来日公演
昭和四十一年になって、日本の総人口が一億人を突破した。
正史に詳しくない私は、今の時点で多いのか少ないのかわからない。それでもとにかく、めでたいことだと喜んだ。
なお親日国への移民を含めれば、一億などとうの昔に越えていた。
だが記念すべき快挙には違いない。
そして稲荷大社の特設スタジオではなく本宮の舞台の上に立ち、全ての日本国民に向けて祝福の言葉を送った。
一人っ子政策をする必要もなく、かと言って露骨な逆ピラミッド型でもない。
年齢別に分けても、割と綺麗な四角形になっている。
きっと本来の歴史も昭和には、こんな感じでバランスが取れていたに違いないと、すっかり信じ込んでいた。
ちなみに何故こうなったかと言うと、狐っ娘の統治で将来への不安を感じない日本人は、性に関しても忌避感がなかった。
つまり結婚や子育てに関して、非常に前向きなのだ。
そして大本営発表を聞き入れることで、贅沢や投資、賭け事は嗜む程度で、残りは生活費や貯蓄にあてていた。
謁見の間で日本政府の関係者と話す機会もそこそこあるため、国の運営に関する悩みや愚痴が狐耳に入るのも、ある意味では当然だ。
その結果、稲荷大社の特設スタジオや本宮の舞台上で、産めよ増やせよについての本音を、時代ごとに堂々とぶっちゃけてきた。
それが幸いしたのか、急激な人口増加が見られる時には歯止めがかかる。
逆に少子化傾向が見え始めたら夜のお勤めを頑張ったりと、なかなか良い感じにコントロールできていたのだった。
なおそんな狐っ娘だが、もし例えるとすれば、日本の神霊的最終安全装置だ。
国民にとっての信仰や崇拝の対象であり、誰も彼女を押し退けて上に立とうとはしない。
お天道様のようなありがたい存在として、国民は日々の安寧に感謝の祈りを捧げている。
もし狐っ娘が居ない場合は朝廷が代わりになるのだが、流石にそこまで過大なお役目を押しつけるのは、酷というものだ。
同じく昭和四十一年のことだが、証券不況から持ち直した日本は再び好景気に突入した。
これは政府が金融緩和を打ち出したことと、さらなる国際競争力の強化を目指した規模拡大のために。企業の大型合併が多数実現したからだ。
ついでに、自動車やカラーテレビやエアコンの輸出も好調である。
世界の国々からは、稲荷神様の三種の神器と呼称されることになった。
本人からすれば、何でやねんとツッコミを入れたくなる程のこじつけである。
ちなみに広報したのは日本企業で、稲荷神の知名度を使って売上アップを見込んだらしい。
実際にその試みは大成功なので良いのだが、何だか釈然としない。
それでも名前を使われるのは今さらで、自分は稲荷神ではない偽物なのだ。
文句を言うのはお門違いで、日本国民のためにもなる以上、多少恥ずかしくても黙って見守ることに決めたのだった。
なお、この好景気は五十七ヶ月続いて神狐景気を上回ったことから、稲荷神景気と呼称される。
再度相変わらずこじつけが過ぎないかと、ツッコミたい衝動に駆られたのは言うまでもない。
しかし海外輸出の三種の神器の宣伝に稲荷神の名前が使われているため、一理あると納得せざるを得ないのだった。
同年、世界的に有名なバンドメンバーが来日した。
イギリスのリヴァプール出身のロックバンドは、日本と言うか狐っ娘大好きさんであった。
そして何故か、ロックの聖地は日本であると楽しそうに打ち明けてくれた。
確かに前世の知識や技術を日本国民に教えて広めたし、四百年以上も内政に打ちこんできて、今現在も継続中だ。
これで芸能文化が花開かないはずがない。
しかし伝説的なロックバンドから聖地認定されるほど、遙か高みに到達しているとは思わなかった。
ただでさえこっちの日本は元祖や聖地だけでなく、世界一のバーゲンセール状態なのだ。
野菜王子が日本がナンバーワンだと言うように、偉大なロックバンドの方々に聖地認定されても、私には困惑のほうが大きい。素直に喜ぶことは、今ひとつ出来なかったのであった。
それはともかくとして六月三十日になり、東京日本武道館でコンサートが開かれることになった。
当日、私は多くのファンと共に現場に赴き、彼らを快く歓迎する。
するとメンバーなりの冗談だろうが、臨時のメンバーとして舞台に招かれた。この申し出を拒否することもできたが、伝説的なロックバンドからのせっかくのお誘いである。
素人なので足を引っ張ってしまうでしょうが、ご要望とあらばと、失敗しても恨みっこなしの予防線を張ってから、私はお誘いを快く受けた。
一先ず楽屋裏に移動すると、何故かサイズぴったりでお揃いの衣装が用意されていたことから、こうなることを予想していたのか、それとも計画済みだったのかと困惑してしまう。
何にせよ臨時のメンバーとして参加すると首を縦に振ってしまったのだ。
側仕えに着付けをお願いし、公演が始まってから三十分程経過した頃に、オシャレな男装の狐っ娘が急きょ飛び入り参加した。
ちなみに最初は、彼らの曲に私は頑張って合わせていた。
だがしかし、一日の公演は十一曲の三十五分と決められており、自分が入った時には既に終了間近であった。
このまま終わっても良かったが、神皇である自分に気を使ってくれたのか、私が歌って今度は彼らが合わせる形で、即興のアンコールを行うことが急きょ決定した。
ご厚意に感謝して深く頷いた私は、実際のところはそこまで有名バンドに詳しくない。
パッと思いつく曲は限られていることもあり、いつも通りにやらかした。
あろうことか、解散後のジョンが歌うはずのイマジンを歌ってしまったのだ。
最初はメンバー全員が大いに戸惑っていたので、またやらかしたかと思ったが、伝説のロックバンドは伊達ではない。すぐに合わせてくれた。
フォローは大切だが、これがいけなかった。
バンドメンバーの演奏が自然すぎて自分の失敗に気づけなかったため、最後までノリノリで歌いきってしまったのだ。
おまけに観客とメンバー双方からアンコールされたので、ライブ会場の独特の雰囲気に飲まれて、勢いに乗って昭和四十一年ではまだ未発表の曲を景気よく披露してしまう。
そのまま追加で三十分ほど気分良く歌っていたところ、ギターの弦の切れるというトラブルに見舞われて、丁度よい区切りだと考えて、そこでアンコール終了した。
その後私は、何とも清々しい笑顔で大勢のファンとバンドメンバーに頭を下げてお礼を言い、とても良い気分で舞台を後にしたのであった。
なお後日やらかしに気づいたのは、バンドグループからお手紙を受け取ったあとだ。
「リトルプリンセスのオリジナル曲に痺れた。ぜひ新メンバーとして入って欲しい」
そう熱心に勧誘する寧陽だった。
まさか、あれは元々貴方たちの曲ですとは言い出せない。
「アレは即興で作った曲なので、もしよろしければ自由に使ってくれて構いません」
そうこっちで得られるはずの権利を、どうせ自分のじゃないしとあっさりと放棄したのだった。
そのような経緯もあり、作詞作曲が稲荷神と付いている曲が、この世界には多数存在している。
そもそも戦国時代から、私由来だと信じられている知識や技術だらけだ。
今はそれが世界中に拡散し、普通に受け入れられているのだから、もうなんと言えばいいのやらだ。
稲荷様はあらゆる分野を網羅した神様なので、取りあえず祈っておけば安心安全で何にでも御利益あるよとか、そんな出鱈目な感じである。
一方で、やらかした私は大いに反省する。
だが基本的に喉元を過ぎれば熱さを忘れるで、行き当たりばったりの脳筋タイプなので、今後もうっかりは避けられないのであった。
同じく昭和四十一年に、満を持してウルトラの巨人が放送された。
最新のCGだけでなく、着ぐるみと模型が入り交じるド派手な演出だ。
全国のお子様と狐っ娘は大興奮で、予算も潤沢にあるので毎回の話の展開に苦労することもない。
ただ、最初にQを作ろうとした時に私は首を傾げて、マンじゃないんですかと質問すると、円谷さんは皆目見当がつかないようだった。
口では説明しにくいので、私はお世話係にスケッチブックと色鉛筆を用意してもらい、初代のラフをカラータイマー付きで描いて彼に手渡した。
すると明らかに感銘を受けたような表情に変わり、Qの企画を中止して私が描いた初代マンを三分しか戦えない設定も取り入れて放送することに、急きょ変更したのだった。
今振り返ると、Qからマンに行くのが本来の流れだったかも知れない。
だがこっちの円谷さんは毎日生き生きと撮影に望んでおり、初代も三十九話ではなく、一年間ぶっ通しで全四十九話を放送予定らしい。
どっちが良いのかは判断しかねるので、私は今が楽しければ良いかと、現場猫のように適当にヨシと頷く。
だがしかし、こっちのM78星雲のウルトラ長老には、クイーンという特別な存在が居る。
その人物が何故か、とある狐っ娘にそっくりなのだ。
おまけに伝説の英雄で全宇宙の平和を見守ったり、特殊な道具を戦士たちに渡したりと、重要な役目を担って物語にガッツリ関わってくる。
つまりは稲荷神の居ない地球を、私の加護を受けた戦士たちが守っていくというのが、根底のストーリーにあるのだ。
後々シリーズ化することを考えれば、この基本設定はもはや修正不可能だろう。
話が続くたびに、永遠について回ることになる。
結局ウルトラの世界でも、神=私という宿命からは逃れられないようだ。
自宅の居間でリアルタイムで第一話を見終わったあと、とても面白かったが何処かスッキリしない気持ちを抱くのだった。




