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一向宗の末端

 参道も昔とは見違えるように歩きやすく整備され、さらに目の届く範囲の山林の下草や茂みを熱心に呈される。

 おかげで麓からでも稲荷神社の本宮が小さく見えるほど見晴らしが良くなり、大勢の人々が毎日のように参拝に訪れるようになった。


 今では近場で言えば三河一之宮の砥鹿とが神社と、うちの稲荷神社が並び立つほどだ。

 わざわざ本宮まで登ってくる人は少なくても、麓の長山村の分社は連日大盛況だと聞いている。




 そんな永禄四年の夏、ジメジメとした梅雨の晴れ間のある日に、事件は起きた。


 私の住んでいる社務所の周りは、いつの間にか高い仕切り板が組まれるようになる。

 簡単に言えば神社の一部は私有地、もしくは神域なので関係者以外は立入禁止とか、そんな感じだ。


 面積は田舎の庭ぐらいなので、かなり広々としている。

 麓の村の人たちは私のことをよく理解しており、常日頃からプライバシーを尊重してくれていた。


 おかげで常に人の目に晒されることもなくなって、本当にとても助かっている。


 それでも厄介事はやって来るようだ。

 我が家を囲む仕切り板、その正面の門を通過しようとした男性が狼たちに取り押さえられるという事件が起きた。


 何も知らない参拝者が興味本位で覗こうとするぐらいなら、警備員のワンコたちが吠えたり睨みを効かせる程度で済む。

 だが今回に限っては、私も神主さんがその場にいなかった。


 結果、単身で正面から堂々と侵入しようとしたので、あえなくお縄となった次第だ。




 家の広間でのんびりと塩せんべいを齧っていた私は、家族の狼であるボスに、紅白巫女服の袖に前足をポンポンと乗せられる。

 何かあったのかなと首を傾げながら案内され、下駄に足を通して外に向かって歩いていく。


 玄関の引き戸を開けて、夜間以外は殆ど閉まったままの門の前に視線を向ける。

 すると他の狼のマロ、ミミ、ブチ、シロと勢揃いしていた。彼らは不審者を取り押さえて、褒めて欲しそうに一列に並んで座り、勢い良く尻尾を振っている。


 私は状況がよくわかっていないが、警備員として不法侵入を防いでくれたのは確かだ。

 取りあえずにっこりと笑顔を浮かべ、順番に頭を撫でていく。


 しかし最近は人気のない夜間以外は滅多に出歩かない私が現れたことで、本宮まで登ってきた参拝客が集まってくる。


 そんな中、ワンコたちに押さえつけられて、うつ伏せに拘束された男性が、顔を真っ赤にして荒々しく声をあげた。


「何が稲荷神じゃ! 民を騙し、邪教を広める女狐が!

 貴様の度重なる悪行は、仏様が決して許さぬぞ!」


 最近敷かれたばかりの真新しい石畳に、うつ伏せにされている。

 そんな彼を観察すると、歳をとったおじさんで、黒地の僧服を着ていた。さらに藁傘が近くに転がっている。


 同じような服装の者も数名居たが、家のワンコが怖いのか後ろでオロオロと取り乱すばかりだ。

 今なお興奮気味にまくしたてている仲間と思われる男性を、ただ見ているだけだった。


「不浄の固まりを田畑に撒くなど!」

「灰や腐葉土、鶏糞や牛糞、あとはボカシ肥料でしょうか?

 直接撒けば毒になりますが、私の教えた手順に従えば、農作物の発育が良くなりますよ」


 農作業は常に先を見据え、事前に準備しておかなければいけない。

 種籾の選別や合鴨農法だけでなく、昨年のうちから有機肥料を作らせ、農村の田畑に馴染ませておいたのだ。


 だが私も、最適な分量や効果はうろ覚えである。

 ゆえに農業のベテランに作成手順を伝えて、まずは少量の肥料でどの程度収穫量が上がるのかを、慎重に調査させる。


 ついでにこれまで通り、何も混ぜてない土壌と比較して欲しいなど、色々とお願いしたのだ。


 しかし、少々ハードワークすぎる。

 家に引き籠もって外に出てないだけで暇なわけではなく、今現在も片付いていない書類仕事が山積みだ。


 いくら疲れはしなくても長く続けていれば気が滅入ってくるので、狼たちとの夜の散歩や温泉でのんびり命の洗濯をしたりと、気晴らしは必須である。


(籾殻の選別と苗の直植え、長縄を使っての等間隔の植え込み作業、うろ覚えの農具の設計図。

 発酵や肥料の分量で失敗しても、収量がトントンになれば儲けものだけど。

 各々の土壌の問題もあるし、やってみないとわからないことが多すぎる)


 見た目は狐っ娘で神様っぽくても、中身は平凡な女子高生でしかない。

 農林高等学校で勉強したなら別だが、せいぜい臨時の手伝いとして呼ばれてちょっと齧った程度だ。


 なので作成手順でさえ本当に正しいのかと、不安を上げればキリがない。

 それでも、何もせずに黙って見ているという選択肢はなかった。


 稲荷神として多少は役に立たなければ、いずれは妖怪認定されて今住んでいる場所を追い出されてしまう。

 なのでまだ神様だと信じてくれているうちに、一歩ずつでも試行錯誤を重ねて信頼を築いていくのが重要なのだ。


 私がそんなことを考えているとは知らないのか、倒れている人は困惑しつつも大声を張り上げる。


「なっ……何を言って! そっそうじゃ! 家畜を殺して食すのも! 一向宗で禁じられておるのを、知らぬ訳ではあるまい!」

「別に家畜を殺しては⋯⋯ああ、卵のことですか?

 そちらは孵化しない無精卵を食べているので、殺生にはあたりませんよ」


 食べるのは卵で、合鴨も鶏も締めて殺すのは勿体ない。

 今は働き手を増やすのが急務なので、第一世代は寿命が来るまではせっせと働いてもらうことになる。


 そんな答えを返しながら、私は一向宗とは何ぞやと考えた。


 自分が知っている日本で信じられている宗教と言えば、仏教とキリスト教と神道ぐらいだ。

 きっと彼が信仰しているのは、その三つのうちの宗派の一つなのは見当がついた。


 だが経典や決まり事は全く知らないし、きっと聞いても一朝一夕では理解できないだろう。


「無精卵? 孵化しないだと? なっ……何を言っている! 卵からは雛がかえるものじゃ!

 そのようなこと! 童子でも知っておるわ!」

「本当に、そう思っているのですか?」

「どういう意味じゃ!」


 自分も専門家ではなく詳しいことは知らない。

 それでも一生懸命頭の中で考えながら、相変わらず顔を真っ赤にして怒鳴っている彼に説明を行う。


「人間の女性が周期的に内股からの出血に苦しむのは、何故だと思いますか?」

「そんなもの! 地神や水神を穢すために! 女の股から血を漏らしておるからに決まっておろうが!」

「えっ……何ですか? ……それは。知らん⋯⋯何それ⋯⋯怖」


 そんな迷信を信じてるとかマジで引くわと思ってしまい、後半は小声だが反射的にネタ台詞まで口にしてしまった。


 だが表情だけは何とか取り繕って、冷静なままだ。

 しかし人体の仕組みを知らなければ、十分ありえると思い直す。


 つまりこの戦国時代の一般常識として、女性の月のものは穢れだと忌み嫌う風潮が蔓延していても、それは仕方がないことだ。


 私はやっぱり隠しきれずにほんの少し顔を引きつらせても、真摯に受け止めてわざとらしく咳払いをする。


「コホン! はっきりと言いますが、女性の内股からの出血は穢れではありません」

「出鱈目をほざくな! 女狐めが!」


 まさに、聞く耳を持たないと言った感じだ。

 けれど周りの参拝者は興味津々といった表情で、時間が経つごとにさらに多くの人が集まってくる。


「これは女性が男性の子種を受け取らなかった結果、未使用の卵子を体外に排出することで起こる出血です。

 身籠った場合は月のものは起きずに、悪阻となります」


 この辺りの説明は難しかったのか、血気盛んなおじさんは言葉もない。呆然といった表情で私を見上げている。

 果たしてこの中の何人が生理の仕組みについて理解したのかは不明だが、重要なのはそこではない。


「話を戻しますが、重要なのは女性は身篭らなかった卵子を、定期的に体外に排出するということです。

 そしてこれは、鶏の卵にも当てはまります」


 つまり無精卵とは、鶏にとっての生理のようなものだ。

 品種改良が進んでいない戦国時代に、毎日ぽこじゃが生むかは疑問だが、それでも雌鳥だけで卵は生める。


 村の鍛冶職人に頼んで、特注のメイドインジャパンのフライパンを使ってもらったし、養鶏場の生みたて卵で目玉焼きを調理している。


 調味料は少なくても懐かしい味が口いっぱいに広がったし、卵料理を禁止されるわけにはいかない。

 断固として抗議させてもらう。


「なっ……なっ! 何を言うか! これこそが女狐である証拠よ! 人民を惑わそうなどと! かような戯言を申すな!」

「そうですか。では無精卵を温めて、雛が孵るか試してみては?」

「……はっ?」


 これ以上は説明しても無駄だと判断し、地に伏した彼を冷ややかな視線で見下ろす。

 淡々と言葉をかけると、先程まで真っ赤だった顔色が、目に見えて悪くなっていった。


「子種を授からなければ、卵をどれだけ温めても雛が孵るわけがありません。

 それに私が指導した田畑も、結果が出ないうちから戯言だと否定するのは簡単です。

 ですが、もし私の教えが正しかった場合、困るのはどちらでしょうね」


 お供の者たちも皆揃って青い顔になったが、何とも面倒臭い一向宗にこれ以上は関わり合いになりたくない。


 言うべきことは言い終わったので、用がありますので失礼と、背を向けて社務所に戻っていく。

 ワンコたちもおじさんから離れて、ようやく自由の身になったのだった。




 後日、神主さんから話を聞かせてもらう。

 彼らは麓の村々の一向宗、その寺の和尚たちらしい。


 稲荷神を語って怪しい教えを広める女狐め。もはや我慢ならんと、抗議活動の名目で同じように鬱憤を溜め込んでいた同業者も連れて、わざわざ直談判に訪れたとのことだ。


 ちなみに宗派の開祖の親鸞しんらんさんは、善人さえ往生できる。悪人ならなおさらであると、公然と肉食妻帯にくじきさいたいをした方らしい。


 だが長い時の流れの中で思想が変化したり、枝分かれするのは良くあることだ。

 個人的な意見なのに総意であると発言するなど、マイルールを勝手に作るのも組織の末端あるあると言える。


 一向宗は決して一枚岩ではなく、色んな考えを持つ人がいるということだ。


 それを知った私は、この時代の宗教は本当に複雑怪奇で心底関わり合いになりたくないと、実感させられたのだった。




 だがこうなった原因は私であり、無関係どころか当事者である。

 何故なら最近仏教の一向宗から、神道の稲荷神へと改宗する信徒が増えていた。

 村民からのお布施は、減少の一途を辿っている。


 さらにはその女狐は流言で人を惑わせ、田畑に汚物を混ぜたり、蜂や鶏を飼って、積極的に卵を食べようとしたり、身寄りのない女子供でも安心安全に働けるよう、農業以外の新たな職種を斡旋したりと、やりたい放題だった。


 最後のは言いがかりも甚だしいが、頭に血がのぼっている人間は厄介だと理解させられた。

 それに戦国時代の一般常識とはかけ離れたことをやりまくっているので、要注意人物として警戒されるのも無理はない。




 だが彼らは元は善人だったとしても、今は賄賂や詐欺に平気で手を出す悪人だ。

 民衆を言葉巧みに騙して私利私欲を満たして、甘い汁を吸い続けていたらしい。


 私が教えを広め始めた当初は、どうせすぐに詐欺に遭ったと一向宗の寺に泣きついてくる。

 どの和尚さんも、そう高をくくって踏ん反り返っていた。


 だがそれが一ヶ月、二ヶ月、……半年が過ぎても人心は離れることはなかった。

 逆に私を信仰する者は増える一方で、歯止めがかからない状態にまでなる。


 御高説を賜り、念仏を唱えるだけの坊主たちよりも、理屈はわからないがとにかくそのものズバリと的確な助言をくれる狐っ娘のほうが、結果的に民の救いになっていたようだ。


 こうなった原因は、この時代の宗教の多くが腐っているからである。

 BL的な意味でも腐っていたが、今回の問題はそっち方面ではない。

 もちろん不正に手を染めていない神社や寺もあるが、直談判してきた一向宗に限っては真っ黒だったので、結果的にギャフンと言わせても良心は痛まない。


 賄賂や人身売買、年貢のちょろまかし等、叩けば埃が出る。

 和尚さんたちは寺院の関係者は、付近の村民によって処理されることになった。


 神の名の下にというのは効果抜群で、これまでは天罰を恐れて口出しできなかった人たちが、皆一斉に立ち上がったのだ。


 その結果、不正に手を染めた一向宗は綺麗サッパリ消えてなくなる。

 少なくとも私に直談判しに来る距離の寺院は大人しくなるか、稲荷神に改宗して取り壊しを免れるのを余儀なくされた。


 一向宗の末端で賄賂を渡して好き放題にやっていて、信徒に肉食を禁じたのも自分たちが裏で独占するためだ。

 こうやって知らない間に、仲間を増やしていくんだなと思った。


 たとえ不正が明らかになっても、利益をチラつかせることで無理やり黙らせたのだろう。

 とにかく三河は一向宗の勢力が強いが、それでも色んな寺院があるようだ。


 色々あったが自分の周囲が綺麗に片付いたことだけは、本当に幸いだった。







 なお肝心の稲荷神についてだが、一見支離滅裂な指示に皆一度どころか何度も首を傾げはする。

 しかし取りあえず従って動いてみると、実に理に適っているものばかりだ。


 けれど、何もかもが上手くいくわけではない。

 時には失敗はすることがあるので、それを避けるためにも、現場を知る者が臨機応変に立ち回る必要がある。


 しかし何だかんだで、うっかりやらかすこともあった。


 結果、稲荷様は賢く美しく神々しい存在だが、何処か抜けていて愛嬌があり、親しみやすくて可愛らしいツルペタ狐っ娘だ、となる。

 とにかく色々な属性てんこ盛りで、民衆の心を鷲掴みにしてしまったのだ。


 ついでに未来の萌え文化を先取りし、歴史の教科書にも名前がバンバン登場することになる。

 だが在宅ワークが多すぎてヒーヒー言っている今の狐っ娘には、知る由もないのだった。

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― 新着の感想 ―
BL的… 寺の病と書いて「痔」ですし。 きっと、そういうことなんでしょうか。
狼達大活躍ですね。
五穀豊穣をもたらしてくれて、ツルペタ狐っ娘で、しかも罰まで背負うと言ってくれる神様を信仰しない理由がないですね
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