遠出

　永禄四年、稲穂が実る秋になったが、相変わらずあちこちで戦が起きていた。

　三河の殿様は今川の砦や城を何度も攻めてはいるのだが、落とせずに撤退するという負け戦が続いている。

　引き籠もってのんびりしている私も、このままでは不味いのではと、三河の先行きに不安を感じてしまう。

　だからと言って私は別に戦いは好きではないし、外は危険なので手を貸すつもりはない。

　けれど戦勝祈願の参拝者がやって来て、周囲の者たちとひそひそ話をしている。

　無駄に狐耳が音を拾うので、地元の情勢は嫌でも知ってしまう。

　最近は、もう毎日が憂鬱な気分であった。

　本日も小さな社務所でワンコと戯れながら執筆作業を行い、溜息を吐きながら独り言を呟く。

「今度は東条城を攻めるって噂だけど、こんなんで三河は本当に大丈夫なのかな？」

　冬の宴会以降、松平さんたちは一度も顔を見せていない。

　戦っているのか、それとも討ち死にしてしまったのかはわからなかった。

　できれば生きていて欲しいし、あとは早いところ落ち着いてもらいたい。

　そして武将の松平さんが後ろ盾になってくれているので、私がここに住んでも三河の殿様からは何も言われないのだ。

　もし今川の支配地域になったら、どうなるかわからない。

「長山村も、戦に巻き込まれたら嫌だなぁ」

　私はうろ覚えの知識と村民の情報を頼りに、頭を捻ってウンウン考えた。

　愛知県豊川市か、その周辺だと突き止める。

　そして最初に倒れていた山中も、前世では都市開発計画で道路となっていた。

　小狐を庇って車にはねられた場所と殆ど同じになるのだが、残念ながらそこから先はさっぱりだ。

　ここが実家からそう遠くなさそうだと推測できたところで、時を遡る手段がなければ今の時代に骨を埋めるしかない。

「取りあえず平和になったら。各地の神社巡りも楽しそうだね」

　お寺には門前払いされるかも知れない。

　だがもし戦国時代が終わったら、日本全国の有名な神社を巡るのも楽しそうだ。

　今はあちこちで合戦に次ぐ合戦で殺気立っているので、狐っ娘＝妖怪として、刀を持った武士がすぐさま斬りかかってくるのは間違いない。

「だけど、いつ江戸幕府が開かれるのかな？」

　今は桶狭間の戦いが終わったばかりだ。そして幕府が開かれる正確な年表は覚えていないが、何となくまだまだ先は長そうな気がする。

　それまでは山奥に引き篭もって、戦乱の嵐が過ぎるのをじっと待つつもりだ。

「でもせっかく上手くいきかけてるのに、戦で台無しにされたくないなぁ」

　三河の安定が第一だが、肝心の殿様は残念なことに戦下手なのか、負け続きなのだ。

　もし今川勢力に飲み込まれたら、稲荷様を信仰して生活用品を分けてくれる村人たち、養鶏や養蜂や稲作、その他にせっかく教えた知識や技術も、全部台無しにされかねない。

　組織の上層部が変わっても今まで通りに過ごせれば良いが、私は現状に十分に満足している。

　戦国時代で衣食住を確保するのは大変だし、人と関わるのは危険なので狼たちとのんびり過ごしたい。

　つまりぶっちゃけて言えば、今川の支配は望んでいないのだ。

　結論が出た私は本日何度目かの溜息を吐き、口を開く。

「東条城が何処にあるのか、神主さんは知ってるかな？」

　他所でどれだけドンパチしても、対岸の火事なので関係なかった。

　しかし、領内での戦となれば話は別だ。

　松平さんには手助けしないと言ったし、自分も戦うのは好きではない。

　だが下手をすれば三河国が今川家に支配されるというなら、背に腹は代えられない。

　私はしばらくウンウンと悩んだ末に、ちょっと合戦場を見に行くだけだからと呟き、座布団から立ち上がる。

　続いてペタペタと畳の上を歩いて、土間に揃えて置かれている愛用の下駄を履く。

　そのまま社務所の玄関脇にかけてある藁傘をかぶり、狐耳を隠す。

　モフモフの尻尾も紅白巫女服の中に無理やり潜り込ませて、外から見ただけでは狐っ娘とわからないようにする。

　あとは倉庫から長旅に必要と思われる食料や道具をいくつか見繕い、麻の手提げ袋に収納していく。

　準備ができたら引き戸を開けて社務所から外に出て、所用でしばらく留守にしますと、万が一のために書いた木札を見やすい場所にかける。

　これで、出発準備完了だ。

　私は参拝者が唖然とした表情でこちらを見ているのを華麗にスルーして、村の木工職人に作ってもらった犬ぞりを引かせるために、狼の群れの中からいつもの五匹に声をかける。

「ボス、ミミ、シロ、マロ、ブチ。一緒に来てくれますね？」

「「「ワオン！！！」」」

　外用の丁寧語で話しかけると元気良く返事をしてくれたので、私は小さな手で犬ぞりを持ち上げて、よっこらしょと背負う。

　そして、よく晴れた秋空が広がる中で、山を登って参拝に訪れた人たちの間を通り抜けて、涼しい風を受けながら参道を麓に歩いて行くのだった。

　実家から飛び出した私は、特注の犬ぞりで街道をひた走る。

　狐っ娘の無駄に高い身体能力で、振動による苦痛を無効化してはいるが、感覚は人間に寄せているのか、何となく落ち着かない。

　お尻をモゾモゾと動かしながら、神主さんから聞いた東条城に向かって猛スピードで疾走する。

　小さな犬ぞりと幼女はかなり軽いらしい。

　ボスたち五匹の狼は重りなどないかのように、疲れも見せずに長時間走り続けた。

　途中で関所を見かけ、通行料を払えば通してもらえるのか、でももし正体がバレたらと不安になる。

　しかし、悠長に考えている時間はない。

　駄目なら逃げ出して別の道を探せばいいと割り切り、真正面から突っ込んでいった。

　だが意外なことに、関所の門番が私の姿を一目見た瞬間、どうぞお通りくださいと、身なりを正して頭を下げる。

　何故か永楽銭も払わずに、素通りすることができた。

　おまけに先々の村や他の関所も同様だ。

　拝まれたりお供え物やお賽銭を受け取る以外は、特に何事もなく目的地の周辺まで辿り着く。

　これに関して、私は何故だろうと首を傾げた。

　だがよく考えたら、耳と尻尾は上手く隠しても、陽の光を浴びて輝く艷やかな長髪はまるで黄金のようだ。

　それにお気に入りの紅白巫女服は戦国時代にしてはきめ細かく、とても上質で色鮮やかである。

　さらには狼たちが引っ張る犬ぞりに乗っているので、これでは遠目でも非常に目立つ。

　色んな意味で噂になっている、お稲荷様だとバレるのも当然だ。

　しかしだからと言って、今さら計画は変えられない。

　こうなったら仕方ないので、行けるところまで行ってみよう。案ずるより産むが易しと、強引にでも前向きに考えることにしたのだった。