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施し

 最初はお忍びの京都観光を楽しむ気満々の私だったが、伏見稲荷大社に来る前に流し見た通り、相変わらず酷い有様だった。


 それでも治安維持部隊が頑張ってくれているおかげで、死体や糞尿、瓦礫やゴミ等は綺麗に片付けられている。


 ただし大通りだけでは、裏通りは汚れたり散らかり放題だ。

 京都の家々の傷みも酷い。住民たちも何処となく元気がないようだが、現時点ではとても手が回らない。


「これは気が滅入りますね」

「もっ、申し訳ありません」

「桜さんの責任ではありません。これは時代が悪いのでしょう」


 藁笠をかぶって顔を隠した私は、新人の若い巫女である桜さんと一緒に大通りを歩きながら、町中を見渡していた。

 伏見稲荷大社を出るまでは京都観光にウキウキだったが、今は少々気が重くなっている。




 しばらくの間、行く宛もなくぶらついていると、一人のみすぼらしい少女が裏路地からよろめきながら近づいてきた。


 陰ながら見守っていた護衛のお侍さんたちが反応しそうだったので、私が先に心配無用と手で制する。


 すると、すぐ近くまでやって来た少女は、私の巫女服の袖を弱々しく引く。

 続いてか細い声で、必死に訴えてきた。


「巫女様、どうか施しを。ここ数日、水しか飲んでいません」


 隣の桜さんが顔を青くしたまま、子供を引き剥がそうか、それとも私の命じた通りに動かないかで、心の中で葛藤している様子が伝わってくる。


 だが、それは一旦置いておく。


 ついでに護衛の皆さんは腕利きだけあり、契約はきちんと守るようだ。

 こちらの制止を見て小さく頷いた後、いつでも動けるように油断なく様子を窺っている。


「それは可哀想に。では貴方にはこれを──」


 そう言って私は、腰に下げた立派な巾着袋の紐を緩めて取り外す。

 中に入れてきた自分用のオヤツを分け与えようとしたところで、目の前の少女の態度が豹変した。


 何と彼女は私の手から巾着袋を奪おうと、勢い良く両手を伸ばしてきたのだ。


「物取りとは、穏やかではありませんね」


 だがしかし、狐っ娘の身体能力は常人を遥かに越えている。


 少女がどれだけ素早く動いても、私にとっては見てからの対処は余裕だ。

 なので彼女が巾着袋に触れる寸前、サッと後ろに引いて隠してしまう。


 そして今度は私が空いている左手を伸ばし、逃げられないように少女の腕をガッチリと掴んだ。


「うっ! 動けない!?」


 私を狙ったのは、見た目が豪華で紋様も美しい巾着袋を盗むためで、中身と一緒に何処かで売り払うつもりかも知れない。

 京都の治安の悪さを考えれば、裏取引やら盗品販売などが頻発していてもおかしくない。


 ついでに言えば、私の見た目は十歳ほどの小柄な体型だ。

 すぐ近くには同じ伏見稲荷大社の巫女服を着た、先輩と思わしき桜さんしか居ない。

 そして護衛は陰ながら見守っているため、存在に気づき難かった。


 つまり目の前の少女にとっては、近づいて不意を突いて幼児から巾着袋を奪い、素早く裏路地にでも逃げ込めば、まず捕まる心配はないと思い込んだのだ。




 だが現実は残念ながら、彼女の予想通りにはいかなかった。


「はっ、離して!」


 私の手から逃れようと、みすぼらしい服装の少女は、必死な形相で殴ったり蹴ったりしている。

 ぶっちゃけ痛くも痒くもなかった。

 水しか飲んでいないのに元気そうなのは良いが、やはり体つきは全体的に痩せ細っている。

 お腹が空いてるのは嘘ではなさそうだ。


 そして近くで見ている巫女さんや遠くから様子を窺うお侍さんたちは、私がいつブチ切れるかで戦々恐々していた。


 一方私は、内心では暴れている彼女が手足を捻ったり打撲で怪我をしたらどうしようと、別の心配をしていた。


 しかし取り乱している今は説得が難しいので、しばらく少女の好きにさせる。気が済んで落ち着くのを待つつもりだったが、ここは大通りだ。


 通行人が足を止めて、興味津々という顔で私たちのやり取りを見物し始めている。少々居心地が悪い。


 やがて彼女も疲れて逃げられないと思ったのか、息を切らして泣きそうな表情に変わる。ヘナヘナと地面にへたり込んだ。


「私を、どうするつもりなの?」

「どうと言われても、施しを与えますが?」


 私は彼女の質問に答えながら、何処か怪我をしていないか注意深く確認する。

 すると少し土埃がついた以外に異常はなかったので安堵すると、目の前の少女が大きな声で叫んだ。


「嘘よ! そんなこと言って、どうせ人買いに売り払うんでしょ!」


 駄目だ。会話にならない、とまではいかないが、精神的に追い詰められているのだ。

 自暴自棄になっていることはわかった。


 なので私は、へたり込んで逃げる気をなくした彼女の手を離し、巾着袋の紐を緩める。

 続いて一枚のお煎餅を取り出すと念の為に匂いを嗅いだあとに、絶望した表情を浮かべる少女の口を無理やり開けさせた。


 そして、有無を言わさず突っ込んだ。


「むぐうっ!?」

「食べなさい。ただし落ち着いて、ゆっくりとです」


 賞味期限は大雑把にしかわからないが、出発前に焼いてきた雑穀煎餅はまだギリギリ保つはずだ。

 だがカビこそ生えていないがそろそろ食べ切らないと不味いため、狐っ娘なら万一当たってもどうせ腹は下さない。

 本日のオヤツにするつもりだった。


 だが状況が変わり、今それを目の前の少女に無理やり食べさせていた。




 場面としては涙目でへたり込んでいるみすぼらしい女の子の口に、幼女がお煎餅を強引に突っ込むと言う、はっきり言ってまるで意味がわからない何かだ。


 しかし彼女は逆らっても無駄だと学習したのか、言われた通りに黙って咀嚼していく。


 すると隣で成り行きを見守っていた巫女さんが、慌てて止める。


「あっ、あの、ええと! いっ、……お手が汚れてしまいます!」


 一瞬稲荷神様と発言しそうになったが、ギリギリで気づいたのか、彼女は慌てて言い直す。

 正体がバレないように、要点だけを口にした。


「私は汚れないので大丈夫です。それに、彼女に手づかみで食べさせるほうが危険です」


 今の時代の衛生管理は、ずさんの一言に尽きる。

 何より、地面にへたり込んだ薄汚れた少女の手にそのまま持たせては、細菌による食中毒を起こす危険性があった。


 まあ私の手にも雑菌やら何やらがついているかも知れないが、泥や糞尿に突っ込んでも汚れはおろか匂いもつかないため、多分大丈夫だろう。


 賞味期限が危ういお煎餅を無理やり食べさせるという、そんな後ろめたさを誤魔化すための咄嗟の行動であった。




 しばらく無心で雑穀煎餅を食べていた少女だが、途中で私の指を思いっきり噛んでしまう。

 不味いことをしたと顔を青くし、恐る恐るという表情でこちらの様子を上目遣いに窺う。


「私のことは気にせず、最後まで食べきりなさい」


 その程度痛くも痒くもないが、安心させるようにニッコリと微笑む。

 しかし通行人の視線があるので、この姿勢もいい加減恥ずかしくなってきた。


 なのでさっさと食べ終わるようにと、催促する。


 すると先程まで絶望の表情をしていた少女は、小腹が膨れてほんの少しでも元気が出たようだ。


 その後、時々竹の水筒で水を飲ませたり、続けて取り出した残り数枚のお煎餅を食べさせる。

 私と同じように少し恥ずかしがっていたが、最後までペロリと平らげたのだった。




 だがしかし、もうお煎餅は全て食べ終わったと言うのに、何故か彼女は私を放してくれない。

 口に入れた指を一心不乱に舐め続けていた。


 この理解不能な行動に恐怖を感じた私は、反射的に指を引いて少女を慌てて止める。


(ペロリスト!? まさか遭遇するとは思わなかったけど、……ええ? 現実でもこんな感じなの?)


 未来のネット用語のペロリストとは違う気がする。

 しかし初めての遭遇に、若干引き気味になってしまう。


 それでも歓喜の表情で私を見つめる彼女を見捨てるなど、自分には出来なかった。


 きっと稲荷神のおみ足を舐めろと命令すれば、待ってましたとばかりに喜んでやりそうな雰囲気を漂わせている。

 そんな少女を前に、この色んな意味で危険な子をどう扱ったものかと、今さらながら途方に暮れるのだった。

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― 新着の感想 ―
多分お腹が空き過ぎていただけだろうけど最古のペロリスト現る
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