物差し
船から下りて陸に上がった私たちは、港にズラリと並んでいた北条側の使者と形式上の挨拶を行う。
そして彼らに案内され、小田原城へと向かった。
あっさり正門を抜けて廊下を歩き、真っ直ぐ天守閣へと通されると思いきや、そこに至るまでの階段の傾斜があまりにも急だ。
足もそこまでかからないし、明らかな設計ミスとしか思えない。
そんな事情もあり、下階の本丸御殿で会議を行うことになった。
ただし、そこまで大人数が入れる作りでないた。
北条家の者たちも含めると人数制限に引っかかるので、お供の者の一部は入室を断られる。
会談が終わるまで、近くの個室か廊下で待機してもらうことになったのだった。
結果、本丸御殿の中に入れるのは、私とお世話係の桜さん、あとは松平と今川の名のある武将ぐらいになった。
謁見の間には、既に入室済みの北条氏康さんと家臣団が勢揃いしており、彼ら一同にお目通りすることになった。
「遠方からようこそおいでくださいました。稲荷神様」
北条さんが、座したまま真面目な顔をしている。
家臣団と一緒に頭を下げて私を出迎える立場なので、こちらも微笑みながら無難な挨拶を返す。
「幕府を開くための土地を、快く譲ってくれたことに感謝します。
貴方たちの苦労に報いるためにも、私がご挨拶に伺うのは当然のことです。
気になさる必要はありません」
「そう言っていただけると、助かります」
い草の円座に腰を下ろして北条さんは告げる。
なお、私は彼を見下ろす位置に居た。
同じ円座に腰かけているのは変わらないが、こっちは五段重ねだ。
狐っ娘の驚異的なバランス感覚で、全く揺れずに話していられるのは凄い。
もし常人なら、上に乗って体を動かそうものなら、すってんころりんするのは間違いない。
そもそもこうなった経緯は、私は自称稲荷神で、さらに征夷大将軍だからだ。
立場としては、小田原城の主よりも偉い存在である。
しかし城主の上座を明け渡すと、北条氏康さんの座る場所がなくなる。
別に全面降伏したわけではないのに、収まりが悪くなってしまう。
なので彼は、持ち場から動くわけにはいかず、だからと言って私を立てない訳にはいかない。
ならばどうするかと考え抜いた結果が、私だけ五段重ねの円座の上に座ることになった。
この場の全てを見下ろせるほど偉いのだぞという、ある意味滑稽だが精一杯の主張なのだった。
ちなみに個人的には子熊が立ち上がって、両手を上げて威嚇しているようにも見えなくもない。
最初に出迎えられて五段重ねの円座を勧められた時は、何かの冗談かと思った。
しかし相手側は、北条さんを含めて皆至って真面目な表情だった。
なので私も覚悟を決めて、渋々着席したわけである。
北条領に直接挨拶に行くのが決まったのは、本当に急なことだったのだ。
この件についての準備する時間も、ろくになかったのだろう。
それに自分の立場が雲の上なことに関しては、今さら気にしても仕方ない。
ここはそういうものだと受け入れて流し、話を先に進めさせてもらうのが相手のためだろう。
「北条さんへの引越し蕎麦ですが──」
「そっ、蕎麦でございますか?」
しまったと思った時には遅く、盛大に言い間違えた。
天守閣に入る前には何を喋ろうかと決めていたのだが、五段重ねの円座を見たらそっちに意識を持っていかれたのだ。
そして私の迂闊な一言に、北条や家臣団は大いに取り乱していた。
もしかして蕎麦嫌いなのかも知れないが、戦国時代では団子状が普通だ。
ボソボソして単体だけではあまり美味しくはないので、実際に食べるのは飢饉の年か貧しい農民ぐらいである。
馴染みがないのも無理もない話だと納得して、私は慌てて言い訳をする。
「とある地方に、引っ越し先のご近所に蕎麦を配る風習があるのです。
すみません。引用を違えました」
まさか前世で、引っ越しのご挨拶に蕎麦を送る習慣があるからとは言えない。
とある地方の風習だと言い訳させてもらった。
だがしかし、本当の蕎麦は美味しいので食わず嫌いは良くない。
ぜひ一度味わってもらいたいものだと、色気より食い気な私はつい話を脱線させてしまう。
「ちなみに蕎麦は、三河では普通に食べられていますよ」
「にっ……にわかには信じられませぬ」
確かに三河に手打ち蕎麦が広がったのは極最近だし、まだ庶民が気軽には食べられない。情報が伝わっていないのも頷ける。
なので私は、お供の今川さんの武将に顔を向けて、何気なく話題を振る。
「今川さんの領地でも、最近は食べられていますよね?」
「はい、殿も蕎麦を大層気に入られました。
もちろん某も、大好物でございまする」
その会話で、本丸御殿の北条側の武将たちは、あんな不味い蕎麦食べるとか、マジないわーという空気に包まれる。
だがこちら側の人たちは、蕎麦の美味さを知らないのかと、哀れみすら感じる表情を浮かべていた。
しかしまだ美味しい食べ方が伝わっていないので、仕方がないことだ。
「北条さんにも今度、蕎麦を振る舞ってあげますね」
「えっ!? あっ、はい……機会があれば」
こっちは完全に善意の申し出なのだが、北条氏康さんの表情は若干渋っている。
それはともかくとして、私は話を本筋に戻すべく、コホンと咳払いをする。
「それでは、目録をどうぞ」
「ははっ! こちらが支援物資の目録となります。お納めください」
松平さんの武将の一人が前に出て、支援物資の全てが記載された目録を北条さんの前に居る家臣に渡す。
君主の前に、彼が先に問題がないかどうかと確認するために、一通り目を通していくのだ。
「かたじけのうございます。ではこの松田憲秀、拝見し申す」
だが、記載されている内容を読み解く家臣の松田さんは、何とも微妙な表情へと変わる。
そんな彼が、私をチラチラと見つめて、何かを言いたそうにしている。
しかし結局何も言わずに問題なしと判断したのか、北条さんに恭しく目録を渡す。
すると主も、先程の家臣と全く同じような表情になる。
ここにきて動揺する原因にいくつか予想をつけた私は、微笑みを浮かべて助け船を出す。
「質問があるなら、構いませんよ?」
「でっでは、この目録なのだが──」
北条さんが目録を広げて私に見えるようにすると、否が応でも家臣団の注目が集まる。
そして次の瞬間、彼らも皆、何とも言えない表情に変わってしまう。
「ここに書かれた文字について、教えていただきたい」
いくつか予想を立てていた中で、文字に関してだったようだ。
私は頭の中で順序立てていき、彼らにもわかりやすいように噛み砕いて説明する。
「貴方たちが使う文字は、ミミズ……いえ、草書体。または崩し字と言います。
そして、目録に書かれているのは、それを簡略化して読みやすくした平仮名、または新漢字です」
前世の日本語なので、私が思いついたわけではない。
けれど、稲荷神が提案したと一言付け加えた。
そうでなければ民衆には広まらないだろうし、突っ込まれた時の言い訳が面倒だからだ。
「三河と尾張では、既に平仮名と新漢字が広まっています」
「ふむ、確かにこれなら祐筆に頼む必要もなさそうだ」
ちなみに祐筆とは、専門の書記官だ。
解読と再現が困難なミミズのような文字を、読んだり書いたりする仕事をしている。
お世話係の桜さんのように、パッと見ただけで淀みなくスラスラ読めるほうが本来は珍しいのだ。
それはともかくとして、平仮名と新漢字は口頭で述べた二国だけではない。
武田、今川、斎藤、京都にも広まりつつあった。
だが時系列的に極最近なので、北条さんや家臣団は知らなかったようだ。
そして私は、彼の次の質問を待つ。
「この、スコップとツルハシについて知りたいのだが」
本来なら、難民への食糧支援のみだった。
しかし急きょ私が便乗することが決定したので、ただでさえ火の車な三河だったが、それ以外の品々や船団の規模を大きくする。
例え身銭を切っても、ここぞとばかりに恩を売っておく作戦に変更したのだ。
遠く離れた地の松平さんの胃に、何度大穴を開ければ済むのかと、毎度申し訳なく思う。
だが、全てはより良き日本を作るための先行投資だ。
後々倍以上になって返ってくると、私は信じていた。
内心でそう言い訳をしつつ、急ぎ追加された最新の道具に疑問を浮かべる彼の質問に、少しだけ思案して口を開く。
「現物を見たほうが早いですが、口頭でよろしければ」
「お頼み申す」
私は呼吸を整えて答えようとしたが、ふとあることを思い出す。
そして首を傾げて、確か目録には他に多くの農機具が記載されていたはずだ。
しかしそちらは尋ねずに最新版の説明を求めると言うことは、既に情報を掴んでいる可能性が高い。
ここで思わせぶりなことを言えれば、賢い稲荷様を主張できる。
しかし私は基本的に考えなしなので、疑問に思ったことを率直に尋ねてしまう。
「ところで、他の道具については聞かないのですか?」
「「「えっ!?」」」
向こうの家臣団の殆どが驚いた。
不味いことを尋ねた可能性が高いが、私は別に気にすることなく、さらなる追撃を行う。
「ならば、質問を変えましょう。
北条さんの領土で、千歯扱きは上手く使えましたか?」
「いっ、稲荷神様、そっ……それはどういう!?」
私の質問に、深い意味などこれっぽっちもない。
ただ気になったから、聞いただけだ。
「言葉通りの意味です。
自分の考案した農具が、他領でも十全に性能を発揮できたのかが、そこが気になったので」
自分の考案した農具が日本中に広まるのは、良いことだ。
なので北条領で成果が出たなら良いが、先程までは顔色が悪かった。
しかし今はは安堵の表情に変わっているし、どういう意味があるのかわからない。
そして彼は、今の質問にしばし思案する。
少しだけ時間をかけて考えをまとめたようで、わかりやすく説明してくれた。
「現場の木工職人の話では、構造は単純そのもの。
ですが、効果を十全に発揮するには、厘刻みの調整が必要。
ゆえに安易な量産化は困難、……とのことです」
概ね予想通りの結果だ。
私は五段重ねの円座の上で、大きく溜息を吐く。
「やはり、そうなりましたか」
「量産に失敗することが、わかっておられたのですか?」
私としても、全てを見通していたわけではない。
ちなみに他領に積極的に広めるようにと旅人や行商人に頼んでいるが、正規品は未だに生産が追いついていない。
市場に出回る数は限られていた。
なので必然的に、模造品を他所に持っていく。
だがこれが意外と曲者で、見た目も構造も単純なので複製は容易だ。
大抵の者はそう判断してしまうが、実はそれは大間違いである。
そして間違いは、今ここで正さねばならない。
私は勿体つけることなく、はっきりと答えを口にする。
「失敗の原因は、単純明快です」
そう言って私は、お供として付いてきた側仕えの桜さんに視線を向ける。
次に彼女は一礼して立ち上がり、本丸御殿の外に向かう。
まさに言葉に出さなくても伝わる阿吽の呼吸だ。
私はその間に、北条さんに説明を続ける。
「長さの規格統一がされていなかったからです」
「長さの規格統一、……ですか?」
本丸御殿の外には、桜さんと同じく京都から付いてきて正式に専属医になった花子さんが控えている。
彼女は大きな竹籠を、側仕えの前に置いた。
そして流れるような動きで、桜さんは蓋を開けて中をさぐる。
すぐに稲荷製の一メートル物差しを見つけ出した。
そのまま天守閣の中に戻り、私に渡すために恭しく歩いてくる。
しかし、ここは自分ではなく北条さんにと、そちらに視線を向けた。
桜さんはすぐに意図を理解し、彼の元に静かに向かう。
「……この棒は?」
北条さんに物差しを渡した桜さんが、私の側へと戻ってきてから説明を再開する。
「私が考案した、物差しという道具です。
ミリ、センチ、メートルと単位こそ違いますが、これまでよりも遥かに正確で、事細かな長さを測ることが出来ます」
「なっ、何と!?」
北条さんだけでなく、家臣団も皆一様に驚く。
なお、それを眺めている私以外の者は、揃って何やら遠い目をしていた。
今の彼らの驚愕に、シンパシーでも感じるのかも知れない。
そもそも前世の日本では、当たり前のように規格は統一されている。
そして私にとっては、戦国時代の地方ごとに微妙な誤差のあるほうが、おかしく見えた。
とにかくまだ説明は終わっていないので、淡々と言葉を重ねていく。
「そして私の考案する道具はどれも精密なため、一ミ……いえ、一厘の狂いも許されません」
「なるほど。そうでござったか」
ついでに言えば、この先に出てくる道具は本当に精巧な物ばかりになる。
これまで以上に綿密な作業が必要になるが、そんな時に規格がてんでバラバラでは、将来部品ごとに分担作業した時に、不具合が発生しないわけがないのだ。
「長さや距離、重さや容量等、日本全国で規格統一を図り地盤を整えるのが、実はもっとも重要な改革なのです」
北条さんや家臣団が唸る。きっと一理ありと認めたのだろう。
何だかスコップやツルハシそっちのけで、熱く語って脱線してしまった。
しかし、感情任せに突き進むのはいつものことだ。
とにかく一段落したのでそろそろ話を戻そうと私が考えていると、北条さんがいきなり頭を深々と下げる。
「この北条氏康! 心底感服致しました!」
「はっ? ……えっ?」
彼に習うように、北条家臣団も揃って無言で頭を下げる。
私はと言うと、一体何がどうしてこうなったのか、ちょっと理解が追いつかない。
「天下に号令をかけるだけでなく! 日の本の民に心を砕き、より良き未来を見据えた真の統一を行う!
このような大任! 稲荷神様でなければ、決して成しえぬ偉業でしょう!」
多分物差しのことを言っているのだろうとは、予想がつく。
しかし自分で言っておいて何だが、物の長さや単位の規格統一が天下統一云々と同じぐらい重要とは思えない。
不揃いで苦労するのはわかるが、別に少しぐらいズレても今の時代ならまあ何とかなるよねという感じだ。
確かに、統一されれば現場の職人は大歓喜である。
そして長い目で見れば今のうちから徹底的に各規格の誤差をゼロにするのは、歴史的に見たら大きな一歩なのかなと、ぼんやりと考えた。
だがしかし、その後も北条さんや家臣団からのべた褒めが続いた。
しかも私が言い訳するほど、ワッショイワッショイが加速するという悪循環に陥る。
もはや進むも地獄、退くも地獄だ。
結局スコップとツルハシの説明はそっちのけで話が脱線しまくり、あっという間に日が暮れてしまう。
なおこの日の夜は北条さんが歓迎の宴を開いて、文字通りお開きとなってしまったのだった。




