天下泰平を目指す
私はともかく、麓の村々の人たちが待ちに待ったお祭りが、いよいよ開催される。
場所は長山村の分社で行われるので、予定通りだ。
そして年に一度のお祭りは、稲荷神様が本宮から人里に下りてくるめでたい日だ。
私が行き当たりばったりで口にした案を参考にして、秋祭りに付加価値がつけられた。
実際のところ山を降りるのは、春の山開きか冬の山籠り、そして仕事や特別な用事がある時ぐらいだ。
そうでなければ山中の本宮、そこの務所に引き篭もっている。
なので言われてみれば、確かに私が出歩くのはあまりないかも知れない。
「では稲荷様、お言葉をどうぞ」
分社の御神体の傍に厚めの座布団を敷き、私がその上に腰を下ろす。
お稲荷様の木像が祀られている場所は聖域なので、祭事の時は神職以外は立ち入ってはいけない。
祭りが始まって人前に出る以上は、社務所でせっせと書類仕事をしたりゴロ寝したり狼たちと戯れる私ではなく、堂々と神様らしく振る舞わなければならない。
なので心の中で気合を入れて、長山村だけでなく麓の村々から集まった大勢の人たちと向かい合う。
私は分社の舞台の上に立ち、緊張はするが堂々と立ち振る舞う。前世で神事や祭事の巫女役を長年やってきたので、こういうのは得意であった。
ただ参加者は知り合いばかりで人があまり来ない祭りと比べて、今は何処を見ても人だらけである。
(戦国時代は、前世よりも人口が少ないはずなのに!)
とてもそうは思えないほど大勢集まっていて、否が応でも緊張感が高まってしまう。
神主さんも本日は祭事なので、少し離れた場所から恭しく声をかける。
「稲荷神様、お言葉をお願い致します」
私は奥の座布団から立ち上がり、ゆっくりとした足取りで舞台の前方に歩いて行く。
既に夕焼け空に宵闇が混じっており、もうしばらくすれば太陽は山の陰に隠れる。完全に日が暮れるまで、あと少しだ。
神社のあちこちに提灯がぶら下げられたり、灯籠が設置されている。
私はそれらを眺めながら、堂々と口を開く。
「一年間教えを守り、良く頑張りましたね。これは私から皆への褒美です。
今夜は存分に飲み食い騒ぎ、来年に向けての英気を養ってください」
舞台は皆を見渡せる神域だ。
一応は神様なので部外者は立入禁止になっている。
そこの端から緊張しながら、この日のために丸暗記してきた言葉を、集まっている人たちに伝えた。
それにしても、どれだけの村から集まってきたやらだ。
前世の地元の祭りとは比べものにならない程の、とんでもない人混みと熱気である。
まだ始まっていないのに、ここまで伝わってくるし私は数えるのを諦めた。
「では、これより! 稲荷祭を開催します!」
「「「稲荷神様! 万歳ー!!!」」」
狐耳が震えるほどの喝采を受けてビクッとしたが、何とか表情を崩さずに笑顔で手を振る。
集まった人たちの声はますます大きくなるけど、いつまでも稲荷神がこの場に留まっていては祭りが始まらない。
私は背を向けて、舞台の前方からそそくさと退去する。
そのまま奥に祀られている御神体の近くまで下がり、指定の座布団へと腰を下ろす。
取りあえず本日の役目は終わったので一息ついていると、知り合いの声が聞こえてきた。
「お疲れさまです。稲荷様」
「貴方は、……松平さんでしたか」
「はい、お久しぶりです」
今夜の指定席に座った私に、草履を脱いで正面の階段から本堂に上がってきた松平さんが、嬉しそうに話しかけてきた。
挨拶が終わって祭りが始まり、神様が奥に引っ込んだのだ。
聖域バリアは解除されたので、神職以外の立ち入りも大目に見られる。
それでも神聖な場所には違いなく、直接踏み込む人はあまり居ない。
だが彼以外にも本多忠勝さん、酒井忠次さん、榊原亀丸さん。そしてこの間合戦場で助太刀した武将や、その他大勢も一緒だ。
とにかくそうそうたるメンバーが乗り込んできたが、知り合いなので快く許可する。
「本日は無礼講で良いですよ」
「はい、稲荷神様。皆にもきちんと伝えてあります」
「それならば構いません。楽しんでくださいね」
だがそうは言ったが、武士階級で偉い人が来るのは想定していなかった。
あくまで私にとっては前世と同じような、村祭りを開催するつもりだったからだ。
それでも今日明日は、大勢の人たちが飲み食い騒ぎ酔っ払う。
その間に起きたことは、基本無礼講となる。
「しかし、凄い活気ですね」
「付近の村々からも、祭りと聞いて集まっていますからね」
神主さんと私以外の巫女さんが、来客のために座布団とお茶を持ってくる。
彼女たちの着ているのは私の衣装にそっくりで、紅白色と編み方機能性だけでなく、必要のないチラリズムまでもを再現しようと努力していた。
萌えの文化はきっと、こんな風に生まれるのだろうなと、何だか感慨深くなる。
「この祭りを見て、稲荷神様の偉大さを実感しました。
やはり三河国にも、急ぎ教えを広めなければ──」
松平さんがお茶を受け取り、お礼を言いつつ意見を口にしたので、私もチビチビ飲みながら相槌を打つ。
「急ぐ必要はありませんよ」
「それは何故でしょうか?」
自分の周囲は豊かになった自覚はあるが、私はそれを三河全域にも広めようとは思っていない。
しかし、松平さんが私の教えを自領に広めたがる気持ちもわかる。
だがすぐに実践できるものから、複雑な手順が必要になるものまで、現代知識は非常に幅が広い。
一朝一夕で身につくものではないし、仕組みがわからない中途半端な技術では失敗した原因もわからないという、悪循環に陥りかねなかった。
そのことを松平さんたちにどう伝えたものかと考えて、足りない頭を捻って発言する。
「人は自分が理解できないものを恐れて、排除しようとします。
私の教えに従えば豊かになりますが、扱いを間違えれば身を滅ぼします」
肥料の発酵が不十分では、土壌バランスが狂って病気を誘発するし、養蜂は扱いに気をつけないと、刺されてショック死する可能性がある。
「成果は出ているのです。もう放っておいても広まりますよ。
焦ることはないでしょう」
出る杭は打たれるので、あまり急ぎすぎると何処からともなく妨害が入るに決まっている。
しかし工夫次第で収穫量が増える技術は、誰もが喉から手が出るほど欲しがるだろう。
今の私は名前だけなら稲荷様(偽)なので、お膝元である周囲の村々に留まっている限り、そこまで強引な手段は取れない。
それに一向宗だって、神道の稲荷神に敵対するのは望まないはずだ。
抗議活動はきっと、カッとなってやった。今は反省しているとか、多分そんな感じだ。
既に制裁を受けて、暴走した一向宗の寺は稲荷神社に改築された。
今では麓の村々は完全に私のホームになる。今後はクレームを入れられることもないだろう。
たとえ外から攻め込んできたら、松平さんを通じて三河の殿様に泣きつくという手段も取れる。
ようやく私が望む、平穏な暮らしが近づいてきた気がした。
「ですが、ただ広まるのを待つだけでは──」
だが松平さんは不満なのか、自然に任せれば良いという私の意見に納得していないようだ。
「では、指導員を育成しなさい。
私の教えを一から十まできちんと理解し、正しい判断を下せる者です」
「指導員ですか」
私の言葉に難しい顔で考え込む松平さんに、取りあえず適当に長山村の者を紹介する。
「ですが、本人が離れたがらなかったり、あまり大勢引き抜かれると、事業の運営が回らなくなります。
程々にしてくださいね」
そう付け加えておくと、松平さんは笑顔に変わる。
「ありがとうございます。稲荷神様」
「技術を伝えるのは、武士にこだわる必要はありません。
ただし指導員の教えを、きちんと守らせる必要がありますが」
「はいっ! 肝に銘じておきます!」
戦国時代はいくら優秀な技術者でも、農民の教えを素直に聞く人は少ない。
なので松平さんたちのように、身分の高い者がしっかりと見守る。
成果が出るまでの期間は、四の五の言わずに黙って従わせることが大切なのだ。
その後も色々と話し合い、一段落したところで神主さんを呼び出す。
稲荷祭のために特別に用意した屋台料理を、自分は動けないので持って来て欲しいとお願いする。
私は明日まで御神体の近くに待機するので、今日はここに布団を敷いて眠るのだ。
それはそれとして話し合いが一段落して、松平さんが長山村の祭りについて話題を変える。
「そう言えば、ここだけしか食べられない屋台料理があると聞きましたが」
「殆どの料理は私が考案した物です。なので、確かに他では見ないでしょうね」
「報告は届いていましたが、ここまでとは」
食材や調味料の乏しさに嘆き悲しんだ結果、ここに来た当初から研究開発を続けてきた。
まだ未完成の料理ばかりだし、量が少ない。
だが年に一度の祭りなので大盤振る舞いしても良いだろうと、松平さんにも協力してもらった。
「それに、全ての屋台料理が無料で振る舞われるのも、ここだけでしょうね」
「むっ……無料ですか。確かに私も援助を致しましたが」
元々は稲荷神(偽)へのお供え物なので、景気よく放出しても何も問題はない。今回は天候に恵まれたこともあって大豊作だったが、毎年無料になるかは神のみぞ知るだ。
だが周囲の村々には、近代化農業の技術が確実に浸透しつつある。
各々がさらに効率的なやり方を模索して進歩すれば、収量は毎年上がり続けだろう。
「しかし私が神の座を降ろされれば、無料ではなくなるでしょうね」
今は神様っぽい演技で村民たちが稲荷神だと信じてくれている。
だが現時点でかなりやらかしているし、いつ神様ではなく妖怪なのではと疑う人が出てきてもおかしくない。
相変わらずの行き当たりばったりではあるが、綱渡りのような人生を送っているのだ。
私がそのことを再確認して苦笑すると、松平さんが突然大きな声を出す。
「稲荷神様を退かせるだなんて! そのようなことはありえません!」
松平さんは寂しそうな顔をする私を、真っ直ぐに見つめてくる。
だが女子高生をやっていた時は、巫女役に選ばれても信仰心の欠片もなかった。
現代日本で神様を本気で信じてる人は、一体どれだけ居るやらだ。
「ありがとうございます。
私もそうあることを願っていますが、人の世は移り変わるものですから」
今は物珍しい近代農業と大豊作で沸きに沸いているが、いずれは私の現代知識もネタ切れになる。
そうなれば見た目だけの稲荷神など、便所のちり紙以下に落ちぶれないとも限らない。
何となくだが、捨て稲荷様です、拾ってくださいと、段ボール箱に入れられた私を思い浮かべてしまった。
流石にそれはやり過ぎという気がするが、未来は誰にもわからないのだ。
そんな妙なことを考えてしまった私だけど、何を思ったのか松平さんがおもむろに立ち上がる。
続いてこちらを見下ろしながら、堂々と声をあげた。
「ならばその願い! 私が叶えましょう!」
「松平さんが?」
「ええ! 稲荷様を敬う人の世を! 松平元康が実現させます!
そして天下の泰平を何百年でもです!」
何とも壮大なスケールの夢物語だ。
実際に私が望んでいるのは徳川幕府で、三百年も平和な時代が続いたと、授業で習った覚えがある。
松平さんは最近改名して康が入っている。
まだ彼がそうだと決まったわけではないが、まだ見ぬ徳川家康の四分の一ぐらいは期待してもいいだろう。
「ふふっ、楽しみにしていますね」
「お任せください!」
私は彼が徳川家康だったら良いのにと思った。歴史の知識が穴だらけのせいで確信は持てないが、松平家の誰かが出世するのは間違いない。
だがたとえ幕府を開けなくても、今の彼は少しだけ格好良く見えた。
そんな松平さんのことを、私は心の底から頑張れと応援するのだった。




