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病院

 京都に日本初の医療学校を建てる計画が進行していた。

 その一方で私は、伏見稲荷大社でこの時代の医者を相手に、実演を交えて指導を行う。


 しかし私は、家庭の医学や高校一年までの知識しか持っていない。

 前世の医者とは比べるまでもなく、ド素人である。


 専門家ではないので、実際に教えられることは少ない。医療技術も未熟だ。人外の身体能力や直感を持ってしても、処置に失敗することもたまにある。


 だが漢方治療が主な戦国時代では、そんな自分でも神医と呼ばれて持て囃されていた。

 分不相応なのはわかっているし、己の立場を狡猾に利用してでも、間違った常識は正さなければならない。


 そうでなければ亡くなる寸前に、本当は苦しいはずなのに笑顔でこちらの手を握る患者たちが浮かばれない。

 彼らは最後に、稲荷神様ありがとうございますと言い残すか、遺族が全く恨んでいないようなことを伝えて、あの世に旅立っていく。


 人の死は見慣れてしまったが、辛くて胸が苦しくなるのは変わらない。


 だが一度始めたからには、最後まで責任を持たなければならず、無駄な犠牲にするわけには断じていかなかった。


 もう途中下車は許されない列車に乗っているようで分不相応にも程があるが、このままでは名実共に神医と呼ばれそうだ。


 それでも最終目的である、私が平穏に暮らすために乗り越えるべき壁だと信じて進み続ける。

 過度なストレスを受けても。胃に穴が開かない頑丈な狐っ娘で良かったと、今だけは深く感謝するのだった。







 そんなある日のことだ。

 弓術の練習中に矢があらぬ方向に飛んでしまい、たまたま通りかかった人の腹に深く刺さってしまう事件が起こる。


 処置するために急いで抜いたのが不味かったのか、鏃だけが体内に残ってしまった。


 弓の練習をしていたお侍さんは、このままでは命に関わると大慌てになったようで、急ぎ京都でもっとも有名な名医に泣きついてくる。


 稲荷神としての立場では、見捨てることなどできない。

 仕方なく私が処置することになったのだが、京の都の医者たちも部下として付き従っている。


 私は数をこなしたが、まだ彼らに鏃の摘出を任せるには不安であった。

 なので仕方なく自分が体内に残った異物を摘出するために、患者の体を小刀で裂くハメになったのだった。




 無菌室は用意できないので、なるべく清潔な個室を用意して、そこで行うことにする。

 成り行きで外科も教えることになり、練習として罪人の死体を何度か切らせてもらっていた。


 ちなみに生きている人間だが、戦国時代で来る者拒まずで医者の真似事をしてれば、外傷を受けた患者が毎日のように担ぎ込まれてくる。


 最初はビビっていたが否応なしに場数を踏まされたので、今は色んな意味で慣れて度胸もついた。


 取りあえず露出を最低限にするために京都の職人に仕立てて貰った、木綿製の専用の手術着を着用する。

 準備万端と言いたいところだが、マスクが用意できなかったので、布巾を改良して首の後で縛って申し訳程度に口を隠す。


 さらに特注の針と糸を用意していたが、手作りなので前世と比べればちょっと太いように思える。




 だがとにかく患者が暴れないように四肢を拘束し、猿ぐつわを噛ませて手術開始だ。


 医者を題材にした創作物の見様見真似で、熱湯消毒を行った小刀を手に持つ。

 鏃が埋まっていると思われる腹を軽く切り裂き、ピンセットの代わりの鉄の箸で周囲の臓器が傷つかないように慎重に取り出す。


 幸いなことに内臓を避けて刺さっていたようで、他に損傷は見られなかった。


 だがこれは手術経験の蓄積と、狐っ娘の人間離れした身体能力と適応性がなければ出来ない芸当である。


 それに麻酔なしの手術は相当の激痛だったようだ。

 そちらも罪人で試験をしつつ開発中だが、一朝一夕でできるものではない。


 結果的に患者は悲鳴をあげて暴れ、途中で気を失ってしまう。

 しかもショックのあまり心臓まで止まってしまったので、私は大いに慌てた。


 流れ的に心臓マッサージと人工呼吸も教えるハメになったが、接吻する前に蘇生してくれたので安堵する。


 あとは傷口が開いたり雑菌が入らないように気をつけて、しばらく入院して経過観察となった。


 今回の事件は生徒たちの実習になり、得難い経験を積めた。

 終わってみれば患者も助かったし、取りあえずヨシと前向きに考えるのだった。




 また別の日のことだが、稲荷神様にぜひ出産に立ち会って欲しいと声がかかる。


 夫婦の望みは、生まれてきた子供を祝福して欲しいようだ。

 いつもはそんな依頼を受けてたらきりがないので、一貫して断っていた。


 だが今の私は、京都の神医だ。

 将来的に産婦人科を立ち上げるためにも、戦国時代の出産を見学させてもらうのも良いかも知れないと考えて、夫婦の申し出を受けることに決めた。


 穢れるので近寄ってはいけないとか言われているらしいが、直接手を出さなければセーフ理論なのだった。




 いつものように他の医者を引き連れて、京の都の外れに建てられた産屋に向かう。

 だが私はそこで思わず足を止めて、呟きを漏らす。


「……うわぁ」


 生まれるまで過ごすようにと用意された家らしい。

 しかしその見た目は、取り壊す寸前のボロ屋同然の酷い有様だ。

 長年ろくに掃除がされていないことを含めて、衛生環境は最悪であった。


 事前に産婆さんを呼んでいたようで、私たちが到着したことに気づいたのか、家の中からひょっこり姿を見せる。


「貴女が稲荷神様ですか? 何と小さな女の子だこと! あひゃひゃ!」

(不潔だし……酒臭いしで、最悪だよ)


 かなりのお年のお婆さんの髪や服装は、乱れたり汚れたりで不潔極まりない。

 しかも顔が赤いし、吐かれる息からも直前まで酒を飲んでたことは明白だ。


 色んな意味でこれは駄目だと悟った私は、堂々とした態度で戦国時代の出産見学ツアーの終了を告げる。


「産婆さんを家に追い返しなさい! 貴方の奥さんの出産は、私の手で行います!」

「いっ、稲荷神様がですか!」

「そのためにも、ボロ屋……ではなく! 産屋から伏見稲荷大社に移動させます!」


 わざわざ呼ばれたのに、即刻追い返された産婆さんは災難だ。

 当然私のことを恨むだろうが、不衛生な環境で酔っぱらいに命を預ける妊婦さんと赤ちゃんは、もっと辛く苦しい思いをしているだろう。


 とにかく私は、伏見稲荷大社で出産までの面倒を見ることを告げる。

 そして妊婦さんを、強引に引き取ることにしたのだった。




 幸い生徒兼部下の京都のお医者さんたちは、戦国時代の出産方法を知っていた。

 なので前世の医療とすり合わせて、効率の良いやり方を模索できる。


 そんな彼らから事前の打ち合わせのために色々話を聞いたが、妊婦さんは栄養補給に制限があって、寝転んでも声を出しても駄目のようだ。

 拷問かなと勘違いしてしまうような風潮が、いくつもあった。


 これなら現在の常識に囚われない自分が、表に立って見本を見せたほうがマシだと結論づける。


 取りあえず空腹で辛そうな妊婦さんに消化吸収の良いものを食べさせたり、横に寝かせて安静にしてもらう。

 さらに出産で苦しい時のための呼吸法である、ラマーズを教えた。




 いざ出産となれば大慌てだったが、それでも何とか赤ちゃんを私の手で慎重に取り出す。

 へその緒を、きちんと消毒した器具で切り落とした。


 その後、産湯ではなく温かな布で汚れを拭き取って、体温を下げないように気をつけたりと、何だかもうとにかく大変だ。


 肉体的には全く疲れなくても、一つの命の誕生に立ち会うだけでなく当事者になったのである。

 精神的な疲労が酷いが同時に嬉しくもあり、やり方は示せたので次からは段取りを覚えた他の医者に任せようと、心に決めたのだった。







 後日談となるが、産後の女性にもやたらと禁則事項が多かった。もちろん、そちらも全て撤廃や改変してもらう。


 さらには新しい決まり事を制定し、妊婦さんに母子手帳をつけさせたり、未来で言う風俗関係にもテコ入れを図った。

 とにかく清潔さを保つことや衛生面に、細心の注意を払わせる。


 ついでに男性に関しても、必ず濡れてから入れさせることで女性の負担を軽くした。


 しかし、それだけでは男性の負担が大きくなる。

 完成がいつになるかはわからないが、未来で言う所のローション開発を進めて、前戯でスッキリさせるプレイも色々教えるつもりだ。


 ただし性病に関しては、戦国時代では治療も診断も難しい。

 なのでその辺りは現地の医者と相談しながら、追々進めていくことに決定する。


 しかし、幕末にタイムスリップする医者のドラマを見ていて良かった。


 少なくとも伏見稲荷大社の稲荷神(偽)の前では、命を投げ捨てるような行為はさせないつもりだ。

 これにより妊婦さんや赤ん坊の負担が大幅に軽減されて、若い男性だけでなく女性からも絶大な信仰を集めることになったのだった。




 なお、赤ちゃん関連は他にもある。

 排卵後の数時間以内にやれば、的中する可能性が高いと教えた。

 当然のようにオギノ式も日本全国に広まるのだが、ラマーズさんも含めて医学界きっての偉業と褒め称えられることになるが、残念ながら今の時代には存在しない。


 それに私も詳しいことは知らなかったので、結果的に稲荷神様をワッショイワッショイし、いつの間にか自分が発見したことになってしまったのだった。




 そんな慌ただしい日々を過ごしながら、自分の知る医療技術を行き当たりばったりに生徒たちに教えていく。

 専門知識や前世の独自用語は、適当な翻訳と説明でお茶を濁す。

 そして医学教授の真似事をしているうちに、いつの間にか神医の呼称が完全に定着してしまった。


 だがしかし自分はド素人なので、全ての患者を救えたわけではない。

 やはり怪我や病気や対処法を知らないことのほうが、圧倒的に多かった。


 それでも漢方薬や祈祷に頼るよりは遥かに現実的で、戦国時代の治療法と比べれば、患者の死亡率はかなり低い。


 さらに私は、患者の命が尽きる瞬間まで絶対に見捨てない。

 何が何でも救おうとする姿に心を打たれたのか、またもや信者が増える結果となる。




 正直、神医という呼称は相応しくない。

 しかし稲荷神(偽)として、ワッショイされるのを否定するのは残念ながらできない。

 まだ天下も統一していないのに、神様を引退して普通の女の子に戻りますをしたら、平穏な暮らしが遠ざかるに決まっているのだ。


 だがこれでもし私が人間のままだったら、今頃は民衆からの期待の重圧によって、胃に大穴が開いていたのは確実なのだった。




 そんな私の診察と教育は、完全無料だ。

 どうしても支払いたければ寄付という形で、ある時払いのほんの気持ちで結構と、入り口の看板にでっかく記載してある。




 だが、これには裏事情があった。

 患者は経験を積むために必要で、教えを請う生徒たちは日本の医療レベルを上げてくれる。


 我ながら最低の発想だし、そんな私に稲荷神としての資格などない。

 しかしそうでも思わないと、必死の治療が及ばずに亡くなる患者たちに、申し訳が立たない。


 なので私と京都の医者たちは、いつの間にか志を同じくする者となった。


 たとえ今は無理でも、必ず病気の原因を突き止める。治療法を確立してやると闘志を燃やす。


 前世の医療知識や技術を伝授し、怪我や病と戦う術を習得したので、いずれは実現できることに期待したい。


 このような経緯もあり、京の都は稲荷神の信者が激増する事態となった。


 それと命を救ったものの行く宛がない場合は、看護師見習いとして雇い入れた。

 彼らには患者の身の回りの世話や、私が指示した雑用を任せる。


 働かざる者食うべからずだ。


 臨床実験として好き勝手したことを棚に上げて、行く所がなければうちに住み込みで働かないかと尋ねると、皆が二つ返事で了承した。


 看護師の仕事は相当キツイため、地獄への道は善意で舗装されているとはよく言ったものだ。

 それでも盗みを働いたり、犯罪に走るよりはマシなので、取りあえずはヨシとする。




 ついでに私がうっかり漏らした前世の言葉がキッカケで、京都の医者で学びに来ている者は研修医。

 漢方治療を行う者を内科。小刀等で体を裂いて手術をする者を外科。患者の身の回りの世話や医者の補助をする者は看護師。


 このような医者関連の用語が、あっという間に広まる。

 しかも使い勝手が良すぎるために、現場で当たり前に受け入れられてしまった。


 もはや日本の医療は、正史から完全に逸脱してしまっている。

 平穏な暮らしを手に入れるためとはいえ、一般常識どころか用語まで変革してしまったのだ。


 私はすっかり定着した研修医と看護師に指示を出しながら、心の中で、どうしてこうなったと独りごちるのだった。







 リアルお医者さんごっこで寝る間も惜しんで、こぼれ落ちるはずの命を救っている間にも時は流れていく。

 それは永禄七年の、秋の暮れのことである。


 ある人物が、伏見稲荷大社の稲荷神に面会を申し出てきた。


 今は目が回るほど忙しいので、普通なら断るところだ。

 しかし、足利義輝さんからよろしく頼むという文が送られてきた。


 それを読んだ私は、でも今は凄く忙しいしなぁと思案する。

 そこでようやく自分が、花子さんを拾ってから連日連夜片時も休まずに働いていたことに気づいた。


 はっきり言って、こんなのは私が望む快適で平穏な暮らしではなかった。

 たとえ将来のための地盤固めであろうと、人間の生活には日々の潤いは必要不可欠なのだ。


 狐っ娘の体は肉体的だけではなく、精神的疲労の回復もずば抜けていた。

 連日連夜ぶっ通しでも、作業効率が落ちることなく働き続けていられる。だがそれを受け入れられるかと言うと、全く別の話だ。


 今頃自分がおかしかったことに気づいた私は、良い機会だとばかりに予定表を見直すことにする。


 いつの間にやら研修医や看護師たちの総監督的立場になっている花子さんに、これから毎日休息や睡眠を取ったり、休日を設定することを伝える。


 そして表の看板も、朱色で書いた本日休院に急いで変更する。


 院内の研修医にも、今日は指導は行わない。

 各々で自習でも体を休めるなり自由に過ごすようにと、はっきりと告げるのだった。

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