
三河の財政は相変わらず火の車で、長い目で見れば大儲け間違いなしなのだ。
しかし貯蓄ではなく先行投資を繰り返すので、借金状態からは未だに抜け出せていない。
だが、それよりも深刻なのは、人材の不足であった。
戦国時代らしく、普通に統治するだけなら何の問題もない。
しかしそこからさらに、間違った常識に囚われることなく、私の教えを体現できる者を教育して増やしている。
まだ数は少ないが、三河と尾張では学校がいくつも開かれていた。
けれど教師が大勢の生徒たちに熱心に指導をしても、残念ながら一朝一夕で身につく知識や技術ではない。
他国に派遣しても大丈夫なレベルとなると限られてくるし、自国も発展途上なのに席を空けるわけにはいかず、とにかく現場は多忙であった。
そのような事情はともかく、私たちは松田さんのおかげで、門番に止められることなく野営地の中に駆け込む。
そして、支援部隊の元に真っ直ぐ向かった。
難民がこちらに近寄らないようにと、護衛が壁になってくれたことに感謝する。
だが私が噂の稲荷神様なのはバレバレだ。
ありがたや~と祈りを捧げられたりしたが、いつものことなので気にしないことにした。
今は炊き出しのカマドの近くで、犬ぞりを停めて地面に華麗に降りる。
忙しく働いている輸送隊の者に声をかけた。
「状況は?」
「稲荷神様! 現在炊き出しの粥の準備を進めております!
しかし、要領良く動ける者が少なく──」
新しく石のカマドを組んでいる人をよく見たら、目の下にクマが出来ている。
きっと難民の数が多すぎて手が回らず、昨日からろくに眠れていないのだろう。
当然、私たちも手伝うつもりだ。
しかし人数差を埋めるのは難しく、焼け石に水かも知れない。
まあ何処かのゴリラの人みたいに、自分が三人分になるどころか百人力にもなることもできる。
けれど、征夷大将軍がいつまでも難民の野営地に居るわけにはいかない。
そうなると、別の手を考えなければいけないので、私は周囲を観察する。
何か良い策はないかと足りない頭で考えて、しばし思案した。
少しだけ時間が経ち、いつものように思いつきを口に出す。
「働かざる者食うべからずです」
そもそも難民にご飯を与えているだけでは、ジリ貧以外の何ものでもない。
別に過酷な肉体労働をしろとは言わないが、少しは役に立つところを見せてもらいたい。
「まさか! 難民を働かせるおつもりか!?」
そんな私の意見に、松田憲秀さんが驚いた顔でこちらを見つめる。
だが、今の時代は物資は現地調達は基本らしい。
現地住民(仮)を有効に活用して何が悪いものかと、割り切って考える。
「ううむ、そこまで申されるなら、難民の身元を審査致しましょう」
難民の中には、敵勢力の密偵が混じっている。
もしくは落ち武者が潜んでいて、隙を見せれば背後からバッサリとか、色んな輩が居るのが普通だ。
松田さんが言いたいのは、多分そういうことだろう。
だが私としては、今はそんなことはどうでもいい。重要なことではないのだと、きっぱりと宣言する
「必要ありません」
難民は千人以上集まっていて、今なお増加中だ。
審査が全て終わるまで待っていたら、日が暮れてしまう。
「いっ、いや、稲荷神様! もし他国の密偵や刺客が紛れて込んでいれば、それこそ一大事ですぞ!」
松田さんが取り乱しながらも、説明してくれた。
だが私は、意見を変えるつもりはない。
いくら他国の者でも、敵勢力のど真ん中で荒事はしないだろうと楽観的に考えていた。
「たとえ密偵や刺客が紛れていようと、問題はありません」
「何故、そう思うのでしょうか!」
松田さんだけでなく、護衛の人たちも興味津々といった感じで聞き耳を立てる。
だが正直そこまで期待されるほど、深い考えがあるわけではない。
「近々、新たな幕府を開くからです」
まあその後は、徳川家康に征夷大将軍の椅子を渡すのだが、それは一旦置いておく。
とにかく最終的に私が円満退位できれば良いので、先程の続きを松田さんたちに話す。
「今ごろ必死に情報を探ったり、要人を暗殺しても、意味はないんですよ」
それに対して、松田さんは今いち納得できないようだ。
真面目な表情で私に尋ねてくる。
「敵国の内部工作を、見逃すおつもりか?」
私は大きく息を吐いて、首を横に振る。
「敵国が今さら妨害しても、天下泰平の世が訪れるのは変えようがありませんよ」
上洛する前は違ったが、既に幕府を開くまで秒読み段階に入っている。
敵国が今さら妨害したり暴れたところで、北条家がヒギイする以外は大した問題はない。
もう間もなく戦乱の世は終わり、日本は天下泰平となるのだ。
さらに私は、江戸幕府を開いたあとの計画を松田さんに伝える。
「それに幕府を開いた後には、全国の大名や役人に教育的指導を行います。
利があるとわかっていながら敵になるなど、愚か者の極みですよ」
私の考案した道具や前世の知識は、それに至るまでの下地が整って、初めて効果を発揮する。
指導を簡略するための教科書を、現在作成中である。
こちらは近々文を出して、各地の大名にあらかじめ告知しておく予定だ。
松田さんも納得したのか、清々しい顔で深く頷いた。
次に口元をニヤリと緩めて、私に尋ねてくる。
「稲荷神様のお考えを理解し申した。
だがこれはあくまで民衆を納得させるための、表向きの理由でありましょう」
表向きも何も、今のが私の考えの全てだ。
しかし曖昧な笑みを浮かべて誤魔化したので、松田さんは気づかない。
次に、自信満々という顔で何やら説明を始める。
「稲荷神様の真の狙い。
それは周辺諸国の密偵や間者をわざと潜り込ませること」
私の考えのように語っているが、内心でそうなのと、当狐っ娘は首を傾げていた。
「そして、彼らが持ち帰った情報で全国の大名たちがどう動くか。
それを見極めるための策であろう?」
ドヤ顔の松田さんを見ていると、違いますとは言い辛い。
なので良心の呵責に負けて、私はポツリと口に出した。
「……よっ、良く気づきましたね」
ぶっちゃけ、そこまで深くは考えてなかった。
だが松田さんの解答を聞いて、そういうのもあるのかと思えた。
なので私の作戦とは一言も口にせずに、それ以上は何も喋らずニッコリと微笑んで曖昧に誤魔化す。
しかし正解を言い当てたと勘違いした松田さんは、何を思ったのか、さらに熱く語り出してしまう。
私的にはもう勘弁してくださいと言いたいが、今さら間違いとは言い出せない。
黙って聞いているだけだ。
「圧倒的な技術格差を見せつけ! 稲荷神様に逆らうことの愚かさを広める!
服従すればお咎めなし! 末永く繁栄を確約す!
ここまでされれば、もはや貴女に歯向かう愚か者は、日の本の国にはおりますまい!」
露骨に視線をそらして、ひたすらワッショイワッショイに耐える。
だが正直羞恥で顔が赤くなり始めたところで、あることを思い出した。
「そっ、そこまでにしてください!」
「稲荷神様! 急に、どっ、どうなされた!?」
私は慌てて、熱弁を振るう松田さんに強引に横槍を入れた。
急に大声を出されたので、彼だけではなく、周りの者たちも一緒に驚く。
「炊き出しの準備を手伝うつもりでしたが、先程から殆ど進んでいません!」
「そっ! そうでござった!」
これを聞いた松田さんは合点がいったのか、自分の頭をポンと叩く。
だが一つの物事に集中すると他がおろそかになるのは、割と良くある。
なので私は彼を許して、すぐに働くだけの余力のある難民を選りすぐる。
そしてまずは体を綺麗に洗って清潔にしてから、炊き出しの準備に参加してもらうことを、この場で一番偉い人として正式に決定したのだった。




