平成元年
昭和が終わって平成元年になった。
その際に、昔を振り返る映像が繰り返し放送されたことで、激動の昭和という言葉が定着した。
ついでにテレビ番組が毎日そればかりやるので、ネット配信サイトの契約数が激増する。
しかし個人的には、そんなことはどうでも良い。
日本や親日国のそういった有料サイトのアクセス権は、殆ど持っているから不自由していないのだ。
とにかく番組で流れる昭和の映像にも、当たり前だが私が紛れ込んでいる。
また時代が変わったので思えば遠くに来たものだと、ちゃぶ台に頬杖をつきながらテレビを眺めるのだった。
平成元年の三月二十九日、助けた女子高生が、うちのお世話係兼稲荷大社の巫女になった。
言葉にすればただそれだけなのだが、その経緯は少々複雑であった。
発端は去年の十一月二十五日まで、遡ることになる。
私はいつものようにフラリと外出して、埼玉県三郷市内の美味いもの巡りをしていた。
狐っ娘の直感と嗅覚で隠れた名店を探し出し、稲荷様用の外出費として各方面から渡されたお金を近衛と側仕えが厳重に管理し、基本は彼らが会計を行うことになる。
一方で変装した私は、保護者に連れられた子供役に徹する。
大金を持ち歩くのは明らかにおかしいゆえの、対処法だ。
さらにはあまり大きな声で喋ると一発でバレるので、食べたいメニューは小声か指差しで伝えるように気をつけていた。
それ以外にも、やたらとゴツい護衛が自分のすぐ後にぞろぞろと入店してきたりと、店主や従業員や他の客がぎょっとした顔をすることも多々あったが、多分ギリギリ身バレはしていない。
肝心の食事が運ばれてきた時の私はと言えば、孤独ではないがゴローちゃん気分だ。
やがて満足して飲食店から出ると、沈みかけた赤いお日様が視界に入った。
時刻は夕方になったのだと気づく。
楽しい時間はあっという間に過ぎるものだと、何とも感慨深く呟く。
ならば次は腹ごなしの散歩をしつつ、夜間から営業を始める居酒屋に寄り道すべきかと考えつつ、ほっぺたについた食べカスを、側仕えにハンカチで拭き取ってもらう。
しかし思案中に私の狐耳が、何やら聞き捨てならない台詞を捉える。
その後、急いで近衛と側仕えに静かにするようにと伝えて、身バレを気にせずパーカーを下ろし、狐耳を露出させる。
「自分はさっきのやつの仲間で、お前を狙っているヤクザだ」
私の表情があからさまに強張る。
それを見た近衛と側仕えにも緊張が伝わり、各々がスマートフォンを手に取って関係機関に連絡し始めた。
だがまだ、声を発した張本人が何処に居るかは特定できない。
引き続き狐耳をピンと張って、聞こえてきた方角を慎重に探る。
「俺は幹部だから俺の言うことを聞けば、命だけは助けてやる。セックスさせろ」
どうやら喋っているのは若い男性のようで、二回目の発言で方角もわかった。
だが問題は、双方同意のうえでの高度なプレイの可能性もゼロではないことだ。
けれど、もし脅迫だったら、取り返しのつかない事態になりかねない。
迷った私は近衛と側仕えに顔を向けて、簡単な説明を行う。
「現場を見ていないので断定はできません。
けれど、この近くで脅迫事件が起きているかも知れません。
なので少し様子を見てきます」
「「「お供致します!!!」」」
私は近衛と側仕えに告げたつもりだ。
しかし近くで聞き耳を立てていたごっつい護衛たちまで、一斉に反応が返ってきた。
彼らが私を見守っているのは暗黙の了解であり、今さら気にすることではない。
だがまあ詳細までは聞いていないので、多分日本政府か稲荷大社、もしくは自衛隊か警察か、それら全ての機関が手配したのだろう。
結果、成り行きでそんな謎の集団も同行することになった。
荒事になっても自分の身は自分で守ることと、いざという時には私の指示に従うことを条件に、大勢で現場に向けて移動を開始したのだった。
もし本当に脅迫事件が起きていたら、時間的な余裕は殆どない。
さらに現場に向かう途中で、若い男性が再び脅すような発言が聞こえてきた。
「声を上げたら殺すぞ」
しかし何というか、狐耳を澄ませるにしても夜の都会は雑音が多すぎる。
相変わらず大雑把な方角は辛うじてわかるが、勢い良く走り出したら容易に行き過ぎてしまいそうだ。
なのであくまでも駆け足程度で前進し、途中で何度も足を止めて狐耳をピコピコと動かす。
数分前から声が聞こえなくなり、そこはかとない不安に襲われるが、それまでに集めた情報を頼りに移動を続ける。
やがて、広々とした倉庫に辿り着いた。
私は特に深い考えもなく従業員用の扉に手をかけると、どうやら鍵はかかっていないようだった。
なので、そのまま躊躇うことなく倉庫内へと入る。
すると廃材や、用途の良くわからない物資が乱雑に置かれている以外は、そこには何もなかった。
「稲荷様、ここに少し前まで人が居たのは間違いないようです」
見た目はチャラい私服姿だが、何故かやたらと貫禄のあるおじさんである。
彼は近くに捨ててあった煙草の吸殻を、白いハンカチのような物で掴んで私に見せてくれた。
「足跡の違いから判断して、三人、いや四人ほどたむろしていたようです。
その中で、比較的新しい痕跡は二人でしょうか」
他の人たちも、倉庫のあちこちを一斉に調べ始めた。
まるで刑事ドラマを見ている気分だ。
現場検証を数分行い、大体の結果は出たようだ。
最初にタバコの吸い殻を拾ったおじさんが前に出て、私に報告してくれた。
「想像ですが、若い男性と女性の二人組は入り口の扉から外に出たようで、まだ遠くには行ってないと思われます。
……いかが致しましょうか?」
私の指示で動くようにと伝えてあるので、命令を待っているのだろう。
それにしても、皆イキイキし過ぎであった。
「もちろん追跡します」
「「「了解致しました!!!」」」
彼らは一斉に良い笑顔で了解した。
仕事にやりがいを持つのは良いことだが、こっちが引くほどの歓喜が伝わってくるので、何だか別の意味で恐ろしくなるのだった。
その後、犯行現場を見てないので事件性ははっきりしないものの、警察に連絡して動員を要請したようだ。
地元の警察署に、捜査本部が設置されることになった。
本来なら、あとはプロに任せてさっさと家に帰るのだが、自分から関わってしまったうえ、事件はまだ解決していない。
ここで手を引くのは、何ともスッキリせずにモヤモヤする。
それにもし本当に脅迫事件が起きていたら、被害者の救出が遅れるほど若い女性が危険になるのだ。
ならば自分にできることを全てやりきって、もし失敗したとしても後悔しない行動をしたほうが良い。
「稲荷様、お帰りにならないのですか?」
「犯人がまだ遠くに行っていないのなら、私の狐耳で感知できるかも知れません」
倉庫から外に出た私は、日が沈んですっかり暗闇に包まれた町中で、再び狐耳を澄ませる。
そして、何とか犯人っぽい男の声を捉えようと集中する。
時間にして数分ほどかかったが、願いが通じたようだ。大まかな方角を再び特定することができた。
「近くでタクシーに乗るようです」
そう口に出した私は、思わずハッとなった。
被害者を車で連れ去られたら、距離が遠ざかって狐耳での追跡が不可能になる。
ならば、何としてでも今ここで追いつかないといけない。
もはやそういうSMプレイだといった可能性は綺麗サッパリ消える。
完全に脅迫犯だと決めつけてしまっているが、今は直感に従うのが最良な気がした。
なので私は急いで駆け出して、近衛と側仕え、護衛たちは慌てて車やバイクに乗り込んで追跡する。
しかし屋根から屋根へと飛び移る私との距離は、開くばかりなのであった。
遠目に若干顔色の悪い学生らしき女性と、嫌らしい笑みを浮かべる若い男性が見えた。
タクシーに乗り込んで走り出す直前であった。
ここまで追いかけてきて、ようやくその姿を捉えたので、逃がすわけにはいかない。
「逃しませんよ!」
最初はもう一度屋根の上を飛び移ろうかと思ったが、高所からタクシーを探しても遮蔽物が多すぎる。
それに他にも犯人の乗っているのと同じようなタクシーが、あちこちで走っていた。
おまけにこの辺りの地理に疎い私では、ふとしたことであっさり見失いかねない。
ならばいっそ、道路交通法を無視して車道を走って追いかけようと考えた。
しかしその場合、自分の姿を目撃した車両が驚きのあまり事故を起こしてしまいそうだ。
なので、夜間の赤信号でたまたま停まっていた配送トラックに飛び乗り、助手席の扉をコンコンとノックして声をかけた。
「突然で申し訳ないのですが、前のタクシーを追ってくれませんか?」
「いっ、稲荷様!? はい! 喜んで!」
まるで何処かの居酒屋のような掛け声と共に、中年ドライバーは助手席のロックを即解除してくれた。
私はこれ幸いと、速やかに乗り込む。
拒否もすることなく即断で了承したのだから、教育が行き届いたペロリストである。
嬉しくはないが非常時なので、取りあえず気にしないことにして、ありがたく協力してもらうのだった。
配送トラックのドライバーさんは、青信号になると同時にアクセルをベタ踏みする。
アスファルトにタイヤの跡がつくのもお構いなしに、急加速した。
チェルノブイリ原発に突撃する時と比べれば、スロー過ぎてアクビが出る。
それでも、体がグイーと後ろに傾く。
さらに夜間なので走っている車は日が出ているより間より少ないが、前方のタクシーをいつ見失わないとも限らない。
念の為に近衛に電話をかけて、犯人と被害者を追跡中であることを伝えておいた。
「オラオラ! てめえら邪魔だ! 稲荷様のお通りだぁ! さっさと退きやがれ!」
罵倒したりクラクションを鳴らしながら、片側二車線の道路を右へ左へとハンドルを切って、上手く他車を避ける。
熟練のドライビングテクニックであり、最初は見失いかけていたタクシーとの距離を、少しずつ詰めていく。
しかし、どうやら自分たちが追われていると気づいたらしい。
向こうも速度を上げて追跡を振り切ろうとする。
爆音を轟かせて疾走しているので、こっちの声は届かない。
ついでにタクシーの運転手や乗っている人たちは恐慌状態になっていて、まともな会話は不可能っぽい。
何と言うか常識的な手段では手詰まりであった。
「周囲に他の車がなくなったら、私が物理的にタクシーを停めます。
飛び降りたらすぐに、減速してくださいね」
「了解致しました!」
相変わらず景気の良い掛け声で返事をする運転手さんを横目に、私は助手席の窓を開けて爆走するトラックの屋根に器用によじ登る。
狐っ娘の身体能力ならば、これぐらいチョロいものだ。
しばらく振り落とされまいと、カエルのように屋根にべったりくっついていたが、周囲に他の車が見えなくなったタイミングで、勢い良く前方に跳躍する。
爆走するトラックの速度以上の力を出さなければいけないので、足の形にベコンと屋根がへこんだ。
あとで謝礼を出させるので、後日そのお金で修理に出して欲しい。
それはともかく、タクシーを追い越してすぐ前方に着地した。
私は過去に電車を止めた要領で、振り向いて両手を構える。
そして真正面からぶつかって来た車の衝撃を上手に逃し、よっこいしょと受け止めた。
勢いを殺すためにジリジリと後退したが、中に乗っている人は驚き戸惑っている以外は全員無事なので、確保に成功してとにかくヨシである。
「路肩に停車した後にエンジンを切り、全員タクシーから降りなさい。
逃げても無駄です」
途中から車体を抱えるように持ち上げて、前輪を浮かせる。
そのあと、ゆっくり地面に下ろして、堂々と声をかけた。
するとタクシーの運転手がコクコクと頷き路肩に寄せて、ハザードランプを点灯させる。
それからまずはドライバーが降りて、次の学生らしき女性、最後に若い男の順番で全員が車から降りる。
ちなみに先程の配送トラックも邪魔にならない場所に停車しており、運転手もこっちにやって来た。
やたらと興奮して腕まくりまでしているので、何とも血の気が多そうなおじさんである。
それは置いといて、若い男性と女性、それと中年のタクシードライバーを前にして、私は単刀直入に質問をする。
「今からいくつかの質問をしますので、正直に答えなさい」
「「「はっ、はい!!!」」」
何故か配送トラックの運ちゃんまで背筋を伸ばして返事をしたのは、気づいたが無視して話を進める。
「そちらの女性は、隣の男性から脅迫されている。これは事実でしょうか?」
「なっ、何故そのことを!?」
「はい! そうです!」
驚愕する男性と安堵する女性は、まるっきり異なる反応だ。
答えを聞いた私は、犯人と被害者がSMプレイの間柄ではなく、本当に脅迫されていたのだと理解して、間違ってなくて良かったとホッと胸を撫で下ろす。
そしてこれまでの頑張りが無駄ではなかったことに、満足そうに頷く。
そんな私の後ろから多くのパトカーが近づいてきたので、あとは警察に任せようと、若い女性にこっちに来るように伝える。
「言っておきますが、私は女性を人質に取るよりも早く、貴方を殺せます」
本当に殺すつもりはない。手加減してぶっ飛ばす程度に留めるが、念の為に釘を差しておく。
すると若い男は絶望したような表情に変わり、隠し持っていたナイフを地面に落として、がっくりと項垂れるのだった。
何はともあれ、これにて一件落着だ。
巻き込んでしまった配送トラックの運ちゃんには申し訳ないが、この後の取り調べに協力してもらうようお願いする。
なお自分は、神皇の特権で警察に事情聴取を受けることなく、一足早く我が家に帰るのであった。
後日談となるが、あの時捕まった少年には他にも仲間が居たらしく、それぞれ悪事に手を染めていたことが明らかになった。
その際に、一部の報道で加害者の実名を公表したが、私は別にいいんじゃないかなと思った。
四百年以上前には、十歳でも大人として扱っていたのだ。
前世の日本でも、投票の年齢は十八歳に引き下げられている。
ならば、史実よりも発展している日本の国民が、少し早く大人としての責任を負うのも、そこまで不自然ではない。
そううっかり漏らした狐の一言で法律が改正され、十八歳以上の男女は大人としての責任や投票権を持つことが、閣議決定された。
ただしお酒やタバコは二十歳になってからですと、大本営発表でもしっかり公言しておいたのだった。
暴漢から助け出された女子高生のその後だが、医師の診断を受けて、心的外傷後ストレス障害と男性恐怖症、さらには稲荷神への強い依存症を患っていることが明らかになった。
心が癒えるまでは普通に生活するのもままならないため、私の側仕え見習いとして雇い入れるように働きかけた。
巫女が多い職場で事務仕事に専念すれば生活はできるが、稲荷神への依存症は目をつぶるしかない。
それはもう仕方ないと諦めて、時が癒してくれることを期待する。
そのような事情があって、彼女はうちが面倒を見ることになったのだ。
稲荷大社の神職一同は二つ返事で承諾してくれたし、実家も同様で地元の手続きを済ませる。
平成元年の三月二十九日にはこちらにやって来ることが、正式に決定したのだった。




