オーストラリア(上)
<オーストラリアの考古学者(自称)>
日本の港から船に乗り、赤道を越えてさらに南へと向かうと、やがてオーストラリアという大陸が見えてくる。
そこは昔、弓や槍での狩猟、そして精霊信仰といった独自の文化を持つ原住民が数多く住んでいた。
だが、海の向こうから銃火器を持った異民族による侵略を受ける可能性が非常に高く、いつ植民地にされてもおかしくない大陸であった。
もし虐殺や占領等が行われた場合、文化や生態系を破壊されて砂漠化や動植物が絶滅したり、原住民は非常に苦しい立場になったことは、想像に難しくない。
だが、とある理由によって、異民族から侵略を退けることはなくなった。
しかし結果を見れば、オーストラリア独自の文化は、完膚なきまでに破壊される。
それでも、博物館や保管庫には遥か昔の品々が数多く残されているし、観光客向けの細工物の売れ行きも好調だ。
数百年が経った今も、独自の文化は細々と生き残っている。
そして話は、オーストラリアのとある町で考古学を研究している若者へと移る。
「やはり、海の向こうから織田信長がやって来たことが、オーストラリアにおける歴史の転換期のようですね」
自分が今何をしているかと言うと、机も床も関係なく乱雑に並べられている古い書物に目を通し、過去の記録を多方面から調べていた。
仕事場として使っている狭い書斎は、はっきり言って足の踏み場もないほど散らかっている。
だが私は何処に何が置かれているのかを、ちゃんと把握している。なので、何も問題なかった。
さて、考古学的な視点に話を戻すが、海の向こうからやって来たのは、黒船に乗った織田信長が最初ではない。
それより前にも異民族、恐らくヨーロッパ人だろうが、彼ら規模は小さいが何度か侵略行為を行っていた。
その他には蒸気船に乗った日本の外交官がやって来て、原住民たちとの間に友好関係を築こうとしたりもしていた。
なので、外界からの干渉は割りと頻繁に行われていたと言ってもいい。
「織田信長は、当初は老後の海外旅行が目的だった。
しかし行きがかり上、原住民に協力することとなり、ヨーロッパ人たちを相手にゲリラ戦を──」
私は真剣な表情で、最近発表された新たな学説に目を通していく。
彼は齢六十を越えていたが、とても元気な老人だ。
猿と呼称する部下をお供にして、原住民たちと意思の疎通を図る。
常に自信たっぷりに振る舞っていた。
戦いに関しては荒々しい一面もあり、常に先頭に立って采配を振るい、ヨーロッパ人の銃火器を侮りがたしと判断すると、地の利を活かしたゲリラ戦に作戦を切り替えた。
結果は、連戦連勝で向かうところ敵なし状態だったらしい。
「いやいや、いくら何でも誇張しすぎでしょう。新たな学説の信憑性が疑われますね」
新たな学説に関しては、私的には話半分と言ったところだ。
ヨーロッパ人は現地住民に比べれば極めて少数で武装も貧弱とはいえ、それでも六十過ぎの老人が大活躍など、色々と無理がある学説である。
最前線で指揮を執るだけでなく、自らも銃火器を手に馬上から狙撃し、その腕前はまさに百発百中の名手だと味方から絶賛されていた。
ついでに、頭の切れる猿を連れていたが、これは腹心の秀吉で間違いはないだろう。
「でもまあ、稲荷神様なら難なくやってのけるでしょうけど」
少し横道にそれるが、私は仕事机に頬杖をついて稲荷神様について考える。
嘘のようなトンデモ話だろうと、彼女ならば余裕で達成可能だ。
それに関しては、これまで圧倒的な速度で積み上げてきた、数百年にも及ぶ偉大な実績が証明している。
だが、稲荷神様は人前には滅多に姿を現さない。
なので日本の舵取りや、人並み外れた政治手腕ばかりが評価される傾向にある。
だが、それは別に間違っているわけでは、断じてない。
何しろ、稲荷神様が人類史上最高の統治者であるのは、誰の目にも明らかだからだ。
しかし、最高統治者としてのあまりにも輝かしい功績に目を曇らせ、他が見えなくなるようでは、考古学者としては三流だろう。
まあ私も、自分が一流だとは思ってはいないのだが、それはそれである。
とにかく、稲荷神様は身体能力もとても優れている。
若かりし頃は犬ぞりに乗って戦場に飛び込み、歴戦の武将をたったの一撃で倒したり、海の上を疾走することはもちろん、息も何時間だろうと止めていられる。
さらに、火の中に飛び込んでも火傷一つ負わずに、肌や服は綺麗なままであった。
銃弾を見てから回避も余裕であり、そんな圧倒的な身体能力を有しているのだ。
馬上から銃を撃ったとしても、百発百中の名手になるのは確実である。
まあ、生きる伝説の稲荷神様を語り始めると本当にキリがないので、それは一旦置いて話を戻す。
織田信長は他の日本人たちと現地住民と協力し、侵略行為を繰り返す海の向こうからやって来たならず者たちを、次々に撃退していった。
そしてオーストラリアでは、動物は神々の使いであるといった精霊信仰がとても盛んだ。
日本の最高統治者は、狐と人間の特徴を併せ持った外見をしている。
なのでオーストラリアで暮らす様々な部族は、稲荷神様こそ神々が遣わした精霊に違いないとあっさり信じ、日本との友好関係を大いに深めることとなった。
図々しいヨーロッパ人たちとは違い、日本にオーストラリアを侵略する気がなかったのも幸いする。
特にお供の猿は、互いの仲を取り持つのが抜群に上手かった。
「精霊の存在を信じているオーストラリア人からすれば、狐の神様が最高統治者である日本は、まさに憧れの国と言えますね」
おまけに厄介な異民族を追い払うために、無報酬でも気にせずに二つ返事で協力してくれるのだ。
なので当時のオーストラリアに、日本は我々の味方だという認識が広く浸透していったのだった。




