東京オリンピック
昭和三十八年になって、アメリカで日本の技術者が大活躍しているらしい。
原子力発電所を各地に建設して、安心安全に管理運営していると朝のニュースでそう報道していた。
だが原子力部門は、これから他国に追い抜かれるだろう。
それでも日本の技術者との共同開発の契約を交わしているので、置いてけぼりにはならない。
まあ国際関係が悪くなればその限りではないが、今のところは仲良くやっている。
そして同年、アトムのアニメが世界的な大ヒットを記録した。
日本と親日国は当然のようにカラーテレビで最近は薄型が普及してきているが、他国は白黒が主流だ。
それでも、アニメーション部門で歴史的な快挙を成し遂げたのは間違いない。
ちなみに内容について言及すると、デジタル作画やCG、さらに他のロボットアニメとコラボしたりと、やりたい放題だ。
正直、夢の共演だらけだった。
一方で原作者の漫画の神様は原作やラフに集中してもらっているので、漫画の進みは休載なしの週刊連載でとにかく早い。
だがよく考えたら、正史でもこの人は全然眠っておらず、何だかんだで筆は早かった気がする。
何にせよ、漫画家デビュー初日にヘッドハンティングして、頭を下げて頼み込むことで医学を諦めてもらい、稲荷プロダクションという二次元コンテンツの会社に入ってもらったのだ。
今度こそ火の鳥を最終章や、正史では未完の漫画も完結まで読めそうで楽しみである。
しかし、不満がないわけではない。
劇中では一部のファンからクソ鳥と呼ばれるある意味主役のキャラが、キラキラ光って空を駆ける狐になっていたのだ。
キャラとタイトル以外は殆ど変わっていないだけに、色々とやらかすことを知っている身としては、配役にどうも納得がいかない。
しかし、漫画は面白い。
釈然としない思いを抱きつつも、原稿があがるのを毎週心待ちにするのだった。
時は流れて昭和三十九年になる。
名神や首都だけでなく、全国に網の目のように高速道路を敷くことに余念がない。
どうやら東京オリンピックに備えるためという大義名分を掲げて、日本政府やら道路公団が強行しているらしい。
ちなみに私は政治や経済に関しては、四百歳を越えても興味が持てずにあまり詳しくはない。
肉体的にも精神的にも全く成長を感じられないのは、利点と同時に欠点でもあるのだ。
まあ今はそれは関係ないので、一旦置いておく。
問題なのは地方を後回しにして、都市部の高速道路に全力なことだ。
「先に地方の工事を終わらせるか、手の空いている他の業者に依頼してください。
中途半端で放置して高速道路を拡張するのは、いくら何でもやり過ぎです」
そう大本営発表、でしっかり釘を刺したのだった。
そんなこんなで十月に入り、こっちの日本では二度目の東京オリンピックが開催された。
ちなみに昭和十五年にも、東京でオリンピックが開催された。
しかし、その頃は世界情勢が混沌としており、参加国は少なかった。
だが今回は辞退する国もなく、万全な状態で開催される。
さらには、世界情勢が安定しつつある今日この頃だ。
有色人種国家におけるオリンピックという、大きな意義を持っていた。
ダメ押しとばかりに、アジアやアフリカにおける植民地の独立が相次いだことも重なり、過去最高の出場国数となった。
これでもかとオリンピックのヨイショが続いたら、普段スポーツには殆ど興味のないオタク趣味の私も、周りの熱気に引っ張られる。
何だかわからないが、とにかく楽しみになるのだった。
東京オリンピックの開会式前日は台風が接近して、雨が降った。
だが当日は、抜けるような青空の秋晴れだ。
私は神皇の席に座って、国立競技場に入場する各国の選手たちに拍手を送る。
興奮が静まらないのか勝手に尻尾を振ってしまい、とにかくワクワクしながら皆を見守っていた。
一時はロシア連邦の参加が危ぶまれたが、こっちの世界では冷戦は起きていない。
なので、もう敵ではありませんし、オリンピックに出場してもいいのではと、私が適当な発言をしたことがキッカケとなって、参加の許可が下りた。
そんな私の迂闊な発言を聞いて、ロシア連邦はこう考えた。
憎しみを向けるのではなく、無条件で信頼してくれた稲荷様の前で情けない姿は見せられない。
結果だけを見ると、ロシアの選手たちに大いに発破をかけてしまったのであった。
一方で私は、過去の発言など何処吹く風で綺麗サッパリ忘れてしまう。
各国の選手が入場するたびに、無邪気にキャッキャ騒ぎながら手を叩いて喜んでいた。
平穏に暮らしが脅かされない限りは、精神年齢は見た目相応なのが日本の最高統治者なのであった。
ちなみに国立競技場の開会式で流れた国歌は、君が代である。
一時は稲荷神に関係する歌詞になりかけたが、私が待ったをかけて前世と同じになるように軌道修正した。
だがそのせいで、作曲が稲荷神と記載されてしまい、君が代が流れるたびに羞恥心でヒギイすることになってしまう。
開会宣言は朝廷ではなく、それより上の神皇が舞台に上がる。
そこはまあ日本の最高統治者なので、致し方ないと諦める。
いざ舞台の上に立つと、選手だけでなく会場内全ての視線が自分に集まっているのだとヒシヒシと感じる。
大勢の前は慣れているとはいえ、少し緊張した。
「第十八回近代オリンピアードを祝い、ここにオリンピック東京大会の開会を宣言します」
そもそも国際オリンピック委員会(IOC)会長が、リトルプリンセスに開会宣言をお願い申し上げますと言わなければ、今代の朝廷にバトンが渡されたはずなのだ。
立ち去る前にこちらに一礼して、マイクの高さを狐っ娘の身長ピッタリに調整する辺り、最初からこっちに投げるつもりだったことを否が応でも察してしまう。
何だかんだで開会式も終盤になり、朝廷はロイヤルボックスから退席するらしい。
その前に神皇の私から先に、近衛と側仕えに引率される形で国立競技場の控室に移動する。
聖火ランナーも最後の走者の私が踏み台に乗って着火したし、選手も予定通り退場した。
何の問題もなく無事に東京オリンピックが開始されたことを喜び、上空にブルーインパルスで五輪の輪を描くのはやっぱり格好いいと、オタクの琴線に触れて大いに感動したのだった。
ちなみに結果だが、金メダルの数だけなら日本は三位だった。
アメリカが一位でロシア連邦が二位なので、流石は大国だ。納得の強さである。
さらに余談となるが、前世ではスポーツの日に名称が改められた。
一年最後の祝日である体育の日が、今回の東京オリンピックが元になっていると初めて知った。
普段の生活で祝日の由来など気にしたことのなかったので、大会が終わった後になるほどと納得したのだった。
時は流れて昭和四十年になり、お隣さんが日本に国交を開くようにと要求してきた。
何でも、お互いの関係を今一度見直して、友好的な条約を結ぼうと考えているようだ。
私はいつも通りに断固として拒否するつもりだったが、その前に日本政府が既に突っぱねていた。
李承晩ラインのこともあるし、日本漁船を勝手に鹵獲したりと竹島を占領されたりと、こっちでも色々やらかしたことは記憶に新しい。
それに何だかんだで日本は戦勝国だ。
最後にソビエト連邦に一斉降下作戦を行った以外は、専守防衛を貫いて、東アジアには出兵をしていない。
つまりは、敗戦国に対する気負いは一切ないのである。
その気になれば大人の対応を止めて、好き勝手に威張り散らしても、向こうは文句の一つも言えないはずなのだが、お隣さんは自分の立場がわからないようだ。
あまりにもわがままに振る舞えば、国際社会で村八分になってしまう。
何より子供のように喚き散らすのは、とても恥ずかしい。
なので日本の立場としては、あくまで態度だけは物腰柔らかで紳士的に振る舞い、今回の条約打診も丁寧だがはっきりとお断りしたのだった。
なお実際の現場では、お前いきなり何言ってんの。頭大丈夫かと、口には出さないがそんな意思が透けて見えた。
お隣さんの外交官に向ける視線は、日本以外の各国も絶対零度のように冷たかったと話題になったのであった。
同じく昭和四十年のことだが、証券不況が起こった。
東京オリンピックを軸にした公共事業の拡大や総需要の増加で、日本経済は成長著しい。
それと同時に証券市場の成長も促し、投資信託の残高は天井知らずで上がり続けた。
この勢いは当時、銀行よさようなら、証券よこんにちは。というフレーズが流行るほどだった。
しかし、東京オリンピックが終了して金融の引き締めが重なると、企業業績の悪化が顕在化したのだ。
普通ならここで、日本政府と国民は阿鼻叫喚になるはずだ。
しかし幸いなことに、昭和恐慌にはならなかった。
何故なら、私がまた余計なことを言ったからだ。
稲荷大社の特設スタジオで、銀行よさようなら、証券よこんにちはというフレーズについてのお便りが寄せられた時、私は相変わらずキレッキレの本音トークをぶっちゃけた。
「私から見れば、株券や債券はただの紙片です」
この発言が出たのは、私が前世の日本を知っているからだ。
あちらでは会社の負債や倒産が当たり前に起きていて、たとえ大手でも自転車操業は珍しくない。
それに過酷なブラック業務を続けても、赤字から脱却するのは困難だ。
「今は業績が上向きでも、東京オリンピックが終われば落ち込むでしょう。
株券や債券を際限なく買い漁るのは、沈みかけの泥舟に嬉々として乗り込むようなものです」
一番最初に手放した人は、確かに儲かる。
しかし、オリンピック後も株券や債券を持っている人は、価値がどんどん下がっていき、終いには大損するのは目に見えていた。
「破産寸前の競争がしたいなら止めませんが、投資や証券取引で儲けられるのは、ほんの一握りです。
そこに生活費まで注ぎ込むのは、危険極まりないと言わざるを得ません」
私は元々、平穏に暮らすことに心血を注いでいる。
浮き沈みの激しい証券取引などに手を出すなど、絶対にやらない。
それに、上の儲けが大きくなるほど下の損も増えるのが鉄則だ。
政治や経済にド素人の自分が始めた所で、カモにされるのは目に見えている。
だがまあ、私の発言で国民の行動を制限する気はない。
それでも証券に手を出したいのならば、止めはしなかった。
これを言うのは世界恐慌に続いて二回目だが、投資はお小遣い程度に留めておいたほうがいいですよと、狐っ娘の本音トークを披露するのだった。
しかし、この発言のおかげで日本国民にブレーキがかかる。
稲荷様のお言葉に背いたのだから、損をするのは仕方ないと受け入れて、損失分を取り返そうとさらなる投資はしなくなった。
皆があっさり手を引くので、当たり外れが極小規模で起こる程度に抑えられたのだった。
そして東京オリンピックが終わった後に、確かに景気が落ち込んだものの、それはとても緩やかだ。
けれど、これまでの日本の経済からすれば、確かに不況と呼ぶのに相応しい。
だが、国民の生活には殆ど影響がなかった。
後日談となるが、国民全体に釘を差した稲荷様は証券に対してやたらと言及していた。
なので日本政府は大本営発表の一文を取り上げて、証券不況と呼称したのだった。




