日本航空123便事故
年に何度か、無性に外出したくなる時がある。
昭和六十年の今回も、何となく大阪で食べ歩きがしたくなった。
いつもなら電車で行くのだが、たまには気分を変えて車窓からではなく、ちょっとした空の旅を楽しもうと思った。
私はお金を持っていないが、稲荷大社か日本政府にお願いして飛行機の国内線の予約を取ってもらえば、問題はない。
相変わらず認めたくはないが、自分は一応日本の最高統治者なのだ。そのぐらいの融通は効かせてもらえる。
とにかくエアフォースフォックスでは大事になるし、ただの食べ歩きでは税金の無駄使いにも程がある。
気まぐれのお忍び旅行を低予算に抑えることで、精神的にも優しいのだ。
その後は、羽田空港を選び、日取りは八月十二日、大阪国際空港行きの定期旅客便に予約を入れるのだった。
なお今回はお忍び旅行と言うことで、私はパーカーの上下という変装姿だ。
近衛と側仕えも一般人の外出着には違いないが、服の上から何となくわかるぐらいに膨らんでいる。
何だか知らないけど、万が一に備えて色々詰め込んできたなと感じた。
確かに、自分から外出する時は一定の確率でトラブルに見舞われる。
だが空港は、そんな危険な不審者を水際で弾くようになっているので、対人装備は不要だと思う。
機械の不調も、そう簡単に起きはしない。
それより何より、営業スマイルが崩れて引きつった笑顔で対応する係員のお姉さんを見ていると、何だかとても申し訳なく思えてしまうのだ。
だがまあ、事前に予約していた到着便の手続きを済ませるまでは、これといった問題もなくトントン拍子に進んでいた。
荷物検査や探知ゲートをドキドキしながら潜ったりと、前世での思い出を追体験できて、私としてはご満喫である。
しかし、近衛と側仕えはモロに引っかかったようだ。
慌てて検査員が呼び止めていたので、ある意味では予想通りの結果だった。
明らかに焦った表情に変わる同行者だが、それでもどうやら想定の範囲内だったらしい。
彼らは検査員と警備員に近づいて、何やらヒソヒソと耳打ちした。
その後は係員が私をマジマジと観察して、問題なしと一言告げる。
さらに、こちらに頭を深々と下げたことからも、耳打ちの内容が容易に想像できた。
(これ絶対私の正体バラしたよね?)
あからさまに態度が変わったのを見て、自分の正体がバレたのは確実だ。
狐耳にも大まかな内容は拾っており、秘密にするようにと釘を差していたのはお見通しだ。
だがまあ何はともあれ、表向きは一般人として扱い、ゲートを通してくれるなら問題ない。
(身バレするのは初めてじゃないし、別にいいか)
コイツいつも身バレしてんなと言わんばかりに、変装しても途中でトラブルが起きるたびに正体がバレているのだ。
止むに止まれぬ事情で稲荷神だと明らかにするので、今回も仕方がない。
それでも、近衛や側仕えが自ら暴露するのは珍しいパターンかもと思ったのだった。
空港の検査所でトラブルが起きて注目を集めたが、今さらなので私は気にしなかった。
そして搭乗予定の便の準備が整うまで、空いているベンチに座って適当に時間を潰した。
途中でピアノが置かれているのを見つけて、前世で途中で辞めたが音楽教室に通わされていたことを思い出し、何となく弾きたくなった。
(あの時は嫌々習ってたけど、案外覚えてるものだね)
私のうろ覚えのピアノ教室の記憶を、狐っ娘の体が補完してしているようだ。
数百年ぶりに弾いたにしては、途中で一度も躓くことなく演奏を終える。
近衛や側仕えだけでなく、近くで聞いていた人たちからも拍手が送られた。
少しだけ気を良くした私は、狐っ娘の体ならアレが出来るかも知れないと、次の曲を引き始める。
(耳コピのビッグブリッヂの死闘! おおー! ちゃんと弾けてる!)
それ以外にもこっちの日本ではまだ発売されていないゲームや、放送されていないアニメや映画の曲を、どれだけ時が流れても風化しない記憶と、狐っ娘の優れた身体能力を無駄遣いし、時間が来るまでピアノを占領したのだった。
私が乗るのは123便のボーイング747SR-46型機だ。
準備が整ったので搭乗する方はゲートまでお越しくださいと放送が入り、電光掲示板にも表示された。
夢中になってピアノを弾いていた私が時計を見ると、もうすぐ夜の十八時だ。
向こうに到着したら、大阪のホテルで一泊して次の日に食べ歩きをしたいなと考える。
ピアノの椅子からピョンと飛び降りて、お盆休みで混み合う空港内をゲートに向けてのんびりと歩いて行くのだった。
ウキウキ気分で搭乗ゲートを通過して、予約していたエコノミークラスの指定席に座る。
隣の席は近衛と側仕えが予約を入れており、機内での私は見た目幼女なのもあってかなり浮いていた。
実は他にも護衛が大勢乗り込み、私の周囲の席を完全に囲んで、しかもバリバリの警戒モードなのだ。
機内にテロリストが紛れ込んでいる可能性を考慮しているのだろうが、空の旅のワクワク感が台無しである。
(こんなことならビジネスクラスかファーストクラスを選べば……いや、どっちもどっちかな)
私はお金を一銭も持っていないので、稲荷大社か日本政府にお願いして旅行代金を払ってもらっている。
公務ではないお忍びだからこそ、エアフォースフォックスではなく、たまの旅行でもなるべく出費を抑えるように、移動は一般旅客機のエコノミークラスを選んだつもりだ。
しかし、気楽な一人旅ならまだしも、大勢の護衛に囲まれているのは変わらない。
専用機での旅とどっちが高くつくのかと、迷ってしまうほどだ。
だがそれが彼らの仕事なので、自腹ではなく経費として落としているのだろうが、国民の血税を使うのは何だか申し訳ない。
そんなことを考えている間に、出発を知らせる定期旅客便の放送が流れた。
そして滑走路を走り出した後は、ふわりと体が浮いたような感覚を覚えて、大空へと舞い上がっていく。
窓際の席なので飛び上がって地面から離れる瞬間は、おおーと声を漏らして、食い入るように外の景色を見つめる。
先程の申し訳ない気持ちも何処へやらだ。
周囲の人たちに微笑ましい視線を向けられても全く気づかないし、いつまでもクヨクヨせずに綺麗サッパリ忘れてしまう、前向きな軽い狐っ娘なのであった。
大阪国際空港への到着予定は十九時少し前で、約一時間ほどの空の旅だ。
しかし何事も計画通りにはいかないようで十八時二十四分に、何やら大きな衝撃音が響き渡った。
その時の私は何気なく窓の外を覗いていたのだが、妙な音が聞こえたので反射的に身構える。
かぶっていたパーカーを外して、狐耳を澄ませる。
(でもよく考えたら、私じゃ空の対処は難しいかも)
穴が空いて沈没しそうなときには水密扉を閉じればいいし、列車の衝突事故は受け止めれば解決だ。
しかし、飛行機はそうもいかない。
既に各座席に酸素マスクが下りている状況で、自動放送まで流れ出して内心かなり焦る。
「ただ今、緊急降下中、マスクを付けて下さい。ベルトを付けて下さい。タバコは消してください。ただ今、緊急降下中です」
それを聞いた私は逆にベルトを外して、すぐに席を立つ。
そのまま一番前の操縦席を目指して歩き出した。
かぶっていたパーカーも外したので、正体を自らバラした形になるが、非常時なので気にしていられない。
「私は操縦室に行きます」
「同行致します」
「助かります。私は機械には疎いので」
脳筋ゴリ押ししか取り柄がなく、知能指数は女子高生をやっていた頃から殆ど変わらずに低いままだ。
なので、精密機械の扱いは本当に苦手だった。
その点、近衛や側仕えがこんなこともあろうかと陰ながら努力を続けていたり、審査が厳しいのは知っている。
優秀なのは疑いようがないし、飛行機に関しても自分より遥かに頼りになるため、ここはあてにさせてもらう。
乗客も私が乗っていることに気づいて、困った時の神頼みのように、稲荷様どうかお助けくださいとばかりに、一心不乱に祈りを捧げ始めた。
確かに気持ちはわかるが、私には実際出来ないことのほうが多い。
だがまあ、日本の最高統治者として事故現場に居合わせた以上は、腹をくくるしかない。
「皆さんは客室乗務員の指示に従い、落ち着いた行動をお願いします! 私が必ず無事に帰しますので!」
「「「稲荷様!!! 万歳ー!!!」」」
たった今落ち着けと言ったにも関わらず、このはしゃぎようである。
それでも恐怖でパニックになるよりかは、多少なりとも心に余裕を持てただけマシだろう。
私はそのように割り切って、何故か乗客と一緒になって万歳三唱している乗務員に視線を向けて、後はお願いしますと声をかける。
そして、操縦室を目指して早足に歩き出すのだった。
一番前の操縦室に到着した私は、機長や航空機関士から話を聞いたが、はっきり言って理解不能だった。
元々の頭の悪さや性格が四百年以上経っても全く変化しない弊害か、基本から発展した専門分野になると全くわけがわからなくなる。
結果、専門職の大人たちが羽田の管制室とやり取りしたり、現状を打開しようと知恵を絞ったり、必死に舵を取って機体を安定させようと頑張っている横で、私は邪魔をしないように部屋の隅にチョコンと座って小さくなっていることしかできない。
しかし原因不明の損傷を受けて航行不可能になった飛行機が、長時間空を飛び続けられるはずもなかった。
いつかは墜落するのは間違いない。
ならば脳筋ゴリ押ししか取り柄のない私は、どう動くべきか。
「私が飛行機になります!」
「「「えっ!?」」」
パッと思いついたことをそのまま口に出したら、操縦室に集まっている人たちに思いっきり驚かれた。
それでも舵取りに乱れがないのは流石だが、長々と説明している時間はない。
だがまあ単純明快な作戦なので、簡単に皆に伝えるだけで済んだのは幸いだった。
作戦の手順を一通り確認した後、自衛隊が使用する軍事用の無線機を近衛から貸してもらう。
スイッチを入れた状態で落とさないように丈夫な紐で首元にくくりつけた後、荷物搬入用の扉を手動で開けて機外に出たら、きちんと封鎖しておく。
そこは地面の上でなく数千メートル上空だ。
当然落下することになるが心配無用であり、私は過去に空を飛んだ経験があった。
(いつものように翼を──)
青白い炎の翼を出し、空中に留まる。
狐っ娘の優れた身体能力は伊達ではなく、気流やコツは大雑把だが掴むことができた。
ふらつきながら飛行を続ける航空機に、私は猛スピードで近づく。
そして中央の下部を大雑把に狙いを定め、両手で支えるようにガッチリと掴んだ。
「取り付きました。羽田に進路を取りますので、方角を教えて下さい」
くくりつけた無線機に向けて喋ったつもりだが、私の狐耳ならともかく、風やエンジン音が混じって向こうに実際に聞こえているかどうかはわからない。
それでも今の機体の姿勢制御は、ほぼ私が担っている。
明らかに安定したことで、多分気づいてくれるだろう。
「了解致しました。稲荷様、羽田空港は八時の方角です」
私から見て八時の方向を目指して、翼を羽ばたかせて微調整する。
しかしやはりと言うか、気流や体感の角度の影響もあってズレが生まれるようで、何度も進路から外れて、そのたびに細かい修正を行う。
だがまあ航空機の姿勢制御のほぼ全てを私が担うことで、夜の二十時には羽田空港に、無事着陸することができたのだった。
離着陸用のタイヤに異常はないが、現時点では事故の原因が特定できていなかった。
なので、いざ着陸態勢に入った時に不具合が起きると困るので、私が走って滑走路に着地する。
最後まで飛行機の下部に取り付いて姿勢制御をしていたので、靴がボロボロになってしまう。
汚れなかったり怪我をしないのはありがたいが、着ている衣服はかなり酷い有様だ。
これはもう着られなさそうだし、大阪旅行もそんな場合ではないと中止になり、少しガッカリしてしまう。
だが、乗員乗客は全員怪我もなく無事だったので、取りあえずはヨシとするのだった。
後日談となるが、ボーイング747はアメリカの会社があまりにも必死に泣きつくので、適正価格より少しだけ安く購入した航空機の一つである。
その際に、僅かではあるが流れてきた賄賂も確認されており、何と言うかロッキード事件の負の遺産と言える。
事故の色々原因はあるだろうが、場合によっては向こうの航空会社との付き合いを見直さなければいけないが、それは私が関わるべきことではない。
相変わらずテレビのニュースでは、墜落しなかった航空機事故が取り上げられて、連日連夜ワッショイワッショイされている。
これは騒ぎが収まるまでは円盤や録画番組のみを視聴して、チベットスナギツネ化を避けたほうが良さそうだ。
かと思えば羽田で私がピアノを演奏した動画がアップされており、爆発的な再生数を叩き出していた。
結局、無事に解決したのに、いつも通り色んな意味で気が重くなり、航空会社からお詫びの品として大量に送られてきた外国のお菓子をモグモグしながら、大きな溜息を吐くのだった。




