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宣教師

 病院を一日休みにして面会希望者と会うことになった。


 それは良いのだが、対面したのはルイス・フロイスという外国人だ。

 また、他にもガスパル・ヴィレラとロレンソ了斎りょうさいの二名が同席していた。そして当たり前だが、全員いい年したおじさんだ。


 今は伏見稲荷大社の来客用の一室を貸し切って面会中で、向こうが真面目な顔で自己紹介をしたので私も静かに姿勢を正す。


「お初にお目にかかります。稲荷神様。

 ルイス・フロイスと申します。

 後ろの二人は、ガスパル・ヴィレラとロレンソ了斎りょうさいです」


 私は表情には出さないが、フロイスさんが日本語が喋れたことに驚く。

 とにかく私も、堂々と返答する。


「では私も、既に知っているとは思いますが稲荷神です。そしてこちらは──」

「桜と申します。稲荷神様の、側仕えをさせていただいております。以後、お見知りおきを」


 私のほうも形式的な自己紹介をすると、すっかりお世話係に慣れた桜さんが恭しく頭を下げる。


 少しでも側仕えに相応しくなるようにと、礼儀作法やマナーについても熱心に尋ねてくるので、前世基準で紳士的な振る舞いについて色々教えたのだ。


 なお、私の情報源は主に漫画や小説、アニメやゲーム等の娯楽作品である。

 所々で間違っているかも知れないが、桜さんが嬉しそうなので問題はないと思いたい。


 それを見たフロイスさんたちは礼儀正しい彼女に感心したのか、反射的にお辞儀をする。


 取りあえず互いの自己紹介が終わった所で、私は先程から気になっていることを彼に尋ねる。


「それにしても、フロイスさんは外国の方なのに、日本語がお上手ですね」

「私は主の教えを人々に広める使命を帯びています。

 ですので、汝の隣人を愛せよ……です」


 十字架のペンダントを首から下げている彼は、日本語を覚えたのも主の教えであると、遠回しに口に出した。


 それを聞いた私は、フロイスさんの正体に何となくだが見当がついた。


 前世の日本でも様々な娯楽作品に登場している。

 コミケでそれっぽいコスプレ衣装もあるし、歴史に疎い私でも朧気ながら知っていた。


「フロイスさんは宣教師で、汝の隣人を愛せよは、聖書の一節ですね」

「流石は稲荷神様。ご存知でございましたか」


 聖書の一節は、田舎でよく見かける。

 なので、実際には全く読んだことがない私も少しは知っていた。


 とは言え、他にはっきりと記憶に残っているのは、ネコと和解せよぐらいだ。


 フロイスさんたちは、とても感心している。

 実際に何が書かれているのかは知りませんけどと、わざわざ口に出すこともない。

 黙って話を先に進める。


「しかしまさか、この国の神様が地上に降りていたとは。知りませんでした」

「……でしょうね」


 私は稲荷神のフリをしているだけで、本物の神様ではない。

 幸い現地の民衆には受け入れられているが、外国からやって来て唯一神を信仰するフロイスさんにとっては、驚愕の事実なのは間違いなかった。


 それに彼だけでなく、後ろの二人も思いっきり驚いていたのだ。

 表情にはあまり出ていないが、心穏やかでないのははっきりと理解したのだった。




 そんな事情はさて置き、わざわざ足利義輝さんを通しても会いに来たのである。

 回りくどいのは苦手なので、重要な目的があるなら、さっさと話してもらいたいものだ。


 そう思った私は、彼に直接尋ねるために口を開いた。


「ところでフロイスさんは、何故私に面会を?」


 すると彼らは、急に姿勢を正して真面目な表情に変わる。

 続いて、かしこまった態度で話し出す。


「稲荷神様に、京の都で布教の許可をいただきたく存じます」

「……なるほど」


 最初は足利義輝さんを頼った。

 しかし彼はもうすぐ退位し、政治や権力とは無縁になってしまう。


 ならば次の征夷大将軍に渡りをつけようとし、私を頼ってきたのだろう。

 あとは、継いだ際に京都の支配権もこっちに移る。

 しかしまだ誰にも伝えていないが、予定地である江戸だけでお腹いっぱいだ。正直仕事が増えるだけなので、別にいらなかった。


 けれど、それをフロイスさんに告げるのは何か違う気がする。

 何より天下を統一した後の私が、この地を管理する人物に布教を許可するようにと書状を送れば解決するのだ。


 色々と考えたが、大まかな結論が出た。

 私は、はっきりと公言する。


「わかりました。布教を許可しましょう」

「やはりそう簡単には、って! ええっ!?」


 あっさり許可したことがとにかく意外だったのか、フロイスさんたちは揃って驚いていた。

 しかし、今の判断はそんなにおかしいことだろうか。


「あっ、あの、稲荷神様? 本当に布教を許可してくださるのでしょうか?」

「私は嘘は嫌いですし、信教の自由は保証されて然るべきでしょう?」

「えっ? はっ、はあ、まあ……一応は」


 何となくだが、フロイスさんの歯切れが悪いような気がする。

 もしかして戦国時代は、キリスト教の信仰が許可されていないのだろうかと、急に不安になってしまう。

 だとしたらここであっさり許可を出すのは、少々軽率だったかも知れない。


 私は気を取り直して、コホンと咳払いをしてから条件を追加する。


「ですが、神の名を騙って政治や悪事の隠れ蓑にするなら、宣教師と信徒の弾圧もやむを得ないことは、覚えておいてください」


 あっさり許可を出すのが行き過ぎだったと反省して、慌てて予防線を張った。

 フロイスさんだけでなく、お供の二人も深く頭を下げる。


「ははー! 決してそのような悪事を働かないと、神に誓います!」


 少し脅かし過ぎたかも知れないが、私は嘘は嫌いだ。

 なので、もしキリスト教を隠れ蓑にして、日本人を外国に売り飛ばす奴隷商人でも紛れ込もうものなら、泣くまで殴るのを止めずに犯人をボコボコにするのは確実である。




 幸いフロイスさんたちは悪意のない宣教師のようなので、心配はいらなさそうだと思った。


(私が知らないだけかもだけど、はっきり条件を出したし大丈夫でしょう)


 宣教師はこの後も、日本にやって来るだろう。

 彼も含めて常時監視つけて、おかしなことをしないように気を配る必要がある。


「そう言えば、稲荷神様は菓子類が好物と聞きましたが」


 肉体的な疲労は感じないが、精神的疲労を緩和するには甘い物が一番だ。

 なので私は、休憩時間には割と頻繁に甘味を摂取している。


 連日連夜の仕事で忙しくなければ、もう少し控えていたかも知れない。

 しかしどうやら、京の都で噂になる程の公然の秘密となっているようだ。


 だがまあ、別に隠すことでもない。

 甘味は貴重だが好きなのには違いないので、フロイスさんに堂々と告げる。


「確かに、私はお菓子が好きです。それが何か?」

「実は本日、稲荷神様のためにと、特別なお菓子をご用意致しました」


 彼は小袋を手に持ち、恭しく一礼して差し出してきた。

 私を少し首を傾げながらも、それを受け取る。


「こちらをどうぞ、お収めください」


 私は彼から渡された小袋の紐を緩める。

 続いて中身を覗き込んで、驚いた。


「その菓子は、ポルトガルのコンフェ──」

「金平糖ですね!」

「「「えっ!?」」」

「えっ?」


 ブツブツした一口サイズの砂糖の塊の金平糖は、前世とは違って色が濁っていて粒が大きい。

 だがそれでも、自分の知っているモノにとても似ていた。


 そう言えば子供の頃に食べたなーと、懐かしい思い出に浸りたいところだ。

 しかし自分は何か間違えたようで、動揺したフロイスさんから恐る恐ると言った感じで尋ねられる。


「あっ、あの……稲荷神様は、この菓子をご存知でございますか?」

「はい、ですから金平糖でしょう?」

「いっ、いえ! 確かに言葉の響きは近いのですが、少々違いまして!

 コンフェイトスでございます!」


 それを聞いた私は、内心でなるほどと納得する。

 しかし、コンフェイトスとは言い直さなかった。

 誰が何を言おうと、前世で見た金平糖の元になったお菓子だからだ。


 なお金平糖を見て思い出したが、長崎名物のお菓子は外国から伝わった物が多いと、何処かで聞いた気がする。


 ならば、カステラもそうかと考えて、頭にパッと浮かんだことを口に出した。


「では、カステラも?」

「ええと、申し訳ありませんが、その名称は存じあげません」


 どうやらフロイスさんは知らないようだ。

 それでも金平糖のように呼び名が違うだけで、実際にはポルトガルから伝わっているのかもと考える。


「ふむ、そうですか」


 しばし考えた私は、後ろに控えているお世話係の桜さんに声をかける。


「すみませんが、カステラを持ってきてくれませんか?

 先日、料理人が試作した残りで構いません」

「かしこまりました。しばらくお待ち下さい」


 桜さんは恭しく一礼したあと、静かに部屋から出ていく。


 実は私は、今回の遠出で長山村から料理人だけでなく、鶏も連れてきていた。


 理由は、台所を借りて自炊したり掃除洗濯まで自分で行う家庭的な稲荷神というのは、ちっとも神々しくない。

 大きなイメージダウンを招いてしまう恐れがあったからだ。


 だが目に見える範囲を他人にやらせるにしても、現地の人は自分の教えを知らない可能性が高い。

 ついでに一から教育するのは大変面倒で、長山村のように自由に動けるかは甚だ疑問だった。


 そこで白羽の矢が立ったのが、長山村で料理店の料理長を務めている元後家さんである。

 今は再婚して連日連夜夫婦の営みを行っていたりするけど、それは今は関係ないので置いておく。


 とにかく彼女に日々の食事を作ってもらい、せめて食欲だけでも満足させようという魂胆であった。

 色気より食い気なのは健在だが、掃除洗濯などの身の回りの世話をさせる者を同行させてないのが、その辺りが適当な私らしかった。




 なお目的地に到着した初日に、京の都では地元料理を私に食べさせるべく、腕に覚えのある料理人を取り揃えてくれた。


 だがその全員をギャフンと言わせた後、流れ的に元後家さんが厨房を取り仕切ることになった。

 当人は分不相応だと慌てていたが、これも日本の料理を発展させるためだと思ってもらいたい。


 そして何だかんだで、松平さんと織田さんも専属の料理人を連れてきていた。

 それを見た私は、もうあの頃の食生活には戻れないんだなと、しみじみ哀愁を感じるのであった。




 私がそんなどうでも良いことを考えていると、部屋の障子戸が開いた。


 そして陶磁器のお皿を木製のオボンに乗せ、それを持ったお世話係の桜さんが戻ってくる。


 お皿の上には、綺麗に切り分けられたカステラに竹串が刺さっている。

 大皿に三切れ、小皿に一切れ用意されていた。


 私の分も用意してくれたことに、口には出さないが流石は桜さんだと心の中で感謝する。


 ちなみに彼女の分はないが、満足気な表情をしていた。

 十中八九の確率で、先に台所で食べてきたのは明らかである。


 それはともかくとして、桜さんはまず私の前に小皿を置き、次にフロイスさんたちに静かに差し出した。


「こっ、これが! カステラですか!」


 彼は自分の前に置かれたこんがり焼色のついたカステラを見て、大いに驚いている。


「そうです。何処かで見たことはありませんか?」

「いっいえ!初めて目にする菓子でございます!」


 あれーと首を傾げる私だが、フロイスさん以外の二人も困惑していた。


 それでも、一口食べれば思い出すかも知れない。

 カステラを食べるように勧めると、恐る恐るといった感じで竹串を指で摘み、三者三様の動きで口の中に運ぶ。


 だがその舌で焼き菓子を直接味わった瞬間、皆が一斉に目を見開いた。


「こっ、これは! 何と言う甘さと滑らかな口当たり!」

「それに! 焼き菓子を食べても喉が乾きません!」


 朧気な記憶に頼って作成しているので、カステラのしっとり感を出すのは苦労した。


 そもそも泡立て器がなかった時点で、特注で作らせる必要があった。

 メレンゲを泡立てるのも、最初は狐っ娘の身体能力頼りだった。

 他にも砂糖の代わりに蜂蜜を使ったりと、とにかく試行錯誤の連続だったのだ。


 そんな中で、卵と麦粉が普通に存在していたのは本当に助かった。


「カステラ本来の、ふんわり感としっとり感を出すのは、苦労しました」


 私もまだ未完成のカステラをいただくが、ここまで驚かれるとは意外だった。

 しかし、一口食べたら、思い……出したとかなるものだと考えていた。


 けれど三人とも、似たりよったりの恍惚の表情である。

 これはポルトガルから伝来した焼き菓子かどうかが、少々怪しくなってきた。


「こっ、このカステラは、稲荷神様がお作りになられたのですか!?」

「ええと、……概ね正しいですね」


 当初は配合や火力調整が上手く行かずに、パサパサのパウンドケーキや、ハードタイプのクッキーになってしまった。

 そんな失敗作の山を積み重ねていたのは、今となっては良い思い出だ。


 それでも諦めずに試行錯誤を重ね、ようやく本来のカステラに近づいてきたのが、これである。


「なっ、なるほど! やはりこのカステラは! 神の国の菓子でありましたか!」


 何やら三人揃って物凄く感動し、天を仰いで祈りを捧げている。

 それを見た私は、もしかして神様が食べるような高級なお菓子だと思ったのかなと察した。


 確かに、戦国時代では原材料は手に入り辛い。

 調理法も未だに確立されていないため、作るたびにムラが出てしまう。


 つまりは現状では稲荷神(偽)しか安定して供給できないので、ある意味ではフロイスさんの言葉は正しいことになる。




 ここまで考えて、訂正するにしても何処から何処までだろうと考えた私は、面倒そうだし止めようと判断した。


 なのでフロイスさんにはあえて何も言わず、しっとりタイプのカステラを存分に味わう。


 歴史書には諸説ありというのが一般的なので、ハードタイプのカステラが元々作られていたとか、そんな仮説もあるかも知れない


 けど私は、自分が食べたいお菓子を好きなだけ食べたい。

 元のお菓子が何だとしても関係ないと割り切り、食べ終わった後に渋めの緑茶をズズズッとすすって口直しをする。


 少しぐらい時代を先取りしたカステラを作っても、大した影響はないだろう。

 そう楽観的に考えるのだった。




 なお後日談となるが、実は既に日本にカステラは伝わっていた。

 しかしそれは、私が求めて止まないふんわりしっとりタイプではなく、どちらかと言うと、パサパサ感のパウンドケーキに近かった。


 さらに困ったことに、どちらも元祖カステラを主張する論争が起きてしまう。


 ついでに言えば、九州の元祖カステラは恥も外聞もなくパウンドケーキを捨てた。

 私の推奨する、ふんわりしっとりタイプに転向してしまう。


 その状態で自分たちが先だと主張するのだから大した面の皮の厚さだと思ったが、ハードタイプは日本受けが悪いので仕方ない。


 なお、やらかした私としては、元は未来の長崎名物を丸パクリしただけだ。

 なので両者の主張については何も言わずに静観するしかなく、はっきりしないのが良くないのか一向に決着がつく気配がないのだった。

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