南海丸事故
この小説の登場キャラクターは、実際の人物や団体とは一切関係ありません。
鈴木太郎さんという有名人が存命している場合、小説内では鈴木さんという名字以外は表記しない配慮を行っております。
少しだけ似ている人物ということで、ご了承ください。
昭和三十一年になり、原子力委員会と原子力研究所が設置された。
ちなみに場所は茨城県の東海村だが、実用化予定は今のところはない。本社はアメリカで、うちは受付窓口のような扱いであった。
同年、ロシア連邦と国交を回復した。
第二次世界大戦での敵国だったので、仲直りするのは当然のはずだが、国際連合に加入した時に、あの時は本当に申し訳なかったと頭を下げて謝ってきた。
しかし残念ながら、政府関係者は完全に忘れていた。
何しろこっちの日本はロシア連邦の力を借りなくても、全く困らないのだ。
なので日本の外交官は、おっおう、こちらこそ(忘れてて)申し訳なかった。と言った感じで、若干困惑しつつも笑顔で握手をした。
テレビカメラの前で仲直りしたので、表向きは美しい友情である。
昭和三十二年になって、景気が少々不安定になってきた。
文部科学省が設置されたりと、平和な日本でも変化は確実に起こっている。
また、私が印刷された一万円札やその他の紙幣も、心機一転リニューアルされた。
そのせいで初刷りの一桁ナンバーを何とか手に入れようと、日本銀行に問い合わせが殺到した。
結果、一時電話サービスがパンクする事件が起きてしまう。
何だかんだで日本国民の殆どがペロリストなので、お札を転売をするようなことはない。
しかし、他国に布教や善意の押し売りということで、保存用と観賞用はしっかり確保したうえで、元値より高く売っている。
結局、転売と何処が違うのかと議論するIHKニュースを見ながら、居間のちゃぶ台で頬杖をついて、これもうわからないねと、溜息と同時に呆れたツッコミを入れるのだった。
時は流れて昭和三十三年になり、東京の新しいシンボルとしてスカイツリーを竣工することになった。
既に赤い電波塔は建てられて稼働しているが、デジタルもかなり普及してきた。
正史を先取りして、今度はそっちである。
さらに同年のことだが、長嶋さんという若手選手が読売稲荷軍へと入団したらしい。
私も東京ドームに野球の応援に行ったことがあり、その時にたまたまホームランを打ったので、思わず立ち上がって手を叩いてキャッキャウフフと大喜びした。
観客だけでなく、敵味方も関係なく盛り上がっていたので、一体感を味わうことができた。
ちなみに、私が応援しているのは強いて言うなら地元球団だ。しかし、そこまで熱心ではない。
前世の日本ではスポーツにはあまり興味を持てなかったし、それよりもアニメや漫画やゲームなどの根っからのオタク趣味だ。
それに何より私が一つの球団を応援すると、日本国民全体がそれに乗っかろうとするのは火を見るより明らかである。
稲荷大社の特設スタジオでは、頑張っている選手を応援しますという、そんな当たり障りのない言葉に留めるのだった。
同じく昭和三十三年、私の一万円札のみがデザイン変更になった。
何処が不味いのか素人にはわからないが、政府関係者の説明を受けた私は、取りあえずフムフムと理解したフリをしておく。
何でもベテランのペロリストが、稲荷様とは耳と尻尾の造形が違うので不遜であると、抗議の声を上げたのが原因であった。
私にはさっぱりだったが、わかる人にはわかるらしい。
そう言えば目尻と口元もと、そんなへんてこな噂が広まった結果、史上稀に見る刷り直しを行うことになった。
なお当の本人が、私は別に気にしませんと公言したことにより、旧一万円札はこれ以上増刷はしなくなる。
そして回収せずにそのまま使われることになり、コレクション的な意味合いが強まった。
ついでに、国外では物凄く高額で取り引きされるようになった。
一応イギリス王室に、もしよければ旧一万円札を送りましょうかと、お手紙を出した。
ちなみに、返事は以下の通りだ。
「お気遣いに感謝します。ですが大丈夫です。もう手に入れました」だった
流石は稲荷グッズの収集家だけあって、行動が早いと思ったのだった。
同年の一月、私はまたもや船旅がしたくなってきた。
テレビ番組で見た南極探検隊やオホーツク流氷に影響されたのか、冬の海も良いなと感じたのだった。
なお日本政府やその他の関係者は、あっ(察し)状態になったのは言うまでもなかった。
そのような一連の流れがあり、神皇のお忍び旅行が再び行われることが決定する。
時期は一月二十六日で、和歌山港から出航して小松島港に向かう。南海丸に乗船することになったのだった。
そして迎える旅行当日、私は予定通りに南海丸に乗船した。
分類は旅客船で、大勢の観光客を乗せるフェリーである。
今度こそ何事も起こらずに、悠々自適な船旅を満喫できると思った。
だが期待を裏切るかのように、出航の三十分前に徳島地方気象台から強風注意報が発表される。
なので私は、これは船旅は延期かなと思っていた。
だがしかし、南海丸は全く気にすることなく、小松島港に向けて和歌山港から出港する。
私と近衛と側仕えが船長室まで出向いて、時化で危険なので引き返したらどうでしょうかと、直談判することになった。
「風も強いですし、出航を見合わせてはいかがでしょうか?」
「ご心配には及びません! 稲荷様は必ずや我々が小松島港にお連れ致します!」
狐っ娘を乗せることが、光栄の極みと思っているようだ。
中年の船長さんは何が何でもやり遂げるぞと、逆にやる気になってしまっていた。
(これって、もしかしなくても私のせいだよね)
自分さえ船に乗っていなければ、危険を察知した南海丸は出港しなかった。
風が強まったことを察して、すぐさま和歌山港に引き返しただろう。
だがまだ事故が起こったわけでもないし、船長さんの言う通りに無事に小松島港に到着する可能性もある。
しかし常識的に考えて、荒れた海に漕ぎ出すとか正気の沙汰ではないのも確かなのだ。
(ううーん、私が臆病なだけ? わっ、わからない)
私がどうしたものかと判断に迷っていると、突然風の音が強まり南海丸の船体が大きく揺れた。
それだけではなく大波にも立て続けに襲われて、上部甲板から船内に海水が侵入したことを狐耳が感知した。
「もう引き返すのは無理ですね。海上自衛隊に救援要請を」
「了解致しました!」
私は大揺れでも二本の足でしっかり立っているが、四つん這いになった近衛は自前の衛星電話を手に取ると、こちらの指示通りにすぐさま救援連絡を入れる。
時化の海で船がひっくり返ってしまえば、もうどうしようもない。
私は不死身なので沈んでも平気だし、最悪泳ぐか水上を走って本土に帰ればいい。
あとは狐火を使い、空を飛ぶこともできる。
だが、乗員乗客は残らず海の藻屑となってしまう。
流石に、そんな最悪の事態は何としても避けたい。
なので今から一人でも多く助けるにはどう動くべきかと、足りない頭を捻って考える。
「とにかく時間を稼がないと。海上自衛隊の救援が間に合えば良いのですが」
私が口元に小さな手を当てて考えていると、揺れにも負けずに立ち上がった近衛が大声で報告する。
「稲荷様! 海上自衛隊の救援がただ今到着致しました!」
「ええっ!? あっ……はっ、早いですね」
まだ数分ほどしか経っていないのに、あまりにも海上自衛隊の到着が早い。
そのため、いつもの穏やかな表情が崩れて素でびっくり仰天してしまったが、慌ててコホンと咳払いをする。
そして、真面目な顔に戻して疑問を口にする。
「救援が間に合ったのは何よりです。
しかし海は大時化ですので、乗客乗員の避難誘導は難しそうですね」
「そちらは我々海上自衛隊にお任せください!」
船長室の扉が勢い良く開き、海兵用の強化外骨格を装着した自衛隊員が大勢乱入してくる。
本当に何の脈絡もなくいきなり入ってきたので、それを目撃した私は唖然となってしまう。
「我々は海難救助のプロです! 隊員一同稲荷様のご期待に応えられるよう、全力を尽くします!」
「はっ……はい、お願いします。けれど、くれぐれも気をつけてくださいね」
私は、あまりの展開の速さについていけなくなる。
当たり障りのない応援を返すのが精一杯になってしまった。
隊長らしき人がテキパキと指示を出したり、船長が南海丸に関する情報を話したりしているのを横目に、私は混乱しながらも邪魔をしては悪いと思い、静かに部屋を出るのだった。
そして、日本の最高統治者は近衛と側仕えに連れられて、結局何もせずに救助艇に移動した。
そこで特に意味はないが、海軍大将の衣装に着替えた状態で、管制室の船長席に堂々と腰を下ろす。
ついでにカンペのような物を渡されて、現場の士気が上がるという理由を提示されて、成り行きで私が指示出しをするハメになった。
後日、南海丸は大時化の海に飲まれてひっくり返ることになる。
しかし海上自衛隊の迅速な救助活動がギリギリ間に合ったおかげで、前回に引き続き死者はゼロであった。
ただまあ船が大揺れの状態での緊急避難だったので、転倒による怪我人が結構な数出てしまった。
それでも百六十人以上もの命を救えたのだから、本当に幸運だったと思う。
私も救助活動に尽力した海上自衛隊に、直接お礼を伝えに行った。
これに対して陸と空がぐぬぬと悔しがったが、日本は島国だ。
海上自衛隊の活躍が多くなるのも、ある意味仕方ない。
なので私は軍部がおかしな理由で暴走しないように、一年に何度か行われる陸海空の駐屯地のイベントに参加して、隊員を労うことが半ば強制的に決定した。
戦車や飛行機にも乗れるので私としては嬉しいが、それでいいのかと自衛隊にツッコミを入れたくなる。
だが我慢しながら、また変な公務が増えたと、心の中で大きな溜息を吐くのだった。
それはともかくとして、鶏ガララーメンが世界的な大ヒットを記録している。
大変素晴らしい偉業でありながら、新聞やニュースは南海丸事故に夢中であった。
そこで、私が直接顔を出す。
「貴方たちは凄い記録を成し遂げました。なので、これからも頑張ってください」
応援の声を届けて、フットワーク軽くご機嫌を取るのだった。




