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漫画の神様

 昭和二十一年、東京市が東京都になっただけでなく、昭和東南海地震や昭和南海地震が起きてしまった。

 しかし日本はこの程度ではへこたれずに、元気いっぱいである。


 こっちの沖縄には敵国の軍人は上陸してないし、徴兵制も行われていない。

 さらに広島と長崎に原爆が投下されず、ドームもそのまま残っている。


 うろ覚えの本来の歴史とは、完全に別方向に進んでいた。

 犠牲者が出ない理想的な結果に落ち着いたので、後悔はしていない。


「あー、でも、少しは後悔してるかも」


 いつも通り我が家の縁側に腰かけて、足をブラブラさせる。

 庭で戯れる子狼たちを微笑ましく眺めていた。


 そして、第二次世界大戦が終結した後のことを振り返る。


「稲荷神の信者が年々増えてるのは、後悔しっぱなしだよ。

 しかもやんごとなきお方が、自分は人間であると宣言しちゃったし」


 日本国民の祖先が日本神話の神々であることは否定していない。

 ただ、その血が薄くなっただけだ。


 しかし、このことで稲荷神への依存度がさらに上がるのは間違いない。

 日本が支援を行っている世界各国も、徐々に狐色に染まってきている。


 特に共産主義や社会主義であった国では影響が凄まじい。

 何しろ元は、労働階級や貧困層が主に支持していたのだ。


 今では日本からの手厚い支援を受けて、敗戦国だろうと関係なく衣食住を保証していた。

 さらに働き口も斡旋するので、それはもう深く感謝される。


 当然ながら、最高統治者である私にも向けられた。




 弱った心の隙間を埋めたと言うか、現実に存在する神様っぽい狐っ娘だ。

 信仰のイメージが明確になりやすいので、とにかく社会的に弱い立場の人々から絶大な支持を集めることになった。




 結果的にキリスト教、ヒンドゥー教、イスラム教などに追いつけ追い越せとなる。

 今では稲荷教は、世界的にメジャーな宗教にランクアップしてしまったのだった。


「わざと失敗しても退位できないなら、やる意味ないしなぁ」


 少し前までは、民衆に犠牲が出ない範囲でわざと失敗し、何とか穏便に退位できないものかとあれこれ考えていた。

 だが数百年以上も日本と親日国の平和を維持し、国力を増進してきた実績が大きすぎる。


 ならば、前世の日本では他人をこき下ろすことが多い、マスコミに期待したいところだ。

 しかし全国がこんがり狐色に染まってしまったため、偏向報道はワッショイワッショイばかりで、それも難しい。


「こういうのを八方塞がりと言うんだろうけど、売れっ子漫画家もこんな気持ちなのかな」


 大人気すぎて、連載を終わらせてもらえない漫画家の気分に近そうと、私は肩を落としたまま空を見上げて、風に流される雲をぼんやりと観察する。


 日本と親日国だけでも面倒なのに、世界中で信者が増えれば、ますます辞められなくなってしまう。


「でも売れっ子漫画家でも、人気が落ちるときもあるよね。

 よし、頃合いを見て退位を切り出す作戦で行こう」


 これならいけると感じて、私はギュッと拳を握る。

 どんな作家やアイドルだろうと、人気の浮き沈みはある。


 つまり私が世界の人たちに忘れ去られるのは、遅かれ早かれいつか必ず訪れる運命だ。

 ならばその少し前に退位の話を切り出せば、穏便に片付くだろう。


 何とも蜘蛛の糸のように細い希望だが、一筋の光明を見つけた気持ちだ。


 私はその時が来るまでは、今まで通りに稲荷神のフリをする。

 場当たり的な本音トークを繰り出しながら、適当に過ごせばいいやと考えた。


 とにかく基本方針を再設定して元気が出たので、戸棚の奥から北海道のバターサンドを取り出す。

 今日はこれを十時のおやつにしようと決め、日当たりの良い縁側によっこいしょと腰を下ろして、甘いお菓子を小さな口に入れるのだった。







 時は昭和二十二年。場所は東京稲荷大社に広がる森の奥深く。

 そこに建てられた絢爛豪華な神社には、狼たちを引き連れる、この国の最高統治者である稲荷神様が住んでいる。

 そんな彼女は、日の本のために今日も心を砕いて公務に励んでいるのだ。


 一般人の認識としてはこうなっているが、実際には小さく質素な家に引き篭もって、神皇の出番がないことを期待しつつ、ワンコたちと適当に戯れながら、毎日食っちゃ寝していた。




 ちなみに今日は何をしているのかと言うと、マンションの3LDKサイズの小ぢんまりした家の掃除が終わったところだ。

 なので、お茶とお菓子を用意して縁側に腰を下ろして、まったり小休止中である。


 そんな私は、遥か彼方に流れる雲を眺めながら、これまで色々あったなーと、何となく過去を振り返った。




 まず一番最初に頭の中に思い浮かんだのが、五年前に第二次世界大戦が終結したことだ。


 国境を越えた争いが片付いたことで、これでようやく世界に平和が訪れる。

 そう思っていたが、あいも変わらずあちこちで内乱や紛争、その他諸々の問題は山積みであった。


 西暦二千年を過ぎた前世の世界も、混沌としていたのだ。

 それより前の昭和で、全て解決するはずがなかった。


 日本が各国に援助を行い、統治機構に関しても口出ししている。

 争いの芽は小さなうちに刈り取っているおかげか、今の所の面倒事は最小限に収まっていた。




 そして二番目に思い出すのが、日本の技術力の高さを全世界に堂々と知らしめたことだ。


 第二次世界大戦に盟主として参加したことはもちろん、終結に導いたライトニングフォックス作戦でさらに名声を高めた。

 犠牲を極力出さずに連合軍の全戦力を持って、ソビエト連邦を一気に叩き潰したのだ。


 これで話題にならないほうがおかしい。

 終戦後に政治家や軍の関係者が、各国の対応にてんやわんやすることになった。


 だがまあ、その際に軍事機密という言葉はとても便利だ。

 いくら物凄い兵器でも、構造原理の一切合切を秘密にできるのだ。

 おかげで、日本の優位性を保つことができたので、うちの政府関係者はなかなかに強かである。




 なお、世界屈指の技術力を持つ日本だが、今現在政府主導で行っている事業がある。

 それは、全国にリニアモーターカーを走らせることだ。


 他にも、赤道に衛星軌道エレベーターを建設したり、月面に人が住めるように密封ドームを作ったりと色々である。

 さらには宇宙ステーションではなくコロニーを建設したり、火星と地球を往復可能な有人探査ロケットの研究開発等など、既に次のステップに移っていた。


 うちと親日国の技術力は平成の時代に到達しているので、もはや夢物語ではない。

 協力が得られれば実現は十分に可能だし、四百年以上もずっと内政に打ちこんできた成果が出たと言える。


 だからなのか、他国と争うなんて馬鹿らしくやってられない。

 それより今目を向けるべきは、地球ではなく宇宙でしょという感じに、たとえ内乱に味方するように頼まれても、良い意味で我関せずとなっている。


「まあ、向こうから関わってこなければ、平和で良いことなんだけどね」


 縁側に腰かけたまま、熱い緑茶で喉を潤し、秋空の下を流れる雲をのんびりと目で追う。


 付き合いが面倒な大陸とは距離を取っているので、その分だけ内政に集中できる。

 そのぐらい国家間の権力や利権争いには、日本と親日国は興味を持っていなかった。


 それにソビエト連邦に攻め込んだが、終結後に戦勝国の権利を放棄したのだ。

 他国に縛られず、身軽になれた。

 付き合いが悪いとも言うが、深く関わっても面倒が増えるばかりで割に合わない。

 私は仲良しグループでキャッキャウフフできてれば良いのだと、ウンウンと頷く。




 それ以外の事件と言えば、去年は昭和南海地震が起きて現地に慰問に行った。

 現地住民を見る限り、日本はこの程度ではへこたれずに、復興に向けて頑張っていた。

 そしてこの所、大鍋をかき混ぜる機会がなかったので、私も久しぶりに新鮮な気分を味わったものだ。


「でも、日本が相変わらず平和で良かったよ」


 正史では日本はアメリカに無条件降伏した。

 その結果、憲法や統治機構の改革を余儀なくされる。

 詳細までは覚えてないが、大きな転換期であったのは確かだ。


 だが、今の日本は沖縄が占領されたり本土が焼け野原になることはなかった。


 第二次世界大戦の敵国である、ソビエト連邦の航空機や軍船も一切の侵入を許さない。

 あからさまな挑発行為だと現場が判断した場合に限り、遠距離射撃で一方的に撃墜か轟沈した。


 なので、日本の被害や戦死者は他国と比べて驚くほど少なかったのだった。




 ここで戦争関係は一旦頭の片隅に置き、昭和二十一年にあったことを思い出す。


 その頃の私は、新聞の四コマ漫画を読むのがマイブームであった。

 なので、少国民新聞でそれを目にしたのは本当に偶然だ。


 描かれている漫画を見てピンときた。

 もしかしてこれは、未来で有名な漫画の神様ではないかと。


 それからはもう、思い立ったが吉日とばかりに、すぐに政府関係者に外出することを伝える。

 その日のうちに、自宅にまで押しかけての熱烈アプローチだ。


「直接会って話せた時は凄く嬉しかったけど。

 手塚さんが漫画家ではなく、医者を目指してたとは思わなかったよ」


 当時は深く考えずに読んでいたが、現実と照らし合わせて考えれば、黒男の漫画もある意味納得できた。


 だが私は、医者を目指していようが関係ないとばかりに、形振り構わずに漫画の道に進んで欲しいと頼み込んだ。


 それこそ土下座をしかねない勢いだったが、近衛や側仕えが必死に止める。

 なので、そっちは断念して真正面から説得した。


 なお結果はと言うと、手塚さんは快く承諾して漫画家になるほうを選んでくれた。


 だが、必死に頼み込んでおいて何だが、自分のわがままで医者の道を無理やり諦めさせたので、凄く申し訳なかった。


 そこで私は、稲荷神の権限を使って日本政府に働きかける。

 手塚プロではなく、稲荷プロダクションを設立することを決断した。


 こうなったら、せめて彼が寿命で亡くなるまでは、責任を持って面倒を見るべきだ。

 それが、手塚さんの人生を強引に捻じ曲げてしまった、せめてもの罪滅ぼしだと考えたのだ。




 日本政府に話を通すときは、いつものように稲荷大社の謁見の間に呼び出す。


「今の日本はアニメや漫画大国ですが、まだまだ伸びしろがあります。

 ですので、新たな起業への初期投資をよろしくお願いします」


 具体的にはと、真面目な表情でお願いした。

 このような経緯があり、日本政府が全額出資した稲荷プロダクションがドドンと設立されたのだった。



 なお、昭和時代に元々存在していた少年シャンプとは別の会社だ。

 連載しているのは、最初は手塚さんだけだった。


 そこで私は、またもやあれこれ口出しした。


 手塚さんは原作に専念し、残りは全て作画やアシスタントに任せるべきだ。

 社員寮としてトキワ荘を建てて、通勤時間も短縮すべきである等、それはもう色々だ。


 こうして全ての連載作品が手塚さん原作の週刊漫画雑誌イナリは、無事に世に出ることになった。


 ちなみに少年や少女をつけなかったのは、手塚さんの作風では年齢層を絞り込めないからだ。

 少年から大人まで、ごった煮というやつだ。


「神皇の威厳を保つために、今回の件はあくまでも日本のためであり、自分は娯楽作品に興味は殆どありません」


 そのように口にしながら、彼にはプロジェクトに協力してくれたお礼を言いたくなった。

 なので、人気のない個室に呼び出す。


 私自身が嘘をつくのが下手ので、結構ギリギリのラインだ。


 殆ど興味がないということは、少しはあるのだ。

 そして人によって少しの基準がブレブレなのも良くあるので、別に間違いでないと強引に自己肯定する。




 念のために、個室に盗聴や聞き耳の心配がないことを何度も確認した。

 さっきのは殆どというのは言い間違いで、実は貴方の大ファンなのだと告白し、週刊イナリが完成したら毎週届けてもらう約束をする。


 笑顔で握手をして、漫画に対する情熱を存分に語り合う。

 あまり長時間留まると怪しまれるので、名残惜しいが続きはまたの機会と、その場はお別れしたのだった。




 なお、漫画の神様と直接話したことで、私のオタク魂に久しぶりに火がついた。

 もしかしたら放射火炎を吹く怪獣や、巨大化するヒーロー、仮面のバイク乗り等の原作者も、昭和の時代に生まれているかも知れない。


 彼らがいつデビューしたのは知らないし、まだ存在すらしていない可能性もある。

 私が歴史を変えた影響で、下手をしたら一生埋もれたままとも限らない。


 他人の功績を私が奪うことも珍しくなかったが、時代を先取りしても気に病むのは狐っ娘だけだし、そこは目をつぶる。


 ともかく、自分が胸を張って自慢できるのはサブカルチャーの知識ぐらいだ。

 他は良くて一般の高校一年生レベルで、既に世に出し尽くしてしまった出涸らし状態である。


 ならばせめて、自分の得意分野だけでも過去の偉人を強引に引っ張り上げて、日の当たる場所に出して直接応援してあげたい。

 だが、手塚さんは本名だったから良かったものの、残念ながら私はペンネームしか知らない。広く浅くのライトオタクだ。


 そのため、近衛や側仕え、さらに政府関係者にボカして伝え、私事で申し訳ないですがと、何度も頭を下げて捜索を依頼する。

 彼らは皆は快く協力してくれたので、とても助かった。


 だがその結果、該当人物があまりにも大勢出てきてしまう。

 私は決闘者のように直感任せで人物ファイルに目を通してドローしたり、現地に行って直接会話をすればはっきりするだろうと、フットワークを軽く日本中を飛び回ることになったのである。




 後日談となるが、オタク文化に重大な影響を与える人物を早急に確保しては、最高のスタッフと多額の予算を与えて、親方日の丸の稲荷プロダクションに放り込む。

 そして、ご自由にどうぞと、雑なヘッドハンティングを頻繁に行っていた。


 正史では鳴かず飛ばずだった人物も数多く拾って、意外な才能が開花するまで育てた。

 こんな人居たかなと疑問には思うが、元々適当な性格である。

 すぐに、何だか知らんがとにかくヨシで、気にせずにお仕事を頑張ってもらった。


 そして、優秀な人材が集まるということは、業績が好調なことでもある。

 日本政府が出した初期投資分は早期に回収し終わり、本来は必要ないのだがきっちりと返済を終える。

 それに伴い運営資金や事業規模も、加速度的に拡大していったのだった。




 最初期こそ週刊イナリのみだったが、すぐに他の週刊や月刊、少年や少女や青年、文学小説やライトノベル等など、それこそ数多の書籍を生み出される。


 だが、決して一強は作らずに、自社内でライバルを作って切磋琢磨させた。

 私はまるで蠱毒のようだと感じたが、別部署の社員も外では気楽に飲みに行くほどに仲良しこよしであり、何とも不思議な関係であった。


 まあともかく、おかげで稲荷プロダクションは漫画や小説だけでなく、アニメや映画や特撮まで手掛ける、日本を代表する超巨大サブカルチャーコンテンツとなったのだった。




 ちなみにテレビゲームや各種グッズ、全く分野が異なる畑違いに関してだが、稲荷プロダクションは一切手がけていない。

 完全な別会社なので、そのつど外注する形を取っている。




 その件について、何故わざわざ分けたのかと理由を尋ねるお便りが届いた。

 いつの間にか稲荷プロダクションの名誉会長的な立場を任されていた私は、稲荷大社の特設スタジオでこう返答した。


「餅屋は餅だけを作っていればいいのです」


 自社の宣伝目的に大本営発表を使えるのは便利だが、表向きは私は詩や純文学を嗜む神皇だ。

 イメージダウンを避けるためにも、漫画雑誌に対して露骨に口を出すのはNGである。


 なので、あくまでも畏まった態度を維持し、オタク特有の早口にならないように気をつけて、淡々と話していく。


「映画、特撮、漫画、小説等は業種が近いので、同じ会社で部門を分ければそれなりに上手く噛み合うでしょう」


 相変わらずの本音トークであり、表情こそ真面目だが、内心ではさっさと家に帰って今週号のイナリを読みたいという気持ちが溢れて、少し尻尾がソワソワしていた。


「しかしテレビゲームの会社がフルCG映画を作ったり、椎茸販売に手を出したら、それこそ業績が悪化しかねません。

 そのような愚行は、決して許されないのです」


 この嘘か真かわからない謎話だが、いつものように全く気にも留めず公言した。

 そして後世の歴史に、しっかり記録として残ってしまう。


 だが相変わらずのキレの良い本音トークを、稲荷大社の特設スタジオでぶっちゃけまくり、家に帰って手塚さんの漫画読みたいとしか考えていない狐っ娘は、そんなことは知る由もなかったのだった。

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― 新着の感想 ―
ゲーム会社が椎茸はダメですよ椎茸は…!
この世界なら水木さんも両手で漫画かけてるのかな
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