征夷大将軍
永禄の変や、京都の神医や、焼き討ちなど色々あった。
気づけば私が京の都を訪れてから一ヶ月が経っており、準備が整ったので足利義輝さんは晴れてボッシュートとなる。
しかし別に亡き者にしてはいないし、自ら朝廷に征夷大将軍を返還するだけだ。
それに私も少なからず思う所があり、何もなしのはいさようならでは可哀想なので金と物を融通してもらう。
厳かな式典を開き、大勢の民衆に惜しまれつつ退位と、感動的な演出を行う。
そして田舎に建てた大きな屋敷に親族と一緒に住まわせて、一生何不自由なく過ごせるように取り計らう。
これまで相当激務だったろうし、三好に命を狙われたのだ。
せめてもの手切れ金と言うか、退職金代わりである。
だがまあ再び担がれて江戸幕府と敵対すると面倒なので、もちろん厳重な監視や移動や接触に制限はつける。
なお、これらは全て松平さんに支払ってもらっている。
彼には世話になりっぱなしで申し訳ないが、私が征夷大将軍の椅子を温めておくので、天下泰平の世になるまで頑張ってもらいたい。
それはそれとして少しだけ時が流れ、足利義輝さんではなく今度は私の式典が開かれることになる。
京都御所にて位の高い権力者や大勢の民衆が集まり、いよいよ次代の幕府を開く。
「ええー、稲荷大明神様! 本日はお日柄もよく!」
「このたびは征夷大将軍の位を受け取っていただき! 真に恐悦至極でございます!」
だが公家の方々からの扱いが色んな意味で酷く、厳かな式のはずなのに、向こうの腰が滅茶苦茶低い。
お役目を授けるのではなく、お願いですから受け取ってください状態なのだ。
松平さんが言うには、朝廷が神様を担ぎ上げることで、王政復古にワンチャン賭けているので必死になっているらしい。
しかし自分は別に、武士の世を終わらせるつもりはない。
あくまでも徳川家康にバトンを渡すまでの、繋ぎに過ぎなかった。
彼らの望みが叶うことはないのだが、ここは行けたら行くわ的な感じで快く受け取っておくことにする。
「それほど望まれるのなら、仕方ありません!
征夷大将軍のお役目。この稲荷大明神(偽)が引き受けしましょう!」
「かたじけのうございます!
皆のもの! たった今、稲荷大明神様が征夷大将軍を引き受けてくださりました!」
そして最後に、この国の京都に住まわれている本当の神様から一言いただく。
しかし立場はこっちが上なので、本当は心底申し訳なくて謝罪したいが、頭を下げずに堂々とした態度のまま、謹んで頂戴する。
ちなみに彼の姿は、すだれのような物に隠されていてよくわからなかった。
「稲荷大明神様。日の本の国を、よろしくお願い致します」
「微力を尽くしましょう」
そう言葉を返したが、その後は会話が止まってお互いに無言であった。
何とも微妙な空気のまま、しばらく時間が経ったことで、公家の人が稲荷神を退室させるための発言を口にし辛いのだと、ようやく察した。
「では、私はこれで失礼致します」
なので、私からよっこらしょと立ち上がる。
今代の朝廷から背を向けて、二条御所から外に出ていく。
何だか精神的にどっと疲れたが、とにかくこれで第一関門は突破した。
もちろんまだ安心するには早いが、今だけは肩の荷を下ろして、心の中で大きく安堵の息を吐くのだった。
永禄七年の年末は、京都で過ごすことになった。
足利将軍が退位して、稲荷大明神が征夷大将軍になったことを日本中に知らしめるためにも、拝賀の礼や年頭の祝賀を、大々的に行うためだ。
その辺りは裏方の松平さんや織田さんにお任せなのだが、やっぱり面倒臭いなと感じる。
なお連合軍の今川、武田、斎藤の軍勢はそれぞれの国に帰り、こっちが滞りなく進むように他国に睨みを効かせてくれている。
そして松平と織田が残り、護衛部隊と治安部隊に割り振って、京都の安定を図ることとなった。
ちなみに焼き討ち後も、たまに遠方の僧が抗議に来ているが、全て門前払いさせてもらう。
源氏や平家、女狐や妖怪とか、いちいちうるさいし、今は直接相手にしている暇がないほど仕事に追われているのだ。
朝廷に抗議文を送っても、彼らは既にこっちの味方である。
私がその気になれば錦の御旗はいつでも掲げられるし、もちろん本気で朝敵にするつもりはないが、寺院への脅しとしては効果は抜群だ。
比叡山もとっくに白旗を上げているので、上司に泣きついて事情を知るとすぐに黙って実家に帰ることになるのだった。
年が明けて、次の段階に移る。
いよいよ表舞台に立つ日のため、伏見稲荷大社の本宮の舞台を使わせてもらう。
多くの民衆の前で征夷大将軍関連の式典を開き、松平さんから手渡されたカンニングペーパーを大声で読み上げる。
「ええー、本日は天候にも恵まれ!」
個人的には狐耳や尻尾を生やした幼女が、一生懸命頑張るお遊戯会にしか見えない。
民衆たちから浴びせられる微笑ましくほっこりとした視線は、気にしないことにする。
失敗して大笑いされるよりはマシなので、最後まで押し通した。
しかし今後も同じような式典を開くのは面倒なので、次からは松平さんか織田さんに代理を頼もうかなと、そう思ったのだった。
永禄八年の新年の挨拶が終わるやいなや、京都には治安部隊と現代知識を広めるための指導員を残して、私はまた神輿に担がれて三河に帰っていった。
その途中で夜営を行い、篝火を焚いて陣を張る。
人払いをした後、松平さんと織田さんに今後の予定を簡単だが打ち明けると、大いに驚かれる。
「ええっ! 関東で幕府を!? てっきり岡崎だとばかり!」
「名古屋でもなかったんじゃな」
二人は私が何も言わなかったので勝手にそう思い込んでいたらしく、何とも残念そうに呟いた。
「しかし稲荷神の言う関東の土地は、湿地や浅瀬ばかりで何もない田舎じゃぞ?
本当にそこで幕府を開くのか?」
織田さんは顎を掻いてそう言うが、前世の東京はそれはもう凄いのだ。
しかし戦国時代の関東には行ったことはないので、多分彼の言う通りだろう。
「確かに今は何もないでしょう。ですが、ゆくゆくは東の京都と褒め称えられる程に、豊かになりますよ」
「そりゃまあ、稲荷神が手がければ、何処でも日本一になるじゃろうがのう」
正史では別に私が居なくても、日本で一番栄えている。
なので何でもかんでも稲荷神ありきで考えるのは、止めてもらいたい。
それにバトンタッチした松平さんなら、必ずや成し遂げてくれると信じている。
「しかし今の関東の実質的に支配しているのは北条氏康です。
そこに幕府を開くというのは、彼の領土を奪うことになります」
征夷大将軍になれば、戦国時代があっさり終わると言うことはない。
それを成すためには日本全国の大名を呼び集めて、私の前で平伏させなくてはいけない。
幕府を開く土地は他勢力が使っているので、わざわざ面倒なことをしようとしているのだ。
けれど正史通りの日本にしないと、何が起きるかわからないので怖い。
もっとも歴史に全然詳しくないのでそっちの知識は期待できないけれど、最悪前世の二千年初頭までは日本国は存続していたので、それだけでも安心できる。
しかし自分のワガママだし、戦争を起こして血を流してまで奪う気はない。
「戦は避けられませんか?」
「はい、こちらの要求に従わなければですが」
ようは稲荷大明神にはそれだけの力がある凄い存在だと、この国の民にきちんと自覚させる。
(まるでガキ大将にでもなった気分)
とにかく日本の何処かで戦が起きたら、すぐに介入して場を収める。
逆らう者はぶん殴ってでも強引に服従させられなければ、誰も私を征夷大将軍とは認めてくれない。
今回は北条氏康の領土を奪うことになるのだが、一応文を送って頼んでみるつもりだ。
しかしこのままでは反対されて、戦になる可能性が高い。
そして征夷大将軍に敗北は許されず、やるからには絶対に勝たなければいけない。それも圧倒的な大差でだ。
無血開城が一番良いし、もし無理ならどうしようかとあれこれ考える。
「まあ、成るように成りますね」
「で、あるか」
「ですがもし戦になれば、敵味方が明確になりますし、悪いことばかりではありません」
少なくとも松平、織田、今川、武田、斎藤は私の味方だ。
あとはいつも通り、出たとこ勝負である。
しかしこんなことなら、もっと事前に懐柔工作をしておけば良かったと後悔した。
基本的にその場の思いつきと行きあたりばったりなので、相変わらず全く成長していない。
一刻も早く征夷大将軍になり、戦国時代を終わらせることしか考えていなかった。
そして元女子高生に、戦の駆け引きはわからない。
だが今は頼りになる仲間がいるので、その辺りは慣れている人に全面的にお任せしようと、夜が更けるまで三人で話し合いを続けるのだった。




