佐藤忠能
二度あることは三度あると言うが、永禄七年の春は本当に予期せぬ来客が多い。
今度は佐藤忠能と名乗る武将が家にやって来た。
私は取りあえず引き戸を開けて招き入れる。
そしてちゃぶ台の向かい側に座らせて、お茶をどうぞと出した。
ちなみに彼の部下は、社務所の外で待機してもらっている。
前回の寿桂尼さんと同じく、一対一の面談であった。
まずは彼がここに来た目的を尋ねると、頭を抱えたくなるような答えが返ってきた。
開幕からいきなり、強烈な一撃をもらった気分である。
「稲荷神様の助言を聞き、斎藤を裏切り織田に降るか否かを決断致す!」
佐藤さんはそう、何ら悪びれることなく堂々と発言したのだ。
私としては、おいおいマジかよとしか思えなかった。
しかし戦国時代は、主君を裏切ったり、下剋上するのは別に珍しくない。
たとえ長年仕えた信頼できる部下だろうと、万が一にも寝首をかかれないとは限らないのだ。
そう松平さんから聞いていた。
なので佐藤さんが言うことも、一理あるとは納得はできる。
だがしかしだ。
今働いている職場を辞めて、待遇の良いライバル会社に転職しようか迷ってるけど、どうすりゃいいと思うと、背景も事情も全く知らない自分に相談してきたようなものだ。
(そんなの私が知るか! ⋯⋯と返したいなぁ)
それでも稲荷神を自称する者として、ブチ切れて手近にあるちゃぶ台をひっくり返すわけにはいかない。あくまでも冷静に話を進める。
「お話はわかりました。ですが、何故私に相談を? ここは織田さんに尋ねるべきでは?」
佐藤さんは斎藤家に仕えている。そして領土は尾張と隣接していて、敵同士の間柄だ。
時流を読んで仕える主を変えるのは、戦国の世なら当たり前に行われているので、何らおかしなことではない。
だがそれを私に相談するのだけは、致命的に間違っていた。
「織田殿から書状が届き、この件については稲荷神様に助言を求めるようにと勧められたのだ」
つまりは、織田さんがこっちに丸投げした。
佐藤さんは、遠路はるばる稲荷山までやって来たと言うことだ。
それを聞いた私は、仕えている主を裏切るか、今の職場に留まるか。
そんな重大な決断の助言を私に委ねる織田さんの考えが、ここに来てぼんやりとだが見えてきた。
(織田さんには、貸し一つだね)
彼は今後仕える主を、信長さんか斎藤さんか、二人の間で揺れ動いている。
今後の進退の決断を委ねられるには、どう考えても中身が元女子高生の私には荷が重い。
しかしここまで来た彼に、やっぱり織田さんと相談してくださいと断るのは可哀想だ。
何より民衆を導く稲荷神(偽)には、迷える子羊を見捨てるという選択肢は、最初から存在しない。
なので正直気は進まないが、私は彼の人生相談に付き合うことにした。
「そもそも何故佐藤さんは、織田に降ろうと考えているのですか?」
「織田に呼応して主を裏切れば、新たな土地を褒賞として与えるという密約を持ちかけられたからでござる」
戦国の世なら、割とありふれた理由だ。
未来で言えば金や地位が目当ての裏切りと言ったところである。
だが失敗したら、一族郎党お陀仏になる可能性が高い。何ともハイリスクハイリターンだ。
なお私はその答えを聞いて、織田さんが佐藤さんをこっちに丸投げをしてきた理由を完全に理解する。
そうなると、彼にもいつも通りの本音をぶっちゃけるのが一番穏便に収まる。
私は堂々とした態度で、佐藤さんに告げた。
「私の意見としては、織田さんに降るのは止めるべきです」
「では稲荷神様は、裏切りの策が失敗すると?」
不安そうな表情を浮かべる佐藤さんに対して、私は溜息を吐きながら首を振って否定する。
「それは違います。計略が成功するか、それとも失敗に終わるかは問題ではありません」
織田さんは私に、何とも面倒な役回りを押しつけてくれたものだと内心で愚痴る。
それでも真面目にこっちの話を聞く佐藤さんに向けて、この計略に関する問題点を、単刀直入に口に出す。
「結論から先に言ってしまえば、織田は斎藤に攻め込む気は毛頭ありません」
「……は?」
呆然とした顔をする佐藤さんは、まるで理解できないようだ。完全に言葉を失っている。
今から語ることが、恐らく織田さんが彼を私に押しつけた理由だ。
それをなるべくわかりやすく、簡潔に伝えていく。
「近いうちに戦乱の世が終わり、天下泰平の時代が到来します」
「天下泰平、……でござるか?」
まだ内心で動揺しているであろう彼を落ち着けるように、私は静かに語りかける。
「そうなれば国同士の戦がなくなり、佐藤さんと織田の間で交わされた密約も、無意味になります」
もしこのことを織田さんが伝えたら、佐藤さんは間違いなくブチ切れる。
自らの立身出世を約束した書状が、全て白紙に戻されるのだ。
下手をすれば、織田の内情を斎藤側にバラされるかも知れない。
何にせよ、織田勢にとって厄介なことになるのは確実だ。
だからこそ、私を間に挟んだのだろう。
密約を交わした張本人が、契約を反故にするよりはマシである。
ついでに織田さんのことなので、私に佐藤さんをなだめすかして怒りを静めて欲しいのだろう。
流石にそれは無茶振りが過ぎる。しかし一応お友達なので、できれば何とかしたい。
なので仕方なく、行きあたりばったりでも取りあえずの弁明を口にする。
「織田さんを責めないであげてください。
私が天下を統一するのが決まったのは、極最近のことなのです」
織田さんと佐藤さんが書状でやり取りが始まったあとで、私が天下を統一することになってしまった。
本当に降って湧いた話であり、きっと当事者の私でさえ予想できていなかったのだ。
私は引き続き、急な方針転換で密約を撤廃された佐藤さんを宥めようと、静かに声をかける。
「ですので、密約を撤廃──」
「稲荷神様が天下を治めるのでござるか?」
先程まで呆然としていた彼が、何かを思いついたかのように口を開いた。
へこんでるかと思ったら、元気いっぱいにこちらに話しかけてくる。
いきなりどうしたのかとは思ったが、それでも質問には、はっきりと答える。
「最初は統治者になる気はなかったです。
しかしとある事情で、天下を治めることになりました」
先程まで呆然としていた彼の態度が、急変したことに驚いた。
だが私はすぐに冷静さを取り戻して、言葉を続ける。
「稲荷神様のお噂は、聞いておりまする」
「どのような噂か、聞かせてもらっても?」
良くわからないが、話題が変わったようだ。
これ以上、彼の人生相談に乗らなくて済む。
ついでに何となく興味を惹かれたので、説明するように促す。
すると佐藤さんは、小さく頷いて話し始める。
「三河の地に、稲荷神を名乗る少女が降臨す。
狼たちを率いて戦場を駆け、力強き武将を一太刀で討ち果たす猛々しい姿は、まさに真の勇者なり。
高天ヶ原の料理や道具、様々な加護を苦しむ民衆に惜しみなく分け与え、遙か未来を見通す賢者である」
佐藤さんの話を聞いた私としては、もう色んな意味で顔が真っ赤であった。
もはや厨二設定のバーゲンセール状態だ。
偽装情報を混ぜたのだろうが、全く根拠のない噂を広めた松平さんはやり過ぎだ。
出来ればもっと、マイナスイメージの噂を広めてプラス要素を打ち消して欲しかった。
そう声を大にして叫びたい衝動に駆られる。
だがまあ、ここまであからさまな過剰評価を受ければ、誰が聞いてもこんな奴が居るはずないと大爆笑だ。
注目こそされても、警戒するのは馬鹿らしくなる。
取りあえずまだ熱く語っている佐藤さんに、そろそろ勘弁してくださいと止める。
そして私は大きく深呼吸して、気持ちを落ち着かせるのだった。
今の心境としては、羞恥心で顔真っ赤だ。
取りあえずお茶を飲んで気を紛らわしてから、彼に一言告げる。
「とにかく、裏で織田さんと仲良くするのは構いません。
けれど斎藤さんを裏切るのは、止めたほうが良いです」
「でしょうな。拙者も長山村に来て、噂は事実であったと確信したでござる」
滅茶苦茶過大評価して広められた噂が、彼は全部事実であると信じているのだ。
それを聞いた私は、驚きのあまり飲んでいたお茶を吹き出しそうになった。
そんな私の動揺はお構いなしとばかりに、何故か浮かれた表情の佐藤さんがこちらに尋ねてくる。
「稲荷神様の統治の元なら、拙者の領地も今の長山村と同じように、豊かになるでござるか?」
「それは、少し難しいですね」
私は気持ちを切り替えて、彼の質問を頭の中で整理していく。
すぐには、彼の言う通りにはならないという結論が出たのだ。
先程とは打って変わって気持ちが沈んだ佐藤さんに、優しく言葉をかけた。
「まず長山村は、天下を統一した後も、変わらず発展し続けます。
そして私は、日本中に五穀豊穣をもたらすつもりです」
今の長山村の現状に、私はこれっぽっちも満足していない。
前世の日本と比べれば食事は美味しくないし、快適で平穏な暮らしにはまだまだ程遠い。
「佐藤さん」
「はっ、はい!」
ここで一旦言葉を切り、挑発的な笑みを浮かべながら彼に語りかける。
絶対に美味い物を食べるぞという欲望が刺激されたので、ちょっとだけニヤついてしまった。
「私が天下を統一した暁には、今の長山村の豊かさでは済ませてあげませんよ?」
「ははーっ! まさに! 稲荷神様の仰られる通りでございます!」
佐藤さんが畳に頭を擦りつける程に深く下げる。
果たして今の話の何処にそこまで、感極まる要素があったのかだ。
いつも通りに場当たり的な本音トークを語っただけだが、織田さんに苦情がいかなければ別にいいかと、前向きに考える。
「それで、織田か斎藤のどちらに仕えるかは決まりましたか?」
「ははーっ! 拙者は稲荷神様に生涯お仕えしたく存じます!」
「却下します!」
何だコレは、どうなっているのだ。
正直わけがわからないよ状態だが、反射的に却下と告げた。
表情筋がチベットスナギツネになるのを間一髪で食い止める。
しかし、大きく肩を落とす佐藤さんを放っておくわけにもいかない。
私に仕えるというとんでも展開の代案を出したので、釘を差しておかなければいけないだろう。
「佐藤さんが、もし私の役に立ちたいと考えているのなら。
上洛の際には妨害せずに道を開けるようにと、斎藤さんにお願いしてください」
「御意! 稲荷神様の天下統一のために! 斎藤龍興様を必ずや説き伏せましょう!」
そこで佐藤さんが、勢いよく立ち上がった。
「では、これにて失礼つかまつる!」
さらに興奮冷めやらぬ様子で、急いで家の外に出ていった。
私はと言うと、何とか軟着陸させたものの、織田さんの無茶振りを叶えるために、精神的に凄く疲れてしまう。
しかもどうしてこうなったのかが、本人がまるで理解できていない。
だがまあ、自分の頭が足りないのは今に始まったことではないのだ。
そんな時はご飯食べてお風呂に入ってさっぱりした後、ふて寝して忘れてしまうに限る。
そうと決まれば座布団からよっこいしょと立ち上がり、台所のカマドを目指して歩き出す。
いつも通り、今日の献立を考えるのだった。




