コミケ幕張メッセ追放事件
平成三年の六月になると、長崎県の雲仙普賢岳で火砕流が発生した。
死者や行方不明者が大勢出てしまったが、自然災害は流石にどうしようもない。
だが東京の稲荷大社に火山を鎮めるためのお祈りに来るのは、ちょっと勘弁してもらいたい。
私が火砕流に挑んだところで、風車に突撃するドンキホーテぐらいの無謀感がある。
確かにアイルビーバックのポーズを取りながら溶鉱炉ではなく火口に沈んでいくという、マグマダイバーもやれないことはない。
しかし、だからどうしたである。
脳筋ゴリ押しかできない私は、流れる溶岩や火砕流を狐火で押し返すことは可能だが、火山の噴火を止められないのだ。そのことを、大本営発表ではっきり告げた。
なおそれを聞いた日本国民は、稲荷様凄いと大喜びである。
とにかく何でも良いのでワッショイワッショイと持ち上げるのは、もはや恒例行事なのだった。
平成三年の八月になり、私が兵庫県の大峰山に登山をしていると、途中でヘリが墜落してきた。
すかさず飛び出して空中でキャッチしたりと、相変わらず厄ネタホイホイであった。
それでも何も起きない時も多くあるので、自分が精神的な負担を感じない絶妙なラインを維持している。
私が大いに驚いたのは、平成三年から先のコミケが中止になるかも知れないということだ。
なおこの情報を何処から得たのかと言うと、現場……ではなく、流石に自分が行ったら大騒ぎになるため、私は行かない。
毎年カタログを見て決めた作品を近衛と側仕えに頼んで調達してもらったり、通販を利用している。
あとはR18でも狐っ娘関連でもなく、全て健全な二次創作がメインである。
そのことをお買い物してもらっている側仕えが、残念そうな表情で私に伝えてきた。
そしてさらに詳細を説明すると、これまで東京で行われてきたコミックマーケットは、記念すべき一回目からしばらくは東京国際見本市会場で行われていた。
しかし、程なく収容能力の限界に達してしまう。
会場の確保が困難となり、次の候補地である幕張メッセに移転となった。
そんなこんなで色々あったが、平成三年まではずっと幕張メッセでコミケを開催していた。
しかし、平成元年の幼女誘拐未遂の宮崎事件が起きてしまった。
それがキッカケになって捏造記事が拡散されてしまい、オタクバッシングが始まった。私が止めたので正史よりは被害は少ないが、人は自分が信じたいものを信じる生き物であった。
そして平成二年の八月になり、和歌山県田辺市の主婦が行動を開始した。
出版物の行き過ぎを規制するよう、行政当局の対策を強く促したいという旨の投書が、地方紙の紀州新報に掲載されたのだ。
それだけならまだマシだったのだが、これを契機として主婦を中心とする住民運動に発展してしまう。
結果的に、性描写を含む青年向けコミック誌を警察や行政に持ちこんだことに端を発する、有害コミック騒動の流れが日本中に広がってしまったのである。
社会的認知度の高いイベントへの貸し出しを優先する方針をとっていた幕張メッセは、ここ最近の情勢を鑑みて、すでにコミケの開催告知やサークル申込が済んでいたにもかかわらず、使用拒否を通告したのであった。
これを受けた準備会は、急きょ古巣である晴海の東京国際見本市会場に会場使用を依頼した。
その結果、厳しい条件を守れば許可するという通達を受け入れて、何とか予定通りの開催に漕ぎ着けたのだった。
そんなこんなで毎年恒例のコミケの買い出しを頼んでいたお世話係から、実は危機的状況だったことを知らされて、私はすぐに稲荷大社の特設スタジオに向かって、大本営発表を開いた。
今の私は真面目な表情ではなく、若干の苛立ちを身にまとっていた。
テレビカメラやスタッフもそれがわかるのか、とにかく話しかけずに粛々と撮影準備を進めている。
そして準備が整った合図を受けた私は、堂々とした態度で口を開く。
「表現の規制は正義ではありません」
挨拶もせずに、いきなり本音をぶっちゃける。
今のところは表現は法律で規制していない。
民意と言う不確かなものに縛られて、自主的に制限をかけているだけに過ぎない。
路上での露出やライブチャットは確かに公然わいせつ罪だが、現実の映像ではなくアニメや漫画本まで規制するのは、本当に勘弁してもらいたい。
「例えば有名な画家が、架空の幼女の裸体を描いたとします。
それを見ても自分の人権を侵害されたとは思いません」
漫画やアニメはただの絵であり、登場する人物も架空のもので、現実とは違うのだ。
「架空の物語の少女の人権を守るより先に、現実の少女に救いの手を差し伸べなさい。
絵に描いた餅をいくら食べても、お腹は膨れません」
若干苛ついている私は、さらに言葉を重ねる。
思い出すたびにカチンと来るため、口調も自然と荒くなっていく。
「そもそも! 日本は表現に対してはおおらかな国でした!
それが権力者が揃いも揃って西欧文明に影響され、日本の乱れた風俗文化を駆逐して浄化しようなどと!」
もはや自分が何を喋っているのか良くわからず、完全に八つ当たりだ。
しかし、たとえ論理破綻してようが、元々私は考えなしで行きあたりばったりである。
「性行為なくして、人はこの世に生まれません!
現実と架空の区別が付かないからと規制するのは、他者を馬鹿にするにも程があります!」
私が人に意見できるぐらい偉いのかと言えば首を横に振るが、それはそれ、これはこれだ。
まだガチギレではないが、苛ついてる狐は抑えが効かなかった。
「それに一方的な自粛や規制は、多くの人を路頭に迷わせます!
架空の少女を救うために現実の人間が迫害や差別の犠牲になるなど! 一体誰のための人権ですか!」
それでも規制の抜け道を探せば、細々とだが生き残ることもできる。
しかし締め上げられた仕事に就いていた人は、社会的地位は底辺まで落ちてしまう。
前世の世界でもオタクに人権はないのは、世間一般でそういったアニメや漫画は低俗であるという風潮が根付いているからだ。
平成三年は主婦が運動を起こして全国に波及したため、前世よりも厳しい立場に立たされているのかも知れないと、私はそう思った。
「はぁ……同じ日本人なのに、気に入らないという理由で迫害してどうするのですか。呆れて物が言えません」
その台詞を最後に、私は大本営発表を終了した。
だがまあ全てが終わった後には、自分が何を喋ったのかは殆ど覚えていない。
相当カッカしていたので、少なくともまともな精神状態ではなかった。
多分だが、相変わらずの本音で喚き散らしたのだろうが、気分的にはイライラは解消されてとてもスッキリした。
今回の大本営発表でコミケ幕張メッセ追放事件が解決するとは思わないが、表現の規制に対して少しでもブレーキになってくれれば御の字だ。
私がヘイトを引き受けることで、オタクの地位が上がればいいのにと思いながら、稲荷大社の特設スタジオを後にするのだった。
後日談となるが、稲荷神が表現規制反対派だと明らかになると、有害コミック騒動はピタリと止んだ。
それどころか逆に、性や過激な描写を快く思わない主婦を中心とする団体が、オタクの代わりに今度は迫害され始める事態となってしまった。
なので私は慌てて再び大本営発表を行い、どちらの言い分も一理あるので一概に言えません。好き嫌いがあるのは人間として当然ですので、規制ではなく各々が自衛する方針で行きましょうと、付け加えるハメになったのだった。
何にせよオタクバッシングが沈静化して何よりだが、表現規制運動が今後も起こらないとは言い切れない。
最悪、千葉県で青少年健全育成条例が改正されて、過激な漫画や同人誌が有害図書指定をされるかも知れないのであった。
そこで私は、安全な場所で人様に迷惑をかけなければ、少しは静かになるかもと考えた。
来年以降もコミケを無事に開催させるために、東京ビッグサイトの建設を行うことを決めたのだ。
なお、まだ建てられていなかったことに驚いたが、よくよく思い返すとコミケの開催地が違っていた。
なので、きっと数年先にはドデンと建てられるのだろうと、ぼんやりとだが察するのであった。
ちなみに場所は、東京都江東区有明三丁目を選んだし、建物の基本的なデザインも私が関わっている。
史実より先に建てるだけで実際には殆ど同じ名前の建造物なので。場所や形や名前をなるべく近づけたいという、個人的な願望である。
結果、私のお墨付きの特別な施設なだけでなく、事業主体が稲荷プロダクションになってしまった。
だからなのか、都知事や警察もおいそれと手が出せずに、東京で大きなイベントを行う時はビッグサイトを借りれば御利益もあるので成功間違いなしと、そんなヘンテコな風潮が広まってしまったのだった。




