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藤波畷の戦い

 道中で野盗たちをしばき倒した私は、あとの処理を村人たちに任せて、とうとう目的の東条城付近までやって来た。


 普通の人間なら豆粒ほどにしか見えなくなるほど離れ、叢に隠れて狐っ娘の視力で様子を伺う。

 出発前に神主さんに書き記してもらった模様と、何度も見比べる。


 あの旗が敵方なのは間違いない。

 ならば三河側は、未だに今川の居城を攻め落とせていないのだろう。


 そこでは吉良氏という人が城主を務めているが、それに対して何かする気は今のところはなかった。

 私が東条城にやって来た理由が、三河側が優勢なのを確認して、個人的に安心感を得るためだ。


 不利な場合に取るべき行動は、戦に介入して今川をコテンパンにやっつけることである。

 ただし基本的にその場の思いつきで行動するし、戦略など勉強したことがない。


 道中で色々考えたけどろくな案が出ず、結局は高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変に対処することになった。


 今も、さてどうしたものかと顎に手を当てて思案する。

 だが何やら急に、城内が慌ただしくなったことに気づく。


「あれ? 東条城から兵が出てる? 攻めてるのは三河なのに、……何で?」


 普通なら守りの固い城に籠もって、攻めてきた相手を叩くはずだ。

 そうすれば効率よく敵の数を減らせるのは、素人の私でもわかる。


 しかし吉良氏は、どうやら野戦で決着をつけるつもりのようだ。

 守るのが苦手なのか、自分の強さに余程自信があるのか。それとも他に理由があるのかは不明である。


 何にせよ戦を見るのが初めての元女子高生には、判断のしようがなかった。


「うーん、いくら考えてもわからない。取りあえず隠れて後をつけてみよう」


 いくら引き篭もっていても、戦国時代で過ごしていれば度胸もつく。


 具体的には人の死体を見ても、あまり取り乱さなくなった。

 東条城に向かう途中に、野ざらしの亡骸をいくつも見かけたし、追い剥ぎならぬ落ち武者のような野盗を成敗した。


 初めて死体を見た時は強烈な嫌悪感に襲われて、吐きはしなかったが気持ち悪くなったが、数をこなすうちに慣れていく。

 今は精神的には動揺はしても、表情だけは平静を装うぐらいはできる。


「慣れていくんだね。自分でもわかるよ」


 何処かで聞いたような台詞を口に出しながら、隠してあった犬ぞりに乗る。

 次に狼たちに指示を出す。


 彼らは、そんじょそこらの犬よりも賢い。

 私の命令をちゃんと聞いてくれるが、たまに適当な指示を出すとワンコたちは大いに混乱する。

 その時はごめんねと謝り、頭を撫でたりして機嫌を取るなどするが、今回は目的もわかりやすいのでスムーズに走り出すのだった。




 東条城から合戦場に移動して、私は離れた茂みに隠れて遠くの様子を伺う。


 敵側の武将らしき人が馬に乗って疾走し、単騎で三河の陣営に突っ込んでいる。

 今川勢力は連戦連勝を続けているだけあって、なかなか強気だ。


「いや……実際に強いんだね。三河の兵がバタバタやられてる」


 味方の士気が低いのもあるが、それより何より、単騎で突っ込んだ敵が強すぎるのだ。

 周りを囲んでいる雑兵を物ともしない相手を、三河の武将が二人がかりやっと押さえ込んでいる。


 このままでは、お味方総崩れでございますとなってしまうのも、時間の問題だ。


「この体で、果たして何処までやれるのか。

 戦うのは嫌だけど、三河が今川に取られたら、元も子もないしね」


 連れてきたワンコたちの頭を軽く撫でて、よいしょっと犬ぞりに乗る。

 別に真正面から戦うわけではなく、あくまでも目的は援護だ。


 差し当たって攻め入っている敵兵を混乱させたり、現在無双状態の敵将の気を一瞬でも引けば、それだけで味方は有利になる。


 元女子高生には高度な戦略は無理なので、とにかく突っ込んで暴れるぐらいがせいぜいだ。


「絶対生きて帰るからね! ……それっ! 走れーっ!!!」


 両軍入り乱れる合戦場に、突然の大声と共に現れた幼女と犬ぞりである。

 さらに殺傷効果のない幻影の狐火を一直線に伸ばして、目的地までの道を作った。


 あまりの急展開に、双方が戦の最中であることを忘れて動きを止めてしまう。


 そして青白く燃え盛る狐火の上を走るのは、紅白巫女服を着て日の光に美しく輝く金色の長髪をなびかせる美幼女である。

 誰もが、ただ呆然と見つめてしまう。


 私は彼らが正気に戻る前に、戦場の真っ只中を疾風のように駆け抜けていく。

 やがて目的地である馬に乗って大暴れしている敵将の前に躍り出て、大声で叫ぶ。


「義によって、三河に助太刀致します!」

「おのれ! 女子供の分際で生意気な!」


 馬上の敵将が長槍を構えるのと同時に、私は犬ぞりに乗った状態で立ち上がる。


 次に相手の鋭い突きを最低限の身のこなしで避けて、流れるような動きで跳躍した。


 ワンコたちが馬を避けて駆け抜ける頃には、私は敵の頭上に到達していた。

 そのまま両足を開くと、彼の顔を兜ごと柔らかな太股で挟み込んだ。


「おっ……おおっ! こっ、これは桃源郷かっ!」

「隙ありっ!」

「……はっ! しっ……しまった!」


 太股で挟んだ瞬間、一瞬敵将の鼻の下が伸びて動きが止まった。

 私はそれを致命的な隙だと判断し、お構いなしに自分の体を強引に捻る。

 下半身の力を存分に使って投げ技を仕掛け、相手の体を崩して馬上から引きずり下ろしたのだ。


 彼はそのまま受け身も取れずに頭から地面に激突し、即死こそしなかったが苦しそうに身悶える。


 地面に激突する瞬間に空中で身を翻し、私だけは華麗に着地した。

 その様子を戦場の敵味方両陣営が何とも言えない顔で見ていることに気づいて、ハッとする。


「……っと! これは不味いですね!」


 激しい動きをしたせいで、被っていた藁笠が何処かに飛んでいってしまった。

 それと一緒に狐の尻尾も、紅白巫女服の隙間からはみ出てしまっている。


 いくら艷やかな金の長髪が隠せなかったとしても、これでは堂々と稲荷神だと吹聴しているようなものだ。

 流石に不味いと感じて、私は指を咥えて口笛を吹き鳴らす。


「それでは! おさらばでございます!」


 跳躍投げの際に、駆け抜けていった狼たちを呼び寄せる。

 犬ぞりは速度を緩めることなくこちらに戻ってきたので、私の横を通り過ぎる瞬間、華麗に飛び乗った。


 そのまま席に座って手綱を握り、来た道を全速力で引き返していく。

 一応敵将っぽい人は行動不能になったので、これで三河側が有利になるだろう。


 勝てるかどうかはまだ不明だが、私の正体がモロバレになってしまった。

 これ以上戦場に留まるのは、色んな意味で不味い。最悪、敵味方関係なく妖怪として狩られることになりかねない。


 ならば今は一刻も早く狐火を消して合戦場を離れ、住み慣れた我が家に向けて犬ぞりを走らせるのが得策だ。

 即決で判断を下して、騒がしくなってきた背後を気にせず、一目散に逃げ出すのだった。

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