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風邪

 私の巾着袋を奪おうとした少女だが、名前は花子と言うらしい。

 年齢は十二歳で、狐っ娘より少しだけ大きい。その程度の差ということは、栄養状態があまり良くないのかも知れない。


 それとは逆に、巫女の桜さんは戦国時代では珍しく、長身だ。

 さらに胸やお尻も、よく育っていて重そうだった。


 見た目は現代で言う所の女子高生を想定していたが、実は彼女も花子さんと同じ十二歳だったという驚愕の事実が明らかになり、内心大いに動揺したのだった。




 それはともかくとして、花子さんは孤児だ。住処には同じように、親のない子供たちが居るらしい。

 なので私は、煎餅を食べ終わった花子さんに道案内を頼み、そこに元に向かうことにした。


「じゃあ稲荷様は、足利将軍の代わりに天下を統一するの?」

「その通りです。戦乱の世を終わらせて天下泰平を築くためには、私が上に立つしかないようですので」


 歩きながらの小声でやり取りを行い、周囲には聞かれないように気をつける。

 さり気なく周りの人たちからは距離を取っているので、正体がバレる心配はない。


 それにしても花子さんは子供だからか、敬語が若干怪しいところがある。

 だが私としてはこのぐらい崩してくれたほうが、妹か年の近い知り合いのように気楽に話せて良かった。


「もしそうなったら、孤児の私でもさっきのお煎餅を、お腹いっぱい食べられる?」

「ええ、もちろ──」


 そんな時代が到来するのは、前世を知っている私個人としては、自信を持って言い切れる。

 だが冷静に考えれば、そうなるまでには時間がかかり一朝一夕にはいかない。

 そう思い直して、言葉を途中で切ってしまう。


「いえ、少し時間が足りないかも知れませんね」

「……そっか。私も稲荷様のように長生きしたかったな」


 狐っ娘は人間より長生きかも知れないが、まだはっきりと言い切れない。

 しかし転生前も含めれば彼女より年齢は上だと思いつつ、私も黙ってしまう。


 少しだけしんみりした雰囲気のまま、京都の町を歩いていく。


「花子さんは長生きしますよ」

「そうなの?」


 流石にずっとこのままでは気まずい。

 なので、とにかく花子さんを励ますために口を開く。


「ええ、子供のうちにお煎餅をお腹いっぱいは、時間的に厳しいです。

 しかし大人になってから、望みはきっと叶いますよ」


 言うだけならタダなので、私は小さな胸をポンと叩いて堂々と言い切る。

 何か政治家が選挙前に掲げる公約っぽいが、元気のない彼女を元気づけるためだ。


 それに、日本の食料自給率を上げる改革を行うのはほぼ確定で、言葉に嘘はない。

 だがまだ征夷大将軍にはなっていないし、戦乱の世も継続中だ。現時点では絵に描いた餅であり、割とフワッフワであった。


 ちなみにすぐ近くには、黙って聞いていた巫女の桜さんが居る。

 聞き耳を立てて様子を窺う護衛のお侍さんたちも、少し距離を取って陰から見守っていた。


 彼ら一同はイイハナシダナーとばかりに、感極まって嬉し涙を流している。

 しかし花子さんとのお話に夢中になっていた私は、全く気づかなかったのだった。




 大通りから離れて裏路地に入り、京の都の外れ辺りまで歩いてきた。


 周りの建物の傷みや老朽化が酷くなってきたなと思い始めた頃に、私の少し前を歩いていた花子さんが立ち止まり、おもむろに口を開いた。


「稲荷様、私の家はここです」


 彼女の視線の先に目を向けると、朽ち果てた廃屋に雨避けの板を張られていた。

 そうすることで雨枷を防ぎ、辛うじて人が住めるようにしているのだろう。


 そのまま玄関の傷んだ引き戸を横にずらして中に入ると、すぐ目の前には花子さんよりも幼い子供が四人、調子が悪そうな表情で藁の寝床に横になっていた。


「私の仲間です。四人以外には、私より年上の子が居たけど。少し前にお侍様に──」


 斬られたのか捕まったのか理由は知らない。

 この家や孤児たちとはどういう関係なのかも、わざわざ聞く気もなかった。


 とにかく今重要なのは、彼女が最年長で、孤児たちの稼ぎ頭をやっていることだ。

 そしてどうやら、その日に食べる飯も事欠く有様らしい。


 そんな中で、私のような幼子が無防備に歩き回っているのは、まさに鴨が葱を背負って来たように見えるのも無理はなかった。




 だがまあ、それは一旦置いておく。

 私は湿った藁の上に横になっている子供たちに近寄り、静かに腰を下ろした。


 そのまま小さな手を互いの額に当てて、簡単に熱を測る。


「いつ体調を崩したのですか?」

「三人は昨日で、一人は今朝起きたら熱が──」


 さらに私は、お供の巫女である桜さんを手招きで呼ぶ。

 高熱で苦しんでいる幼子の口を、開けてもらった。

 

「原因に心当たりは?」

「二日前の大雨で、屋根の一部が崩れたの。

 急いで修理したけど、その時に濡れちゃったからだと思う」


 狐火を灯して子供たちの口内を調べると、歯が何本か抜けていて歯垢で汚れていた。

 そこはまあ戦国時代なので仕方ないが、それ以外にも四人全員の舌が白く変色していた。


 風邪を引いて医者の診断を何度か受けたときと、ほぼ同じ症状だ。

 それに私は、女子高生になるまでの保健体育や家庭の医学なら知っている。


 ゆえにこれは、四人全員に風邪の病状が出ているのは、はっきりとわかった。


 私が見様見真似でリアルお医者さんごっこをしているときに、花子さんは膝をついて頭を下げる。

 続いて、必死な表情で懇願してきた。


「薬を手に入れるか、寺院に寄付して祈祷を行えば! この子たちは皆回復するはず! なのでどうか!」

「私の巾着袋を狙ったのは、それが目的でしたか」


 子供たちを助けるという、止むに止まれぬ事情があったのはわかる。

 ただまあ、今回は私が標的になったのだが、花子さんや孤児たちに前科がないとは考えにくい。


 しかし、これもまた戦国時代の世の常だ。

 特に京都は魑魅魍魎が跋扈してもおかしくないほどの荒れ模様だ。

 犯罪に手を染めていない者のほうが、少ないかも知れない。


「もっ! 申し訳ありませんでした! 何卒! お慈悲を!」

「貴方たちを責めるつもりはありません。生きるためでしょう?

 ただ欲望を満たしたり、面白半分に人を殺すよりはマシです」


 私が成敗した野盗と比べれば、同じ犯罪者でも花子さんのほうがマシに思える。

 それに一応確認しただけで、責めているわけではないと笑顔で伝える。


 とにかく犯した罪を悔い改めて償いをさせるためにも、病に冒された子供たちを助けなければいけない。

 孤児たちまで亡くなってしまったら、花子さんの精神状態がいよいよ不味いことになりそうだ。




 しかし孤児たちを助けるのは良いが、私には具体的な計画がなかった。

 なので、これからどうしたものかなと、口元に手を当ててしばし考える。


 その際にいくつか聞きたいことが出来たので、花子さんではなく近くに控えている桜さんに質問をする。


「薬と言うのは、どのような物を使うのでしょうか?」


 戦国時代の薬の知識は、私は当然知らないし孤児である花子さんも詳しくはなさそうだ。

 なのでこの場は、見た目は最年長の桜さんが適任だと判断した。


 その証拠に彼女は十秒ほど思案し、すぐに答えてくれる。


甘草かんぞう葛根かっこん等の様々な薬草を煎じて、病人に飲ませると聞いたことがあります。

 しかし、必ず回復に向かうとは限らないようです」


 葛根と聞いて、そこに湯を追加した漢方薬なら私でも知っている。

 前世でどの薬局に行っても、一つか二つは棚に並んでいるほどの人気商品だ。


 しかし、こんなに古くから使われていたとは思わなかった。


 医療技術がまだ十分に発達していない戦国時代では、病状の診察は困難だ。

 医師免許制度も多分なさそうだし、患者を騙してカモにするヤブ医者も多そうである。


 それに衛生管理もずさんな状態で漢方治療を施しても、回復に向かう可能性は前世よりも確実に低い。

 そのことが想像できてしまい、私は心の中で大きな溜息を吐いた。


「では、祈祷と言うのは?」

「神仏に祈りを捧げて、病状の回復を祈祷するのです」


 完全に神頼みだった。

 しかし、昔から病は気からと言われている。

 ストレスが病気の原因になることもあるし、気力による回復もなくはない。

 あとは火を焚いた際の発汗作用なども考えられるので、必ずしも的外れではなさそうだ。


 だが精神論で何とかなれば、医者も患者も苦労はしない。


 とにかく本当に戦国時代は、何もかもが前世と違いすぎる。

 私は若干のイラつき混じりで、ついポロッと本音を漏らしてしまう。


「詐欺ですね」

「「「えっ?」」」


 私の話を聞いていた人は全員、唖然とした表情を浮かべるが、構わずに続ける。


「病気とは、科学的根拠に基づいて発生します。

 祈祷でも回復する可能性はありますが、私なら運を天に任せたくありません」


 たまに絶望的な病から奇跡的に回復する場合もあるが、そんなのは天文学的な確率だ。

 それに賭けるほど、私は現状を楽観視するつもりはない。


 祈りの言葉を捧げるだけでなく、病人の身や室内を清潔にしたり、火をおこして室内の気温や湿度を保ったりもしている。


 だがその裏では、銭だけ取っていい加減な祈祷を行う者も多く存在していた。

 何が効くかも定かではない中で不確かな薬を飲ませたりしつつ、神仏にひたすら祈るのだ。


 前世の常識が前提となっている私にとっては、そんなあやふやな手段に多額の銭を投じて頼りたくはない。

 やはり新手の詐欺にしか思えなかった。


 何より、お金を払って祈祷してもらえば重病だろうと回復すると、そんな常識がまかり通っているのだ。

 変な宗教団体に勧誘されたからとホイホイ入信するのと同じで、断じて許容できなかった。


 さらに今の発言は、祈祷を行っている神社仏閣の全否定だ。

 場合によっては聖戦待ったなしだが、イライラしっぱなしの私は、まるで気づかなかった。


 私は真面目な表情でスックと立ち上がり、堂々とした態度で桜さんに声をかける。


「伏見稲荷大社の一室を貸し切ります」

「そっ、それは構いませんが、一体何をされるのでしょう?」

「子供たちを治療します。祈祷には頼らない私のやり方で、です」


 見様見真似のお医者さんごっこと、高校一年生までの保健体育、あとは家庭の医学程度でどうにかなって欲しい。

 もし迷信やオカルトに負けたら滅茶苦茶悔しいし、力及ばずに亡くなる子供たちを見ると悲しい。


 何より稲荷神(偽)としては、失敗はそのまま自分の首を絞めるので、何としても助けないといけない。


 なので、取りあえず護衛のお侍さんを呼んで、子供たちを背負って運ぶのを手伝ってもらう。

 とにかく今は伏見稲荷大社に帰って治療の準備を整えるべく、早足で歩き出すのだった。

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