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正史に戻すために

　岡崎城下の稲荷祭は、とても華やかだった。

　長山村とは比べ物にならないほど多くの人が集まっており、早朝に出発して神輿に揺られて町を見て回るのだが、それも一日がかりだ。

　高所から見る街の景色は珍しい物ばかりなので気になったが、今の私は稲荷神になりきらないといけない。

　それでも知的好奇心を抑えきれずに、若干ソワソワしてしまう。

　耳と尻尾がピクピクフリフリ反応するのは、流石に避けられなかった。

　だが始終にこやかな笑顔で、大人しく神輿に揺られるという役目は果たせたはずだ。この程度は些細な問題だと強引に割り切る。

　なお後日談になるが、稲荷祭の後、手乗りお稲荷様や、うっかりお稲荷様などの、とにかく可愛らしく愛くるしい稲荷グッズが大量に生産され、瞬く間に全国に広がっていくことになる。

　日本の萌え文化に対して、またもや大いに貢献してしまったことに、私は大いに頭を抱えるのだった。

　それはそれとして途中で何度も担ぎ役の男衆を交代させることで、休みなくワッショイワッショイし続けた。

　やがて日が暮れてきた頃、ようやく神輿は本宮に戻ってくる。

　そこで松平さんが舞台に上がって、締めの挨拶を行う。

　色々あったが、自分の役目は無事に果たせた。

　私は狼たちを呼び寄せて、城下町の入り口まで犬ぞりに乗って進む。

　その際に再び稲荷行列を組むので、歩みはゆっくりであった。

　そして、辺りがすっかり暗くなった頃に岡崎城下の入口に到着する。

「ありがとうございました。また来年も、楽しみにさせてもらいますね」

　そう告げて笑顔で手を振ってお別れし、私は犬ぞりを走らせて我が家の帰路につくのだった。

　時は流れて、永禄六年の冬になる。

　そろそろ稲荷山を閉めようかと思い始めた頃、松平元康さんが、松平家康さんに改名した。

　馴染の茶飲み友達になった本多さんから、そのような報告を受ける。

　何でも、今は亡き今川義元に元の名前を返すことで、三河の独立路線を本格的に推し進めるらしい。

　だがこれを聞いた私は、まだ統一されてなかったことに驚いた。

　まあ自分の活動範囲は非常に狭いし、そういう領土問題にはあまり興味がない。ここで初めて知った形だ。

　それはそれとして、来年になったら、これまで日和見をしていた土豪を説得する。

　今川の息のかかった敵対勢力を排除し、三河の完全統一を成し遂げる予定らしい。

　そしてここまで聞けば、誰が徳川家康なのかわかったも同然だ。

　私は微笑みを浮かべながら本多さんにお土産を渡して、報告お疲れさまでしたとお帰りいただくのだった。

　本多さんが去って静かになった社務所だが、すぐには書類仕事には戻らない。

　私は冷めたお茶を一口のみ、気持ちを落ち着ける。

「確かに松平さんは、偉い武将だとは思ってたけど。あーもう、歴史が滅茶苦茶だよ」

　私という異なる歴史の歯車は、既に取り外すのが不可能なほど、ガッチリ組み込まれてしまった。

　しかも正史ルートの重要人物である、織田さんや松平さんやその他諸々と、密接に関わっているのだ。

　すっかり冬景色に変わった稲荷山の中腹、本宮の社務所に籠もって独りごちる。

「最初の予定だと、戦国時代が終わって江戸幕府が開かれるまで、山奥に引き篭もるつもりだったのに！

　どうしてこうなった！　いやまあ、薄々そんな気はしてたけどさぁ！」

　いつの間にか、三河と尾張の共同事業になっていた綿花の栽培は順調のようだ。

　前々から注文していた綿の布団と枕が届いたのだのが、私は行き場のない苛立ちをぶつけるように、破れない程度に軽くポスポスと叩く。

　現代と比べれば編み目やほつれも多いし、肌触りや温かさも、まだまだ改善の余地がある。

　しかし、それでも待ち望んだ布団には違いない。大変ありがたく使わせてもらっている。

「確かに周辺の治安は格段に良くなったし、冬でも温かく快適に過ごせるようにはなったけどさ！

　違う！　そうじゃない！　そうじゃないんだよ！」

　ポフポフと枕を叩きながら嘆くが、それで状況が好転したら苦労はしない。

　織田さんは天下よりも外国を見に行きたがっているし、松平さんは江戸幕府を開いて日本の舵取りをするつもりはないらしい。

　トップに立った私を、影から支えたいと言い出す始末だ。

「これじゃ、江戸時代が来ないじゃん！

　織田さんは別にどうでもいいけど！　肝心の松平さんがトップに立つ気がないんじゃ！

　もう、どうしようもないよ！」

　途中経過がどうあれ、最終的に徳川家康が天下人なれば、私はそれで日本の歴史は元通りに修正されると思っていた。

　だが現状では、一体誰が幕府を開いて、戦乱の世を治めるのかまるで読めない。

　少なくとも正史では天下を目指した織田さんと松平さんは、全くそんな気はなさそうである。

　もっと言えば天下統一した人が、ホームグラウンドに関東を選ぶ可能性が皆無だ。

「東京の姿か？　これが？　田舎じゃん！」

　戦国時代で暮らして関東の情報も少しは入ってくるが、誰に聞いても田舎だと言うのだ。

　そして京都が今の日本の首都であり、やけに持ち上げてくる。

　だがもっとも私を動揺させたのは、もっとも発展しているのは岡崎と言われたことだ。

　地元が一番という理由ではなく、総合的に見て日本一発展しているという紛れもない事実である。

　だからこそコイツはヤベエと、私の焦りに拍車をかけていた。

「ああもう、幕府の場所はともかく！　天下は一体、誰のものになるの！？」

　私は頭を抱えながらも、一生懸命考える。

「豊臣秀吉は！　あー！　何かあの人あんまり長続きしなかった気がする！」

　うろ覚えの歴史知識なので、詳しいことはわからない。

　豊臣秀吉が天下を取ることで、戦国時代は確かに終わった。

　しかし何やかんやでゴタゴタして、死後に徳川家康がその椅子を奪い、江戸に幕府を開いたはずだ。

「それにもし、織田さんの気が変わったとしても、その後が未知数だし。

　やっぱり松平さんがいいかなぁ」

　織田さんは先見の明があるので、もし天下人になったら、松平さんよりも平和な時代は長く続くかも知れない。

　だが、不確定要素が多すぎるのだ。

　逆に短い場合もあるし、そうなったら後押しした私の責任である。

　胃に穴は開かないが、民衆から突き上げを受けるのは避けられず、さてはオメー妖怪だなと斬り捨て御免されるかも知れない。

　そもそもだ。彼は外国に行きたがっている。

　今のところ、幕府を開く気はなさそうだ。

「一体どう動けば、戦国時代が終わって江戸時代に辿り着くの！」

　自分が知っていることは、京都に行けば天下が取れる。

　そこで何をすれば良いのかは不明だが、織田信長も一度は目指した。

　あと一歩ということで、本能寺の変で命を落としたのは覚えている。

「でもまあ、ただ京都に行くだけで戦国時代が終わるなら、誰も苦労はしないけど！」

　今の京都が、どのような状態なのかはわからない。

　しかし世が乱れているということは、日本のトップの権力を借りている、足利将軍家の統治が上手くいっていないのは確かだ。

　けれど、ああだこうだ考えても良い考えは出てこない。

　史実だと天下統一をした松平さんに、その気がないのは致命的だ。

　江戸幕府が開かれない可能性まで出てきてしまったし、私にとっての平穏な暮らしは遠ざかる一方だった。

「はぁー、春が来たら、織田さんか松平さんに相談してみよう」

　歴史や現代知識は平凡か、それ以下の女子高生レベルだ。

　そんな私がどれだけ一生懸命考えたところで、名案は思い浮かばなかった。

　ついでに基本的に行き当たりばったりだし、後先考えずに突っ走ることも珍しくはない。

　なので、かくなるうえはふて寝をしようと、まだ真新しい綿の布団にいそいそと潜り込む。

　そして私はそれから数分もかからず、家族のワンコたちに囲まれる。

　現実逃避として幸せそうな顔で寝息を立て始めるので、精神的にも案外図太いのだった。

　やがて時が過ぎて、永禄七年の春になる。

　私は山開きを行い、麓の社に滞在する神主さんに、冬の間に書き留めておいた文の配達を頼む。

　その僅か数日後に、松平さんたちがやって来る。

　なお、尾張の武将も一緒だったらしい。

　人数が多かったので本宮の社務所ではなく、学校の空き教室を貸し切る。

　そちらで相談することに決めて、教師や生徒にお願いして準備してもらった。

　教室に並べられた四脚机の上のお茶を飲み、座布団に腰を下ろす。

　そしてまずは、呼び出した私から口を開く。

「最初に言っておきますが、私は人の世の理には疎いです」

「正直意外です。稲荷神様でも、知らないことがあったのですね」

　織田さんは自領の経営で忙しく、地理的にも遠いので欠席だ。

　それでも配下の武将を寄越したので、三河と尾張の合同会議である。

「私が知っているのは、天が定めた理だけですから」

「なっ、なるほど！」

　私としては文のやり取りでも構わなかったのだが、もし都合がつけばとさり気なくお願いした。

　その結果、わざわざ来てくれたので、こうして話し合いの場を作ったのだ。

　そして何やら感心している松平さんを含めた武将たちだが、確かに政治に関してド素人なのは合っている。

　ちなみに天の定めた理は、前世の知識や経験をそれっぽく言い直しただけだ。

　だがまあ聞いている当人が納得してくれたのなら、自分からはこれ以上何も言うことはない。

　下手に言い訳してボロが出たら、せっかく信頼と実績を積み重ねてきたのに大暴落待ったなしだ。

「しかし、あれだけ嫌がっていた稲荷神様が、まさか戦乱の世を治めてくれるとは！」

　何か妙な発言が聞こえたので、私はすぐに声をかける。

「あのー、私は天下など取りませんよ？」

「「「えっ？」」」

「えっ？」

　やっぱり勘違いしていたようだ。

　皆唖然とした表情に変わり、私をマジマジと見つめている。

　責任重大な日本の舵取りなど、はっきり言って、まっぴらごめんだ。

「私が尋ねているのは、乱世の治め方です。自分が上に立つわけではありません」

「そっ、そうなのですか？」

「はい、実際に上に立つのは、松平さんにお譲りします」

「わっ、私ですか！？」

　驚愕する松平さんの手を取り、にっこりと微笑みながら深く頷く。

　何しろ私の生きていた未来では、三百年の泰平が記録として残っているのだ。

　やれないはずがないし、むしろ彼以外には不可能だと、歴史の知識が浅い私はそう判断した。

「松平さん。天下人になるのは、貴方でなければ駄目なのです」

「しっ、しかし私は！　稲荷神様を影から支える、大切なお役目が！」

　思ったよりも強情で、彼は顔を真っ赤にしながら左右に首を振って拒否する。

　押すなよ。絶対押すなよではなく、本気で嫌がっているようだ。

「私は貴方ならば、必ずやり遂げると確信しています」

「身に余る光栄です！　けれど、だっ、駄目です！」

　相変わらずはっきりと断られるが、私を批難しているわけではないようだ。

「稲荷神様こそが、この国をあまねく照らす光であり！

　民の誰もが心の底から認める、真の統治者なのですから！」

「おっ……おう」

　松平さんがやたらとべた褒めするので、恥ずかしくなってつい素が出てしまった。

（何だか知らないけど！　私の評価高すぎない！？）

　顔を真っ赤にして照れてしまうが、ここまでお願いしても駄目とは、予想以上に手強い。

　けれど、あまり強引な手段を使って機嫌を損ねたら、最悪三河から締め出されかねない。

　それでも私は、天下を取る気はこれっぽっちもなかった。

　そうなれば、押して駄目なら引いてみる作戦だ。

　何だか私ばっかりグイグイ押されてばかりな気がするが、とにかくここは、万が一のときにと考えておいたプランＢに移行である。

　私は呼吸を整えて真面目な顔つきになり、はっきりと声を出す。

「この場に居る皆さんも、松平さんと同じ意見ですか？」

　私が静かに尋ねると、空き教室に集まっている者は、皆が首を縦に振った。

　これによって図らずとも、プランＢの達成条件を満たしてしまった。

　正直、この手は本当は使いたくない。

　しかし乱世がいつ終わるのか先が読めなくなった以上、誰かが強引にでも終わらせるしかない。

　私としても、これから先が見えずに不安な日々を過ごすぐらいなら、いっそ清水の舞台から飛び降りてみるのも、悪くないと思ったのだ。

（稲荷山から出る気はなかったけど、⋯⋯仕方ないか）

　わざわざ全国の大名たちが私を指名するまで、トップに立つ気はないと条件まで出したのだ。

　しかしこの期に及んでは、先行き不明の戦乱の世を終わらせ、史実どおりに次の時代に進むためには、本当は嫌だが自分が体を張って頑張るしかない気がした。

　ゆえに私は深呼吸をして気合を入れて、そして皆の顔を順番に見つめて、大きな声を出す。

「わかりました！　それ程強く望むのならば、この稲荷大明神が天下泰平の世を築きましょう！」

　私が堂々と宣言したあと、一瞬教室が静まり返る。

　だが次の瞬間、割れんばかりの歓声が溢れた。

「おおっ、稲荷神様！　これでようやく平和な世に！」

「我らの願いを、お聞き届けてくださったか！」

「稲荷神様！　信じておりましたぞ！」

　騒ぎを聞きつけた他の教師と生徒が慌てた様子で駆けつけて、何だ何だとお祭り騒ぎに便乗する。

　事情は大雑把にしかわからないが、これはめでたいと私をやたらと褒め称えた。

　しかし宣言はしても、日本の舵取りなんて平凡な女子高生の自分にできるはずがない。

　けれど正史で実績のある松平さんが支えてくれれば、戦乱の世を終わらせるまでなら何とかなる。⋯⋯かも知れなかった。

　少なくとも今の将軍が統治を続けるよりはマシだろうしと、勢い任せで気楽に考える。

（プランＢとは！　天下を統一して戦国時代が終わったら、即退位すること！

　その際に松平さん！　つまり徳川家康にバトンタッチ！

　我ながら完璧な作戦でしょ！）

　ついでに未来の東京で幕府を開くことで、本来の歴史に軌道修正するのだ。

　私はシメシメと心の中で自画自賛して、やたらと期待を込めて見つめる皆に、ニコニコ笑顔を向ける。

　ついでに、清き一票に感謝をのように、小さく手を振った。

　なお、計画の成功を確信する私だったが、どうすれば江戸幕府を開けるのか、具体的な方法はまだ聞いてなかったことを、今さらながら思い出したのだった。