練馬三億円事件
時は流れて平成二年になり、昨年発売されたイナッチにVR機能を標準装備した、スーパーイナッチが発売されて大ヒットを記録した。
他のゲーム会社もソフトやハードを頑張っているので、面白い娯楽がどんどん生まれてくれれば、退位した後もずっと遊んでいられる。
だが既に積みゲーの山が出来ていて、崩す前に新作が次から次へと出ている。
いくら年中引き篭もり生活を送っているにしても、全てを消化するのは容易ではない。
ちなみにだが、うちのゲーム機を勝手に国外に持ち出そうとすると、厳重に処罰される。
兵器転用は許さないのであった。
他には一月にさくら家のアニメが放送された。私は自宅の居間から何とも懐かしい気持ちで視聴する。
サザエの人と同じで、町や家が二千二十年基準のものに差し替えられていたが、物語そのものに大きな変化はなかったので、ホッと一安心である。
ただし主人公の家の近くには小さな神社があり、ミステリアスな幼女の巫女さんが登場したのは驚いた。
狐の耳と尻尾は隠しているが、髪の色は誤魔化してない。どう考えても私がモデルになっているのは間違いなかった。
割と活躍の機会は多く、困ったときに助言を授けたり小学校に通って主人公と同クラスだったりと、何とも謎が多いキャラである。
主人公を押し退けてその子が大活躍したお話もあり、優遇されっぷりも凄い。
でも面白ければいいかと、何だか知らんがとにかくヨシと、私は気にしないことにしたのだった。
二月に入ってバブル景気の天井が見え始めた。株価が上がる速度が明らかに落ちてきたのだ。
だがこれに関しては私が何度も忠告してきたためか、土地や証券の上がりが遅くなったからと、経営が悪化して破産する企業はなかった。
だがこれからが大変なので、まだまだ油断するわけにはいかない。
前世の知識が確かなら、バブルの終焉は日本経済の長い冬の時代の始まりだからだ。
そんな事情はさて置き、私は転がるストーンさんの来日公演で、またもや飛び入り参加した。
ビートルさんの時と同じように、まだ発表されていない曲も熱唱して場を盛り上げて、東京ドームまで聞きに来てくれた観客だけでなく、バンドメンバーも含めて大いに沸かせるのだった。
三月になって、ドライの対抗馬として、一番に搾ったビールの海外輸出が活発になってきた。
一つの企業が長年世界ランキングのトップに立っていたが、これからはどうなるかはわからなくなる。
私的には戦国時代から日本酒派だが、ビールも嫌いではない。
しかしそもそも飲酒は嗜む程度であり、四百歳を越えても精神的には元女子高生のままだ。
ここまで変化がないのは呪いか何かと疑いたくなるが、肉体が不死身と超パワー持ちの狐っ娘の時点で明らかにおかしい。
今さら深く考えてもドツボにはまるだけだ。
なのでそっちはあっさり思考放棄して、清酒をチビチビ楽しみながら、美味しいお酒が増えてくれるのは大歓迎。今後も切磋琢磨してもらいたいと、そう思ったのだった。
いつの間に映画の聖地になっていたオーストラリアで、黒澤さんが豪アカデミー賞の特別名誉賞を受賞したりと、景気は天井間近だが、日本はまだまだ順風満帆と言える。
だがしかし六月になって、東京都練馬区で事件が起こる。
建設会社の社長宅に男二人組が押し入り、社長ら家族七人を脅迫及び監禁して立て籠もったのだ。
普段は妻と二人暮らしらしいが、その日はたまたま三女一家が遊びに来ていて、次男の満一歳の誕生日を祝う会が開かれていた。
さらに娘婿が妻子を迎えに行って事件に巻き込まれたので、不運の連続であった。
なお、事件に気づいたのは監禁三日目の午前十時ごろだ。
社長宅に回覧板を届けに来た近隣住民がキッカケであった。
普段は奥さんが出てくるのに誰も出てこないだけなら、そこまで不審には思わない。
しかし乗用車が停まっているのに、一人も顔を見せないのは明らかにおかしい。
人の声も聞こえずに静まり返っているし、寝ているならまだしも、何かあったのではと心配になった。
もし全員がグッスリ熟睡中だった場合、警察に連絡したりわざわざ起こすのは不味い。だがそれでも、万が一がある。
ならばどうするかと悩んだ結果、困った時の神頼みを行うことにした。
元々神社やお寺は、昔から地域住民のお悩み相談所という仕事もしていた。
なのでそれ自体は、別に不自然なことはない。
ただ偶然たまたま練馬区の神職さんのお宅に、私がお邪魔していたのだ。
被害者にとって、大変幸運であった。
理由だが、そこの神社が側仕えの実家で、彼女の母親が料理やお菓子作りが趣味で、そんじょそこらの飲食店にも引けを取らない程の腕前であった。
なので今日は、手作りお菓子をご馳走してくれると聞いて、ホイホイ釣られてやって来たのだ。
隣室でお菓子を待っている狐っ娘の耳に、地域住民の訴えが入ってきた。
ただ待っているのも退屈なので、観光がてらちょっと様子を見に行って来ようと、話は聞かせてもらいましたと乱入するのも当然の結果であった。
地域住民の案内で問題の社長宅までやって来たものの、様子を伺うために耳を澄ますと、何とも面倒な事態になっていることが発覚する。
「……これは、かなり厄介なことになっていますね」
案内役の地域住民ではなく、近衛と側仕えに視線で合図を送る。
すると彼らはスマートフォンを手に持って、関係機関に連絡を入れたので、すっかり慣れたものであった。
パーカーで正体を隠していても狐耳は優秀で、家屋の中は居間や応接間に人質にされた七人と、何か武器を持っているらしい犯人二人という、現在進行系で相当不味い状況になっていることが窺い知れた。
なので私はこの場から一旦離れようと近衛と側仕えに伝えて、彼らが上手いこと案内役の地域住民を説得して、今後の対策を練るのだった。
それから少しだけ時が流れて、社長宅の周囲に居るのは私と近衛と側仕えのみとなった。
さらに念の為、家の中からは見えない物陰に隠れていた。
ちなみに他にも護衛がいるが、そちらは普段から目立たないようにしている。
黒子のように居ないものとして扱っていた。
(警察が来るまで犯人を見張っておかないと……って! 誰か来た!
と言うか、何でこのタイミングで!?)
私がどうしたものかと悩んでいると、近くに車が停まった音がして、何処かの会社員らしき中年男性が降りてくる。
彼は荷台から大きなジュラルミンケースを取り出して、重そうに抱えながら社長宅へと歩き出した。
新たな犯人グループか、それとも無関係な一般人かは判断がつかなかった。しかしこれ以上事態がややこしくなるのは勘弁してもらいたい。
なので私は咄嗟に物陰から飛び出して、無邪気を装い中年男性の元へとトテトテと歩いて行く。
「あのー、ちょっといいですか?」
「んっ? 子供? 悪いけど、おじさんは今忙し──」
家の中から見えない位置で無言でパーカーをおろし、狐耳を露出させる。
するとジュラルミンケースを持っているおじさんは明らかに息を呑み、続いて思わず私の正体を暴露しそうになったので、近衛が慌てて飛び出して彼の口を押さえる。
「すみませんが、こちらに来てください」
無言でコクコクと何度も頷いて静かになったおじさんを連れて、社長宅からは見えない路地に移動する。
そこでようやく近衛が拘束を解いたので、私は乱暴にしてごめんなさいと一言謝ってから、彼に真っ直ぐ視線を向ける。
「私の質問に正直に答えてください。あとは声も小さくしてくれると助かります」
真面目な表情のロリっ子を前に、若干震えて頷くおじさんというヘンテコな構図だが、割といつもの光景なので気にせず話を進める。
「貴方は社長宅に向かっていたのですか?」
「はっ、はい!」
「用件は?」
「社長から電話で、銀行から現金七千万円を下ろすように──」
そこからはまあ、ペラペラと色んなことを喋ってくれた。
会話の途中で警察が到着したので、社長宅に武器を持った男性二名が人質を取って立て籠もり中と伝える。
さらに現金を運んできた彼の情報提供もあって、現状把握は一気に進んだ。
相変わらず事態は切迫しているが、取りあえず犯人グループに現金三億円が渡る前に一旦止められて良かったと言える。
まだ人質を取られているので依然として状況は不利なままだが、ギリギリのところで阻止できたのだった。
事件発覚から一時間ほど経ち、側仕えの母親が作ってくれたカップケーキが届けられた。
私は甘いお菓子が食べられてご満悦だ。
一方で東京都練馬区の社長宅付近には、警察やその他機関の関係者が集まるだけでなく、立入禁止のテープの外には、多くの取材陣や野次馬でごった返していた。
空にもマスコミのヘリが飛び回っているし、さながら戦場といったところだろう。
ちなみに私は、正体を隠してのお忍びを維持しつつ、立入禁止テープの内側に建てられた仮設テントで、パイプ椅子にチョコンと腰かけていた。
「犯人は人質を取っており、興奮しているのか説得には耳を貸しません。
恐らく稲荷様でも難しいかと」
現場の指揮官らしい警察の人から説明を受けている私は、確かに追い詰めらて興奮状態になった犯人が説得に応じるかは、難しいと思った。
逆に私が正体を暴露することで、火に油を注いで自棄になり、人質に危害を加えるかも知れない。
ならばどうするかと考えると、私には元々選択肢などなかった。自分にできることは、今も昔も一つだけだ。
「私が裏から突入しますので、陽動をお願いします」
「「「了解致しました!」」」
イエスマイロードと言うように、私の提案は二つ返事で了承してくれる。
これもコツコツと実績を積み重ねてきたおかげだが、それら全ては成り行きで適当に行動したら、いつの間にか達成していたに過ぎない。
だがしかし、神皇を退位しして普通の女の子に戻りたいという願いだけは、一向に叶えられないので残念無念だと感じるのであった。
一時間ほど打ち合わせや準備を行い、私が提案した突入作戦が実行に移されることになった。
作戦は単純で、屋内に隠れた犯人と人質の正確な位置は、私の狐耳によって正確に割り出されている。
さらに家の間取りも把握しているので、正面の突入部隊が相手の気を引いているうちに、私や別働隊が真後ろから押し入って人質を救出するのだ。
「稲荷様! 準備が整いました!」
「では、人質救出作戦を開始します!」
「「「了解! 突入ーっ!!!」」」
私はトランシーバーを片手に持ち、裏庭の茂みに身を潜めた状態で、警察の突入部隊に作戦開始を告げる。
午後二時のことであった。
突入部隊が正面玄関のバリケードに殺到する中、私は裏庭の家の壁に狐耳を当てていた。
十秒ほどそのままの姿勢で意識を集中させたあとに、おもむろに距離を取って、勢い良く壁に突っ込んだ。
殴る蹴るをするまでもなく、ただ真っ直ぐ走って壁を突き破ったのである。
私にとっては暖簾に腕押し糠に釘であり、実際の意味は違うが壁を壊しながら走り抜けると、犯人が立て籠もる居間に乱入した。
まさか壁を突き破って、自分のすぐ真後ろから来るとは思ってなかったようだ。
銃を構えて人質を取っている男が、目を白黒させて驚愕の表情で私を見ている。
「うっ、動くな!」
犯人が人質に拳銃を向けて脅すが、はいそうですかと素直に動きを止める私ではない。
何より引き金を引くより速く動けるのだから、そのような脅迫は無意味だ。
案の定一瞬で犯人との距離を詰めた私は、人質を撃つのではなく慌ててこちらに銃口を向けようとする中で、小さな手で拳銃を掴む。
そして一息つく間もなく、彼の指ごと握り潰してしまう。
「ぎゃあああ!!! じゅっ、銃を! 握り潰したぁ!?」
後先考えずに勢い良くやったためか、手の中で火薬が爆発したような音がした。
だが狐っ娘の体には傷一つついていないので、何も問題はない。
あまりにも予想外のことが連続して起きたためか、指を潰された激痛に悶えながら、犯人はあっさり戦意喪失してしまった。
ならば今のうちにと、あらかじめ用意しておいた捕縛用のロープを使って、バターになるほど彼の周りを高速でグルグル回る。
結果、目を回した中年男性が蓑虫のようになって、床に転がることになったのだった。
作戦開始から数分もかからずに捕獲に成功したが、犯人は一人だけではない。安心するにはまだ早い。
私は狐耳を澄ませて位置取りに気をつけ、次の目標地点に移動を開始する。
そして応接間に人質を取って立て籠もる男性の背後に回り込む。どうやら彼は、壁を背にしているようだ。
なので両手で壁を突き破って、背後から凶器を握り潰す。
続いてまたもや戦意喪失した犯人を、あっさりグルグル巻きにしたのだった。
犯人の数が多ければ、この手段は使えなかった。
てっきり正面の扉から入ってくると油断していたのも大きく、不意打ち成功だ。
その後は、救出された社長さんたちに家を壊してしまってすいませんと謝ったり、犯人に指示を出していた主犯のXという男性が浮上して、警察の捜査の末に逮捕されたりと色々あった。
だが何はともあれ、練馬三億円事件は、こうして幕を閉じたのだった。




