一向一揆
永禄六年の春になり、狐火で参道の雪を溶かして山開きを告げに長山村に下りると、多くの参拝者が訪れていた。
ざっと見渡しただけでも、去年よりも確実に増えている。
これは私の教えが三河国に広まり、多少なりとも成果が出ているのだと察した。
取りあえず私は狼たちに身辺を守らせ、神主さんへの新年の挨拶のついでに食料を分けてもらおうと、麓の稲荷神社に真っ直ぐ向かう。
だが不思議に思ったのが、村民の顔色は昨年とは違って暗いことだ。
これは何か面倒事が起きたのだと嫌な予感がしつつ、社務所に移動して神主さんと顔を合わせる。
「ようこそお越しくださいました。稲荷神様」
「どうも、ご無沙汰しています」
既に座布団が敷かれていた社務所に、巫女さんの案内を受けて、堂々とあがらせてもらった。
そのまま腰を下ろして姿勢を正し、私はすぐに運ばれてきた温かいお茶を受け取る。
お礼を言って口をつけ、小さく息を吐く。
「食料の量は如何致しましょうか？」
「お任せします」
山開きの次の日から学校が開校するので、そちらの分も含めて届けてもらわないといけない。
神主さんは詳しい事情を知っていて、関係各所に定期的に送り届けてくれているので、いつも通りで問題はないだろう。
そのまましばらく、他愛もない話が続いた。
だが他の村人と同じく、彼の顔色が若干悪いのが気になる。
長山村にも重い空気が漂っていることとも関係がありそうなので、さり気なく尋ねてみた。
「実は、付近の村で一揆が起きまして」
「一揆ですか？」
一揆と言えば鎌を投げて攻撃したり、竹槍が罠武器だったり。そんな感じのテレビゲームだったはずだ。
しかし私はすぐに思い違いだと気づき、ブンブンと首を振ってへんてこな考えを振り払う。
本来は農民が不平不満を爆発させて起こす、反乱のようなものだ。
そう考えれば、戦国時代の生活に不平不満を抱えている民衆は大勢居る。
ちょっとしたキッカケで自暴自棄になって、領主に反抗してもおかしくはなかった。
「幸いすぐに鎮圧されたのですが。一揆を起こした者の中に、付近の村の親戚筋が居たらしく」
「それはご愁傷様です」
すぐに鎮圧されたのなら何よりだが、身内が参加していたのだ。
今後は非常に肩身が狭くなるのは確実で、下手をしたら村八分の扱いになってもおかしくない。
「それで、一揆の規模はどの程度ですか？」
「ええと確か、付近の村々を合わせて、全部で十数人ほどだったかと」
「なるほど、全部で十数人ですか」
少ないですねと思わず口にしかけたが、身内に不幸が起こったので自重して無言に徹する。
私は空気の読める狐っ娘なのだ。
しかしたかだが十数人規模では、一揆と言うより抗議活動をするのが精一杯だろう。
けれど武器を持って現政府と敵対したなら、前世で言うテロリストと同じで危険極まりない。
「今回の一揆を扇動したのは、一向宗だという噂です」
「一向宗ですか」
稲荷神（偽）の教えに耳を貸さず、邪教認定している一向宗だ。
もちろん全てがそうではないが、私にとっては目の上のたんこぶといえる。
なお実際には神様でも何でもなく、中身は女子高生の狐っ娘だ。
彼らの言い分は的外れではないどころか大正解だが、身バレで妖怪認定されて斬り捨て御免されるのだけは嫌なので、嘘でも何でも断固として否定していくつもりである。
「では、一揆を扇動した者は罰せられたのですか？」
「あっいえ、口だけでは証拠にはなりませんし、神仏の教えを説いている偉い方々ですから」
「えっ？」
「えっ？」
民衆を扇動した者が一番悪いに決まっている。
なのに何の処罰もなしとは、とんだ面の皮の厚さだ。
だが犯人が知らぬ存ぜぬと押し通せば、口だけでは証拠不十分だろう。
おまけに権力を持っていたり、その他にも色々と理由がありそうだ。
中身が平凡な女子高生には想像がつかなかったが、法の裁きを受けない安全な立場だということはわかった。
「とにかく、これから一揆はますます激しくなるでしょう。
そうなれば長山村の者から、賛同者が現れないとも限りません」
今回は十数人だったが、時間が経てばもっと大勢の賛同者が現れるかも知れない。
未来なことは誰にもわからないけど、何にせよ面倒なことだ。
私はお茶を飲みながら、何となく思いついたことを尋ねてみた。
「そう言えば、一揆は米蔵や領主を狙うと聞きましたが？」
十数人が決起したのだ。被害報告を聞いていないが、いくら小規模でもその辺りはどうなのかと率直に尋ねてみる。
「今回は説得して解決しましたが、狙われているのは、三河を支える大黒柱である稲荷神様です」
「⋯⋯えっ？」
私は三河国を統治しているつもりは全くない。
しかし一向宗にとっては凄く邪魔のようで、いつの間にやら三河の殿様と同格か、それ以上の扱いをされていたことを知る。
何とも複雑な気分になりつつも、思えば遠くに来たものだとお茶を一口いただく。
「それは困りましたね」
「はい、困っております」
今回の一揆が、打倒稲荷神（偽）を掲げて動いているのはわかった。
そして一揆はまだ始まったばかりだとすれば、これからもっと人数が増えて大きな波になる。
だがこのまま何もしなければ、いずれ敵が攻めてくるとわかったのだ。
放っておけば相手が勢いづくのに、悠長に構えていられるほど私は楽観的ではなかった。
なので私も平穏な日常を守るために、行動を起こすことにする。
「では、こちらも民衆を扇動しましょう」
「せっ、扇動ですか？ しかし、一体どうやって？」
「まず大前提なのですが、一揆が起きる原因は現状の不満でしょう」
誰も好き好んで生きるか死ぬかの生活や、痛くて苦しい思いはしたくない。
だから戦国時代の民衆は、神仏とかいう自分たちを救ってくれるかも知れない偶像にすがる。
だが、それでも結局どうにもならなかった。
もしくは立ち上がった先に救いがあると説いたのかも知れないが、豊かな生活を送っている人は一揆を起こしたりしない。
神主さんは良くわかっていないようだが、私はコクリと深く頷いて簡単に説明していく。
念仏を唱えながら死ねば極楽に逝けるらしいが、これではもう、現世で生きる価値なし、来世にワンチャン賭けようとしているに等しい。
だが戦国時代は生き地獄で、天寿を全うすることは困難だ。来世に望みを託す気持ちも、わからなくもない。
しかし捨てる神あれば拾う神ありだ。極楽の仏に助けを求める可哀想な民たちを、稲荷神（偽）が現世で救ってやればいい。
なお実際には、自らの平穏な生活を守るためだ。それ以上の意味はなく、行動原理は至極単純である。
その辺りのことは神主さんには一切伝えないが、何はともあれ私は大規模な行動を起こすことを、堂々と宣言するのだった。
少しだけ時が流れた永禄六年の春のことだ。
ある看板が三河のいたる所に立てられ、役人たちが町村に出向いて人々を集め、直接説明をする。
事前に内容を写した書状を読み上げることで、噂のように途中で変化したりはしない。
なお、具体的な内容は以下の通りだ。
『一つ、此度の一揆に参加した者、もしくは一揆を企てた者、即刻武器を捨てて稲荷教に改宗すれば、無罪放免のお咎めなしとする。
二つ、改宗した者と親族は他所へ移ることになるが、心配無用なり。稲荷神の名に誓って、今後一年の衣食住を保証するからである。
三つ、稲荷神の教えに従い、三河の国の年貢は四公六民に改めるものとする』
その際にやたらと稲荷神を強調しているが、これも作戦のうちだ。
理由は、今の三河の殆どの地域では、稲荷神（偽）の教えを厳守するようにと命令されているからであった。
最初は半信半疑か渋々従っていても、目に見える成果はもう出始めている。
そうすれば簡単に手のひらを返すのが人間であり、さらに現時点でも信頼と実績はグングン上がっていた。
ダメ押しとばかりに神様を自称していて、奇跡は起こせなくても信じてくれる人は大勢居る。
領主より信頼できて神様の言うことなら従うという人は多いので、ここぞとばかりに前面に出すことになった。
結果、永禄六年は、三河国で稲荷神の信者が激増する。
そうでない者は特別な理由で教えに従わなかった人ぐらいで、もはや私にとって三河はホームだ。
稲荷神様に刃を向けるなど恐れ多いと、大半の者はこちらの味方となった。
だがしかし、私も予想外だったことがある。
それはもし稲荷山に一向一揆がやって来た場合、三河の各地で抵抗勢力として稲荷一揆が起こる可能性があることだ。
現在の三河国で支持率トップと言っても過言ではないため、敵対勢力が現れた場合は血で血を洗う抗争に発展する可能性が高い。
幸い、何とか水際で食い止められたので良かった。
しかし騙している身で言うのも何だが、心の底から神様を信じていた時代というのは本当に恐ろしいと、否応なしに実感させられたのだった。
それはともかく作戦は成功し、今まで稲荷神（偽）の教えに従えなかった人は、家族や親族と一緒に、まとめて引っ越してもらった。
役人たちに根気強く説得してもらっただけでなく、私の教えに従った結果の資料もまとめている。
ぶっちゃけかなり誇張が入っているが、劇的ビフォーアフターを見せつけたのだ。
今まで一向宗の信仰して、稲荷神（偽）に従うことを拒否し続けてきた人々も、流石に納得してくれた。
こうして三河国の勢力図は、次々と狐色に塗り替えられていったのだった。
なお、今回の一揆をそそのかした一向宗のお寺さんだが、顔を真っ赤にして抗議してきた。
しかし肝心の扇動された農民の殆ど全員が、最後には自ら稲荷神に改宗したのだ。
さらに一向宗勢力の手が届かない遠くに引っ越してもらったので、慌てて行動を起こそうとしても手も足も封じられて、雁字搦めで身動きが取れないのだった。
けれど子飼いの僧兵を食べさせるためには、寺の蓄えを使わなければいけない。
だが一揆を起こさなかったり企てなかった村は何も起きず、相変わらず平和なままだ。
何にせよこうなったのも自業自得なので、私は全く心が痛まなかったのだった。
ともかく、一向宗から稲荷教に改宗した人たちを一気に移動させた。
三河がかなり混乱するが、また一揆を起こされるよりはマシだ。
今回は開拓村にまとめて押し込むのだが、皆揃って稲荷様への感謝の言葉を毎日のように口にしているらしい。
改めて思ったが、信仰の力って怖いと、ブルルと身震いしてしまったのだった。
一向一揆の関係者を開拓村へと送り続けるうちに、稲荷神の信仰は日に日に高まっていく。
三河の人々に受け入れられるのは良いことだし、もしかしたら冗談ではなく本当に、稲荷神の時代が来るかも知れない。
だが、もしそうなっても全く嬉しくない。
前世は女子高生で一庶民だった私は、平穏に生きたい以上の望みはないからだ。
それが何が悲しくて、稲荷神（偽）として崇められなければいけないのかである。
これも全て今が戦国時代が悪いと言いたい。狐っ娘の見た目だし、家の外を出歩くのも命がけだ。
山奥に引き篭もってお稲荷様を演じるのがもっとも安全に生きられるから、そうしているだけだった。
最初は気疲れしていたが、最近は演技している時間のほうが長くなってきた。
そして慣れてきたのか切り替えもスムーズになってきたし、果たしてどっちが本当の私なのかたまにわからなくなる。
もしかしたら、完全に混ざってしまったのかも知れない。
だが中身は相変わらず元女子高生だし、根っこの性格も変わっていないし、いちいち気にしても疲れるだけだ。
とにかく自分が戦国時代で平穏に暮らすには、稲荷神（偽）として人間たちと仲良くやっていくしかないと、私は現状を再確認するのだった。
最終的に一向一揆は、腐った寺院という導火線を切り落とすことで、被害を出さずに大人しくさせることに成功した。
だが代償として、これから一年は三河の資源を物凄い速さで消費していく。
それでも一向一揆と真っ向勝負して命と物資が失われるよりは、断然マシだろう。
損失を回避するだけでなく、領地の改革も行うのだ。
先行投資だと考えれば、むしろ最良の結果なのだった。
そんな永禄六年の春の終わりのことだ。
松平さんたちが久しぶりに稲荷山の社務所に訪ねてきた。
「難民、ですか？」
「はい、少々薬が効き過ぎてしまいました」
山奥に建てられた本宮の社務所に招いて、お茶と醤油煎餅を出す。
松平さんをもてなしながら話を聞く。
今回の一揆に関わった者たちは、一箇所に集めて簡易的な長屋と食料と衣服を与えている。
そこで未開の地を開拓してもらうのだ。
これには一向宗と元信者を引き離すことで、寺院の力を弱めるという狙いもある。
その作戦は上手くいって、一向一揆は初動以外は不発に終わっていた。
さらに要注意人物をまとめることで、監視が楽になるメリットもある。
だが汗水垂らして畑仕事に打ち込む彼らの表情は皆明るく、心機一転して開拓への意気込みを感じる。遠くから調査する必要はないかも知れないが、念の為だ。
彼らにはなくても、外部から一向宗が接触してくるかも知れない。
とにかく引っ越してから、一年間の衣食住は保証されている。
そして来年は他の村々と同じように豊かな暮らしをと、希望を持って生きているらしい。
なお駄目押しとばかりに、三河全ての年貢を四公六民にするという大改革を打ち出した。
おかげで開拓村以外の農民たちまでも、やる気に火をつけることになったが、これが効きすぎたようだ。
他所から新たな面倒事を呼び込んでしまった。
具体的には、三河に行けば稲荷神が貧しい民を救い、面倒を見てくれるという噂が国外にも急激に広まる。
隣接している東の今川、北の武田や斎藤といった周辺勢力から、難民が津波のように押し寄せて来たのだ。
ちなみに、織田とは同盟を結んでいる。
そして、そっちも稲荷神の教えを取り入れているので、殆ど変動はなかった。
「三河の殿様も大変ですね」
「ははっ、私はまだまだ若輩ですが。稲荷神様の足を引っ張らないように頑張ります」
彼に一向一揆の件を相談した時に知ったのだが、最初はそれなりに地位のある武将だと思っていた。
しかしまさか、この若さで殿様をしているとは思わなかった。
もちろん最初からお見通しのように装ったが、これで松平さんが徳川家康の可能性が高まった。
「それはともかくとして、難民についてです。
三河国だけでは、残念ながら衣食住を保証するのは不可能です」
松平さんが難しい顔をするのも当然だ。
稲荷神が衣食住を保証すると宣言しているが、実際に身銭を切っているのは三河である。
そんな彼が不可能と言うのなら、物資はこれ以上捻出できないのだろう。
私は難しい顔で息を吐いて、率直に尋ねてみる。
「それほど多くの難民が来ているのですか？」
「難民は現時点で、千人を越えています。しかも、まだまだ増える可能性が非常に高く」
「それはまた、何と言いますか」
他領からの難民とはいえ、放置するわけにはいかない。
生きるためでも盗みや略奪などの犯罪に走れば、確実に治安が悪化するからだ。
しかく、すぐに働き口を用意することはできない。
新しい土地をあてがって開拓を行うにしても、どれだけ早くても一年は無駄飯食いになる。
そんな大勢の面倒を見る余力は、今の三河にはない。
「尾張には救援を求めたのですか？」
「はい、支援物資を送ると返事はしてくれました。⋯⋯しかし」
松平さんの顔色は悪いままなので、それでもまだ足りないようだ。
借金という形で商人から買っても良いが、絶対に足元を見られる。
なので何処か他に支援してくれる所はないだろうかと、私も頭を捻って考える。
取りあえず、稲荷神を前面に出しての慈善活動を装っているのだ。
神様にすがる難民を、無理だからと追い返すことはできない。
そんな暴挙を行えば、本物の稲荷神の信者たちから石を投げられてしまう。
私はどうしたものかと考えて、あることを思いつく。
「こうなったら、仕方ありませんね」
「稲荷様、何か良い案が？」
正直、この手は使いたくなかった。
しかし、三河は私のホームグラウンドだ。今では大切な家族が居る。
長山村の人々や松平さんたちも仲が良いし、ここを捨てて他所に行くなど、考えたくはない。
なので私は腹をくくることに決め、堂々と口を開く。
「全国の稲荷大社に、支援物資を要請しましょう！
その際に後日一割増しで返却することを、稲荷神の名で保証すると記載するのです！」
「稲荷様！ それは！」
神仏を語って詐欺を行えば、天罰が下ると信じられている。
だが逆に神様自身が保証すれば、その契約は決して破られることはない。
少なくとも信者たちはそう思うだろうが、もし嘘偽りだった場合、信仰心は地に落ちることになる。
相変わらず綱渡りの人生だが、こうなれば毒を食らわば皿までだ。
自棄になった狐っ娘が、どんな行動を取るのか見せてやる。
「稲荷神様！ そっ、そこまで三河のために！」
「私の心配をしている暇はありません！ 早く契約書をまとめないと！
あとは書類偽装を防ぐためにも、うちの判子を作る必要がありますが、そちらは頼みましたよ！」
難民は今なお増え続けていて、とにかく時間がないのだ。
そして私が腹をくくったことに影響されたのか、松平さんだけでなく三河の武将たちも気合が入る。
「はいっ！ お任せください！ 稲荷神様！」
やる気があるのは良いことなので、私は水を差すことなく小さく頷く。
座布団からよっこらしょと立ち上がり、社務所の戸棚から墨と筆、あとは何が必要だったかと考えながら、ゆっくりと棚に向かうのだった。
