三島事件
同じく昭和四十五年のことだが、お隣さんとは国交断絶状態で、日本は狐色に染まりきっている。
何処かの航空機がハイジャックされることもなく、平和な時が流れていた。
だがしかし、そろそろ今年もあと少しと思い始めた十一月二十五日に、予想外の事件が起きてしまう。
自衛官であり、作家でもある三島さんが、何をトチ狂ったのか数名の同士と共に、総監を拘束したのだ。
おまけに総監を人質として利用することで、駐屯地に集まった大勢の隊員をバルコニーの前に集めて、大規模な演説を行ったのである。
当然警視庁もすぐに動き、三島さんたちを逮捕するようにと指令した。
事件発生から三十分足らずで、駐屯地の外にはパトカーや警務隊の白いジープが続々と集まってきている状態だ。
さらには、情報統制する前にテレビやラジオで事件の第一報を伝えてしまった。
混乱に歯止めがかからず、日本全国が上を下への大騒ぎである。
なお私はと言うと、居間でのんびりとテレビを見ていたら急に速報が入った。
事件が割と近場であることから、否応なしに巻き込まれる可能性は高い。
そう言うことで、政府関係者を稲荷大社の謁見の間に招集して、情報の提供を求めることとなったのだった。
一段高い畳の上でどっしりと構えて、お茶請けの柿ピーをポリポリ食べながら、首謀者である三島さんについて尋ねる。
政府の関係者はあらかじめ機材一式を用意していたらしく、テキパキと設置していく。
電源を入れた大画面モニターに、ドローンを使って市ヶ谷駐屯地を上空から撮影した映像が音声入りで映し出された。
そこには一人の中年男性が、バルコニーの上に立っている。
彼は千人は居るかと思われる自衛隊員を前に、マイクを使って堂々とした態度で演説を行っていた。
彼が頭部に巻いた鉢巻には七生報國と書かれているが、これは七たび生まれ変わっても朝敵を滅ぼし、国に報いるの意であると、政府の人が教えてくれた。
つまりは三島さんは重度のペロリストで、神皇様のためなら死ねるほどの忠誠心を持っていると、そう宣言しているのと同じである。
もうこの時点で色々とツッコミたいが、一旦落ち着いて状況を飲み込み我慢する。
何よりもまずは三島さんの演説内容を聞いて、事態を冷静に判断することが重要だ。
画面の向こうでは時折ヤジが飛んだが、彼は熱心に語りかけている。
上空の高性能ドローンも、しっかり声を拾ってくれていた。
「このままでは諸君は永久に稲荷神様ではなく、ただの日本政府の軍隊になってしまう!
自分を否定する憲法をどうして守るんだ! どうして自分を否定する憲法のために、自分らを否定する憲法にぺこぺこするんだ!
これがある限り、諸君たちは永久に救われんのだぞ!」
彼の言う通り、元々の自衛隊は神皇直属の組織であった。
だが少し前に、保安庁から防衛省に改正される。
私が不在でも、日本政府からの指示があれば問題なく動けるようになったのだ。
それを聞いて考えると、私のせいでクーデターを起こしたという結論に容易に辿り着いてしまう。
つまり三島さんは、これまで通り稲荷神直轄の組織が良い。日本政府は不要だと考えている。
そして俺たち自衛隊が立ち上がって、憲法を改正前に戻そうぜという流れを、引き起こそうとしているのだ。
中には同意する者も出てきたことから、これがもしサクラでないとすれば、重度のペロリストが結構な人数潜んでいることになる。
(そう言えばこっちの自衛隊は、ペロリストの集まりだった)
何にせよもし彼が支持を得られなければ、警察や治安維持部隊で鎮圧できる。
しかしバルコニーの前に集まった自衛隊員が賛成に回り、日本全国に波及すれば非常に厄介なことになるだろう。
ならば、正直物凄くやりたくないが、ここは自分が動くしかなさそうだ。
私は脳筋ゴリ押ししかできないが、戦力的に多分世界最強だ。
その気になれば武装集団が相手でも、傷一つ負うことなく容易く鎮圧できる。
「仕方ありません。現地の自衛隊員に静観に徹するようにと指示を出してください。
それと輸送機の手配を。私が直接鎮圧します」
重い溜息を吐いた後に、そう宣言する。
驚愕する政府関係者を前に、正直凄く行きたくないが何とか真面目な表情を保つ。
「稲荷様自らがですか!?」
「周囲への被害を抑えて速やかに鎮圧するには、私が乗り込むのがもっとも確実です」
常識的に考えれば、日本の最高統治者が危険地帯に突っ込むのはどうかと思う。
しかし自分は知略よりも、真っすぐ行ってぶっ飛ばすほうが向いているのだ。
(政治力皆無で荒事しか芸がない私が、日本の最高統治者をやってるほうがおかしいんだよ)
これまでは奇跡的に上手くいったが、いつ舵取りに失敗して暗礁に乗り上げてもおかしくない。
だから、いい加減神皇を退位させてくださいと常々そう言っている。
だがそれにも関わらず、今回事件を起こした三島さんは、どうしても私にトップに立って欲しいと声を大にして主張するのだ。
本当に困ったものだと、内心で大きな溜息を吐く。
けれど今は事態の早急な解決を図るために、真面目な表情で関係各位と打ち合わせを行うのだった。
超法規的措置とは便利なものだ。
どれだけ無理難題でも、会議や手続きをすっ飛ばして、即実行できる。
それだけの権限を持っていたり特権階級でないと駄目だが、おかげで神皇の命令一つで長距離移動用の航空機を用意してもらえた。
三島さんたち犯行グループは人質を取って、まだ熱心に演説を行っているらしい。
彼らが事に及ぶ前に、突入して鎮圧しないといけない。
だがしかし、真正面は相手も警戒している。
周りを囲む警察関係者を、油断せずに監視しているのがわかった。
バカ正直に突っ込んだら、人質の身に危険が及ぶ可能性が高い。
(説得すれば聞いてくれるかもだけど。
頭に血が上ってる人を説き伏せるのは、リスクが高すぎるよ)
重火器だけでなく強化外骨格を装着している者も複数いる。
バルコニー付近に集まった自衛隊員も人質として利用されたり、戦いに巻き込まれて怪我を負うかも知れない。
「稲荷様! 間もなく市ヶ谷駐屯地の上空です!」
国産のC-4輸送機が市ヶ谷駐屯地の高高度に到達することを、近衛ではなく自衛隊の空軍大将が敬礼をしながら、ハキハキと報告してくれた。
「自衛隊が手伝ってくれるのは助かります。ですがこの作戦は、大怪我をしたり命を失う危険があります」
「そのようなことは百も承知です! 我々は稲荷様のお役に立てるなら、たとえ命を失おうと本望であります!」
本当にどうしてこうなったのやらだ。
たまたま手の空いていた空軍からC-4輸送機を借りたのは良いが、何故か空軍の大将と精鋭部隊までくっついてきた。
しかも近衛同様、最新の強化外骨格や銃火器を所持した完全武装だ。
まるで今から戦争にでも行くかのように物々しい雰囲気である。
けど自衛隊の暴走を止めるのが目的なので、準備は万全に整えるに越したことはない。
なお現地の詳しい情報はドローンで確認している。
人質さえ救出してしまえば、あとは私一人だけでもミッションの達成は可能だ。
ついでにどうせ銃火器が当たっても無傷なので、自分だけのほうがある意味では気楽であった。
「パラシュートなしで強化外骨格頼りの降下作戦はこれが初めてとなります!
いやぁ! 腕が鳴りますな!」
スラスターユニットでの加速や飛行は可能だ。
しかしあくまでも補助機能に過ぎないため、長時間の飛行はできない。
そんなぶっつけ本番の無謀な試みにも関わらず、離脱者は一人も現れなかった。
下手をすれば地面に衝突するが、市ヶ谷駐屯地の上空に到着したのだ。
もうゴタゴタ言っている時間はない。
ここから先は迅速に任務を遂行し、犯人グループを無力化しないといけなかった。
「作戦を開始します。参加される皆さんは、高度な柔軟性を維持しつつ、臨機応変に対処してください」
私は大きく息を吐いて、本当に渋々と言った表情で作戦開始を告げた。
その言葉が終わったと同時に投下用のハッチが開いたので、振り返ることなく自分が一番に駆ける。
すぐに、何もない宙に颯爽と飛び出した。
「総員! 稲荷様に続け! 今こそ大和魂を見せるときぞ!」
「「「おおー!!!」」」
背後で雄叫びが聞こえたが私はそれを無視して、今はとにかく意識を集中する。
直感的に体を動かし、落下地点を微調整する。
地上との距離がぐんぐん近くなることを感じながら、速度を落とすことなく市ヶ谷駐屯地を目指して、ただ真っ直ぐに降下していくのだった。
あらかじめ潜り込ませた自衛官を装うスパイによって、犯行グループは演説に集中するか地上の警官隊に注意を向けさせていた。
そして上空から降下してくる私たちに、意識を向けさせないように仕向けていた。
だが地上との距離が近くなったことで、誰かがこちらの存在に気づいて指を差す。
「気づかれた? でも、もう遅い!」
最新のドローンによる熱源感知で、人質と犯人グループの所在は割れている。
他にも罠を仕掛けられている可能性を考慮し、降下地点は事前に相談して決めていた。
私は三島さんに一直線に突撃して、これから囮役として派手に立ち回って注意を引く作戦だ。
バルコニーで演説していた彼が、物凄い速度で降下してきた私を見て、驚愕の表情を浮かべているのがはっきりとわかった。
「いっ稲荷様!? 何故ここに!」
驚き慌てふためく三島さんだが、今の私は質問に答える余裕はない。
降下地点との距離がもう百メートルもなくなり、姿勢制御で精一杯になっていたのだ。
「翼よ!」
狐火で構築された巨大な翼が展開されて羽ばたくと、謎に包まれた運動エネルギーが発生して降下速度が目に見えて落ちていく。
さらに周囲に全く熱くない青白い火の粉が飛び、激しい突風が吹き荒れる。
市ヶ谷駐屯地に集まった自衛隊員たちは、皆が飛ばされないように必死であった。
結果的に、広範囲に拡散された狐火は良い感じの目眩ましになったようだ。
次々と降下してくるゴツい宇宙服っぽい強化外骨格を装着した集団が、荒れ狂う風をものともせずにバーニアを吹かして、作戦地点に無事に降りる。
彼らは速やかにハンドサインで合図を送り、私は人質救出のために施設の内部に侵入するのを横目で見届ける。
そして自分は翼を少しずつ小さくし、ゆっくりとバルコニーに降り立った。
「三島さん。突然ですが貴方を拘束します」
完全に翼を消して、地上に降り立って小さく息を吐いてから宣言した。
私はすぐ目の前に居る三島さんを、油断なく見つめる。
「なっ……ぐええぇ!?」
次に、彼が行動を起こすよりも早くに拘束用の頑丈なロープを持って突撃した。
バターになるぐらいグルグルと高速回転する。
それこそ反撃の余地もなく、目にも留まらぬ速さで縛り上げてしまう。
この程度の芸当、狐っ娘の身体能力ならば余裕である。
それに今回は戦闘のプロの助力があるので、任せて安心だ。
途中でスラスターユニットがイカれて水没したり、地球の大気圏に引っ張られて燃え尽きる人も出なかったし、流石は精鋭部隊とメイドインジャパン製の装備である。
何はともあれ、こうして三島事件は一人の死者も出すことなく終結したのであった。
後日となるが、軍法会議で今回の事件の容疑者を裁くことになった。
何だかんだで自分のせいで暴走したようなものであり、取りあえずは裁判所で彼らの目の前に立って、一日裁判長として、堂々とした態度で判決を告げる。
「防衛省は日本政府の指揮下ですが、最上位の稲荷神が直轄しているのは変わっていません。
憲法には私も関わっていますし、不服と思うのなら即刻日本から出ていくことです」
我ながら何様のつもりと自己嫌悪になりそうだ。
しかし自分は神皇なので、今の発言にはそのぐらいの効力がある。
特に相手が日本人なら効果抜群であった。
実際に犯人グループ全員は、顔色が明らかに悪くなっている。
「しかし心を入れ替えて神皇に尽くすと誓うならば、私は貴方たちを許して、無罪放免としましょう」
さらに発言を続ける私は、先程までとは打って変わって慈愛の笑みを浮かべる。
そもそも自分のせいで暴走したようなもので、私のやらかしで罪人にするにはあまりにも可哀想だった。
それに怪我をしたのは三島さんたちだけで、総督も含めて被害は殆ど出なかった。
初犯ということもあって、気の迷いで済ませるのも良いんじゃないかなと、たとえ軍部だとか規律だとか関係なしに、私だからこそあっさり許してしまう。
何より三島さんたちに同調する者も結構な数出ていたので、ここで罪人として裁くことで、潜在的なペロリストが暴徒にならないとも限らない。
押さえつけるのではなく彼らを一理あると認めることで、不満を少しでも発散しようと考えたのだ。
それに狐っ娘の中身は、四百年以上経っても一般人のままだ。
私はいつから人を裁けるほどに偉くなったのだと、何とも自己嫌悪になってしまう。
何にせよ世間を騒がせた三島事件はこうして一件落着し、やはり稲荷神様はお優しいと、一部のペロリストから熱狂的な支持を得てしまうのだが、それは本人の預かり知らぬことであった。




